未来ちゃん

お金がないので普段は写真集など買わないのであるが、娘か「未来ちゃん」をえらく薦めるので買ってみた。
写真集というものはアイドルとかAV関係以外はそうそう売れるものではないのであるが、これは目下例外的に大変売れているらしい。NHK「週間ブックレビュー」でも取り上げられ絶賛されていた。

下:表紙。ボリュームの割りに高くないのは簡単な造本のせいか。


未来ちゃんという少女(仮名である)の日常を追い、なにげない表情や仕草に、そこらの必ずしもキレイではない日常の風景が添えられている。未来ちゃんはとてもかわいい少女であるが、あえて変な表情、泣き顔、ハナを垂らした顔などをねらっている。ポージングしたお澄まし顔は全くない。NHK書評でもハナ垂れ顔が評判だった。幼児が物を食う時には顔中がゆがむものであるが、そんなスゴイ顔は表紙になっている(上)。親といえどもなかなかそんな顔は撮らないものである。

下:この顔だってよーく見るとハナを出して涙を溜めている。


ネット上には他の写真もあるかもしれない。探してみて欲しい。なかったら買うほかない。アマゾンのレビューを読んでみるのも面白い。最下段のリンク先で買えます。

どうやら未来ちゃんは佐渡島に住んでいるようだ。
写真家は未来ちゃん宅に長期間住み込んでこの写真集を作った。こんなもの子供がいればどこの親だって撮れそうな、とも思えるが、それをやった写真家はやはりエライ。
このデジカメ時代、だれでも気軽にフィルム代やDPE代を気にせず高画質の写真がバンバン撮れる時代、プロの写真家はなかなか生きにくいのかな、とも思うが、このようにプロの存在意義を見せてくれることもある。

著作物であるからあまり引用するのははばかられるが、あと1枚だけ。


未来ちゃんの小さな後姿しか見えない。カメラの狙いは背景の「ファッションハウス」と思しい。時代遅れの商店とファッション(流行)とのアンバランスが面白い。
田舎ではよく見るミスマッチ。私の町でも似たような店を見た。こちらは「ナウミセスファッション」だからさらに上手をいく。ちなみに地元のギャルは決して行かないだろう。まだ営業しているのか知らない。(下)


下:我が家の未来ちゃん。私を相手にカクレンボをしている孫。娘が「木の下にいる絵に描いたようなカクレンボのオニは初めて見た」といって感動しシャッターを切った。


下:川島小鳥の「未来ちゃん」の前のヒット作。これは美少女を4年間撮りつづけたもの。未来ちゃんとは客層が異なるのではないか?これはこれで欲しいね。



下町ロケット

下町ロケット  池井戸潤 著 

今期の直木賞受賞作。下町の小企業が技術力と夢で大企業と渡り合い、ロケット打ち上げ技術に参入する話。

日本では大型ロケットは事実上三菱重工の独占だから、渡り合う相手方の帝国重工とは三菱のことだがフィクションだからあまり真に受けないほうがいい。
舞台となる小企業、佃製作所は燃焼系の重要部品であるバルブを納入するために悪戦苦闘する。単なるそれだけの話であるが、これが大変面白い。町工場をとりまく経済状況、金融、技術などにリアリティがあり、展開も巧みで一気に読ませる。主人公の佃社長に敵対する敵役が幾人かからみ、これがいかにもの悪役なのが気になるくらい。
普段は芥川賞・直木賞・ベストセラーだからといって本を読むこともないが、たまたま読んでみたもの。さすがに賞をとるだけのことはある。この「ロケット」に引っかかりがあって手に取ったのである。技術がからむ話は面白い。

ひところの低迷を脱し、最近は日本のロケット打ち上げは成功が続き、昨年は「はやぶさ」の快挙で盛り上がった。しかし、いかんせんカネがものをいう事業だけに国家財政から将来の展望は楽観できないのが残念。

震災、電力危機、高齢化、人口減少、財政危機、円高、貧弱な政治と日本はいまや八方ふさがり。明るい話題は去年の「はやぶさ」と今年の「なでしこ」だけとはさびしい。なんとか宇宙技術は少年に夢を与えるものとして放棄しないで欲しいもの。

下:以前に日向市内から撮影したロケット打ち上げ。
年月を覚えていないのであるが2002年のH-IIAかもしれない。日向から種子島の射場まで直線で約250kmある。夕暮れなのでケムリが日光に照らされてうまい具合に見えたもの。

「下町ロケット」のエンディングは種子島でのロケット打ち上げ成功の場面である。ハッピーエンドにふさわしい情景。

下:私の好きなアニメ作家、新海誠の代表作「秒速5cm」では一部、種子島が舞台となっている。主人公の東京から転校先が種子島なのである。話の展開ではあえて種子島の必然は全くないのだが、新海はどうしてもロケットを描きたかったようである。その気持ちわからんではない。






下:朝日書評で面白そうだった。多元宇宙について理論的に解明しているとか。いずれ読んでみよう。「エレガントな宇宙」は新刊ではない。ヒモ理論を解説しているのであるが、わかるようなわからんような理論である。いずれも宇宙の深遠をわかりやすく教えてくれる必読の本。


新富 紀伊神社

車で走っていると道路わきにいいたたずまいの鎮守の森がみえることがままある。幹線道だと後続車が多く、突然路肩に停車するのも危険なので気になりつつも通り過ぎてしまう。
そんな神社のひとつが国富の10号線脇の田んぼの中にある。
調べたら紀伊神社というのだそうだ。
10号線をはさんで、海岸よりには水沼神社と湖水公園がある。

下:今の時期はヒマワリの中に浮かんでいる。


下:国道10号線から見るとこう。
新富 紀伊神社
新富 紀伊神社 posted by (C)オトジマ

下:裏から見ると


下:例によって境内に入るとあまり変わり映えしないありきたりの神社。


下:高鍋でもヒマワリ畑を見た。秋のコスモス畑のような観賞用なのか、商品なのか知らない。ひどい雨のなか。
高鍋
高鍋 posted by (C)オトジマ

下:同じ場所の春。キャベツ畑であった。
高鍋 キャベツ (4)
高鍋 キャベツ (4) posted by (C)オトジマ

下:24インチワイド液晶が1万3000円台にまで値下がり。1年前の半額! 老眼の人もこのサイズならラクに読める。


お倉ヶ浜でサーフィン大会

アマチュアサーファーの頂点を争う全日本サーフィン選手権が24日、25日日向市のお倉ケ浜海岸で開催中。

下:歓迎のノボリがズラリ。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ
サーフィンにあまり興味はないが、覗いて見たら大変な賑わい。駐車場は選手しか入れない。客はお倉ヶ浜運動公園からシャトルバスで来ているようだ。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ
下:参加者グループのテントがずらり。子連れのファミリーサーファーも多い。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ
下:見物していても素人にはサッパリわからない。
台風がフィリピン近辺にあるが、波はたいしたことはない。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ
下:特設の放送小屋。実況中継をしているんだが、間歇的で間が抜けている。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ

下:ステージだか表彰台だか。
お倉ヶ浜サーフィン選手権
お倉ヶ浜サーフィン選手権 posted by (C)オトジマ

せっかく遠路、全国からお越しのサーファーの皆さん、あいにくの天気で残念でしたね。炎天よりはいいのかな?

下:ipod以外のmp3プレーヤーは安物ばかりたくさん試してみた。商品は中国製だがCREATIVEはシンガポールのメーカー。(ipodだって中国製)ここの製品は信頼できる。転送ソフトを使わなくともD&Dでファイルを入れられる。ただし事前にタグ情報を入れておく必要はある。SONYよりはずっと使いやすいと思う。落語を入れて愛用している。




スターアライアンスコレクション-ANA

その後、あちこちのコンビニを回って、BOSSスターアライアンスコレクションのチョロQタイプのANAをゲットできた。スタンド式のリアルタイプ(2缶で1個)も全6タイプ手に入れた。
ローソンの冷蔵庫に入っていた分は、家に帰ったらひどく汗をかいていた。賢い美品の入手方法は、ショーケースに入れる前のバックヤードの在庫を探してもらうやりかた。もし箱ごと在庫があれば一箱30缶で全種類24個が揃う。それでも定価で3600円だ。ヤフオクでは24個セットで4000円くらいで落札しているようだから、それと比べれば高くはない。私の思うにヤフオクに出ているある部分は、販売前にバックヤードで店員に抜き盗られている分ではないだろうか。きれいな全種類セットがやたらと多い。


下:後ろがオマケ付きの背高の30缶箱。当然この中にANAは大小一個ずつしか入っていない。


町中の店を回ってみてわかったこと。門川で最も大きなスーパーのサンシールさのとAコープはそもそもサントリーのコーヒーを扱っておらず、コカコーラのジョージアの棚占有率が高い。小さい店ではさらにそうだ。つまり店内のコーヒー棚のジョージアの占有比は田舎度に比例するのである。
だから田舎でBOSS「ゼロの頂点」を探すなら全国展開のコンビニ。ちなみに今日ゲットしたのは延岡のローソン。バックヤードを探してもらった。国道筋のローソンでもチラホラと在庫がある。

スターアライアンスコレクション

サントリーの缶コーヒーBOSS「ゼロの頂点」がオマケ付きキャンペーンをしている。一缶に一個、スターアライアンス加盟の航空会社のデザインのオモチャの旅客機をくれる。チョロQタイプは全18種類。組み立て式リアルタイプもある。
詳しくは公式サイトで。
8月16日始まりのキャンペーンだが昨日知ったので、あわてて近所の店を回ったがどこにも見当たらない。セブンイレブンの店員はそのキャンペーン自体を知らなかった。無理もないが。

下:Yショップのアルバイト店員が知り合いだったのでバックヤードを探してもらい、在庫を買い占めた。といっても17個。ウーーム、惜しい。ANAだけが欠けている!


110円のコーヒーでヒコーキ一個とはマニアでなくともお得な感がある。子供にでもあげるとか、ヤフーオークションで売るとか、処分方法は後で考える。ヤフオクにはすでにたくさんの出品がある。18種類セットならいい値段になるかもしれない。少なくともモトは取れるだろう。

下:オマケとはいえしっかりできている。キレイ。


下:双発タイプと4発タイプがある。カワイイ!


下:磁石付きだから冷蔵庫にもくっつく。


売切れ次第キャンペーン終了だから、欲しい人は早く店へ。こんなものは意外と田舎の方が残っているものだ。
ボスの客層の大人の男性は多かれ少なかれヒコーキは好きだから一個買った人は残りも集めたくなるだろう。ANAはやはり人気なのでレアアイテムになっているかも。

下:朝日書評で面白そうだった。多元宇宙について理論的に解明しているとか。いずれ読んでみよう。「エレガントな宇宙」は新刊ではない。ヒモ理論を解説しているのであるが、わかるようなわからんような理論である。いずれも宇宙の深遠をわかりやすく教えてくれる必読の本。



下:トランセンドのハードディスク。USB給電なので接続がラク。小さくて省スペース、無音。信頼性も高いので重宝している。


陶製の狛犬

佐伯市南郊、国道10号線沿いの江良に八坂神社がある。いつも通るたびに立派な神社だな、と思っていたので寄ってみた。

下:社殿は例によって言うほどのことはない。ここには約2000平方メートルのハナガガシの原生林があり、ここがその北限だというが、その時には気づかなかったので見もしなかった。いずれにせよ樫の木であるから言われてみても素人にはわからない。ハナガガシについては日

下:ここの狛犬は陶製である。これは珍しい。

下:なぜ陶製にしたのか。長い年月の間には子供が石を投げて破損するに決まっているが。石の狛犬に比べ、特に立派に見えるというわけでもない。


下:臼杵市、福良神社の狛犬。ありきたりだが、時代は江戸まで遡りそうである。社殿前ではなく側面に邪魔物のように置かれている。


下:先日も一度アップした、熊本県宇城市松合の大歳宮の狛犬は大理石。

下:松合の大歳宮


下:佐伯市八坂神社

より大きな地図で 八坂神社 を表示

下:最近芸能界にも城マニアが多い。




熊野鳴滝神社

熊野鳴滝神社へは、高千穂町河内の田原小学校の横にある参道を上がる。

下:このイチョウの根方に古びた大師堂がある。屋根には草が生え、中は半ば隣の農家の物置になっているところがまたいい雰囲気だ。時代劇のセットに使える。
熊野鳴滝神社
熊野鳴滝神社 posted by (C)オトジマ

内部の装飾が見事である。こんな辺鄙な山奥の大師堂に似合わず凝っている。作られた時にはかなり費用がかかったろうに。
熊野鳴滝神社
熊野鳴滝神社 posted by (C)オトジマ
下:柱を飾るイノシシと狛犬の彫刻。末永く大事に保存して欲しい文化財である。
田原 大師堂
田原 大師堂 posted by (C)オトジマ

下:こんなところにも八十八箇所めぐりの仏像もある。昔はあちこちで流行ったものに違いない。右後ろのものには「四十二番佛木寺」とある。愛媛県宇和島市にある寺院で本尊は大日如来。雨ざらしでないからあまり風化してない。
田原 大師堂
田原 大師堂 posted by (C)オトジマ


より大きな地図で 熊野鳴滝神社 を表示

細川刑部邸

熊本県立美術館で開催中の「ジブリ レイアウト展」を見に行くついでに、熊本城三の丸駐車場横の細川刑部邸を覗いた。ひどい悪天候の中であるが仕方ない。この細川は藩主の細川氏ではなく、傍流の細川氏。刑部はある種の役職名である。

公式の細川刑部邸についての解説はココを参照して欲しい。

下:立派な塀。左側は博物館になっている。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下: 上の塀の先にこの門がある。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:観光客は上の門は通らず、駐車場から直接この通路を通り、屋敷に至る。両側は見事なモミジが並ぶので、秋の紅葉が見事だろう。秋にまた来よう。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:ネムノキの大木。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:屋敷の中庭。外は土砂降りなので長大な屋敷を廻る廊下は雨戸が立てられており、内部はなおさら薄暗い。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:たくさんのタタミの部屋がある。こんなに多くの部屋を何に使ったのか?各地の武家屋敷を見たが、ここは殿様の屋敷でもないのに抜群に大きくて立派。家禄1万石あったというから小さな藩の大名くらいはある。この屋敷は移築、補修されているが、すでにそれから20年を経過しており、新しかった材にはすでに古色がつきつつあり、なかなか良い。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:「お前の目はフシアナか!」とよく言うが、最近めっきり節穴を見ない。こんなところに懐かしい節穴が。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:屋敷のすぐ先の林の中に茶室「観川亭」がある。200円でお茶のサービスがあるので寄ってみた。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
下:明治期に作られた茶室を移築したもの。シルバー人材センターが運営しているようだ。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ
立派な茶室を独占してゆっくり茶をいただいた。外は深い緑の中、絶え間ない雨と雷鳴。それもまたオツなもの。
細川刑部邸
細川刑部邸 posted by (C)オトジマ

盆休み中からか、この豪雨のなかでも熊本城二の丸駐車場に続く道は大渋滞。裏道から三の丸駐車場に回ったがここも県外車でいっぱい。さすがに天下の名城であるが、今回はパス。

今回は美術館が眼目だったが、ここも大変な人出。レイアウト展であるから素人や子供が見てもあまりピンと来ない展覧会なのに。九州初公開なので九州全域から人が来ているのだろう。東京ではおととしの開催だから2年遅れ。

写真撮影禁止なので「レイアウト展」の写真はナシ。チラシのキャッチコピーに「その誕生から『コクリコ坂から』まで」とあるが、コクリコ坂関連展示はホンの申し訳程度、数点なので要注意。



下:最近芸能界にも城マニアが多い。






下:トランセンドのハードディスク。USB給電なので接続がラク。小さくて省スペース、無音。信頼性も高いので重宝している。


宇城市松合地区

harbyさんのブログで熊本県宇城市松合(まつあい)の古い町並みを見て、行ってみたくなった。門川から140kmしかないが、国道218号線経由で3時間半かかった。着いたころには土砂降りのゲリラ豪雨。初めて見る不知火海は黄色くにごり、遠景は全く見えない。肥後銀行の駐車場に車を止めたころ雨が小降りになったので傘をさして散策した。

松合は漁村で白壁の町。1999年の台風18号の高潮被害で12名が亡くなったのはこの地区である。この町の景観はネット上のあちこちにあるので参照してほしい。私の写真は悪天候の中で撮ったのでろくなものがない。が以下に何点か紹介する。

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

松合
松合 posted by (C)オトジマ

下:どうやら大理石のようだ。珍しい狛犬。
松合
松合 posted by (C)オトジマ

確かに古い民家、商家があるのだが、修復、新築されたものが多く、古色のついた白壁の家はあまり見当たらない。町並み保存の活動はなされてはいるが、新建材の廃業した商店も混在し、いまひとつの感はある。高潮以前にはずっとよく残っていただろう。


より大きな地図で 松合 を表示

荻岳

春に久住高原から南を見下ろすと、大分宮崎県境の祖母傾山系まで広がる阿蘇外輪山のなだらかな裾野にポッコリととび出た小さなイボのような小さな山があるのに気づいた。帰って地図で確認すると荻岳という山である。熊本・大分県境からすこし熊本側にある。この山の成因は何だろうか。なんだか噴火丘くさいがネット上をちょっと見回したが見当たらない。

右端は阿蘇、左端は祖母。(クリック拡大)


下:地形図で見ると


下:グーグルアーズで見ると。手前が荻岳、奥が久住


車で頂上まで行ってみた。標高は843mあるが、そもそも周囲が標高600m以上の高原だから比高は200mくらいか。車で登ればすぐである。近辺には「荻岳展望所」の道案内があちこちにあるので迷わない。頂上には広い駐車場がある。駐車場をはさんでピークが二つある。東山頂は通信塔が乱立。西山頂は展望所となっているので西山頂に登った、といっても20mくらいの登山であるが。低いが独立峰なので景観絶佳。
下:久住方面を望む。石碑は細川護煕書で県知事時代に立てた物。
荻岳
荻岳 posted by (C)オトジマ

下:西を見る。阿蘇は近い。
荻岳
荻岳 posted by (C)オトジマ

下:南を見る。宮崎県との県境の山々。
荻岳
荻岳 posted by (C)オトジマ

山頂すぐ下に荻岳朝日稲荷社がある。小さな社である。


下:手形、足型が奉納されている。


下:東山頂は電波塔ばかり。展望所もある。
荻岳
荻岳 posted by (C)オトジマ

駐車場、トイレ、水、アズマヤもあるのでキャンプができそうだ。ホームレスにももってこいだが、明け方は寒いかも。

一本道

東山魁夷の有名な作品に「道」がある。

昭和20年代、東山は捜し歩いて青森県種差海岸でこの景色を見つけた。わざわざあんな遠くまで行かずともありそうな道である。昔ならありふれた田舎道である。今でこそどこもかしこもアスファルト舗装されているのでなかなか見当たらないが。しかし、この絵が念頭にあって、田舎の一本道を見ると写真に撮りたくなる。

下:宮崎県新富町富田入り江で。


下:阿蘇の牧場で見かけた作業道


下:南阿蘇の農道


下:阿蘇ミルクロード


下:ついでだ。これも一本道にはちがいない。荻岳で。



田原小学校の木造校舎

国道325号線で熊本方面に行く時、高千穂町河内田原の湯婆々のいる交差点、正面の丘の上の木造校舎が気になっていた。そこで車を湯婆々の横において、歩いて行って見た。

下:湯婆々の交差点。大変交通量が多い。谷をまたぐ短絡陸橋が完成したら、少しは静かになるか。正面に田原小学校。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ
下:どうやらもう使われていないようだ。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ
下:荒れ果て感がいい味を出している。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ
下:荒れ果て感も悪くないが、塗装したら長持ちするのに。
昔はどこでもありふれていた木造校舎。今や貴重。ノスタルジーをかきたてる。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ
下:オヤッ?誰かいる? と思ったら人形でした。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ
下:内部は木工作業場になっていた。今まで人のいた気配が。発泡スチロールの人形などあるところをみると、下の交差点の人形たちはここで作られたのかも。

下:1m近くもある巨大なハチの巣がぶら下がる。
田原小
田原小 posted by (C)オトジマ

※後日調べたらこれは校舎ではなく、役場の跡らしい。
明治時代に存在した旧河内村の役場だったとか。

下:交差点のキャラクターたち。もう何年もここに立っているから結構耐久性があるようだ。
田原
田原 posted by (C)オトジマ

下:娘がオリンパスに勤めている。最近コンデジでは苦戦が続くオリンパスであるが、一眼のPENシリーズでは気を吐いている。PENシリーズもいろいろとバリエーションが広がり、なんとレンズ付きで3万円を切るものが出ている!これはお買い得でしょう!ちなみに私はいまだに残念ながらコンデジ。



「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗~」



9日放映のNHK「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗~」は大変面白かった。

NHKは「ポニョ」製作の時には荒川プロデューサーが携帯ビデオカメラを持ってかなりの長期取材を敢行した。その間に「ゲド戦記」の製作が平行し、この親子の葛藤の構図を見事にドキュメンタリーとして描いた。その結果は「ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程」として長時間DVDとしても販売されている。その後もジブリの長編製作にはNHKが張り付くようになった。
昨年夏の「アリエッティ」の折には若手の新人監督、米林宏昌の挑戦ということで興味深かった。

下:「アリエッティ」試写会での米林と宮崎。昨年は「新人監督との400日」だから今回より100日長い。つまりNHKは一年中ジブリスタジオに常駐しているっていうこと? 試写会で駿氏は映画のできに満足し、米林を温かくねぎらった。今回の試写会とはえらい違いだ。


しかし、今回の「ふたり~」はとりわけ面白い。NHKはゲドの時にこの特別な親子の厳しい葛藤、はたから見れば面白い対立を軸に構成して成功しているので、今回も同様のスタンス。吾郎氏の生まれた頃から成長する過程の写真やエピソードも織り交ぜ、この親子の歴史をたどる。

駿氏は「ゲド」の折には吾郎氏と製作中顔も合わせなかったものであるが、今回はシナリオを書いているし、ずっと口を挟んだりしている。駿氏が永年温めてきた企画だし、自らのシナリオなのであれこれ口を出したくなるのは当然だ。製作の責任者である監督としてはいかに親子であれ、あまり愉快ではない。「ハウル」の時に当初監督をした細田守が中途で放り出したのもこのへんに原因がありそうだ。細田氏は自分の未熟を原因と語るが結局自尊心の問題だろう。細田氏に最後まで任せていたらハウルも意外ともっとうまくまとまったのかもしれない。貴重な駿氏の精力と時間をムダに費やしたかのような「ハウル」になってしまったと感じているのは私ばかりではないだろう。
吾郎氏は「手取り足取り教えてもらいながらやるほうがうまくいくのかもしれないが、それではダメなんですね。」と語る。絵コンテは決して父に見せない。「見ればあれこれ言いたくなるに決まっている。」と。

下:唯一駿氏が吾郎氏を息子らしく扱う場面。「はい、吾郎」とコンペイトウをあげる。くわえタバコの不良息子はふてくされてコンペイトウを口にする。


宮崎氏は息子を監督にしたくない理由について「私は野村監督や長島監督のようになりたくない」と言う。露骨だが全くそうだろうな。実力の世界は七光りだけでは成功しない。
駿氏は折々に吾郎氏の仕事を罵倒する。雇われのスタッフならご無理ごもっともと直ちに服従するほかない。しかし吾郎氏は負けない、めげない。アニメの神様にまっこうから逆らえる吾郎氏の根性はやはりただものではない。しかしそれもやはり肉親同士だから可能という面もある。でも吾郎氏に甘えはない。これが失敗したらスタジオを去る決意をしている。

下:「失敗したら続ける気はない」と語る吾郎氏。吾郎氏は親に似ず大変なイケメン。進む道を間違っていたかというほど。


去年の夏ごろ、絵コンテは進展しつつあるがまだ製作が本格化していないころ、吾郎版「コクリコ坂」は早くも暗礁に乗り上げ、前途は危うい。駿氏は「いざとなったらオレがやる」とまで鈴木プロデューサーに持ちかける。かなりその気だったようだ。「ハウル」の時のパターンである。

その後、絵コンテの練り直しを経て鈴木氏はこれなら行けそうだと判断し、9月に実製作に突入。それを我々はヘェと聞き流すが、鈴木氏のこの決断も大変重いことが見る者に伝わる。この決断で一挙に直接従事する数百名が長期拘束され、一年後の公開にむけあらゆる関係者、関係業界が映画の完成と成功を信じて動き出す。大変な重圧である。

そして3月11日の地震。公開を4ヵ月後に控え、遅れ気味の製作は最高潮の時。会社では通勤や停電、余震を考慮し3日間の休業を打ち出す。しかしそれを聞いた駿氏は烈火のごとく怒る。「生産点を放棄するな!少々揺れたって仕事はできる。こんな時こそ我々が神話にならなければならないんだ。公開日は死守する。絶対に生産点を離れてはダメだ。」
会議の席上、安全策の方針を決めた星野社長、鈴木プロデューサーは傍らで聞いているがカタナシで声もない。ツルの一声は絶大である。「生産点」という今や懐かしい階級闘争用語がプロフェショナルの気魄を示す。今の日本に必要なのはこのような「極端な安全第一主義」「ことなかれ」を排する断固たる決意。ちょうど同じ頃、首相官邸では管首相も同様に怒鳴り散らしていたというが、神話とはならなかったようだ。

NHKの今回の「ふたり」が面白いのは、結果として「コクリコ坂」が成功したからである。だからこのドキュメンタリーを私も安心してみることができた。製作当初の吾郎氏の苦闘が最後には報われるのである。興行的には大成功かどうかまだ結論は出ていないが、作品的には成功したことはハッキリしている。

結局、駿氏が乗り出すのでなく、吾郎氏に委ねてよかったようだ。駿氏はおよそのシナリオがあっても絵コンテで終盤迷いが生じ、迷路にはまることがままある。我々素人は「なんで絵コンテが満足いくように完成してから製作に入らないんだ?」と毎度疑問に思うのであるが、それではダメだそうだ。作りながら考えないと生きた展開にならないとか。そう、実写映画でもパーフェクトなシナリオがあれば自動的に傑作映画ができるいう保障はまったくないのである。世には名作小説を原作にした駄作映画であふれている。実写では撮影現場で試行錯誤ができるが、アニメではそうはいかないから絵コンテが映画のできを決める。既述のように吾郎氏の絵コンテは絵を見る限りでも素晴らしい画力である。画風もなんだか親にも似てきた。

下:吾郎氏が鴨長明をテーマにアニメ化を模索していた頃のイメージボード。

下:吾郎氏は絵コンテではまず薄い水色の色鉛筆でラフを描き、黒の鉛筆で最終ラインを決めている。キャラクターを何万枚も描いて来たプロのアニメーターとは違うところであるが、人物はどの角度、ポーズでもしっかりしている。


「ゲド戦記」の試写会では駿氏は途中退席した。いたたまれなかったのだろう。彼はひとこと、「オレは、自分の子供を見てたよ」、と言い捨てた。この途中退席は映画公開以前から知られており、ゲドのできを示唆する出来事としてジブリファンの間では話題になった。今回、試写会の暗闇の中、NHKのカメラは駿氏の顔を高感度カメラで追う。闇の中キラリと光る涙の一筋を狙っていたようだが、それはなし。NHKはポニョの時には駿氏が仕事をしながら聴く久石譲のイメージアルバム中の曲、麻衣(久石の娘)の歌う「ひまわり園のロンド」に思わず涙した瞬間をうまく捕らえたものだ。しかし今回は彼はともかく途中退席することはなかった。

「ふたり~」のラストシーンは実に見事。エンディングロールが流れ始める中、あらかじめ二人にセリフを割り振っていたかのように----
試写会会場からの帰り道、感想を聞かれた駿氏は「あのねぇ、少しは脅かせ、こっちを。それだけです」と憎まれ口を言う。それをNHKから伝え聞いた吾郎氏は「クソォ、死ぬなよ!」と応ずる。でも二人とも顔は笑っている。気持ちのいいエンディングはコクリコ坂のようであった。1時間15分をドンピシャと締めた。秀逸。

下:「クソォ! 死ぬなよ!」の場面。テロップも入れて欲しかった。


どんな駄作映画でもそのメイキングは面白いという。我々は黒澤映画や寅さんの製作の裏話や秘話を聞いて面白がる。先日はNHK・BS番組「ハリウッド100年 ローマの休日 脚本家ダルトン・トランボと赤狩り 」で「ローマの休日」ができた裏話を聞いたが大変面白かった。もちろん傑作のメイキングであればなおさら興味深い。今回のNHK「ふたり~」は歴代のNHKジブリ密着物の中でも最高のでき。主演がイケメンだとそれだけでも絵になる。

※「コクリコ坂から」の感想や詳細は
下:吾郎氏描くカルチェラタン。描線がなんだか父親に似てきた、と思うのは私だけ?(クリック拡大)


下:熊本県立美術館で開催中のジブリレイアウト展で配布される「レイアウトの概要説明チラシ」は吾郎氏が絵と文を書いている。軽妙な絵とわかりやすい説明。なかなか上手。まぁ、40過ぎのれっきとしたプロにほめ言葉は失礼か。(クリック拡大、さらにクリックで詳細が見れます)


※宮崎駿氏の次回作についての記事はコチラ

下:「コクリコ坂」の概要と製作舞台裏が両方コンパクトにビジュアルに見れるのがロマンアルバム。「絵コンテ」からは宮崎吾郎の苦闘が読み取れる。




おどまぼんぎりぼんぎり--その3


上:適当な写真がないので「島原の子守唄」の情景を絵に描いてみた。
下:原城と有明海。対岸は宇土半島。
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

九州といわず全国的に「子守歌」はたくさんあったのだろうが、いまだに歌われる歌というと多くはない。Youtubeで「子守唄」を検索すると地名のついた子守唄は「江戸」「五木」「島原」「中国地方」「竹田」しか見当たらない。「五木」「竹田」は近年になって採譜され掘り起こされた後、プロ歌手によって全国ヒットしたもの。中国地方の子守唄は岡山県に伝わる古い子守歌を1938年に山田耕筰が編作して広く知られるようになった。「島原」は宮崎康平によって作詞作曲され1959年にペギー葉山により全国ヒットしたもの。この曲のヒットにも古関裕而が関係している。

つまり今我々が知る子守唄は近代に採譜・補作されたものばかりなのである。口伝で各地に伝わるものは記録手段がなかったころは変移やバリエーションが多くて固定するのが困難だったろうからそうそうに廃れていったものだろう。「五木」に関してだけはいろいろな変種が文字でも音源でも残っている。いくつかはYoutubeでも聴くことができる。

「島原の子守唄」は一個人の創作ではあるが、いかにも伝承されてきたような歌詞を持つ。こんな歌詞を創作できるなんて素晴らしい才能である。もしかするとあの地域の伝承とか俗謡を取り入れているのかも知れない。いずれにせよ宮崎にはかなりの文学的な才能があるのは間違いない。
宮崎康平の数奇な人生は城山三郎の小説『盲人重役』や最近の映画「まぼろしの邪馬台国」で知られる。

下:小柳ルミコによる歌唱。


この歌はだれでも聴いたことがあるはずだが、歌詞の意味まで深く考えることはない。それは字面で追わなければよくわからない。こんな歌詞である。

1
おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい 鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい


帰りにゃ寄っちょくれんか 帰りにゃ寄っちょくれんか あばら家じゃけんど
唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 黄金飯ばよ しょうかいな
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい


山ん家はかん火事げなばい 山ん家はかん火事げなばい サンパン船はヨロン人
姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で 船ん底ばよ しょうかいな
泣く子はガネかむ おろろんばい アメガタ買うて ひっぱらしゅう


姉しゃんなどけいたろうかい 姉しゃんなどけいたろうかい 青煙突のバッタンフル
唐はどこんねき 唐はどこんねき 海のはてばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい


あん人たちゃ二つも あん人たちゃ二つも 金の指輪はめとらす
金はどこん金 金はどこん金 唐金げなばい しょうかいな
嫁ごんべんな だがくれた つばつけたら あったかろ


沖の不知火 沖の不知火 燃えては消える
バテレン祭りの バテレン祭りの 笛や太鼓も鳴りやんだ
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい


「おろろんばい」というリフレインは「五木の子守唄」の元歌にもある。熊本県宇城には「おろろんべ」という子守唄や踊りがある。宮崎がそこから借用したものだろうか。スタイルは「守子歌」風を借りた叙事詩。

多少予備知識がないと舌足らずの歌詞なので意味不明。全体のテーマは明治期にアジア地域に売られていった娘たち「からゆきさん」であることを理解していないとわからない。

1番----色気なし、から私はまだ幼く色気がないのでまだ「からゆさん」に売られていくこともない、と導入する。鬼の池の久助は人買いである。鬼の池は島原半島先端の口之津の対岸、天草。

3番----島原地方に「からゆきさん」を求めて人買いが来る。人買いは村に来る時は放火して村人の注意をそちらにそらしたとか。買われた娘は白米の握り飯にありつけた。そう、昔は白米というだけでご馳走だった。
大牟田の三池港が未整備だった頃、三池炭鉱の石炭は三池港から小型船で口之津に運ばれ大型船に積み替えていた。その荷役はすべて人力で、与論島からの出稼ぎ人たちだった。小型船をサンパン船といったのだろう。
「ガネ」はカニらしい。私の地域ではガニ。「あめがた」はイモアメのことか。サツマイモで作ったアメは粘り気があってよく伸びる。私の地域では「ギョセンアメ」ともいっていた。グーグルで検索すると「イモアメ」は南九州中心にたくさんあるが、「ギョセンアメ」は全くないところを見ると、延岡限定のローカル名称か。

4番----青煙突のバッタンフル。明治期に極東で活躍したホンコンの船会社バターアンドフィールド。そこから昔外国船をバッタンフルと呼んでいたらしい。

5番----からゆきさんの中には成功して故郷に錦を飾る人もいたのだろう。

以上が予備知識としてわかるとこの歌はいっそう味わいが深い。個人の創作とはいえ、もう立派な無形文化財である。
下:サイゴンのからゆきさん。


下:久助どんのいた鬼ノ池港の現在。
鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

「中国地方の子守唄」はきれいな旋律で親しみやすい。しかし中国地方というのはあまりにも漠然としている。調べる前は山間部の三次とか津山あたりのイメージをもっていたのだが、実は岡山県井原市あたりらしい。わりと海岸に近い。この歌詞からは守子のつらい生活はあまりうかがわれない。ほっとするような温かい歌詞である。しかし「五木」と同様で泣く子のツラは憎たらしいのが共通。

下:これも小柳ルミコの歌唱で。中国道は井原市を通過していないが。


1.ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて 泣く子の
ねんころろ つらにくさ
ねんころろん ねんころろん

2.ねんねこ しゃっしゃりませ
きょうは 二十五日さ
あすは この子の
ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん

3.宮へ 詣った時
なんと言うて 拝むさ
一生 この子の
ねんころろん まめなように
ねんころろん ねんころろん


下:ipod以外のmp3プレーヤーは安物ばかりたくさん試してみた。商品は中国製だがCREATIVEはシンガポールのメーカーである。(ipodだって中国製)ここの製品は信頼できる。転送ソフトを使わなくともD&Dでファイルを入れられる。ただし事前にタグ情報を入れておく必要はある。SONYよりはずっと使いやすいと思う。


おどまぼんぎりぼんぎり--その2


上:スタジオジブリ 高畑勲監督

先日NHKの終戦関連番組「闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”」を見た。日本画家の小早川が戦時中に従軍画家として働き描いた作品をめぐるレポートである。絵のインパクトの強さが印象的で子供なら怖がって泣きそうだ。デジャブのようにこの雰囲気はどこかで見た、と思ったら「20世紀少年」のトモダチだった。

このレポーターを高畑氏が務めていた。高畑氏は鳥獣戯画関連でもNHKに顔を出したことがある。元来が学のある方だからアニメに限らず美術・文学なんでも評論はこなせるはずである。

高畑氏は76歳と高齢であるが、見た目は結構若い。まだアニメーション製作の情熱は衰えてはいない。いまは「竹取物語」をモチーフにした作品を構想中とか制作中とか伝えられて久しいが、実現するかどうかは不明。世界中のファンがあてにしないで待っているところである。

実は高畑氏は数年前には子守唄をモチーフにした作品を企画中と伝えられたことがある。ジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏が自分のラジオ番組中で明らかにしたのであるが、結局立ち消えになったようだ。
今年85歳で無くなった日本テレビのドン氏家斎一郎氏はジブリの最大のスポンサーであり、高畑氏の大ファンであった。「死ぬ前にもう一度高畑作品を見たい」と言っておられたそうだが実現しなかった。氏家氏と鈴木氏と高畑氏が同席した折この企画のことを言うと氏家氏は五木の子守唄を1番から最後までフルコーラスを朗々と歌ったという。氏家氏も1953年の大ヒット時に覚えたのだろう。

確かに五木の子守唄には絵になる情景とドラマがひそんでいる。これが「島原の子守唄」となるとさらにそうだ。ただし島原の場合には宮崎康平の創作である。
高畑氏がアニメの企画として構想したくなるのもよくわかる。ぜひ見てみたくもなる。しかし、興行として考えるときびしいようだ。ジブリ映画は通常夏休み公開で家族連れを大量動員することを狙う。「五木の子守唄」が家族そろって楽しめる娯楽作品になれるんだろうか? どうみても貧乏たらしい悲劇にしかならない。そんなところが失速の原因ではないか。

※どうやら高畑氏の次回作の製作は本格化したようである。11月のジブリオフィシャルサイトの募集欄で高畑作品の製作要員を募集していた。

下:わりとオリジナルに近いと思われる「五木の子守唄」。この歌詞では「かんじん」は放浪の巡礼のようにも聞こえる。


雑誌「CUT」の対談で宮崎氏が次回作についてほのめかしている。8月9日NHK放送の「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗~」によれば宮崎氏はすでに絵コンテを書き始めていた。そこそこ構想は固まったのだろう。
※宮崎駿氏の次回作「風立ちぬ」についてはコチラ


下:織田観潮画、講談社絵本「かぐや姫」より。
送信者 竹取物語--Taketori-monogatari


送信者 竹取物語--Taketori-monogatari


下左:MP3プレーヤー。トランセンドは台湾メーカーだが、わけのわからん会社ではない。この商品はこのジャンルでは最も安いがしっかりしたつくりで信頼できるし、直接USB穴に差し込め、D&Dだけでファイル転送できてとても使いやすい。とても小さいので携帯には便利だがなくしやすいかも。弱点は液晶表示が小さいので中高年にはややきびしいか。


おどまぼんぎりぼんぎり

もうすぐ盆である。敗戦記念日でもあり、今年の震災被災者の初盆だから、今年は鎮魂の行事が多いのかもしれない。

私に限らないだろうが、何かのきっかけで俳句や川柳や歌のフレーズが口をつく、という経験は多いだろう。

私は昔から盆と聞けば自動的に「おどまぼんぎりぼんぎり、ぼんからさきゃおらんどー」と口をついて出てくる。誰でも知っているこのフレーズは国民的、とまでは行かずとも少なくとも南九州では知らぬ人はいないはずだ、となんとなく思っていた。

ところが私の二人の娘(20代である)に尋ねたら、「お父さんの決まり文句なのは知っているが、なんの歌やらは全く知らん」というではないか。隣の娘も同様。どうやら若い世代は知らないようだ。私の娘たちは「ひえつき節」も「島原の子守唄」も、さらには「竹田の子守唄」も知らない。ローカルな歌で唯一知っているのは「延岡ばんば」だけ。これは学校で習ったからだろう。

下:小柳ルミ子の歌唱で聴いてみて下さい。風景は私の妻の実家の諸塚家代近辺。


そもそも「五木の子守唄」にしたところがほとんど廃れていたのを戦後古関裕而が採譜、編曲して世に知られ、1953年に大ヒットしたものである。我々が知っているのは全国ヒットした古関裕而版なのである。だから今も口伝で伝わるオリジナルを聞いてもピンと来ない。その大ヒットから半世紀もたつんだから若い世代が知らなくても無理はないか。

おそらく熊本県民なら老若を問わず知っているんだろうが、意味のない県境で区切らず、九州の人ならある程度共通の方言で意味がわかり、感情を共有できるはずだから、知っておいてほしいものである。忘れ去るにはもったいない。
多少は補作が加えられているにせよ、その詞には昔の民衆の生活や感情のありようがうかがわれて、訴求力のある詩情がある。

ネットで調べても歌詞はさまざまなバリエーションがあり、これが正調という確定は不可能。ためしによく知られる下のものを載せておく。

「五木の子守唄」 採譜・編曲 古関裕而

(一)おどま盆ぎり 盆ぎり
  盆から先ゃ おらんど
  盆が早よ来りゃ 早よもどる

(二)おどまかんじん かんじん
  あん人達ゃ よか衆
  よかしゃよか帯 よか着物

(三)おどんが うっ死んだちゅうて
  誰が泣て くりゅうか
  うらの松山 蝉が鳴く

(四)蝉じゃ ごんせぬ
  妹で ござる
  妹泣くなよ 気にかかる

(五)おどんが うっ死んだら
  道ばちゃ いけろ
  通る人ごち 花あぎゅう

(六)花は なんの花
  つんつん 椿
  水は天から もらい水


よく考えるとこの歌詞には子守に関する言及が全くない。これで子供が眠たくなるか? ほかのバージョンではこんなフレーズもあるので自分流にこれを加えると多少は子守唄になる。

おどまいやいや
泣く子の守りにゃ
泣くといわれて憎まれる

ねんねした子の
かわいさむぞさ
起きて泣く子の面憎さ



九州の人には意味はわかりきっているんだが、意味を調べるアクセスが多い。とくに「ぼんぎりぼんぎり」が九州以外の人にはわからないようだ。「盆きり、盆きり」のこと。とりあえず一番の意味を記すと。

私は盆まで、盆まで
盆から先はいないよ。
盆が早く来たら、それだけ早く帰れるよ。
※つまり、薮入り、盆休暇に里帰りするのを心待ちにしている様子である。昔の奉公人は休暇は年に盆・正月しかなかった。

子守唄、というが実は日本の子守唄には二種類あるのだそうだ。
一つは普通の赤ん坊を寝せつけるための「子守唄」。たいていは母親が歌う。下のような歌。


そしてもう一つは、全国各地に伝わる「守子歌」。これは子守奉公に出された少女が生活のつらさや故郷を恋う気持ちを歌う。だから赤ん坊のために歌うのではなく、自分自身を慰めるためのもの。五木の子守唄はこの代表例である。歌詞の時代背景は江戸時代に遡るだろう。明治時代くらいまではこのような状況は残ったかもしれない。

下:古写真。右はNHKの{おしん}のワンシーン。




私は人をねたむ時にもこの歌のフレーズが口をついて出てくる。たとえば知人が新車を買った時には

佐伯  歴史と文学の道

佐伯も延岡も平成の合併でやたらと広くなってしまい、県は異なれど長々と境を接する隣同士になってしまった。隣の自治体とはいえ市役所から市役所に車で1時間半はかかる。宗太郎峠をはさみ63kmもある。そんなこともあり佐伯市はお隣さんとはいえ県が違うこともあってか宮崎県民にはあまり縁がない。

私もいつも通過するばかりで市内に足を踏み入れたことはなかった。夕方ではあったが何の気なしに市内に車を乗り入れたら素敵な松並木があった。いまどき珍しい。
佐伯 鶴城高校
佐伯 鶴城高校 posted by (C)オトジマ
上:実は右は県立鶴城高校で左はそのグラウンドだから、この道は学校の敷地を貫いているいるのである。地図によれば本馬場通りといい、藩政時代は馬場であった。低い築堤は享保年間に作られ松ノ木も植えられた。しかし現在の松の木はまだ若い。一度枯れて植え替えられたものか。それとて大木になるまで命永らえるかは怪しい。もう赤く枯れたものもある。

予備知識も予定も無く来たのであるが、ここが観光名所の「歴史と文学の道」の始点なのであった。松並木の突き当たりに目を引く立派な寺、養賢寺がある。
養賢寺
養賢寺 posted by (C)オトジマ
残念ながら養賢寺は拝観お断り。養賢寺は藩主毛利家の菩提寺。
養賢寺
養賢寺 posted by (C)オトジマ
養賢寺の前に松の大木が一本あり、その下が日露戦争忠魂碑となっている。
佐伯 歴史の道
佐伯 歴史の道 posted by (C)オトジマ
古い町並みの通りはごく短いのであるが、こんなところが町の中にあると落ち着く。
歴史と文学の道
歴史と文学の道 posted by (C)オトジマ

歴史と文学の道
歴史と文学の道 posted by (C)オトジマ

下:国木田独歩旧居。国木田はごく若い頃英語教師として佐伯に来て、ここ坂本邸にわずか8ヶ月間下宿した。その単なる下宿が後年こんな風に佐伯観光の目玉となっているのだから、文化人というものはありがたいものだ。私は国木田の作品は読んだことがないが、有名な「武蔵野」一節は知っている。

山林に自由存す---国木田独歩

山林に自由存す       われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ
嗚呼山林に自由存す     いかなればわれ山林をみすてし
あくがれて虚栄の途にのぼりしより 十年の月日塵のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば自由の風は  すでに雲山千里の外にある心地す
眦(まなじり)を決して天外を望めば をちかたの高峯の雪の朝日影
嗚呼山林に自由存す     われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ

歴史と文学の道
歴史と文学の道 posted by (C)オトジマ
下:藩の家老宅跡地。石の土台だけが残る。昔はわらぶきの立派な屋敷があった。再建して欲しいね。
歴史と文学の道
歴史と文学の道 posted by (C)オトジマ
石畳が美しい。交通量も少なく散策しやすい。南北500mくらいの「歴史の道」のうち石畳は250mくらいか。ごく短い。
佐伯 歴史の道
佐伯 歴史の道 posted by (C)オトジマ
「歴史の道」の南端には佐伯城の櫓門がある。これは現存であり、古くて貫禄がある。佐伯藩は2万石。小さな藩である。
佐伯 歴史の道
佐伯 歴史の道 posted by (C)オトジマ


下:娘がオリンパスに勤めている。最近コンデジでは苦戦が続くオリンパスであるが、一眼のPENシリーズでは気を吐いている。PENシリーズもいろいろとバリエーションが広がり、なんとレンズ付きで3万円を切るものが出ている!これはお買い得でしょう!ちなみに私はいまだに残念ながらコンデジ。



臼杵 六ヶ迫鉱泉

私の母は常に体の不調を訴えるひとで、たびたび臼杵の六ヶ迫鉱泉に湯治に出かけた。六ヶ迫鉱泉の場合、温泉につかるのではなく鉱泉を飲むのが目的だから「湯治」といっていいのか知らないが。私も学生時代に一度同行したことがあるが、あまりの退屈に一日で母を置いて帰ってしまった。

あの鉱泉の味がどんなものだったか懐かしくて今回訪れてみた。30数年前とさして変わっていないような山奥である。
下:この小さな屋根の下の階段を降りると水汲み場。


小川のそばに井戸がある。人々が水汲みに来ている。
六ヶ迫鉱泉
六ヶ迫鉱泉 posted by (C)オトジマ

この甕のそこから鉱泉が湧き出す。量はチョビチョビというところで大量に噴出するものではない。注意書きに「一人15L以内」とある。一応50円をお賽銭として上げていくきまり。水そのものは多少色がついている、というくらいであるが、ペットボトルは2、3回使うと写真のように鉄サビ色に変色するという。


小さな薬師様の祠がある。
六ヶ迫鉱泉
六ヶ迫鉱泉 posted by (C)オトジマ

久しぶりに飲んでみたら。そう強烈な味でもないし、炭酸もきつくない。しかしとてもおいしいとは言いがたい。だいたい人間はこんなサビだか金属イオンだかの味がする水は本能的に敬遠するんではないだろうか。

最近テレビの『ジャパーン47ch』でココが取り上げられていた。常連客は早朝からガブガブ飲んではトイレに駆け込むを繰り返し胃腸の浄化をはかる。てっきり大量の水を飲むので小便が出るものだと思っていたのだが、腹を下すので大の方に行くんだそうな。なんでも含有するマグネシウムによって腹を下すとか。私はわずかしか飲まなかったのであるが、帰宅した頃さっそく腹にきた。効果テキメン。しかし、これが本当に体にいいのかね?

戦前はたいへん賑わったというこの湯治場も今や宿は二軒のみでさびれてきたという。昨今は老若男女に温泉ブームとはいえ、ここには若い人が来るとは思えない。

臼杵 吉丸一昌記念館

大分県というところは古来多くの文化人を輩出してきた。だから各所に昔の文化人の記念館がある。臼杵といえば野上弥生子である。
野上の小手川家には昨年行ったので今回はパス。

大分では音楽関係でも竹田には滝廉太郎生家、「いぬのおまわりさん」の作詞などで知られる佐藤義美記念館、臼杵に吉丸一昌記念館。他にもあるかもしれない。南こうせつや伊勢正三の記念館もあっていいのでは。同じ早春の歌でも「早春賦」よりも「なごり雪」のほうが知名度があるんではないだろうか。

というところで吉丸一昌記念館へ。吉丸の詳細はココで。
駐車場はとても狭いので近所の公民館を利用するとよさそうだ。

私も吉丸の名前は知らなかったがさすがに「早春賦」は知っている。2月くらいになると折に触れこれを口ずさむものである。季節の変化、うつろいに心動かされるのは日本人の伝統であるが、現代人は俳句や短歌ではなく歌を想起するのではないか。私で言えば春は「早春賦」「なごり雪」夏は「夏は来ぬ」「夏の思い出」秋は「小さい秋見つけた」松田聖子の「風たちぬ」など。毎年飽きもせず季節の到来ごとにうっかり口ずさむ。どの歌も冒頭のワンフレーズしか歌えないが。

ココで早春賦を聴ける。やはり名曲だ。

「故郷を離るる歌」も吉丸の代表作。心洗われる調べ。


記念館は古い木造で、ありきたりの昔の家屋。畳敷きの二間の座敷に吉丸関連の文書が展示してある。いつも思うのは明治の人は字が上手。とりわけ年少の頃の筆の字のうまさにはいつも驚く。昔はペンより筆の方が身近だったろうから不思議はないのかもしれないが。達筆は教養人の必須事項だったのである。残念ながら撮影禁止なので写真は一切ない。ここは興味のない人にはかなりつまらない所だ。屋敷は小さいし見回るのに1分とかからない。庭もないので古文書以外には何も見るものがない。さらにこの家は吉丸の生家でもない。妻の実家なのである。

家に帰って調べたら吉丸の作品は上の2曲以外にはあまり知られていないが、作詞家が明らかにされない文部省唱歌に作品があるらしい。なんと「桃太郎」「日の丸」が彼の作品らしい。吉丸は東京音楽学校教授にして文部省小学唱歌編纂委員会の作詞委員会委員長として活動したから自ら作詞した歌詞がいくつもあっても不思議はない。

私の母は昔小学校の教師だったにもかかわらずオンチで歌のレパートリーがない人であった。私が幼い頃、添い寝に歌ってくれた歌はいつもバカの一つ覚えの「桃太郎」であった。つまり私は吉丸に育てられたようなもの。それまで全く知らなかった吉丸が急に身近に感じられた。
送信者 Momotaro


送信者 Momotaro





臼杵 街角

今回はあまりの暑さにめげて町を歩き回ることはできなかった。

下:平井邸正門前にある民家。いい具合に時代がついている。
臼杵
臼杵 posted by (C)オトジマ
下:二王座、後藤家長屋門。後藤家は臼杵藩家老。正面の金田歯科医院がいい味を出してます。
臼杵
臼杵 posted by (C)オトジマ

臼杵 歯科医院
臼杵 歯科医院 posted by (C)オトジマ



二王座にはもう一軒古色あふれる歯科医がある。手前の石塀とその先の小さな屋根は古川歯科医院の門である。


門から中を覗くと。


香林寺近辺の坂道。石塀をアルミ板で補強している。古いものを守るのも大変だ。


同じく香林寺近辺の坂道の石垣。新しい石垣だがなかなか風情がある石積みである。
臼杵
臼杵 posted by (C)オトジマ






臼杵 稲葉邸

昨年臼杵に来た折には修復工事中で中を見学できなかった稲葉氏下屋敷が気になっていたので入ってみた。日曜日ではあったが炎天下とて来場者は我々二人だけ。入場無料。



稲葉氏は臼杵藩藩主。てっきり藩政時代の屋敷だろう、と思っていたら、廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として、明治35年につくられたものであった。だから築後100年ちょっと。それでも老朽化したので補修されたものである。だから内部はいたってキレイ。時代がついていないのであまり有難味はないが。

広々として開けっ放し、畳もまだ新しく、管理された広い庭園の屋敷を独り占め。昔なら我々下々の者が立ち入ることなどとてもかなわぬ所でごろ寝ができるとはなんという贅沢。

佐伯 稲葉氏屋敷
佐伯 稲葉氏屋敷 posted by (C)オトジマ

P7312328
P7312328 posted by (C)オトジマ

佐伯 稲葉氏屋敷
佐伯 稲葉氏屋敷 posted by (C)オトジマ

下:稲葉邸の庭から隣の平井邸につながっている。細道の奥が稲葉邸。手前の塀は平井邸。
佐伯 平井氏屋敷
佐伯 平井氏屋敷 posted by (C)オトジマ

平井氏は上級武士というから家老くらいだったものか。平井邸は安政年間に建てられているので築後150年。こちらは補修されていないので、古色がついていい具合になっている。
下:狭い庭に昔懐かしい枝ぶりの松が。


稲葉邸、平井邸とも家財道具は一切ない。

下:平井邸玄関。中は農家や民家のような広い土間になっている。今の我々の家屋と比べると広いが、簡素。平井邸を大きくしたような藩主邸も似たようなもの。ヨーロッパの領主の館のような豪華絢爛さは微塵もない。日本の大名の富の小ささは、支配地の生産力の小ささに伴うものだろう。臼杵5万石は熊本54万石の1割。


下:稲葉邸表側の塀沿いに小さな堀がありコイが泳いでいる。


下:稲葉邸から臼杵城が見える。藩主が登城するのに5分くらいしかかからなかっただろう。職住接近。


下:最近芸能界にも城マニアが多い。




福良天満宮  寅さん

このクソ暑いのに臼杵に出かけた。昨年の8月1日にも行っているので臼杵にはクソ暑い思い出ばかり。

二王座は昨年歩いたので別のところを。二王座の近くに福良天満宮がある。あっ、寅さんがバイをした神社だ!と気づき、さっそく寄っててみた。なかなか広壮な神社である。神社の宣伝や縁起や沿革はコチラで。

福良天満
福良天満 posted by (C)オトジマ



下:摂社の方が古くて趣がある。愛宕神社と瑜伽神社

下:特に屋根に草が生えた背面がステキ


下:寅さんはどこでバイをしたっけな?と探していたら案の定標柱が立ってました!
福良天満
福良天満 posted by (C)オトジマ
「男はつらいよ」第30作「 花も嵐も寅次郎」。湯平温泉から臼杵方面を歩く寅さんが福良天神の縁日でバイをする。神社の表参道の石段の踊り場のようなせまいところである。12月2日に祭りはないから下のスクリーンショットの客はすべてエキストラ。正月映画で12月中に公開初日があるから公開間際に撮影されたことになる。キツいスケジュールだ。

下:映画から---この石段の上が標柱の場所。


下:現在の様子を2枚で合成。上のスクリーンショットで見える鳥居が右端に見える。これは参道を上から見たところ。寅さんはまさにこの標柱の場所でバイをした。裸足の片足で売り上げの入ったザルをしっかり押さえていたのが印象的。


下:映画スクリーンショットから---境内から町を見下ろす。上の写真と比べ30年の時代経過でかなりの変化。中央左の屋根は生き残っている。


山田洋次監督は寅さんを日本国中に派遣して、懐かしい光景をスクリーンに記録した。この作品でも杵築、湯平温泉、鉄輪温泉、由布院などを見ることができる。

私は1969年の第一作(高校1年の時)からの根っからの寅さんファン、というより山田洋次ファンなのである。若い頃はロケ地の景観にはさして興味も無く単なる背景として見逃していたが、年を取るにつれ、山田氏が周到なロケハンで撮影場所を選定していることに気づくのである。

寅さんのストーリーは毎回同じなので、いかにして趣向を凝らすかは毎回変わるマドンナの人生模様と旅情を誘うロケ地が重要になる。だから寅さんは渥美清の名演とロケ地の風情で絵がもっているようなもの。

だから世間には「寅さん訪問地」を巡礼するという趣味人も多くいるのである。たとえばココ。これを見ていると自分もそこに行きたくなる衝動に駆られる。いつかヒマとカネができたらぜひ私も巡礼の旅に出たいものであるが、残念ながら私にヒマとカネができる可能性は薄い。

深田久弥の『日本百名山』の登頂、日本百名城めぐり、八十八箇所や三十三ヵ所などの各種寺院巡礼などと同じように、寅さんのロケ地めぐりも老後の楽しみにいかがだろう。各ロケ地共同で共通スタンプでも作ったらいいのに。絶対客が来ますよ。
とりわけ寅さんはテキ屋だから毎回ほとんど縁日の寺社が登場する。私は統計をとったわけではないから何箇所の寺社が登場するのか知らないが誰かが調べているかもしれない。そんなところをめぐるのも楽しいだろう。私は東京に6年いたけれど帝釈天に行ってないのが心残り。



下:寅さんが野辺を歩いている。これも臼杵近辺だと思われるが詳しくはわからない。

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR