土々呂 運動会

運動会が年々早くなる。門川では中学校が9月11日、小学校が9月下旬となる。するほうも見るほうも暑くてたまらんだろうに。
というところで昔の土々呂小・中の運動会関連の写真。私の父が撮影したものを中心に。

土々呂小、戦前の運動会の写真。かなり昔のはず。大正時代くらいさかのぼるのでは。グラウンドが狭い。講堂は私が在学中のものと同じだが、校舎の様子は見覚えがない。後にはこの校舎の手前に校舎が増築されている。
15
15 posted by (C)オトジマ

以前にも掲載したものだが、昭和39年ごろだと思う。当時の土々呂小は児童数は1200人はいたはず。
1962__60
1962__60 posted by (C)オトジマ

向こうの山は今では南一ヶ岡5丁目あたりになっている。
1963 63
1963 63 posted by (C)オトジマ

背後の山はミカン山であった。今では南一ヶ岡6丁目。
1964 66
1964 66 posted by (C)オトジマ

大太鼓をたたいている小さいほうが私。
1964 1
1964 1 posted by (C)オトジマ

面白いのはコレ。当時は校庭中にたくさんの露店が出店していた。昼休みには1200人の児童がそれぞれにお小遣いをもらうわけだから露店は大いににぎわった。ここは校門から入ったあたり。
img063
img063 posted by (C)オトジマ

1960年代であるがすでにワタアメはビニール袋に入っている。覚えてないなぁ・・・・。体操服でない子供がいるのでもしかすると学校の運動会ではなく、土々呂地区の運動会だった可能性もある。
img069
img069 posted by (C)オトジマ

運動会ではないが、土々呂小の鼓笛隊つながりの写真。たぶんこのリコーダー部隊の前を大太鼓の私がマーチングしてたはず。父が撮影しているのに、どういうわけか私がいない。写真を拡大してみたがどの子供もだれだかさっぱりわからない。土々呂1丁目。
totoro maturi
totoro maturi posted by (C)オトジマ

その後ろに仮装行列が続く。土々呂商栄会の皆さんだろう。後ろの山車に「ばんば踊り大会」と書いてある。お祭りの日には土々呂桟橋通りで盛大にばんば踊り大会が開かれた。
totoro maturi2
totoro maturi2 posted by (C)オトジマ

次に土々呂中学校の運動会。1960年とあるが正確かどうか自信はない。昭和30年代ではあると思う。生徒は全員はだし。私の頃も裸足だったのかなぁ? グラウンドの南に小さな山がある。そんなのあったっけ?覚えてないなぁ・・・・・
土々呂中運動会 1960
土々呂中運動会 1960 posted by (C)オトジマ

フォークダンスをしている。けっこう楽しかったけど・・・。今は流行らないようで門川中学校の運動会で見たことはない。
S35 10-9
S35 10-9 posted by (C)オトジマ

女子の花輪ダンスは昔から運動会の定番プログラムだったが、これも最近は流行らない。最近どころか私の娘たちの花輪ダンスも見たことはない。
field day
field day posted by (C)オトジマ

ずっと時代が下って1980年ごろの土々呂中。卒業アルバムから。
20150521001332590
20150521001332590 posted by (C)オトジマ

昼食前のばんば踊り
20150521001333699
20150521001333699 posted by (C)オトジマ

土々呂小から分離した一ヶ岡小学校の全盛時代。1980年代、第二次ベビーブームで児童数2000名に近かったころ。
HITOTSUGAOKA
HITOTSUGAOKA posted by (C)オトジマ

土々呂ではなく、戦前の延岡高等女学校の生徒たちが花輪ダンスの花輪を持って内藤記念館の石段に勢ぞろい。伝統ある演目であることがわかる。
naito kinenkan girls
naito kinenkan girls posted by (C)オトジマ

tag : 土々呂 運動会 花輪ダンス 鼓笛隊

土々呂海水浴場のくろんぼ大会

姉の写真に土々呂海水浴場の思い出があったのでご紹介。

昔の土々呂海水浴場では土日曜ごとに様々な行事を催していた。砂の芸術コンテストだとかのど自慢大会だとか映画会だとか自衛隊軍楽隊のコンサートだとかあって、海水浴場のそばに住んでいた子供時代の私にはとても楽しかった。

なかでも定番は「くろんぼ大会」。日焼け度を競うのであるが、いかに黒いかの判定はいい加減であった。今では「黒んぼ」という言葉が差別用語になっているし、日焼けは健康に悪いといって子どもたちは日焼け止めを塗ったり衣服を着用して泳ぐ、というのは当たり前になっている。今昔の感が深い。

昭和30年ごろと思われる。手には賞品を持っている。男児はキンシメ、女児はパンツ。この子供たちは土々呂小で現在では70歳前後と思われるので皆さんご存命のはず。どうぞダウンロードして下さい。
img064
img064 posted by (C)オトジマ

やはり昭和30年ごろ。水着を着ている。水着もあったんだな。現在の土々呂1丁目の子供たち。
akiko 1 e
akiko 1 e posted by (C)オトジマ

これも昭和30年ごろと思われる。
224214339_large.v1471657334
224214339_large.v1471657334 posted by (C)オトジマ

以下は以前にも掲載した写真から。昭和38年ごろか。左端が私。このころになると高度経済成長期で男児でもキンシメはすたれていた。この数年後には工場排水による汚染で海水浴場は閉鎖される。
海水浴場 1960-3
海水浴場 1960-3 posted by (C)オトジマ

1967  2
1967 2 posted by (C)オトジマ

これは戦前の写真と思われる。洋望崎の樹林の様子でしか時代がわからない。戦前には洋望崎に海水浴場の看板があったようだ。
totoro beach2
totoro beach2 posted by (C)オトジマ

昭和3年。これも私の記憶する昭和30年代とさして変わらない。貸しボートも飛び込み台も同じ。時代が下るほど浜は広くなっていく。
24e
24e posted by (C)オトジマ

これは1960年ごろ。土々呂海水浴場の全盛期。
海水浴場 1960-1
海水浴場 1960-1 posted by (C)オトジマ

貸しボート屋が何軒もあった。
古い土々呂 beach-1
古い土々呂 beach-1 posted by (C)オトジマ

すごい人出である。国道10号線には何台もバスが止まっている。
東浜-北から-ss
東浜-北から-ss posted by (C)オトジマ

台風の大波が押し寄せているので浜が広く濡れている。
東浜
東浜 posted by (C)オトジマ

シーズンオフの冬場にはズラリと並ぶ海の家は閉鎖されている。犬は私の愛犬。
totoro beach-poru
totoro beach-poru posted by (C)オトジマ

1970年。まだ埋め立てられてはいない。
洋望崎 1970
洋望崎 1970 posted by (C)オトジマ

平成3年ごろと思われる。
H3年
H3年 posted by (C)オトジマ

これは現在。埋め立て後に砂の流入で再び広い浜が再生された。
P4092572
P4092572 posted by (C)オトジマ

洋望崎
P4092573
P4092573 posted by (C)オトジマ

後ろの山は造成されて住宅地となった。マンションも建っている。
P4092576
P4092576 posted by (C)オトジマ

一ヶ岡暖地の造成工事

昔の写真を整理していると父が一ヶ岡の姉の住宅新築の様子を克明に撮影していたものがあった。昭和47年ごろ、1972年あたり。

一ヶ岡南。すでに一ヶ岡小学校の校舎ができている。手前は市営住宅が建設中。小学校の後ろは神社山。
img052_edited
img052_edited posted by (C)オトジマ

南一ヶ岡3丁目あたり。タンク山の水タンクが見えている。今は樹木に囲まれて見えない。
img054_edited
img054_edited posted by (C)オトジマ

タンク山から南一ヶ岡3丁目あたりを見下ろす。
img047_edited
img047_edited posted by (C)オトジマ

南一ヶ岡5丁目あたりは最後に分譲されたのでまだ空き地が多い。向こうは土々呂湾。
s47-9_edited
s47-9_edited posted by (C)オトジマ

昭和22年。1947年。中央左の田んぼあたりにAコープや一ヶ岡小ができる。
Jan31801_edited
Jan31801_edited posted by (C)オトジマ

これは昭和35年ごろか。まだまったく工事は始まっていない。
50
50 posted by (C)オトジマ

58
58 posted by (C)オトジマ

これは造成工事が始まったころ。昭和40年ごろか。中央にAコープができる。
59
59 posted by (C)オトジマ

5丁目、6丁目の造成工事。タンク山も造成中。
1971 32e
1971 32e posted by (C)オトジマ

上と同じ場所の現在
P2080276e
P2080276e posted by (C)オトジマ

これは1980年ごろの航空写真。すでに空き地はない。
img249_edited
img249_edited posted by (C)オトジマ

現在の南一ヶ岡5丁目あたり
P2080275e
P2080275e posted by (C)オトジマ

現在の南一ヶ岡3丁目
P8195304
P8195304 posted by (C)オトジマ

現在、神社山から一ヶ岡小を見下ろす
P4152276
P4152276 posted by (C)オトジマ

これは市の事業の一ヶ岡造成事業終了後、民間開発業者の手による霧島台の造成。霧島神社のウラにあたる。ここは一ヶ岡ではなく土々呂2丁目となっている。
kirisimadai
kirisimadai posted by (C)オトジマ

左端が霧島神社のある霧島山。
kirisimadai2
kirisimadai2 posted by (C)オトジマ

同じ場所の現在の様子。現在はこの造成地のさらに上に海咲台住宅地(南一ヶ岡7丁目)が造成されている。
P8195301
P8195301 posted by (C)オトジマ

これは1972年ごろの南一ヶ岡3丁目。まだ空き地があるころ。
img085
img085 posted by (C)オトジマ

姉の家が姿を現してきたころ。この家は今はない。多くの家は建て替えられている。
img086
img086 posted by (C)オトジマ

それから12年後、落ち着いた住宅地となり住民は子育て真っ盛り。現在はそれからさらに30年以上たち、一ヶ岡にも高齢化の波が押し寄せている。
hitotugaoka maturi 3
hitotugaoka maturi 3 posted by (C)オトジマ

土々呂中学校校歌

私の母校、土々呂中学校の合唱部の皆さんによる校歌斉唱を入手できたのでご紹介。



歌詞は以下

土々呂中校歌
作詞 坂口駿 作曲 園山民平

紫の山はるけきそびえ
緑の海はゆたかにたたゆ
伊形の里に学び舎立てり
平和の使いわれら集える

天地の恩 親の恵
感謝の念胸みちみちて
栄光ある行手ただ開かんと
重き使命に血潮はもゆる

誠の道に行手をあかし
愛の泉にいざ手をとりて
若人われら日に日に進み
高く豊かに果てなく進む

戦後、新制中学設立時にできたと思われるが詳細はわからない。「平和の使い」という語に戦後民主主義のにおいを感じ取れるが、他はごく一般的で地名を変えればどこでもあてはまるような・・・・・。でも好きな校歌だった。土々呂小学校校歌もなかなかよかった。しかし私の母校では延岡高校校歌が一番秀逸かな。近衛秀麿というビッグネームの作曲である。
おまけに延岡高校校歌も。

絵日記  いろいろ

引き続き、私の小学1・2年の絵日記から。

昭和35年というと60年安保の年。当時小一の私には全く記憶がない。
高度経済成長が始まったころでもある。テレビが急速に普及しはじめた。我家にテレビが来たのは私が小2のころだったと思う。
この絵日記の時にはまだテレビは来てないが、市内にあるおばさんの家に行ってテレビを見たことを書いている。おばさんは未亡人で副業にブタを飼っていた。当時は小遣い稼ぎににブタを飼う人が多かった。母と伯母は姉妹だから似ている。
TV
TV posted by (C)オトジマ

1年の時の日記には映画の記事がいくつかある。これは映画であることを示すためかちゃんとフレームがある。
映画は「十戒」である。赤ん坊だったモーゼがナイルに流されてエジプトの王女に拾われる場面。有名な海が割れる場面ではなくこの場面を描いたのはここが印象に残ったのだろう。
movie1
movie1 posted by (C)オトジマ

これは邦画で飛行機のパイロットの話のようだが、ほとんど思い出せない。戦争映画かな?飛行機から落下傘で脱出したパイロットがゴムボートで漂流している場面のようだ。1960年公開の映画を調べてもよくわからない。子供だけで行っているから土々呂劇場で見たはず。子供の入場料は10円くらいだった。
movie2
movie2 posted by (C)オトジマ

昭和35年あたりだと戦後まだ15年。映画や少年マンガでも戦争物が多かった。これは工作で潜水艦を作ったもの。艦橋を糸巻きで作っている。
submarine
submarine posted by (C)オトジマ

台風が近づくと土用波。これがまた面白い。海で大浪と戯れるのも面白いが、この絵は土々呂海水浴場の南端、海に突き出た防波堤の上で大浪が押し寄せる中で遊んでいる。今なら許されそうにないアブナイ遊び。
wave
wave posted by (C)オトジマ

こんな状況だった。かなりスリルがある。いまだに大浪の夢を見る。
東浜-土用-9
東浜-土用-9 posted by (C)オトジマ

この堤防はその後嵩上げされて延長されて今も存在する。しかし1970年代に延岡新港の造成で沖合防波堤が作られて、土々呂湾内には大浪は来なくなった。
東浜-土用-2
東浜-土用-2 posted by (C)オトジマ

月見をした、と書いてある。電柱を真ん中に配したところなどわれながら北斎ばりである。赤いカンナがいかにも昭和だなぁ。
moon
moon posted by (C)オトジマ

蚊帳の中でチョウチンに灯をともして遊んだ、と書いてある。アブナイ!
lantan
lantan posted by (C)オトジマ

友達の家に行って本を読んだ、とある。ミシンがあったんだろうなぁ。我家にもこんなミシンがあった。どこに行ってしまったんだろう。今、娘がこんなレトロな足踏みミシンが欲しい、と言っている。
machine
machine posted by (C)オトジマ

隣のイトコの家でフロに入ってる。ここのフロは赤いモルタル張りでレンガ煙突があって楽しかった。
bath
bath posted by (C)オトジマ

母が当時流行の救世主教に凝っていて、時々別府の本山に参っていた。その時、旅館で温泉に入ってるようす。
beppu
beppu posted by (C)オトジマ
プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR