国東の仁王と紅葉--富貴寺

長安寺からの帰り道には富貴寺の前を通る。人出が多いなら寄るまい、と思っていたが、遠くからでも見えるイチョウの巨樹の色づきを見ると寄らざるを得ない。バス駐車場は5,6台の観光バスで満車。他の寺とえらい違いだ。


この山門の中に仁王がいる。

たしかに紅葉はちょっと盛りを過ぎているとはいえ見事だ。
しかし観光客の多さにビックリ。まさにカメラの放列。みなさんいいカメラをお持ちでいらっしゃる。うらやましい。
みんな紅葉と大堂を同時にフレームに入れたいので、ぞくぞくと来る観光客の切れ間のシャッターチャンスねらいで大変なのだ。平日に来なきゃね。



で、ここの仁王さまたち。かつては野ざらしだったらしいが、今は屋根の下なのでコケも地衣類もついていない。山門のない時代を知らないので今の景観を見てなかなか趣があってよろしい、と思うのだが、この山門の建設には賛否両論があったとか。(コチラ参照)

仁王像はとても端正とはいいがたい顔。とくに阿形は容貌魁偉。まぁ、仁王の場合顔は不気味なくらいでちょうどいいのである。


国東の仁王と紅葉--長安寺

先週に引き続き今月で3度目の国東半島ドライブ。
今年の紅葉も見納めと思い、朝早くから出発し、3時間で国東市に到着した。天気は次第に悪くなってきたが、三つ目の寺、長安寺では陽が射し始め、素晴らしい紅葉のなごりを楽しんだ。


日曜日でこの紅葉だというのにたいして観光客もいず、ゆっくり写真をとることができた。この後訪れた富貴寺の大混雑にくらべたらウソのようだった。ここは拝観料も取らない。


上右:ここには二対の仁王がある。二対は向かい合って立っている。向こうの収蔵庫前に立ちこちらを向いているものと、手前の背面を見せているものは対ではない。それぞれ片割れが右に隠れている。作風はかなり異なり、たぶん時代も異なる。向こうの物はオーソドックスな造形で時代も下り、手前の者は面白い表情をしていて時代が古いようだ。

これは収蔵庫前のもの. とてもしっかりした表情と彫り。石工の素晴らしい技量がしのばれる。こんな立派なものが野ざらしになっていていいものだろうか? (クリックで拡大)

これは本堂前のもの。吽形の天衣が一回転ねじれているのが珍しい。(クリックで拡大)

ここは紅葉だけでなくシャクナゲも名物らしい。春は本堂から上の山の斜面に色とりどりのシャクナゲが咲き乱れる。
なかなかいい寺であるが、そこらじゅうに短歌を刻んだ石碑が林立しているのがいささか悪趣味。百年もすれば古色がついて味が出る可能性はないではないが。




田染の仁王たち

田染はごく狭い盆地であるが由緒ある寺社が多い。
そして仁王がつきものである。仁王は神様にも仏様にもわけへだてなく仕えるようである。

まずは猛嶋社から。この神社は日豊線立石駅近辺の国道10号線から細い道を山越えしたところにある。まわりに奇岩の山がそそりたつ夢のような風景の中にある。







阿形のすっとぼけ加減がなかなかよろしい。実はこの仁王が私の国東仁王との始めての出会いであった。これをみてすっかり国東仁王の魅力にはまったのである。

境内にゲートボール場があり、軽トラックで集まった地元の人々がゲームに興じていた。のどかな山里であるが耕作放棄された段々畑や田が目に付く。人里であればこそ残された心安らぐ景観であるが、いつまでこれが保全されることやら。


田染の中心部の田染八幡社は広い境内の立派な社である。
ここの仁王もちょっと面白い。(クリックで拡大)


阿形はいかにも普通の造形の立派なものである。しかしこの吽形はどうだ?よぼよぼの老人みたいではないか。貧相な体はアバラ骨丸出しでちっとも力強くない。天衣が阿形に比べえらく細い。阿形のしっかりしたモデル立ちに対し、吽形の立ち姿はひざが前に出ていささかだらしない。
阿形と同じ石工が作ったとは思えない。阿形は親方がつくり、吽形は弟子が作ったのではないか?まぁ、こんなところが国東の仁王の魅力なのかもしれない。


この神社にはもう一体仁王がある。阿形しか見当たらなかった。これは彫りが全く異なる。ハッキリ言って稚拙。でもこれこそ私の求める物なのだ。ちゃんと阿吽が揃って、しかるべき場所に安置されているのを見たいものだ。

両子寺の仁王

国東といえば両子寺の紅葉が名高い。が、今年は寄らなかった。きっと人でいっぱいだっただろう。去年は11月8日に訪れた時には紅葉していたが日光にめぐまれなかった。富貴寺では全く紅葉していなかった。両子寺は山頂に近いのでそのぶん早い。

紅葉は陽の光の透過あっての鮮やかさだ。このときは山陰ということもあり雲も多かったのかサッパリ美しくない。紅葉も一期一会である。

両子寺の立派な仁王はこの寺の紹介には必ず登場する。既述のように国東の仁王は石像が多く田舎の石工の作らしく稚拙なものが多い。そこがまた大変な魅力。しかし両子寺の仁王は他と違って完璧な美しさを持っている。だからなんとなくこれは新しい時代のまがい物じゃないか、と胡散臭く感じたのであるが、江戸時代後期の作のようなのでそう古くはないがまぁまぁ由緒ある仁王ではある。見ていてあまり面白くはないけれども。
この仁王も坂道の古い参道にあるので寺のそばの駐車場から入場すると見逃すので要注意だ。
(クリックでサイズアップ)


この紅葉は日光があれば素晴らしいはず。
2011年秋の写真が後日のエントリにあるので参照。

今年の錦秋--田染荘

国東半島の田染荘(たしぶのしょう)は中世からの荘園の形跡を残す田園風景だとして最近有名になってきた。とはいっても圃場整備された直線的なあぜ道ではなく昔ながらの水田が一部残されている、というだけの話だが。しかし奇岩がむき出したなだらかな里山、そこらじゅうに散らばる古い寺社のおりなす景観は特異で、昔話の世界と言ってもいい。


また新緑の頃ぜひ訪れてみたい。

田染には国東で最も有名な富貴寺がある。きっと観光客であふれているはずだから敬遠。真木大堂にも大型観光バスが何台も駐車していた。観光バスの客は行く先の由来や重要度は知らず、ただバスの停車するままに物見遊山するだけなので典型観光ルートに集中する。そのうち田染荘もルートに載り田の見える展望台に人があふれるようになるだろう。「田しかねぇじゃないか」とか文句言いながら。

バスの入らぬ小さな道に入り、二宮神社を訪ねてみた。ここも立派な仁王がある。木立の中のさびれた神社であるが、これがこの秋一番の拾い物であった。見事な紅葉に古くて大きな社殿。もちろん仁王も大変見事なもの。ここで心ゆくまで行く秋を惜しんだものである。



どうです?すごい仁王と紅葉でしょう?
妻のヘタクソな腕と安物のデジカメでもこのような土門拳のような写真が撮れてしまうんですから。これは口を開けているから阿形。


今年の錦秋-羅漢寺

国東の仁王像を調べていたら耶馬溪の羅漢寺にも仁王があって、きわめて特異な意匠であることを知った。これはぜひとも見なければ。


国東の仁王は胴長短足の不恰好なものが多いが、これはとんでもなく極端である。コサックダンスをしているようにも見える。これを彫った石工はよほど造形センスがいいか、あるいは不器用で決められた石材に対して上半身と下半身の按分を間違えたか、どうなんだろう? もちろん私は前者だと確信しているが。江戸時代中期の作にしてはえらく前衛的なデザインである。このデフォルメは技術の稚拙さではなく意図的なものだろう。かなり大きなものなのでここまで運ぶのだって大変だったはず。

山のふもとの登り口から寺までかなり高低差があるのでみんな800円払ってリフトに乗るが、リフトで行くとこの仁王のある山門は見れないので要注意。800円を惜しんだ甲斐があったというものである。

この山門あたりの風情がなかなかよかった。京都の古刹風。

リフトではなく汗をかいて坂道をのぼるといろいろとありがたい物を見ることができた。紅葉の中にたたずむこの不動もこのシーズンならでは。


羅漢寺のふもとから見ると下の写真のような不思議な洞穴が見えるのだが、これは何なのだろう。寺の施設の延長のような建物が見える。案内図を見ても何も書いてなく、行き方もわからないので行けなかったのが心残り。


今年の錦秋-安心院


紅葉も今週あたりが見納めか。この土日に大分方面に紅葉狩りに出かけた。国道10号線宗太郎峠は渓谷沿いの道で結構紅葉が多い。近年は改良の進んだ国道326号に交通の主流が移ったので10号線は交通量が少ない。延岡の北川から佐伯の直川あたりまで延々とワインディングロードが続くので速度は出ないがバイクツーリングには絶好だろう。この連休にも多くのハーレー軍団を見かけた。日曜日には延岡のライダーがこの写真の近辺でガードレールに追突し亡くなったようである。

別府から国道500号に入り北上すると、脇を通る高速は行楽の車で混雑しているのにこちらはガラガラ。休日の行楽はみんなが集中するところをはずすのがコツ。下は安心院ののどかな田園風景。


地図で見るとこの国道500号は安心院から院内を経由し、耶馬溪に至る。しかしどういうわけか院内を過ぎるとまったく車を見なくなり対向車もほとんどない。耶馬溪が一年で最も込み合う紅葉シーズンというのになぜ?安物ナビが信頼できないので不安になりつつも進むと絶景があらわれ安心する。


ある農家の庭先で真っ赤な紅葉に彩られた素敵な地蔵堂を見た。寅さんが前を通りがかる映画のセットのような光景。紅葉を楽しむにはなにも有名なスポットに行く必要なないということ。

地蔵堂の内部。左端の不動が妙にかわいらしい。クリックでズームアップ


より大きな地図で 国道500号羅漢寺方面 を表示

このあと一目八景に行ったのだが、これが最悪。大渋滞の上に人ばかり、焼き鳥のケムリと匂いが渓谷に立ち込め、さらには谷底とて早く陽が陰りせっかくの紅葉も色を失いこんな日にこんな所に来た自分のミーハーなおろかさを後悔したことであった。
教訓。紅葉は名所に行ってはならない。



地蔵の風景-赤い前かけ

地蔵に前掛けはつきもの。赤ん坊でもないのに前掛けをかけれれていることが多い。石の地蔵は体が曲がらないので着物を着せることは困難だが前掛けや帽子なら簡単に着せられるからではないか。昔話の「かさ地蔵」も笠をもらった。どこでも赤い前掛けが定番のようだが、津軽地方ではイングランド風が流行っているらしい。

下:私の近辺でみた赤い前掛けたち。右は首なし。前掛けというより保育園児のスモックか?--門川町南町--



下:毛糸で編んだもの。年寄りはヒマだからね。--門川町下納屋--


下:こいつは顔なし。丸石を首にあてがわれ、マジックで顔までかいてもらっている。こんなお目目パッチリの地蔵もあるまいに。このエプロンは白いフリル付き。手が込んでいる。--日向市江良--


下:これも首なし。このさいマジックで描かれていてもいいから顔があったほうがやはり親しめるなぁ。--日向市江良-- 

地蔵の風景--首なし六地蔵

門川町尾末の納骨堂に六地蔵がある。そばにある碑文には昭和30年建立とあるが、50年経過にしては風化が進みすぎている。もともとあった地蔵を納骨堂建設を機にここに集めたか、あるいはよほど粗悪な石材を用いているか、どうなんだろう。機会があったら地元の古老に聞いてみよう。中央の赤いキャップの六人組がそれ。

実はどれもオリジナルの首がない。地蔵のボディもかなり風化しているが、セメントで補修された頭部はもうボロボロだ。私の推測するにこの地蔵たちは江戸時代にさかのぼれるのではないだろうか。建立記念碑とは歴然と時代が異なる。そして例のごとく頭を失ったのだろう。

下:毛糸のキャップを取ると、こんな無残な姿。



同じ場所に光背付きの六地蔵もある。光背は分厚い石材であるから、浮き彫りとなっている地蔵の首を折ることは困難である。だから光背つき地蔵はほとんど無事に首が付いている。しかしレリーフなので2Dに近く、やはり3D地蔵に比べるといささか魅力に欠ける。
何も文字が彫られていないので知るよすがはないが、相当古いので江戸時代の物か。


六地蔵はしばしば墓地に置かれるという。下は同じ門川町の庵川の共同墓地そばの六地蔵。これは平成生まれの新品だからもちろん首がある。味わいは乏しいが。


地蔵の風景--首なし3

これは美郷町宇納間でみた地蔵。すいぶん山の中の小さな集落だが、首なし。明治新政府の意向はこんな山奥にも届いたのか。どうやら道路改良で路傍を追われ、コンクリート擁壁の穴の中に押し込められたようだ。それでも近所の人々に大事にされている。首があれは微笑んでいるだろうに。
ここの地蔵たちがもらった丸石の頭はどういうわけかみんな小さく、ちょっと不気味である。もうちょっと大きめの石と交換してあげたくなる。


下:上の地蔵のあるコンクリート擁壁


より大きな地図で 擁壁地蔵 を表示

下:日向市梶木の国道10号線わき 。これも国道拡幅により、ここに集められたようす。首は丸石で顔なし。立像と坐像がある。この地域には立像はあまり多くないのだが。顔があればどれだけありがたさが増すことだろう。

下:日向市富高の地蔵。これはオリジナルの首があるが、一度首を折られた形跡がある。このようにセメントで接いだものも多く見られる。痛々しい。

地蔵の風景--首なし2

以下は延岡市郊外で見かけた首なしたち。どれも丸石を首にあてがわれている。顔なしなのではなはだ趣がない。  延岡市小野町



下:三須町では個人宅の庭先に地蔵堂を見た。個人の所有だそうだ。これも首を補修されている。

下はこの地蔵がある地蔵堂とそのお宅の遠景

地蔵といえば誰の所有でもなく路傍でたたずんでいる、という先入観があったので個人で地蔵堂を持っている、というとなんか妙な気がしたが、個人で仏壇を持ったり祠を持ったりすることはあるわけだから不思議はないわけだ。昔と違って個人の占有に属しない共有地みたいなものはなくなっているので今ある地蔵は必ず誰かの所有地の上にあるはずである。

地蔵の風景--首なし

しかし!地蔵の観察を始めてみるとすぐに大変残念なことに気づく。
そう、首なし地蔵ばかりなのだ。やはり人型をしてるんだから顔が命であるのに、ノッペラボーの丸石が載せてあることが多いのだ。

地蔵の多くは江戸時代までさかのぼれるものも多いが、少なくとも宮崎県北では古い物で光背がない物はほとんど首なしで、首から上がセメントで補修されている場合が多い。たまにオリジナルの顔がある地蔵を見つけるとうれしくなるが、それらは明治以降の新しいものが多いはずだ。
明治初期の廃仏毀釈による破壊が原因だろう。地域により程度の差があるようだが宮崎県北では明治新政府のファナティックな方針に忠実に実行されたんではないだろうか。おそらく鹿児島ではもっと徹底的に破壊されたはずである。当時全国で仏教的文化財の半分以上は破壊され消滅したらしいから大変もったいないことをしたものだ。廃城令で全国の城が破壊されたのも同様だが、革命政府は往々にして野蛮なことをするものだ。アフガニスタンのタリバンによるバーミヤン大仏の破壊は記憶に新しい。

まぁ、地蔵は首なしではあっても、人家の近くの地蔵の多くは花が手向けられ地域の人々に大事にされているものが、なお多く見られる。

地蔵の風景

昔、といっても私が子供のころ、通りを100mもいけばどこかに地蔵があった。集落があれば必ずあった。しかし、ふと気づけばどうも最近見かけない。そもそも新しい住宅地や新しい道路には全くないから、ふだん通る道にあまり見かけないんだろう。道路の拡幅が地蔵消滅の最大の原因だろう、と推測している。

下:拡大写真 :門川町中村で。悲しげではあるがいい顔だ

そこで古くからある集落に行けば見つかる可能性があるので、何年か前から地蔵に気をつけながら車を運転するようになった。
そうしたら、場所によってはまだ結構残っていることがわかった。あるところにはあるが、ないところには全くない、市街地よりは郊外の農村地域にある、という傾向がある。
少なくとも私の住む宮崎県北部では地蔵よりは庚申塔の方が数多く見られる。しかし面白みという点では庚申塔は全然面白くないので、写真を撮る気にならない。地蔵は具体的な形をしているので親しみやすく引かれるものがある。

昔話の「かさ地蔵」や「となりのトトロ」に出てくる地蔵は立ち姿なのであれが本来の地蔵のような気がしていたが、わが郷土では立ち姿はあまり一般的ではない。おおむね座っている。正直いうと立ってる地蔵が欲しいところだ。だってこの姿からは、大晦日の深夜、やおら立ち上がって隊列を組んで米俵やら小判やらを持ってきそうな様子がないからだ。それどころか下の地蔵にいたっては物乞いをしているではないか。


杵築--花盛りの武家屋敷

杵築では8枚つづりの入場券を買わされた。8箇所の有料施設に入れる。ということで、前回も入場したところにまた行かざるをえなくなる。しかし、二度目でも大原家はなかなか良かった。

上:これは、屋敷のすぐ下にある馬場から見上げたところ。
オキザリスがいたるところ花盛り。ピンクというのが少々難だがかわいい花だ。

杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

下:屋敷から馬場に通じる小道。

前回(2009年)来たときは解体修復工事中だった能見邸が完成していた。
どういうわけか入場料無料。古材も使っているらしいが、ほとんどピカピカの新築状態なので味わいはない。庭も植栽されたばかりでかなりさびしい。あと10年もすれば建物も庭も両隣の古い屋敷となじんでくるだろう。完成直後から古色がついているディズニーシーの高度な技術が欲しいところである。
 
下:能見邸。 中に茶店がテナントで入っており、茶菓を楽しめる。縁側の緋毛氈で庭を愛でながらいただく茶は格別。


能見邸近辺
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

非公開の武家屋敷。もったいない。
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ



m=amazon

杵築--郷土の偉人

杵築は小さな町であるが、昔から豊前・豊後が一般に高い文化レベルのあった地域ということからだろう、各種の人材を輩出している。
著名な筆頭は昭和の外交官、重光葵である。長年「しげみつあおい」と思い込んでいたら「しげみつまもる」と読むんだそうだ。戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名する山高帽の姿が有名である。
杵築は出生地という訳ではなく、子供時代を過ごした場所である。杵築郊外にその家が記念館となって残っている。

写真で見るとこぎれいだが、実際は大変古く廃墟一歩手前。
屋敷を取り囲む樹林が生い茂り昼なお暗い。
はっきり言って管理もかなりおざなりである。隣県宮崎の飫肥には同じ外交官の偉人、小村寿太郎の生家や記念館があるがその立派さには比ぶべくもない。しかし、こちらの方がずっと私の好みではあるが。


手前は倉、あるいははなれ。二階に重光の勉強部屋がある。
杵築中学(旧制)卒業生総代として書いた毛筆の答辞が展示されてるたが少年とは思えないものすごい達筆。やはり凡人ではなかったようだ。

下: 杵築の武家屋敷群近くには「佐野家」があり、有料公開されている。

通りから見ると壁面全面がモルタルで固められた窓のない奇妙な洋館に見えるが、実は結核病棟だったもので、隔離のために窓がなかったのである。

佐野家は藩政期から代々続く御典医で明治以降は開業医として、近年までこの古い建物で営業していた。今の代は東京でやはり高名な医師として活躍しているらしい。とはいえ、篤実な医師としてこの界隈では名士だったかもしれないが、代々医者というだけでは珍しくはない。
杵築市ホームページの解説によればこの佐野家は戦前の非合法時代の共産党委員長、佐野学の生家であることが紹介されているが、歴史的重要性からいえばこちらの方が上だろう。さらにはインターナショナルの訳詩(♪起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し--)をした佐野碩もこの一族である。
 ところが佐野家の案内係は熱心に地元に貢献した医業としての佐野家を語るのだが、全国的な知名度のある佐野学と佐野碩(せき)については全く触れなかった。こちらから問を発しても反応なし。たぶん歴史的教養がないか、あるいは由緒ある医家から出た不肖の面汚しくらいに思っているのか。たぶん前者だろう。勉強して下さい。
 そういうえば、能見家の案内係は藩主の屋敷の存在や場所について全く知らなかった。調べたら観光案内マップに記載してあるではないか!勉強してね!

@注:20世紀に世界中で最も多くの人々に口ずさまれた歌といえば「インターナショナル」であるがたぶん若い世代には全くなじみがないかもしれない。私の世代がこれを歌った最後の世代か。歌いやすい名曲だと思う。あれだけ有名な曲なのにYoutubeで検索してみると意外と少ない。日本語できちんと歌っているのは、なんと!社民党のPR投稿しかないではないか!福島瑞穂さんとインターとの取り合わせになんとなくぴんとこないのは私だけか? しかしウィキで調べてみると彼女はこの映像にあるように社会主義インターナショナルの副議長を務めているとか。おまけに今知ったんだが彼女は私と同じく延岡市の出身ではないか!なんと郷土の偉人であった。ビックリ。

歌は素晴らしいのだが映像は福島さんの宣伝。福島さんがキライな人はコチラで本格的なすばらしい合唱が聴ける。が残念ながらロシア語に日本語訳詞。インターはまさに国際的な歌でロシアの占有物ではないがかつて一時期ソ連国歌だったこともある。

下は佐野医院、診察室。華美な医院が増える中、いかに質素にやっておられたかがしのばれる。平成に入るまで営業していたとか。
target=

杵築--裏通り

去年の春に訪れた杵築をまた訪ねた。
おなじみの武家屋敷街。土壁が素晴らしい。
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

酢屋の坂
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

有名な武家屋敷群は、やはり素晴らしいが、今回、裏通りを通ってみたら、意外と昔の町並み、土壁の商店や家屋がまだ多く残っているのに驚いた。
南北の武家屋敷街の丘に挟まれた中央の通りが近代化された擬似伝統的町並みを、味気なく思っていたら、開発に取り残された通りに、昔の杵築のよすがををしのぶことができるようだ。

上:観光案内にはただ「近藤家」と書かれているが、産婦人科医院である。今は営業してないようだ。和洋折衷の不思議な建築である。向こう隣にはモルタルの病棟がある。

より大きな地図で 近藤産婦人科 を表示

この建物の背後には不思議な3階建て木造家屋がある。下


この3階建てともども元来は料亭だったらしい。戦後、医者に買い取られて産婦人科になったもの。ネットで検索すると、ここに住む借家人の話を見ることができる。ぜひとも補修整備して観光客に公開して欲しいもの。そうなれば、私、毎年でもリピーターで行きます。

下:近藤産婦人科の向こうの並び。古い建築が連続している。人の生活があるので仕方ないのだろうが、アルミサッシやらトタンで近代化がはかられているのが残念。


下:佐野家からの通りを西にしばらく行くと、古い漆喰壁の商店がたくさん残っている。市当局もぜひこのあたりまで観光エリアとして積極的に紹介して欲しい。こんな店はもう貴重である。しかし、住民には普通の日常生活があり、観光だけに頼っては生きていけないだろうから、これを自主的に保存していくのは容易ではないだろう。現に不動産屋の「売り家」の札の貼られた古い家屋も散見された。公的な対策がなければ遠からず消滅しそうな町並みである。
 市役所前の大通りもかつてはこのような車がやっとすれ違えるくらいの細い通りで、古い商店が軒を連ねていたであろうが、道路拡幅ですべて取り壊されたらしい。なんというもったいないことを!!この通りではその愚を繰り返して欲しくない。


杵築--奈多海岸

続きを読む

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR