沖田ダムの山桜

東九州高速道の古野近辺を通ると山手のほうの斜面が白っぽい。さては山桜。とりあえず偵察ということで沖田ダムに行って見た。
すでに夕刻で光がいまひとつなのが残念。
しかし、ここの山桜は期待以上のすばらしさ。杉の植林地や照葉樹林帯には山桜は見られないが、このダムの周囲はまだ年月を経ていない二次林が多いので驚くばかりに山桜が多い。普段は山の緑に埋没して存在を隠しているが、この時とばかりに存在を主張している。





下:ダム湖の周囲は5kmくらいあって車で一周できる。
各所に展望所や広場があって公園化されている。


下:山桜の大木が満開。


すでに葉桜も多いが、今週の週末(4月2・3日)までは楽しめると思う。
ソメイヨシノはもちろん美しいが今年は山桜の素晴らしさを思い知った。


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花の春

いよいよ春来たり。桜も咲くが、さまざまな果樹の花も咲いている。大震災や原発危機も知らぬげに。
花の写真のブログにはしたくないが、思わずシャッターをきりたくなるこのごろである。

下:門川牧山で。スモモのようである。


下:我が家のサクランボ


下:桃かな?


下:白桃、紅桃に菜の花


下:ミツマタ。果樹ではなく製紙原料で知られる


下:赤いミツマタ



三川内

古江からは国道388号、県道43号経由で市棚方面の国道10号に出る。久しぶりに三川内を通る。
三川内も今や延岡市内であるがいかにも山奥の寒村である。
ここらでは茶とシキミが主な産物のようで田もシキミに転換されている。めったに墓参りをしない私でも年に数度はシキミを買うくらいだから需要は多いのだろう。

下:どこもかしこもシキミ畑



川沿いに散在している猫の額ほどの畑が高いネットで囲まれている。北浦はサルの害が多いことは有名である。イノシシだったら電柵のはずである。畑の人に聞いたらシカだという。
イノ、シカ、サルといえば花札みたいで風情がありそうだが、食い意地のはった動物と共に生きねばならぬ山村は大変だ。

下:シカ除けのネット




道路沿いに「下塚庚申塔群」という標識が。読み取れる年銘を見ると明和9年(1772年)とある。老中田沼意次のころだからかなり昔だ。庚申塔は江戸中期から後期のものが多い。当時にこんな山奥にも流行が伝播してのか、と考えると不思議だ。これを彫れる職人がこんな所にいたとは思えないし。
下:庚申塔群の上に見えるのはミツバチのウト


下:同じ様式の青面金剛が3体。

下:三猿はカエルみたいだ


2011 桜だより 北浦

熊野江から古江までもかつては曲がりくねった山道だったが今ではいくつかのトンネルで直通。20年前に阿蘇海岸でキャンプしたときには地の果てのように遠かったのがウソのようだ。昔は遠かっただけにあの人里はなれた澄んだ海がとてもありがたかったものだ。

その旧道を通ると古江を見下ろす展望所がある。
下:旧道はほとんど通行はない。この直下をトンネルが通っている。桜はチラホラ。



下:眼下に日向灘。桜はいままだつぼみ。


下:これは桃の花か。


下:展望所の写真では直下の埋立地はまだ水面


下:今は埋め立て完了。どうやら東九州道のトンネル工事の廃土のようだ。現在このあたりは工事だらけ。


2011 桜だより 日豊海岸

延岡-北浦を結ぶ国道388沿いには桜並木が各所にあるし、海岸沿いの暖地であるから山桜も多かろう、と思って出かけた。
結論から言うと山桜は赤水・門川の遠見山、ブリ見山の方がずっと多い。一番見事なのは東九州道の門川インターの料金所から延岡方面にすぐあるトンネルの上だということがわかった。灯台もと暗し、であるが、あそこは車が停まれない。

下:延岡南道路の延岡・門川の境界、トンネルのはざま。


国道388号は近年改良がすすみ、トンネルからトンネルで浦城から古江まであっという間に着くようになったが沿道は退屈だ。
急がないなら海岸沿いに山道を曲がりくねる旧道を行くほうがはるかに風情がある。桜並木があるし、海を見下ろす眺望が素晴らしい。ただし道はけっこう荒れている。交通量はほとんどないのでのんびり桜を見ることができる。満開は4月3日の日曜あたりか。10日の日曜まで大丈夫かもしれない。

下:島浦に渡るフェリーの駐車場から。昔はフェリーに乗ったものだがあれは車は乗せず人だけのようだ。すごい快速。


下:七ツ島展望所からエメラルドグリーンの海を見下ろす。
このソメイヨシノはまだつぼみ。


下:須美江を見下ろす。40年前の透明度はすごかったものだが、今ではかなり濁った。でも今の季節だとけっこうきれいだ。あの中に水中メガネで身を浸したいくらいである。

下:桜と須美江湾を両方狙ったがピント合わず。

下:山桜は満開だ。



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2011 桜だより

彼岸をすぎて、桜のつぼみが急に膨らみ始めた。
宮崎地方気象台は本日宮崎総合文化公園の桜で花が開き始めたとかで開花宣言を出した。

桜の開花を待ち望むようになってしまったのは齢をとってきたせいだろう。今年は痛切に春の到来を待ち焦がれた。
あと2,3週間は落ち着かぬ日々を送ることになる。


下:門川防災ダムでは3分咲きの木もあった。



下:しかし、今の主役はまだ山桜。先週はまだだったのにいっせいに咲いた。
門川町谷の山で



下:遠見山の斜面に山桜の白が散らばる。
門川町谷の山で



下:山桜の大木が満開。青空でないのが残念。
延岡市赤水町樫の浜で


久住の野焼き

神角寺から温見を経て県道412号線に降りる。
県道を西に向かえば一本道で久住花公園に至る。
沿道の草原は一面黒焦げ。野焼きの直後のようだ。
下:久住南麓


下:真っ黒の草原はやはり殺風景。新緑が見たい。


久住花公園はまだオープンしていなかった。
周囲では盛んに野焼きをしている。見物客も多い。




下:焼け野が原の中に野仏がたたずむ。





久住の野焼き posted by (C)オトジマ

神角寺公園 展望台の絶景

神角寺近辺は大分県の神角寺芹川県立自然公園になっている。
昭和26年指定だからずいぶん古い。10065haというからかなり広い。しかし、この日、展望台にもだーれもいなかった。あまり利用されていないようだ。たぶん、県民にも忘れられている。

下左:県知事、細田徳壽の書になる石碑。(クリックで拡大)


上右:神角寺の駐車場にも「世界が平和でありますように」の標柱が。
富貴寺にはこれの特大サイズが立ててあったが、あやしい宗教臭のただようこの標柱を仏教の寺が容認しているというのは無神経。また、歴史ある文化財にも不似合いきわまる。まぁ、怪しさではこの標語も密教の寺も大きな違いはないのかもしれないが。

下:展望台の駐車場もほとんど利用されている気配がない。赤松が見事。展望台はここから坂道を標高差50mほど登る。



展望台からの四周の眺めは素晴らしい。鶴見岳・由布岳、久住、阿蘇、祖母・傾の山々の中央に位置する高所なので眺望をさえぎる山がない。絶景である。ただし、この日はいまひとつ空気が澄んでいなかったのが残念。あちこちで野焼きの煙がたなびいていた。
下:久住山



下:大野市方面。右端に大分県央空港の滑走路が見える。


下:展望台から360度を見晴らす。いかんせん空気が澄んでいないので遠方が霞んで見える。

神角寺公園 展望台からの眺め posted by (C)オトジマ


神角寺 仏たち

神角寺は真言宗である。境内と周囲には四国八十八ヶ所に関連すると思われる石仏があちこちに。

下:八十七とある。八十七番は長尾寺、本尊は聖観世音菩薩


下:八十六番とある。八十六番は志度寺、本尊は十一面観世音菩薩


下:本堂裏で。大きく飛んで一番。一番は霊山寺、本尊は釈迦如来。はじめと終わりだけか?


下:国見の鼻で。首なしが。


下:上の写真の後方。小さいが精密な彫りである。たいへん美しい。


下:境内で。各々に賽銭を受けるステンレスのザルが。



神角寺 仁王

神角寺の駐車場から境内へ入る山門に仁王が置かれている。
この建物はコンクリートの新しいものであるが、仁王は鎌倉期にさかのぼる由緒正しいものである。国東に多い石像ではなく木像である。建物内はとても暗く、仁王は網入りガラスを隔ててしか見れないので写真撮影はなかなかうまくいかないが、苦労して撮影したのが下。

下:この仁王に関する説明板 (クリックで拡大)


下:仁王門から境内へ


下:本堂を下から

下:本堂 国指定重要文化財

下:本堂に関する説明板 (クリックで拡大)

価値ある歴史的建造物であるが、いかにも地味なものだから観光客が歓声を上げる、というタイプのものではないが。静かな山寺、聞こえるのは寺で飼っているビーグルの吠える声だけ。

下:山門  境内や周辺にはシャクナゲがたくさんある。他の資料を見ると自生している、とあるが多くは植えられたもののようだ。4月末ごろの花のころにはとてもいいだろう。




神角寺 国見の鼻

大分県豊後大野市の神角寺に行って見た。標高730mの神角寺山の頂上近くにあるので見晴らしがいいらしい。
大分県央空港が近い大野町近辺の国道57号から側道に分け入り、さびしい山村集落をいくつかすぎ、曲がりくねった山道をしばし走ると神角寺に着いた。
なんでこんな山奥の人家からほど遠いところに寺があるのか、はたして寺の生計をまかなうほど檀家があるんだろうか、と心配になる。しかし、意外やだだっ広い駐車場があるがこの日は私の車以外に1台しか参詣者を見かけなかった。



お寺は後回しにして「国見の鼻」に登り景色を見る。

下:豊後大野市方面を見下ろす。この日は空気の透明度が今ひとつ。久住あたりでいっせいに野焼きが行われていたがそれもあるかもしれない。



下:展望台は寺ではなく市の設置のようだ。レトロなコンクリートのあずまや。昭和30年代あたりの雰囲気。屋根には雑草やマツの木まで生えている。


下:「国見の鼻」の案内板(クリックで拡大)


暖かくて素晴らしい天気の日曜なのにここにも寺にも人影は全くなかった。全国が震災の喪に服しているのだろうか。
道中車で聞くNHKテレビはずっと震災関連ばかりであった。
震災の被災者を思うとのんびりドライブしていることが多少後ろめたくもあった。


より大きな地図で 神角寺 を表示

ケツ拭きパニック

今日ミスターマックス日向店に行って見た。トイレットペーパーと5個組みティッシュは一人2個まで、カップ麺は一人5個まで、という張り紙がある。在庫は十分あるようだ。しかし、なまじこのような制限をするとそんな気のなかった人まで制限個数まで買うようになる。

下:今のところ商品は山積み状態である。




下:制限個数いっぱい買って車に積み込む人。


日向市内のジャスコやマルイチではそのような張り紙は見かけなかった。店頭在庫も十分にあった。あんな張り紙は功罪半ばするがないほうが人を不安にさせない。

下:オートバックスではこんな張り紙。物流に混乱が生じて九州にまで影響が及んでいるようだ。ちなみに今日給油したガソリンは147円だった。これは先週と同じ。


1973年の石油危機を経験した世代は、あんなバカな買いだめはもうしないのかと思っていたら、意外と高齢者も加わっている。こりないもんだ。

流言飛語

震災地からはるかはなれた宮崎であるが、こちらでもいろいろな流言飛語が飛び交っているようだ。

「政府は原発では核心的な重要情報を隠しているらしい」というのはこの辺で病院をとびまわっている薬品会社の営業マン。
「今月中に千葉で震度7クラスの地震が来るらしいから、首都圏の友人知人に連絡するように」というのもある。近辺の占い師のご託宣らしい。「お母さんに聞いた」と言って私にそれをおしえた中学生は千葉県がどこにあるのかも知らなかったが。

またぞろトイレットペーパーの買占めも始まったらしい。昨日は東京の娘からスーパーからトイレットペーパーも姿を消した、という話を聞いたが、今日は東京から1000kmも離れた日向市のスーパー「Mr.Max」ではティシュペーパーやトイレットペーパーは一人2個までに制限したという。いったんこうなると人々は疑心暗鬼でスーパーのはしごを始める。
私が昨日その店に行った時には「電力不足に協力」ということで店内照明を暗くしていたが、商品の購入制限はしていなかったので、今日になって急に事態が変化したようだ。

下:東京の西友での買占めの様子



オイルショックの時にも疑問だったが「なんでトイレットペーパーなの??」 他にもっと優先順位の高い品物がありそうなものだ。ケツを拭けないのが命にかかわるとは思えないが。私たちが子供時分には新聞紙で拭いていたぞ。
それに九州は物資不足に陥る理由が見当たらない。石油危機の時には教養はないが横の口コミ連絡網だけは発達している主婦たちが買占めの先頭に立った。彼らは学者や新聞やNHKの言うことは頭から聞く耳を持たないが、友人の言葉はどんなに荒唐無稽でも容易に信じる。今回もそのような気がする。

下:ニューヨークタイムズより転載


今回の事態では突如、毛布、カセットコンロ、懐中電灯、ランタン、電池などの特需が発生している。儲かるのは中国企業ばかりかもしれない。ダイソーはほぼ中国製だし、東京から被災地向けに発送される毛布のダンボールには「MADEIN CHINA」の文字が。タイ王室が毛布2万枚の援助をして飛行機に積み込まれたそのダンボールには「牡丹牌」の漢字が。
リーマンショックの時、アメリカで景気浮揚策として消費拡大を図ろうとすると売れるのは中国製品ばかりで国内の雇用拡大につながらない、という話を聞いたが日本もそうなりつつある。

「天罰」は傍観者の言

大地震と巨大津波、さらには原発事故と首都圏停電。これは国難である。「あれは天罰」と高みの見物を決め込む知事もいる。「天罰」とは自分に関係ない他人事だからいえる言である。おそらく彼はこんなさなかに優雅にお暮らしなのだろう。愚かな知事を選んだ都民の愚かさに天罰が下ったというべきか。
東京電力に乗り込み「撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」と叱り飛ばした管首相の迫力は当事者意識はあのバカ知事よりよっぽどマシ。
この知事、失地回復のため今後いろいろパフォーマンスをやりかねない。
「天罰失言」は打倒石原を目指す人にはチャンスかもしれない。石原自身の出馬を困難にする可能性も出てきた。松沢氏の出馬撤回発表は早すぎた。東国原の後出しジャンケン作戦はまだ有効だ。

ジョイセフ(財団法人家族計画国際協力財団)という発展途上国の家族計画、母子保健をはじめとした女性支援をしているNGOがある。この未曾有の災害に対して、この組織は災害地の妊産婦支援に乗り出す。とりわけ衛生的環境が必要とされる妊産婦・女性の支援に特化した活動を行う。
ぜひ多くの方々の経済的・物質的支援をお願いしたい。
詳しくはココを見て下さい。


ジョイセフでは私の姪がアフガニスタンの子どもたちに日本の古ランドセルを送る活動している。日本の小学生が6年間使用したランドセルは丈夫だから捨てるには忍びない。これをバックや学用品の全くないアフガニスタンに送ると大変喜ばれる。


下:ザンビアでの活動の一端は昨年NHKで放送された。モデルの富永愛さんがザンビアを訪れ現地の母子保健を視察した。その案内をしたのが私の姪であった。


下:ジョイセフ職員・甲斐和歌子のザンビアでの活動(週刊朝日より)

停電パニック--周波数

今回の電気パニックの主たる原因は東電の巨大原発福島第1、第2が今回の地震にやられて運転停止したのが原因。2006年の中越地震では柏崎刈羽原発停止で夏の電力需要を満たせるか懸念されたことがある。どちらも東電の配電地域ではなく東北電力地域である。

東電は自分の領地の関東地方に原発を作る場所が得られなかったので他地域に出て行ったんだろうが、それがどれもよりによって地震の巣だった訳だ。そんなこといえば日本に安全な立地はないのかもしれないが。不運としかいいようがない。

下:周波数境界と送電網、電力会社区割り (クリックで拡大)

日本は交流周波数が東西で異なる。明治期に外国から発電機を輸入した折、無計画に東京と大阪で周波数の異なる発電機を設置してしまったのが今まで固定化されている。外国では国内で周波数が異なる例はないという。

鉄道では明治期に外国からの技術設備導入で、東西で敷設が同時進行で行われたが軌道幅は同じ1067mmである。さすがにこれはわかっていたのだろう。軽便鉄道や都市部の私鉄ではこの限りではないが。

異なる周波数は、最近の電気器具が周波数フリーのものが多いこともあって普段はさしたる不都合を生じさせてはいない。中学生が理科の力学で記録タイマーを使う計算をするとき2種類の出題があって煩わしいくらいのものか。

しかし、今回これがたたったようだ。西日本から東日本に送電ができない。境界にある周波数変換所の能力が100万kwしかないので不足分1000万kwにはとても対応できない。東日本の東電と東北電力が両方とも供給不足になるという事態が想定されていなかったのであろう。

首都機能移転、一極集中の危険などもひところ盛んに議論されたものだが最近は沙汰やみだった。再度蒸し返す必要がある。企業の中枢機能の東京集中も危険だ。関西にバックアップを置いておくのが賢明だ。
最近の例ではアマゾン。アマゾンに注文を出すと大阪から配送されるので九州への配達が佐川便で翌日に来てとても便利である。アマゾンが大阪に巨大な配送センターを設けたのは賢明だった。
アマゾンホームページによれば千葉のフルフィルメントセンターは地震でダメージを受け現在発送が円滑でないようだ。

今日、東京の娘にクロネコで荷物を発送したが通常2日で行くところ、何日かかるのか全く確約できないと言われた。1週間以上もありうるという。日本は東半身不随に陥っている。





停電パニック

東京電力管内では原発停止による電力不足で14日から交代制で停電地域を設定した。突然の発表で明日から企業や学校、医療機関は大変だろう。大昔から叫ばれてきた首都圏一極集中の弊害が一挙に噴出。高層マンションの住民もエレベーターパニックだ。娘は会社の電化トイレが使えなくなることに気をもんでいる。うーん、排泄問題も深刻だ。

娘は八王子に住んでいる。八王子では午前9時から正午までと午後6時から10時までが停電だという。どちらかというと貧乏くじらしい。夜のゴールデンタイムはまるごと停電だ。市内中停電だから近所の喫茶店にでも出かける、というわけにも行かない。おまけに娘は懐中電灯も電子レンジも持ってないという。
真っ暗ななかでどうするんだ?トイレにも行けない?

すぐに思ったのは明日さっそくコンビニか電器店に行って電池と懐中電灯を買う、と言っても市民だれしも思うことは同じだから絶対に品切れになっているだろう、ということ。すでに12日時点でネット上では多くの方が電気店で懐中電灯や電池の売り切れを目にしている。

パンや弁当やラーメンなどの食品はとっくにお店の棚からすっかり姿を消しているというから同様だろう。1972年のオイルショックを思い出す。あの時はトイレットペーパーや洗剤で、食品には及ばなかったと記憶するが。政府やテレビ局が報道しない点であるがネットではすでに大騒ぎ。
電車の運行も大幅に限定されるという。阪神大震災のときもそうだったが日本人はこんな時、わりと冷静だ。首都圏のパニックはじきに落ち着きを取り戻すものと信じている。

下:これだけあれば娘はランプ売りの少女が開店できそうだ。



しかし、娘に真っ暗な夜を過ごさせるに忍びないのでこちらから懐中電灯や電池式の常夜灯を送ることにした。100円均一のLED懐中電灯はかなり強力で驚いた。キャンプ用のヘッドランプは絶対調法すると思うな。キャンプ用の電池式ランタンを探したのであるが、電池が単1や単2用しかなくて断念した。電池も手に要らない可能性があるからエネループの単3が使えるほうがいいはずだからだ。火事が心配だがローソクも入れた。さてクロネコがうまく機能しているのかも気になるが朝になったらさっそく発送しよう。

日向灘の津波、防波堤

私の家系は明治時代以来、土々呂に暮らしてきたが港町土々呂で昔の津波の被害について聞いたことはない。延岡でも大津波の伝承はないのではないだろうか?記録にないだけで実際はあるのだろうか。
夕刊デイリーにはこのような記事がある。

※後日5月6日付けの夕刊デイリーには江戸時代の宝永大地震による津波の記事がある。詳しくはリンク先を読んでいただきたい。しかし死者8名というからには今次の東日本大震災ほどの内陸まで押し寄せるような津波ではないことは確かだろう。

災害専門家は「過去に津波が来ていないから今後も来ない、というのは俗説」と言っている。東電の福島第一原発の記録映画には「この地は数百年にわたり地震や津波で大きな被害を受けてません」とあるそうだから、日向灘だって長い歴史のスパンで見れば大きな津波の可能性はありうる。大災害はだいたい忘れたころにやってくるもの。

宮崎地方気象台の明治以降の記録を見ると、1946年(昭和21年)の南海地震が大きいようだが、それでも細島で1.6mであるから、今回とさして変わらない。
最大は1960年のチリ地震津波で木花海岸3.1m。この時は満潮と重なり県内で浸水家屋313戸とある。

日向灘は地震の巣といわれ、記録上では1968年日向灘地震がM7.5で最大である。この時の津波は細島で198cmである。
私は中学生だったのでよく覚えている。震度5。古い家がユサユサ揺れ屋根瓦の下に敷いた赤土がバラバラと落ちてきて大変怖かった。4月1日だったので学校は春休みだったのだろう。これが私の人生最大の地震経験である。
しかしそのときも津波の話は聞かなかった。その前日に土々呂中学校の裏の長浜海岸に多数のイワシの群れが這い上がってきた。私たち部活で海岸にいた生徒たちは面白がって片っ端からそれを捕まえ、ナップサックに詰め込んでもって帰り、晩御飯のおかずにした。当時あれはイワシが地震を予知したんだ、とか言われたものだ。

下:岩手県田老町の10m防潮堤   震災後の写真と関連記事はココ 


いかに過去に大津波の記録がない、とはいえ、今後もない、とは言い切れない。では対処法はあるのか?
岩手県田老町は明治三陸津波、昭和8年の津波と2度も町の壊滅を経験し戦後、万里の長城ともいわれて有名な10mの防波堤を建設しチリ地震津波の被害を食い止めることに成功したが、今回の津波の前には無力で三たび壊滅した。ココが田老や三陸の津波と防災に関して詳しい解説をしている。

下:釜石港の防波堤は世界一だそうだ。正確には「だった」というべきか。写真を見るとありきたりの防波堤に見えるが。

なにがすごいのか、というと海底からの高さがなんと65mもあるという。もし海底から見上げるとすれば20階建てのビルくらいあるということ。絵に描けばこんなふうだろうか。

下:実際には海底には捨石で巨大な山を築いてある。ココに詳しい工法が解説してある。

これも今回の地震で倒壊してしまった。もし再建するとなると当然それよりも強大なものになるだろうからいったいいくら金がかかるんだろうか?ところでこの防波堤の写真を誇らしげに当社実績として掲げている五洋建設も大変だね。海中にそんなものを築くというのはたしかにすごい技術力だが手抜き工事でないとすれば自然の猛威はもっとすごかったということ。なすすべがない。避難あるのみ。

宮崎県の長い海岸線にそんな巨大堤防を築くなんて費用から見てもとても現実的ではない。景観を害することも甚だしい。
現在各所にある堤防は台風に対しては有効でもこと大津波に対しては蟷螂の斧である。

下:門川町向ヶ浜の防潮堤。去年のチリ地震の時、警戒に当たる消防職員。堤防の高さは3-4m



下:2010年3月、門川町向ヶ浜の防潮堤に並んで、津波の襲来を待つ見物の人々。「海岸に近づくな」という防災無線は無視される。


今回の教訓はやはりいち早い高台避難である。あるいは3階以上のコンクリート建築を普段から避難場所として確保しておくことだろう。そういう建物には外部階段設置を義務付けるのも一案。
三陸海岸についていえば、常日頃から津波の危険は言われていることであるから、今後の復興では絶対に海岸部に住宅は作らない、ということだろう。同じ場所に更に高い堤防を築き、再建するのは愚策である。国策として町を放棄することもありだろう。ただでさえ漁業の足腰が弱っているとき、三陸で水産業の復興は可能なのか心配なところだ。今年のサンマは食えないかもしれない。
明治三陸地震で2万人の被害を出しながら、100年以上経過し、世代が過ぎるうちに恐怖の記憶が失われていて平気で海岸部に暮らしてきたのかもしれない。


下:門川町の海岸近く高台避難所


下:高さは民家の2階の屋根より低いくらいだから、三陸を襲った規模の津波には対応しない。しかしないよりマシ。


※門川町では津波ハザードマップを作成していてこのリンク先からダウンロードできる。
※門川町の標高5m以下範囲を地図に落としてみたので参照して下さい。

ニューヨークタイムズの津波写真

大地震と大津波の情報は刻々と明らかになりつつあるが、海外でも大ニュースである。これに比べればニュージーランドの地震などかわいいものだ。海外では日本全国が大パニックと思われているだろう。政権基盤が脆弱、財政は破綻状態で逆さにしても金がない、日本経済の腰が弱く中韓台との競争力もなくなっている、人口が高齢化など悪条件だらけのなかの大災害は確かに大国難である。海外で日本株が下落しているのに円高はおさまらない。政争どころではない。莫大な復興費用がかかりそうだ。総選挙は遠のき「減税日本」も無責任なダボラになる可能性がある。ともかく今リーダーとして国民を力強く率いる責任を追うべき人は管首相である。右翼系マスコミのえげつない管タタキも暫時休戦すべきであろう。

ニューヨークタイムズ電子版の写真を転載する。日本メディアからの転載もあるようだ。ニューヨークタイムズは毎日日本からの写真を追加しているが大惨事であるのに奇妙に詩情をたたえた写真が多く、訴求力がある。

下:名取市あたりだろうか。津波が防波堤や松原を突破する様子。よく撮れたものだ。これではとても逃げられない。あの家屋にはきっと人がいたに違いない。



下:仙台空港の様子。車と飛行機が仲良く難破。不思議な光景


下:川をさかのぼる津波があふれ出る。


下:陸前高田市 これは3月17日掲載分

下:山田町 これは3月17日掲載分

下:南三陸町は雪に覆われた これは3月17日掲載分

下:3月17日掲載分

下:3月17日掲載分


下:3月19日掲載分。かわいい子供と廃墟の対比


下:3月21日掲載分。


下:3月21日掲載分。火葬できずに集団土葬。コンパネが仕切り。


下:3月20日掲載分。悲劇は数万、それぞれに痛切。


下:3月20日掲載分。あれは捕鯨船のようだ。


下:3月20日掲載分。写真を見る限りではチェルノブイリ並み


コチラにも関連の画像を掲載

下:娘がオリンパスに勤めている。最近コンデジでは苦戦が続くオリンパスであるが、一眼のPENシリーズでは気を吐いている。PENシリーズもいろいろとバリエーションが広がり、なんとレンズ付きで3万円を切るものが出ている。



日向灘にも津波警報

昨日の地震の津波は大被害をもたらした。はるか九州でも太平洋岸には津波警報がでた。というか、今も出ている。深夜でも海岸部には消防団の赤色灯が点滅しているのが見える。
宮崎県沿岸には第一波が夕方5時ごろ到着ということだった。干潮が4時なのでちょうど潮位が低いころだが、地元の人によるとあんなに潮位が下がったのは見たことない、という。結局5時15分に細島港で1mくらいの津波が観測されたらしい。干潮時で好都合だった。

下:日向市細島地区では避難警報により住民の多くが米の山方面に避難した。太平洋を望む高台、グリーンパークの広い駐車場は車でいっぱいだった。人々は海を見ている。



下:5時30分を過ぎると沖合いに避難していた漁船の群れが帰港しはじめた。

市役所からの防災無線放送はひっきりなしに、海岸に近づくな、と呼びかけているが、海岸には海を見つめる人々がけっこういた。私もその一人であるが。

下:それから私の家に帰ると、普段めったに車も来ない住宅地のどん詰まりなのに家の前は思わぬ渋滞。私の家は高台にあるので下から人々が避難に来ていたのである。



日向市の戦跡 海軍富高航空隊

日向市財光寺には海軍富高航空隊の飛行場があった。
今の現地の様子からはとても飛行場があったとは思えないほど都市化してしまっているが、昔の地図を見ると広々とした空き地、もしくは畑である。

下:富高飛行場。おそらく戦前の写真。複葉機ばかり。


下:現地の道路際に飛行場跡を記念する施設がある。(クリックで拡大)


このプロペラはてっきり旧海軍機のものだと思っていたら、KM-2型という自衛隊の練習機のもので海軍とは縁のないものだった。なんということ。後ろの絵は例の「震洋」「回天」の看板と同一の作者のようだ。

下:練習機の模型が置いてある。この基地はもっぱら訓練に使われていたらしい。




下:現在の地形図の上に飛行場を復元した図が展示してある。

これを昔の地図で再現してみた。おおむねこんなふうだ。(クリックで拡大)


滑走路は1000mくらいのものだろうか。細いほうの副滑走路あたりが現在の国道10号線であろう。東側の松原沿いや西側の鉄道近辺には掩体壕が並んでいたようだ。
つい最近まで10号線と日豊線の間、ひょっとこの湯の裏にひとつ掩体壕が残っていたが道路拡幅のため壊された。貴重な戦跡をもったいない。2003年12月撮影。


これは取り壊し直前なので中は空っぽであるが、実はこれは長年自動車整備工場として使われていた。立派に役に立っていたのである。中に普通に人が暮らしていた。




下:後ろから見たところ。かなり分厚いコンクリートでとんでもなく頑丈そうである。長年こわすに壊せなかったわけだ。機銃弾くらいなら跳ね返せそうだが爆弾となるとどうなんだか。


下:真珠湾攻撃を想定してこの基地で猛練習があった、と説明板にある。飛行場裏のお倉ヶ浜沖の岩礁が爆撃目標とされたと書いてある。おそらくあの岩礁である。

日向市の戦跡 回天基地

神風特攻隊、人間ミサイル桜花、特攻艇震洋と並び人間魚雷「回天」もまた太平洋戦争を象徴する非人間的兵器の代表である。
震洋については私の地元、土々呂にあったこともあり、TBSキャスターから参議院議員になった田英夫氏が若い頃搭乗員として土々呂に駐屯していたことも地元では有名な話なので子どもの頃から知っていた。
しかし、あの有名な回天の基地が日向市にあったとは最近まで知らなかった。たまたま細島をうろついていたら回天の看板を見て知ったのである。

下:「震洋」看板と同じ看板屋の筆になるものと思しい。
牧島山中腹を走る道路沿いにある。道路の下に基地があったものだろうが、現在では跡形もなく確認できないようだ。


下:裏面には諸元が。


下:近辺の海岸。向こうが細島湾奥。左岸が細島の町。


下:海岸に親水公園が作られている。水は意外にきれい。


日向市の戦跡 特攻艇「震洋」

細島の「黒田の家臣」の駐車場そばには震洋特攻隊基地跡を示す看板がある。震洋は太平洋戦争の終戦間際の本土決戦兵器である。早い話、ベニヤ板のボートにトヨタのトラックエンジンと爆薬を積んだ人間爆弾。
震洋の基地は県内では細島のほか、土々呂(赤水)、油津にもあった。
下:黒田の家臣。あの小島がそう呼ばれる。干潮時にはこちら側と繋がる小さな陸繋島である。島内には幕末にここで死んだ福岡黒田藩の家臣の墓がある。


下:駐車場そばにある看板。古ぼけた旭日旗。


下:看板。実際の出動はなかった。どういうわけか標的の戦艦は大和型。考証がいい加減じゃないの?看板屋さんはがんばって描いたんだろうけど。


下:延岡市赤水の基地跡で2009年に復元されたレプリカ。
後方に格納庫となる洞穴が見えている。赤水にはいくつかこのような壕が残されている。水際までレールが敷かれていて出動の折には台車に載せて引っ張り出した。参議院議員、田英夫氏が青年時代の大戦末期に震洋乗組員として駐屯したのはここ。


赤水 震洋  (9)
赤水 震洋  (9) posted by (C)オトジマ

下:下の震洋もベニヤ張りであったが、これは全くのベニヤの張りぼてなので、スクリューも舵もない。船大工ではなく内装関連の木工所で古写真をもとに作った。
赤水 震洋  (11)
赤水 震洋  (11) posted by (C)オトジマ

細島線 記念碑

日知屋東小学校近辺に細島線の案内板、というより記念碑が立っている。石板に写真を焼きこんでいる。ここに在りし日の細島線の写真と地図が何枚かある。
図書館にでも行けばこれよりも鮮明な写真が得られるのかもしれないが。
下:案内碑。この近辺に伊勢ヶ浜駅があったようだ。
線路敷のあとはやたらとだだっ広い歩道だか側道だかになっていて何の役にも立っていない。


下:案内板全景


下:在りし日の細島線の貨物列車。カーブなので原町あたりか。後方に大きな屋根。寺のようだが、あんなところに寺があったかな?米の山を覆う樹林が薄い。


下:細島港と細島駅構内。表面に光沢があるので背景が反射してうまく写真が撮れない。



細島線 伊勢ヶ浜駅

古い地図で細島線の伊勢ヶ浜駅を調べてみた。
1921年開通当初は3.5kmしかない細島線には中間駅はなかったが、戦後の1957年に伊勢ヶ浜駅が設置されている。実際の伊勢ヶ浜にはやや遠く徒歩で20分くらいかかりそうだ。海水浴客の利便のためだったと思われる。1972年には旅客扱いを停止しているから、この駅は15年間しか存続していない。

下:1948年(昭和23年)の地図(クリックで拡大)


この地図では伊勢が浜駅はまだない。安之神社近辺の曽根集落以外は伊勢ヶ浜まで畑か空き地ばかりが広がる。細島工業港もない。現在の第一糖業あたりの埋立地はまだ水面。まだ塩田だったと思われる。竹島は細長い島として乙島とともに門川湾に浮かんでいた。
行政区では日向市はまだなく、富高町と細島町の時代。
国道10号線はまだ日豊線の西側を走っている。

下:これは1970年代の地図。伊勢ヶ浜駅はある。



下:これは1980年の地図。すでに伊勢ヶ浜駅はない。


下:現在の地図。線路敷がすっかり道路に化けている。
40年たっても工場の立地が進まず空き地が多いのに驚く。


下:往時の伊勢ヶ浜海水浴場。戦前か?

細島線

国鉄細島線は1993年に廃止されている。1972年、すなわち私が高校生のころにはにはすでに旅客営業を停止していたので私は乗ったことがないままだった。1984年に廃止された妻線にも乗ってない。しかし、たった15年間しか存続しなかった大隅線には全線乗ったことがあるので幸運だったか。
日向市駅から細島までたった3.5kmしかない。近年まで線路敷が残っていたが、ほとんど道路になってしまった。ロックタウンのジャスコから先の細島港近辺だけ線路敷が草ぼうぼうで残っている。

下:線路敷。ジャスコ近辺から細島港方面を望む。


下:上の写真の先にある橋脚あと。


下:細島駅のホーム跡と思しい。貨物専用にしても短い。


下:「工」のマーク入りの境界杭が国鉄用地だった名残。


下:かつての細島駅駅舎

下:細島駅での荷役風景。馬車の時代。50年前の私の子供時分でもこんな馬車は普通に使われていたもの。


ココにいい写真があるので参照して下さい。


プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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