豊後高田の古い商家

豊後高田は近年昭和レトロをテーマとして観光客を集めている。高田自体が商業都市として栄えたのは昭和30年代までだろう。その後は時代に取り残されたさびれた町になったのを逆手にとって、観光資源にしたもの。たしかに昭和の街並がよく残っている。よくぞいままで生き延びたものだ、と思うくらい。古い建物も多く残っている。

豊後高田
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豊後高田
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豊後高田
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下:旧共同野村銀行跡。戦前、豊後高田に君臨した地元の財閥野村家の金庫がわりだったという。野村家は700町歩の田畑を持つ大地主。戦後の農地改革で没落したもののようだ。この建物の前に広い屋敷跡がある。ここに観光施設を作る案があるという。それよりも屋敷を復元して欲しいな。双葉山はご当地の英雄で建物内では写真展をしているが、双葉山を同時代のスーパースターとして見た世代は戦前世代だからかなりの高齢。戦後世代にとってはピンと来ない。王、長島、大鵬、美空ひばりを合計したくらいのスーパースターか。
豊後高田
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豊後高田
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下:映画館は現役ではなく、現在は自転車屋。これ自体が映画のセットのようである。
豊後高田
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豊後高田
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下:洋菓子店
豊後高田
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豊後高田
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豊後高田
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下:どこにでもあった商店街もしだいに過去のものになりつつある。
豊後高田
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下:駅通り商店街とあるが、駅は大昔に廃止されている。商店街はその後40年間もしぶとく生き残っている。しかしうらびれ感はまぬがれない。旧駅前に「昭和ロマン蔵」ができたので人通りは多少は回復したのかもしれない。
豊後高田
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下:大分交通宇佐参宮線の駅跡は大分交通のバスターミナルになっている。かなりの荒れ果て感がただよう。昭和30年代までは大変賑わったらしいが。
豊後高田
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下:昔はここはホームだったと思われる。
豊後高田
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杵築 秋色

秋ごとに杵築に来るようになった。
さすがにはじめて来た時のような感動はないが毎度「いいところに来た」という満足感はある。今年は娘を案内した。これで紅葉が盛りならばいうことはないのであるが。

下:資料館裏口。ツワの花はやや盛りを過ぎ、モミジはまだまだ。
2011 秋 杵築
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下:能見家の庭。今年も縁側でお茶をいただく。
2011 秋 杵築
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下:コーヒーとケーキで500円。ここの庭をゆっくり見ながらであるから、高くない。娘は大感激していた。
2011 秋 杵築
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下:能見家の縁側。庭は樹木が少なくスッキリしている。
国東 2011 秋
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下:磯谷家の玄関の花。いつも印象的である。
2011 秋 杵築
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下:勘定場の坂にあるステキな土塀。割れたカワラの埋め込みが絶妙である。
国東 2011 秋
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下:上のお宅の塀。屋根にオキザリスが可憐に咲く。ここの庭も公開されるといいのであるが。カフェにするとよさそう。
2011 秋 杵築
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下:大原家
2011 秋 杵築
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下:大原家では着物貸し出し中。着物姿で町を散策するご婦人方もここで借りたもののようだ。南台の中根邸でも同様のサービスをしていた。かわいい娘さんたちもきれいな着物にご満悦。2000円でコスプレできたら高くはない。町を歩けば観光客たちの視線が集まる。気持ちがいいだろう。NHK「昼ぶら」をみていたら萩でも同じことをしていた。観光客全員が江戸時代のコスプレをするというのもたのしいだろうなぁ。
2011 秋 杵築
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下:杵築の魅力は古い土塀にある。手前は藩校跡。向こうは能見家。
2011 秋 杵築
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下:せっかくの土塀をセメントで補修するとはあまりにも無神経。ヒビや剥落はほったらかしの方がよっぽどいい。古いからこそ価値があるのである。この塀は塗りなおしてからほどないが、古色を得るには時間がかかる。英国庭園ではweathered(ウェザード)と言って古色があることが重要視されるとか。
2011 秋 杵築
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下:市役所横の居酒屋。新しい建築であるが、泥団子で作った面白い壁。がんばって100年後まで残して欲しい。
2011 秋 杵築
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寅さんと杵築 志保屋の坂



男はつらいよ30作 花も嵐も寅次郎」《1982年》では、沢田研二演じる三郎は養徳寺に参ったあと、車で志保屋の坂近辺でバッタリと寅さんに出会う。寅さんは田中裕子演じる蛍子といっしょである。映画の中でも実生活でも沢田は田中に恋心を抱き、後日結婚する。

下:30年前のブルーバードに乗る三郎が蛍子に出会う。養徳寺から帰路につくのにここを通る必然性はないの。当時はこの坂を車で通過できたようだ。今はできない。

下:メガネをかけてわざと野暮ったくしているが田中裕子


下:志保屋の坂の看板が見える。現在はない。


下:三郎が恋する人に出会ったと喜んだのもつかの間、そこに横から寅さん登場


これは30年前だから、下の通りの拡幅以前で、古い商店街が残っていたはず。四番目のスクリーンショットを見ると坂ノ下のこちら側に大きな瓦屋根が見える。今は空き地になっている。左端の家も今は新しくなって和菓子屋になっている。
昔の家並が見られない今が残念である。
スクリーンショットにあるダサイ白のガードレールや緑の金網フェンスはなくなっているし、電柱もなくなっている。坂道も石畳できちんと整備されて、言って見れば昔の面影はなくなってこぎれいになったのだろうが、昔を知らないので良くなったのか悪くなったのか微妙なところ。

杵築
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下:資料館への道と曲線的な土塀も映画当時はなかった。
国東 2011 秋
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下:志保屋の坂の反対側の酢屋の坂を見る。
2011 秋 杵築
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下:酢屋の坂の下にある綾部味噌醸造元。もともとはここに志保屋という商家があったという。
2011 秋 杵築
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下:酢屋の坂
国東 2011 秋
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下:ヤフーマップを見ていたら、航空写真がどうやら道路拡幅以前の撮影のようだ。通りの幅が狭く道路沿いに家が密集している。志保屋の坂下には大きな屋根が見える。綾部味噌醸造元より大きな建物だ。残しとけばよかったのに。それにしてもえらく昔の写真を使っているものだ。グーグルマップでは杵築の詳細画像はない。



杵築  養徳寺



「男はつらいよ30作 花も嵐も寅次郎」《1982年》で杵築の養徳寺が出てくる。沢田研二演じる青年が父の墓参りに行く、という設定。30年前は彼もまだ青年で通用した。
映画で見る限りではとりたてて言うほどの寺とも見えなかった。単に寅さんに杵築の古い街並を歩かせたかっただけで、近所の寺を選んだだけなのだろうか?

下:映画からのスクリーンショット。紅葉が本物ならば11月か12月の撮影。正月映画である。手前のくずれかかった土塀に注目。


下:映画より。いまではこの畑は駐車場になっている。鐘撞き堂も現在はないが、山門は現在と同じ。


養徳寺は杵築の南台武家屋敷街から近く、寺が集まるところにある。大きな寺だが、看板がないのでややわかりづらい。
ほぼここだろう、とめぼしをつけて入ってみた。カトリック教会の裏である。

下:まだ若い杉並木がいただけない。広葉樹にしてほしかった。
養徳寺
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下:廃墟然とした土塀が歴史を感じさせる。いい雰囲気だ。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

養徳寺
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下:山門をくぐるとすぐに巨大な墓石が目に入る。杵築藩主、松平氏の墓。藩主の菩提寺なら立派な訳だ。
養徳寺
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下:写真ではわかりづらいがこの墓石もかなり巨大。たぶんこれも藩主のものか。
養徳寺
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下:墓地には江戸時代のものと思われる古い墓石群が団体で無縁墓と化していた。今の真新しい墓が無縁墓になるのはもっと早いだろう。立派な墓を作るむなしさを痛切に訴える光景である。後世の人が処分に困っている。私には墓石なんていらない。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:コチラが現役?の墓。お参りの人が花を供える。ピカピカのベンツで墓参りに来ていた老夫婦がいたので。ここが寅さん撮影が行われた寺か尋ねたら、間違いなかった。「ここはお殿様の寺なんですよ。古くなっているいるのが残念ですけれども」と言われた。いやいや古いからいいんですよ。
養徳寺
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下:古い土塀がなんともいえず情趣がある。
養徳寺
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下:「古色をよく保存している」のか「単なるほったらかし」なのかは知らないが私はこのくらいの荒れ具合が絶妙だと信じている。
養徳寺
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養徳寺
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下:観光地化されていない寺にもすばらしい所があるもんだ。さすが山田洋次監督は目の付け所がいい。まぁ、これを「ステキだ!」と見るか「キタナイ」と見るかは主観によるので人それぞれ。私は自分の審美眼を信じているが。
養徳寺
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国東の仁王

今回はいくつかの仁王に出会った。両子寺の仁王は以前に一度触れたが、再度アップする。

下:参道にあるおなじみの仁王。両子寺の名物である。


下:奥の院の上がり口にあるもの。やや小ぶりで参道のものより古いだろう。
国東仁王
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下:霊仙寺にも2セットある。これは境内で、巨大な地蔵の両脇に立っている。
国東仁王
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下:この地蔵は「一石から作られた地蔵としては」九州最大たとか。かなりの限定つき。安政7年作。高さ6.5m。この手の巨大石像は最近機械力を駆使して作られた安直なものが多いが、意外や江戸時代の作であった。
霊仙寺
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下:向こうの山が中山仙境
霊仙寺
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下:山門脇にも仁王が。珍しいレリーフタイプである。江戸時代初期の作。えらく短足。たぶんヘタクソなんだろうがおもしろい造形である。
国東仁王
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下:霊仙寺本堂
霊仙寺
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下:都甲八幡社。この特徴的な顔はあちこちで見たような。歳大明神のものと同じ石工かもしれない。明和5年の年銘。
国東仁王
国東仁王 posted by (C)オトジマ

下:エラク臭い神社だな、とおもっていたら仁王のすぐ横に馬小屋があって、馬がコチラを覗いていた。今どき何のための馬?
都甲八幡
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中山仙境の野仏

中山仙境のルートの要所には野仏が祀ってあり札所となっている。私が見たのは9箇所であったが、他にもあるのかもしれない。順番に羅列するが、札所の番号はわからない。どうやら原則的に大師と観音の2体セットになっているようだ。昨日のエントリで紹介したものも含めている。

下:大正3年とあるから1914年。第一次大戦が始まった年。約100年前である。明治から大正にかけては八十八箇所や三十三箇所などの札所めぐりが各地に作られたようである。当時の農村では休日を取ってレジャーに行く、という習慣がないころで、信仰に名を借りて一日ピクニックに行くという側面があったらしい。
中山仙境
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中山仙境
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中山仙境
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中山仙境 7
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中山仙境
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下:山頂、高城にあるもの。祠は大きくはないがそれぞれの部品は100kg以上はありそうだ。どうやってここまで担ぎ上げたものだか。材質からしてこの山頂の石で彫ったものではない。
中山仙境
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中山仙境
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下:隠れ洞そばの岩壁に穴が穿ってある。
中山仙境
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夷耶馬・中山仙境 

国東に夷耶馬・中山仙境というところがある。国東特有の凝灰角礫岩が侵食を受けた奇怪な岩峰が並ぶ奇勝である。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

ネット上でここに登ったひとの記事や写真を見て、ぜひトライしてみたいものだ、と思っていたので行ってみた。

下:中央が目指す頂上の「高城」という峰。長い縦走路でアプローチする。下から見るとシロートにあれが登れるの?という不安がよぎるが、そこは下調べ済み。
中山仙境
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今回は私と妻と娘の3人でトライ。3人とも全くの運動不足、登山の素養ゼロ。娘は若いのでなんとかなるだろうが50代後半の我々はどうだろう?私は数十年ゾーリで過ごすという生活で運動靴というものを持っていないので前日あわてて量販店で980円の靴を買ってくるわ、妻は30年以上前に一度使ったっきりという登山靴を引っ張り出すというくらい登山に縁遠い。

コースは原則として一方通行のルートで3時間ほどかかるが標高差はわずかに200mしかないというからなんとかなるのではないか?ネット上で見るとだいたいは登山愛好グループがそれらしい格好で登っているが、80近い老夫婦が登っているのを発見して安心。しかし、近年転落死事故もあったというからあなどれない。

下:麓から15分ほど杉林の中を登ると尾根に出る。運動不足には最初の15分が最もきつい。あとは鎖場こそ多々あれ、標高差があまりないので比較的ラク。写真は尾根筋の薮の中の道。紅葉はあまり見られなかった。モミジ自体が少ない。
中山仙境
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下:尾根筋のルートでは各所に両側が断崖という所がある。低山であるがスリル満点。
国東 2011 秋
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下:ちょっとしたピークごとに石仏がある。札所である。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:中山仙境名所の無明橋。天念寺にも両子寺にも同名の橋がある。六郷満山峰入りの修行で渡るのは天念寺の石橋
この写真ではこの橋のスリルはわからない。右側は断崖であり、落ちたら命はない。しかし左側に側道があるので怖がりの人はそちらを行けば大丈夫。どこのブログでも必ずこれを渡る写真がある。
中山仙境
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下:頂上が近づくにつれどんどん鎖場が増える。数知れず。
雨の日とか雨の翌日は避けるべき。転落事故は雨の日だったらしい。
中山仙境
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下:頂上の高城(316.9m)直下の鎖場。
国東 2011 秋
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下:山頂の祠と石仏。中山仙境霊場めぐりの札所という看板が各所にあって、それぞれに石仏があるが、札所の番号の色が退色して見えないのが残念。
中山仙境
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下:中央の長い尾根が来た道。遠く周防灘まで見渡せる。
中山仙境
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下:はるか眼下に霊仙寺が見える。
国東 2011 秋
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下:頂上から下りはじめるとやがて洞窟が現れる。隠れ洞である。いくつも石仏がある。外国人の名前の木札がいくつも納められていた。別府の立命館太平洋大学の留学生だろう。
中山仙境
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あとは杉林の中を一気に下るばかり。あとで地図を見ると狭い谷筋なのにどういうわけか道に迷い、薮の中を古い足跡をたよりにしばしさまよった。ルート各所に赤や青のテープが立ち木に巻いてあるのであるが、かなり間隔があるので、隠れ洞より下ではくれぐれも注意が必要である。

下:国土地理院地図にルートを記入してみた。(クリック拡大)

1:駐車場から川を渡ったらくれぐれも右折するべし。道は左右に分かれていてルートを示す赤テープはかなりわかりづらい。うかつに左折して20分時間をロスしてしまった。
2:尾根筋に出るところ。ここからはあまりキツイ登りはない。
3:ここらに無明橋。
5:頂上の高城。三角点あり。
6:第二のピーク。ここからは一気に下り。
7:隠れ洞
8:私達が迷ったところ。どこで道をそれたのか全く気付かなかった。正しい道には巨木の二本杉があるというが、見ずじまい。
9:舗装路に出る。
12:これはもう一つの登山口。ルートが長く、駐車場からしばし歩かねばならないので時間がある人向き。

我々のたどったルートは駐車場の案内板によれば2時間のコースとあった。道に迷わず、あまり休まなければ2時間で大丈夫そうだ。我々は2度道に迷うし、各札所で休むし、写真を撮り撮りだったが2時間半ほど。今年の最大の思い出になった楽しい登山であった。ただし、30年前にバイクでガードレールにぶつけた時のヒザの古傷が痛みはじめた。
昔、ここに札所めぐりのルートを拓いた古人、無明橋の巨石を担いで上がった石工、鎖場の工事をした方々、いろいろな人々に感謝したい。低山とはいえ人力しか使えないから想像を絶する難工事である。欲を言えば、我々みたいにすぐ迷う初心者向けに赤い誘導テープの密度をちょっと増やしてほしいかな。特に河川プール近辺の進入路がわかりにくい。「河川プール」というもののどこにもプールと思われるものはないのである。川を渡ると右に行ったらいいのか左に行ったらいいのか何も案内板はない。カンをたよりである。

他に登山趣味の方のサイトが多々あるのでココココを参照して欲しい。





両子寺 紅葉 2011

去年(2010年)秋は国東で素晴らしい紅葉を堪能したので、今年も、と期待していたが、日豊地域では今年は紅葉がかなり遅れているか、紅葉せず、かという状況。
それでもせっかく連休をとったので11月22.23日と出かけてみた。

低地では期待できないのでまずは山頂に近い両子寺へ。
2009年には11月7日時点ですでに完全に紅葉していた。
平日なので駐車場はたいして混んでいない。見かける観光客は老人ばかり。駐車場はかなり紅葉していた。境内に登ると、書院近辺のモミジはすでに白っぽくすれていた。
国東 2011 秋
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下:真下から日光をすかすとキレイに見えなくはないが。
国東 2011 秋
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国東 2011 秋
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奥の院手前、稲荷堂近辺の巨木はほどよく色づいていた。真下から日光越しに青空と対比してみるとやはり大変美しい。
国東 2011 秋
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国東 2011 秋
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下:仁王から上に登る参道のモミジはまだ緑色が多い。
国東 2011 秋
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下:標高400mほどの長安寺は昨年の11月27日に息を呑むような紅葉を見た。期待せずに回ってみたら、やはりサッパリ。まだまだ緑色。イチョウも全く落葉していない。まだ2週間はかかるのではないだろうか。
国東 2011 秋
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下:霊仙寺もまだまだ。最良の枝でこのくらい。
国東 2011 秋
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下:杵築の大原家の庭も全く緑。平地ではあと3週間くらいかかるんでは?
国東 2011 秋
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富貴寺もまだまだらしい。詳しくはコチラで。

門川 だんじり

岸和田のだんじりほど有名ではないが、門川にもだんじりがある。岸和田のような迫力やスピードはなく、見ていると何をやってんだか判然とせずイライラしてくるようなところがあるが、大勢の祭り装束の男達がよってたかって重いだんじりを担ぐ姿は勇壮ではある。若い女性ならグッとくるものがあるんではないだろうか。昨日、私の生徒の女子中学生たちは今日のだんじり見物に着て行くための洋服を買いに行ったし、友達と化粧をしていくかどうかの相談をしていた。実際見物衆は挑発的なおしゃれをした若い女性が多いのである。今年の少女達のファッションはホットパンツあるいはちょうちんパンツにブーツ。

下:だんじりの中には派手な女物の着物を着た少年達が5~6名乗っていて鉦や太鼓をたたいている。
門川 だんじり 2011
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門川 だんじり 2011
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下:今年のだんじりのテーマは「負けるな!東北」「立ち上がれ宮崎」
門川 だんじり
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昼を過ぎると担ぎ手たちはアルコールが回るやら疲れてくるるやらですぐにへたり込む。道路のあちこちに担ぎ手たちの脱げたワラジがたくさん落ちている。絶えず振る舞い酒ならぬ缶ビールが供給されている。かつては未成年に飲酒させるのはいかがなものか、と問題になったこともある。

下:少女達の歓声が男達への最大の贈り物。
門川 だんじり 2011
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下:門川でこんなにたくさんの人出を見ることはめったにない。
門川 だんじり
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今年は天候に恵まれていたせいか大変な人出であった。ふだんうらさびれた漁村は大勢の参加者と見物衆で大賑わい。
その熱気は久しぶりに祭りらしい祭りを見た気がした。祭りってのは何かとんでもない絶景とかワザとか芸能を鑑賞するものではなく、非日常的な人出がさらに人を集めるもの、すなわち人を見に行くものなんだなぁ、と再認識した次第。

下:子供達も祭りの衣装。


下:少年たちはド派手な着物とタスキ。これでこそ祭りだ。
門川 だんじり 2011
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高千穂 秋元神社

妻の職場の同僚が高千穂の向山出身で、秋元神社という最近有名なパワースポットがあるというので行ってみた。パワースポットには興味がないが、由緒ある神社には興味がある。
朝からの雨が上がって見事な青空の下で出発したのであるが、日之影から天翔大橋を渡るころから奥山に暗雲が立ち込めた。

下:秋元集落近辺になると山の紅葉がだいぶ色づいているが、いかんせん暗雲垂れこめ、光が不足。天気が良かったらかなりキレイなはず。
高千穂 秋元
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高千穂 秋元
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高千穂 秋元
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下:谷の最奥の水の口集落が見えるころには雨が降り出す。
高千穂 秋元
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細い道は神社が近づくころには未舗装路となる。こんな山奥に?と道を間違えたか不安になるころ神社が見えてくる。
高千穂 秋元神社
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参道の階段も社殿も新しい。中央は名物のイチョウの大木。半分落葉していた。評判になるような特別な「気」を感じることもない。まぁ、私は一切霊感だとか信じてないので「気」のほうで私を敬遠している可能性はある。
高千穂 秋元神社
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下:社殿のなかはセンサー付で人が入ると照明がつく。
高千穂 秋元神社
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下:イチョウの大木の全貌を写真に収めるのは難しいし、そのスケールを表現するのは不可能。
高千穂 秋元神社
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下:真新しい社殿の中に古びた絵馬が飾られている。三十六歌仙図である。それぞれに百人一首の歌と読み人の絵、奉納者名が書いてある。ちなみに上右は陽成天皇「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりける」 退色を見ると相当古そうである。山奥の神社では各地で三十六歌仙図の奉納を見かける。江戸期の流行のようである。




下:由来を見るとかつては「諸塚太子大明神」と称したとある。そういえば、一つ尾根を越せば諸塚村である。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

下:農産物無人販売所がある。細く長い谷筋のどんづまりでほんの数軒しかない地元の人が買うとも思えないので、神社の参詣者をねらっているようである。
高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

せっかくの紅葉であったが、ここだけの局所的な悪天候にたたられつつ帰路に着くと、この一車線の離合もできない細い道を次々と登ってくる女性達の軽乗用車に出会う。運転の下手な若い女性が3台も連ねてくると、必然的にコチラが離合地点までバックして道を譲るはめになる。少し異常だ。こんな林道ライダーかラリー愛好者くらいしか来るべきではないような山奥にバッチリメイクの若い女性が群れで来るなんて。奇妙な流行がはじまったものだ。


より大きな地図で 秋元神社 を表示





にっぽん縦断 こころ旅

NHK-BSはこの数年、常時このタイプの旅番組を継続している。関口知宏の鉄道日本一周とかいろんなスポーツ選手による「街道てくてく旅」とか、毎日短時間ずつ繋いでいくのがパターンである。関口の起用は彼の人生を変えるくらいの大ヒットにつながった。しかし、岩崎恭子、谷川真理、四元奈生美、森上亜希子などの引退したとはいえ若いスポーツ選手はさわやかではあるんだが、毎日見るにはいささか単調になりがちだった。出会う地元の人々も彼らが誰だか正直わからないだろう。四国八十八箇所なんかはこの手の企画なら究極の企画なんだろうからもっと人生の風雪を経た人で再度やって欲しいものである。菅氏がまた回っているらしいから、菅氏でもいいんではないか?理想を言えば赤瀬川源平なんかがいいんだが、歩きではいささか歳を取りすぎ?

今年は自転車という趣向で旅人が火野正平。当初はどういう人選なんだ?またまたミスキャストじゃないの?と思っていた。あまりテレビドラマを見ない私にとって火野正平は正直言って全く知らない人。かつては浮名を流した人らしいが、いまじゃツルッパゲのオジーサンではないか。大丈夫かい?といいたくなる。実際に坂道の多い日本各所の道では本当に苦しそうで、もっと若い人にやらせりゃよかったものを、と思うことがたびたび。自転車タレントはいくらでもいるのに。

火野は博学でもないし、土地土地に予備知識や薀蓄もないので、なるほど、という新知識を得ることはあまりない。だいたいが彼のボヤキを聞くことになる。ところが、毎日見ているうちに不思議と火野正平に慣れてきて、次第に憎めないカワイイじいさんじゃないか、と思えるようになってきた。意外とNHKの人選は悪くなかったのかもしれない。この地味な企画が結構人気を得てきているようだ。

毎回の目的地が有名な観光地ではないところがいい。
昨日は島原半島。9月に行ったばかりなので私も記憶に新しい。目的地は島原半島南端、加津佐の海水浴場である。廃線になった島原鉄道の加津佐駅の前が砂浜である。



道中の多くは自転車の場面。後ろ姿を追うときには、火野のボヤキが絶え間なく入る。彼の自転車はイタリア製で50万円くらいはするというウワサ。


正面からのショットではスタッフを引き連れてのコンボイ。カメラ、音声、ディレクターなど。当初はスタッフの写りこみが異様に感じたがすぐに慣れた。遠くからのコンボイのショットも多いので伴走車がいるのかもしれない。


加津佐にお住まいのアキラさんのブログでは南島原地域の景色を見ることができる。動画は加津佐海水浴場近辺の日没。


「にっぽん縦断 こころ旅」のテーマソングは番組でサビの部分だけ毎回流れるがフルバージョンでは流れない。ここで聴ける。
いつまであるかわからないので早めにダウンロードしておいたほうがいいかも。





オリンパス再び

オリンパスでは社員に社長から通達が出されたという。おそらく「動揺せず社業に励め」ということなんだろうが、もう一点重要な点がある。OBや社員の中に前社長ウッドフォード氏の復帰を求める署名運動があることについて同調しないようにという牽制をしている。外から見るならウッドフォード氏こそが積年の宿痾にメスを入れた功労者のはずなのに解せない。日本人の重役グループにとっては獅子身中の虫のようである。この期に及んでも重役達には菊川氏のニラミが効いているのか。

オリンパスの名称の由来をウィキペディアを読んでいたら、同社は元来は高千穂製作所というのだそうだ。大正時代に国産第一号の顕微鏡を開発したという。高千穂というのは天孫降臨の地で神々が集うところ。西洋でいえばギリシャのオリンポス山に相当するので、その名をブランド名にしたという。

そうか、高千穂かぁ。ということは高千穂町あるいは高千穂の峰の関係で創業者の山下長は宮崎県か鹿児島県の出身か?と調べてみると、当たらずとも遠からず。鹿児島県の人であった。残念。宮崎ではなかった。そういえば宮崎県出身の大企業家はあまり聞かない。

山下は鹿児島は鹿児島でも高千穂の峰から遠く隔てた奄美の人であった。奄美では郷土出身の偉人に数えられているようである。東京帝大を出て弁護士となったが同じ薩摩閥の大物で親戚筋の松方正義の引きで実業界に転身し、光学器械の会社を興す、という変わった経歴。その後、戦争直前にオリンパスは安宅産業系に譲渡され山下は経営から離れたという。今の騒ぎを天国からどう見ていることやら。

詳しくはココで。

下:これがギリシャの最高峰、オリンポス山。標高2,917mというから結構高い。あの国にこんな高い山があったとは。


ついでに光学機器では最大手のキャノンを調べたら、創業者のメンバーになかに御手洗毅の名がある。初代社長であり、前社長の御手洗冨士夫の叔父である。大分県出身で元来は医師というのも変わった経歴。御手洗富士夫も同じ大分県の蒲江の出身。奄美と同じくらい田舎であり、延岡から近い。

おかげで大分県はキャノン関連の工場がたくさん。県全体がキャノンの企業城下町みたいになっている。やはり、地元出身の大企業家は故郷に貢献するようだ。キャノンの創業はオリンパスより後であるが、今や企業規模やブランド力ではオリンパスはキャノンに及ぶべくもない。

高千穂の野仏

国見ヶ丘から国見大橋方面にさびしく細い道を降りていく。
地蔵堂をふたつ見かけた。スレート葺きの大きな小屋である。

高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ

高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ

下:彩色の不動と大師。大師が妙に色っぽい。いつも不思議に思うんだが、大師の右手はどういう関節してるんだ?


下:ひとつひとつにシキミとお茶が上げられている。周囲に民家は見られないが、大事にされているようである。これらの石仏も道路工事にともなってあちこちから集積されたものか。
高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ

下:別の場所の地蔵堂。布平というバス停が見える。
高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ

下:種々雑多。番号がついているものが多いところを見ると八十八箇所めぐりを構成していた石仏たちのようである。高千穂にはいくつもの八十八箇所があったようだ。
高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ
下:二つの地蔵堂はいずれもえらく高いところに石仏たちが祀られている。重い石だけにすこし不安である。なぜこんな高い必要があるんだろう??
高千穂
高千穂 posted by (C)オトジマ



竹田市 玉来

竹田市の西部、国道57号沿いに玉来という地区がある。昔は竹田とは独立した町であったろうが、いまでは連続した市街地となっている。古い街並を紹介する「郷愁小路」などで以前から聞いたことのある地名なのでちょっと寄ってみた。古い街並は例によって国道沿いではなく、ちょっと一本裏の旧道にある。

下:パッ見にはどこにでもある田舎の街並。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ
下:古い漆喰壁の商家がいくつか残っているが、トタンで補習されたり、落剥がひどかったり、と風前の灯。この街並はこのまま消え去るか。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ
下:いにしえの盛時がしのばれる。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ
下:どれも営業はしていない建物ばかり。ここで観光地化をはかるのは不可能だからどこかに移築して保存して欲しいもの。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ
下:古い白壁の家ではないが、営業中の店。こんな店もいまや貴重。ほとんど昭和博物館的。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ

「遠くの町」という歌がある。
1.
遠い山の向こうの 知らない町よ
いつか馬車に乗って 行きたい町よ
2.
飾り窓の店 あるという町
ポプラの並木の あるという町
3.
遠い雲の下の 知らない町よ
楽しいことが ありそうな町よ

昭和30年代前半、高度経済成長以前の田舎の子供はこんな歌詞になんらかの共感を持てたはずだ。上の写真の飾り窓の洋品店もかつては周辺の山村の人々があこがれた町の香りを放っていた時代があったのだろうか?うーーむ。想像がつかないがありえないではないよ。私の幼い時分には延岡のアヅマヤとか鶴亀屋とか古帝園とか七万石とかは土々呂から見ると、遠い山の向こうで輝きを放つ店だったくらいだから。さすがに馬車はなかったが。いまはどんな田舎の子供でも週末ごとに車で大規模ショッピングモールに連れてってもらえるから、この歌のニュアンスは理解できないだろう。

国道沿いには立派な寺がある。真正寺である。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ

玉来
玉来 posted by (C)オトジマ
下:おおきなしだれ桜がある。名物らしい。春は見事だろう。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ

下:驚いたのは柿の大木。柿ってこんな巨木になるの?
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ



陽目渓谷にも紅葉薄し

都留
都留 posted by (C)オトジマ

ネット上の紅葉情報では祖母の麓あたりで色づいている、というような情報もあるので、三秀台から陽目の里に回る。都留の集落を通過中に30台近くはあろうかという愛媛ナンバーのハーレーのコンボイに追いつかれる。はるばる四国からこんな辺鄙な山奥になぜまた?

下:都留の神社。イチョウだけは律儀に色づく。
都留
都留 posted by (C)オトジマ

陽目(ひなため)の里は公営のキャンプ場。近隣に白水の滝がある。駐車場は県外車でいっぱいだった。はるばる「紅葉情報」につられてやってきたものと見える。が、ここも紅葉はいまひとつ。こんな山奥でこんなふうだから、竹田や平地の紅葉は押して知るべし。

下:写真では色づいて見えるが実はたいしたことない
陽目の里
陽目の里 posted by (C)オトジマ

下:これが実態
陽目の里
陽目の里 posted by (C)オトジマ

下:白水の滝に至る道。
陽目の里
陽目の里 posted by (C)オトジマ

下:これだと紅葉に見えるが、カメラのアートフィルタのおかげ。目の覚めるような紅葉が見たいものである。
陽目の里
陽目の里 posted by (C)オトジマ

陽目の里
陽目の里 posted by (C)オトジマ

下:陽目の里近辺でみた柿。柿の色づきの方がモミジより見事。
竹田市荻
竹田市荻 posted by (C)オトジマ

下:白水ダムにも紅葉なし。観光地にするならするで周回路を整備するべき。いたずらに立ち入り禁止にするべきではないだろう。ここまで来たら堰堤の上がどうなっているか見たいのは人情。看板のせいで、通路はあるが向こう岸に行くのがはばかられる。
竹田市荻 白水ダム
竹田市荻 白水ダム posted by (C)オトジマ



高千穂の紅葉はどこ?

11月も中旬になったので高地なら多少は紅葉しているだろう、という期待で九州中央高地へ。

一月ぶりに国見ヶ丘へ。結論的に言うと紅葉ナシ。全くの緑の葉のものが多い。色づいたのも発色が悪い。観光客を乗せてきた地元のタクシードライバーによれば、今年はこれ以上は期待できないという。紅葉せぬまま落葉するんではないか、と言っていた。「なにせ今年は暖かいからねぇ。例年だと見頃なんだけどねぇ。」
国見ヶ丘
国見ヶ丘 posted by (C)オトジマ

国見ヶ丘
国見ヶ丘 posted by (C)オトジマ

国見ヶ丘
国見ヶ丘 posted by (C)オトジマ

下:太陽光を透過して無理やりに撮ればこんなのも撮れるのであるが、これは小さな株。
国見ヶ丘
国見ヶ丘 posted by (C)オトジマ

下:とにかく風景に赤いものを見かけない。モミジも黄色くはなっていても赤くなっていない。
国見ヶ丘
国見ヶ丘 posted by (C)オトジマ
下:国見大橋から見下ろしても赤い葉はとぼしい。
国見大橋
国見大橋 posted by (C)オトジマ

下:三秀台のモミジもいまひとつ Mt.Sobo
三秀台
三秀台 posted by (C)オトジマ

下:せいぜいこんなもの
三秀台
三秀台 posted by (C)オトジマ

下:ちいさなグミが実っていた。シブッ!
三秀台
三秀台 posted by (C)オトジマ
下:リンドウ
三秀台
三秀台 posted by (C)オトジマ
下:ススキが美しい
三秀台
三秀台 posted by (C)オトジマ

天候の加減で今年は高千穂方面の紅葉は期待できないのではないだろうか。写真は11月13日。

今回気付いたのであるが、三秀台にはウェストン碑だけでなく、1945年祖母山に墜落したB29搭乗員と日本陸軍隼搭乗員の慰霊碑がある。B29は終戦直後、隼は終戦直前だからお互いに無関係。詳細はクリック拡大で読んで欲しい。


This is a cenotaph for B-29 crew and a Japanese fighter pilot.
Just after the end of WW2,1945 August 30, a B-29 of US Force crushed on a mountain near here. You can see the mountain in the 7th picture above, Mt. Sobo. The B-29 was flying in the bad weather from Saipan to Fukuoka to drop support goods for American soldiers in a prison camp. The 12 of crew died.
---Baker Henry B, Eiken Alfred F, Riggs Jack L, Williamson George H, Cornwell John G, Frees Henry N, Groner Solomon H, Gustaveson Walter R, Henninger Norman E, Hodges John M, Dangerfield John D, Miller Bob L.---
Just before the end of WW2, 1945 August 7, a Japanese fighter ,Nakajima Ki-43, also crushed on the same mountain. It was on a night flight training. The pilot Toku Yoshihito died. So,there is no relation between these two accidents. Mt. Sobo is 1756m in height.



秋雨の竹田市周辺で

竹田市周辺。雨模様だったので遠景が撮れなかったので、クローズアップを何枚か。

下:竹田の菓子舗「但馬屋」の裏口。瓦を積んだ塀が美しい。


竹田
竹田 posted by (C)オトジマ

下:猪鹿狼寺で
猪鹿狼寺
猪鹿狼寺 posted by (C)オトジマ

下:猪鹿狼寺にはイチョウの巨木がある。葉が小さい。
猪鹿狼寺
猪鹿狼寺 posted by (C)オトジマ

下:猪鹿狼寺の紅葉もいまひとつ
猪鹿狼寺
猪鹿狼寺 posted by (C)オトジマ

下:竹田市、西宮神社できれいな蛾を見た。


下:岡城に雲がくすむ。紅葉は11月下旬くらいか。
竹田の武家屋敷通りのモミジもまだ緑だった。





オリンパス

昨日から今日にかけて、テレビも新聞もオリンパスがらみのニュースばかり。あんな地味な会社がこんなに目立つのは珍しいことだ。それが悪いニュースなのが悲しい。社名や洒落たロゴ、胃カメラなどから先進的な会社のイメージであったんだが、経営者の内実は後進的だったようだ。永年社長を務めた菊川氏にも有能というイメージを持っていたのであるが無能なワンマンだったんだろうか。是非菊川氏の弁明を聞きたいものである。

昨日になって新社長の高山氏が、不正経理にかかわった菊川・山田・森の3幹部の解職を決めたと発表したが、前社長のウッドフォード氏の解職の妥当性は変更しないとしている。普通の社会常識なら、この芝居では永年悪事を隠してきた悪役は菊川氏とその茶坊主たちであって、それを勇気を持って暴こうとした正義漢こそがウッドフォード氏である。高山氏は悪事の露呈を怖れた菊川氏が仕掛けたウッドフォード氏解任決議に唯々諾々と従った訳であるから後ろめたいのだろう。私が高山氏だったらまともにウッドフォード氏の顔を見れないだろう。この際、素直にウッドフォード氏の復職を認めるくらいの度量がないとオリンパスの名誉は回復できないのではないだろうか。しかし、ことなかれを旨とするサラリーマン重役ではできないかもしれない。

これが他の会社であれば私が気をもむこともないんであるが、誰あろう我が娘が勤める会社なので他人事ではないのである。この冬のボーナスははたして出るんだろうか??

下:私が買ってきたオリンパス製品。右の2台はスマートメディアなので現在では使いづらい。カメラは悪くないんだけどなぁ。大昔、OM1というコンパクトな一眼レフにあこがれたことがあったなぁ。カメラには責任はないのだから皆さん、オリンパスのカメラを責めないで。



城原  景行天皇行宮跡

久住の城原八幡のそば、城原小学校横に小さな丘がある。
丘の上は広い草地になっていて鳥居と景行天皇行宮跡という石碑がある。その昔、景行天皇がこの地で土着民の土蜘蛛と戦ったところだとか。日本書紀を真に受ければ1世紀の人物だから、3世紀の卑弥呼よりずっと昔、畿内からはるばる豊後まで遠征してきたことになる。真偽のほどは知らない。
彼はここにしばし滞在したが、その後熊襲征伐のために日向には6年も滞在したという。本当ならその6年間、都は日向(西都原)に遷都されていたということになる。我が県ではそういうウワサはあまり聞かないのでだれも信じていないのか。

城原
城原 posted by (C)オトジマ

ここにはカエデの大木がたくさん植わっている。残念ながらほどんど緑色。紅葉までにはあと2週間くらいはかかるのではないだろうか?全部紅葉したらさぞ見事だろう。去年は12月12日に来たのであるが完全に落葉していた。機会があれば11月中に再訪してみたい。

城原
城原 posted by (C)オトジマ

下:緑色の大木はまたそれで美しいが、真っ赤や真っ黄色になればやはり心躍る美しさになる。
城原
城原 posted by (C)オトジマ

下:年寄りのゲートボール場に占拠されている。紅葉を見ながらゲートボールできるここの老人達は幸せだ。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:去年の冬景色
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:城原八幡は景行天皇行宮に由来する縁起をもつ立派な神社。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ
下:裏口は落ち葉でいっぱい。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ




旧小国街道

竹田から久住に向かう国道442号線は道路改良が進み、集落をバイパスしている。城原八幡のある通り、久住町役場のあった久住の商店街など。その旧道が小国街道である。

久住の商店街に面白い建物があった。造り酒屋である。
佐藤酒造、銘柄は「千羽鶴」である。今、まさに今、新酒の仕込みを行っていてコメを蒸す蒸気が酒蔵から上がっていた。


この店の女将さんと思しき老婦人に聞くと、約70年ほど前の建物だという。戦前ということになる。洋館風である。外壁は戦前に流行ったモルタル吹きつけでデコボコしている。骨組みは木造と思しい。複雑な構造で3階建てであるが、3階には近年増築された部分が多い。雨漏り対策としてそうしたらしいが、依然として雨漏りするとか。屋根の構造が複雑になると雨じまいが難しい。外壁にはヒビも目立った。



下:敷地は奥に長く、醸造場が裏にある。煙突はセメント。


下:佐藤酒蔵のホームページによれば昭和26年にここを訪れた川端康成はここの社長と交流を持った。そこから川端の昭和24年作品「千羽鶴」にちなんで銘柄をつけたという。愛飲家の間では評判のいい銘柄のようである。


下:これは近所の城原八幡前の醸造場。大きな蔵とレンガ煙突が風情をかもす。現在廃業。後継者難だとか。景行天皇行宮跡碑の丘から見下ろす。
城原
城原 posted by (C)オトジマ

2011 錦秋 久住高原ロードパーク

文化の日に久住に行き、いまひとつの天気だったので6日の日曜に再度挑戦。しかしこれが最悪の天候。宮崎県は曇天に時折陽がさす、という天気であったが国道326号を大分県に入るとどしゃ降り。乗りかかった船で、久住まで直行。今まで通ったことのない久住高原ロードパークを走ってみた。半分は雲の中で眺望ゼロで、せっかくの紅葉も台無し。モミジもこのところの天候不順で紅葉しきらずに茶色の落ち葉になってるものが多い。

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

久住高原ロードパーク
久住高原ロードパーク posted by (C)オトジマ

天気がよければ素晴らしい眺望と鮮やかな紅葉が楽しめたはずであるが、いかんせん天には勝てない。

この道は国道442号と500mほどの間隔でほぼ併走している。距離は約8km。料金500円。ロードパークの名のとおり、どこかとどこかを結ぶという目的はなく道路の形をした公園ないしは庭園という趣。ずっと道路わきに植栽があり、いたるところに駐車スペースや展望所がある。下の国道442号線では紅葉はほとんど見れないから、この道路沿いの紅葉する樹木はおおむね植樹されたものか?道路を離れるとスギの造林が多い。

道路状態は国道442号に比べると規格が低く、料金所はうらびれた雰囲気。ここは鹿児島の岩崎産業が経営する私企業なのである。あまり類例を見かけない道路であった。
悪天候とはいえ、紅葉最盛期の日曜であるのに車は少なかった。シーズンオフの平日に走る車がいるのかな?大きなレストハウスは廃墟となっていた。あまり景気がよくないようだ。

2011 錦秋 久住近辺

はるばる白水鉱泉を汲みに行く人がいる。
延岡からだと100kmはある。単なる水を汲みに行くには遠すぎるんじゃないか? 県道621号を通過したが、水が必要ない人には縁のなさそうな場所みたいなので白水鉱泉にも近所の男池湧水にも寄ってみなかった。男池の広い駐車場は車で埋まっていた。すぐそばの名水の滝だけちょっと寄ってみた。

くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:紅葉は天気が悪いこともあっていまひとつ。来週あたりが見頃か。
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:筋湯温泉近辺の県道40号沿いは広葉樹林の中。ほとんど紅葉と言っていいが来週当たりにモミジの赤がピークになるのではないか。
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:飯田高原近辺の県道40号線
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:湧蓋山(わいたさん)
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:国道442号からヒゴタイ公園方面を見下ろす。
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ


下:上の写真はPEN EPL1で撮影。このカメラも値下がりが進んでなんとこの価格。コンデジなみの価格。買って損はないでしょう。



2011 錦秋

雨模様だったが、天気予報では大分県は曇りとなっていたので、大分方面にドライブ。
今年は紅葉はやや遅れ気味、という話なので月中から月末あたりが見頃だろうから、とりあえず偵察ということで。久住に着いたころやっと雨が上がるが曇天。

春に二度訪れた赤川温泉に行ってみたら、やや早いとはいえ、あちこちと鮮やかな紅葉を見ることができた。天気がいまひとつだから写真の発色が良くないが、今年の錦秋一号。

下:奥は久住南登山口
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:まだ緑のモミジも多いので、盛りは10日くらいか。
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

下:湯坪のイタリアンレストラン「旬菜 美ら野」。素敵なお店。2000円未満で軽いコース料理が楽しめるので高くは無い。
くじゅう 錦秋
くじゅう 錦秋 posted by (C)オトジマ

紅葉は太陽の光があってなんぼのものだから、晴れた日曜に再度挑戦したい。

下:上の写真はPEN EPL1で撮影。このカメラも値下がりが進んでなんとこの価格。コンデジなみの価格。買って損はないでしょう。




宗教との戦い---ドーキンス--その5 ブライト



ドーキンスによれば、欧米では自分が無神論者であることを標榜するにはかなりの勇気が必要だそうだ。アメリカでは特にそうである。家族や親類縁者全体を敵に回すとか、縁を切るとか、恋人を失うとか、さまざまな不都合を覚悟しなければならない。普通、アメリカの映画やドラマを見ている分にはそんな社会であるなんてことは想像もつかない。
欧米が基本的に唯一神のキリスト教地域であることからくるものだろう。おそらくイスラム地域ではもっとひどいはずである。

ドーキンスはいくつかの例を挙げたり、彼の元にきた手紙を挙げたりしているが、あくまで彼の経験的に感じた印象からそう述べているだけで、統計的にどのくらいそうなのかまでは調べているわけでもないようである。カトリックやプロテスタントの縛りがゆるんできているヨーロッパではそうでもないんではないか、と私は勝手に想像している。私のイタリア人の友人によれば、教会に行くことはめったになく、教会は年寄りしか行かないと言っている。イタリアはかつては共産党が大勢力を持っていた時代が長かったくらいだから、無宗教者、無神論者も珍しくないんではなかろうか。

日本では「私は無神論者です」と公言してもさしたる反感を買うことはないだろう。「へえ。そうなの」というくらいの無関心や無反応の方が普通ではないだろうか。多くの人は仏教宗派の檀家であったり、神社の氏子だったりすることはあるが、心底から本気で神や仏を信じてはいない場合が多いから、そういう立場と無神論の立場に決定的な落差があるとは思わないだろう。
そもそも多くの日本人が属する仏教は唯一神を認めていないくらいだから当たり前といえば当たり前。創価学会や天理教など活発な新興宗教で活動する人も多くはいるが、宗教的に無自覚な人はそれよりはるかに多い。自分が檀家として属する寺の宗旨を知らない人が多いだろう。ただし、彼らが神や仏を本気で信じてはいなくてもそれは自覚的な「無神論者」である訳ではない。

ドーキンスの言う「無神論」とは結局「唯一神」を否定する、というところに力点がありそうである。宇宙や生命を創造した創造主を否定する考え方、またそれらの宗教の存在自体がはなはだしく人間性をゆがめたり、宗派や民族の対立の原因となっていることを認める考え方、である。ドーキンスは永年「創造説」と戦ってきたわけだから彼の前提としてはキリスト教・ユダヤ教・イスラム教が念頭にある。
しかし「無神論」は「唯物論」と同じく、欧米では広くマイナスのイメージがあるらしい。人々は怖がって「無神論」を警戒する。そこでドーキンスは「無神論」のかわりに「ブライト」(bright—頭の良い)という言葉で置き換える「ブライト運動」を提唱している。「私はブライトです」と言えばグッと怪しさが減るというわけだ。ホモセクシュアル、ホモ、という語は手垢にまみれ侮蔑的な響きを持つようになったので「陽気な」という意味を持つ「ゲイ—gay」が導入されいつしか定着し、侮蔑的な響きが減じたように。

私には「atheist--無神論者」と「brights」の語感の差はよくわからないし、英米圏で普及しているのかも知らない。あるオランダ人の友人に「私はブライトなんですよ」と言ってみたことがあるが、英語に極めて堪能な彼でもその意味を知らなかった。「唯物論者—materialist」と言って初めて理解を得たくらいだから、あまり普及してないのではないだろうか。

私の宗教的な情操は、といえば、昔としては普通なように家には仏壇があり、子供の頃は毎朝仏さんに手を合わせていた記憶がある。父は無宗教であった。母は宗教に凝る方でいくつか宗教を遍歴した。私の子供の頃は彼女は別府に本山のある「救世主教」に凝っていた。私も連れられて何度も別府に行った。手かざし系、神道系で真光や霊波之光と似たようなものか。昭和30年代に九州一円で流行り、現在は大分県内ローカル宗教であるようだ。母はその後「成長の家」に転向した。長崎の本山によく参っていた。しかし家族は母の宗教に全く同調しなかった。現在私の3人の兄弟はそれぞれ家族を持っているが揃って不信心。別に何の不自由もなくえらく気楽だ。触らぬ神にたたりなし。別に神罰や仏罰が下る様子もうかがえない。まぁ、日本人の多くがこんなもんだろう。

私は若い頃自分を「唯物論者」であると規定したのであるが、もとが不信心であるだけにそこにはいささかの葛藤もなかった。だからドーキンスが想定するような厳しい宗教との対決の果てに生まれた呼称「ブライト」を自称するのはおこがましいのかもしれない。それに一神教が支配的でない日本で「俺はブライトだぁ」と叫んでもヌカに釘だろう。「クリープの方がおいしんじゃないの?」なんて反論されそうだ。

英語に「Some are atheists only in fair weather」(人は、順風満帆なときだけ無神論者になる/苦しいときの神頼み)という格言があり、昔は「貧・病・争がある所に創価学会が来る」と言われたこともあった。しかし少なくとも私は今後とも苦境に陥っても宗教に凝る自信は無い。ナマケモノには宗教はムリ。しかし、当ブログでもおわかりのように私は神社仏閣が大好き。年中訪ね歩き柏手こそ打たないがちゃんと賽銭も上げている。人間の文化の精華はおおむね宗教施設にあるからしかるべき敬意は持つべきである、と考えている。

ドーキンスもこの点を強調している。あなたが無神論に転向するとしても、宗教が蓄積してきた文化的伝統や習慣まで捨て去る必要はなく、むしろ大切にすべきであると。例として英語の文学を真に味わうには聖書の教養は必須である、と聖書を典拠とすることわざや慣用句を大量にあげている。「豚に真珠」「羊の皮を被った狼」「目には目を、歯には歯を」「産めよ殖やせよ」などから映画や小説のタイトル「エデンの東」「怒りの葡萄」「クォ・ヴァディス」「シバの女王」さらには中島らもの「ガダラの豚」など日本人が知っているものでもキリがないほどたくさんある。

ドーキンスの「神は妄想である」は日本人にとっては欧米人にとってほどにはショッキングな本ではないだろう。しかし大変面白く、知的刺激に満ちた本であることには間違いない。私はいよいよドーキンスファンになった。




宗教との戦い---ドーキンス--その4 煉獄



煉獄とは?ドーキンスは昔のアメリカ移民にとってのエリス島、と例えているが、日本人にわかる比喩だと、レストランのウェイティングシートのようなもの。席に着く前にしばし留め置かれる席。やがてウェイトレスが来て「禁煙席にしますか?喫煙席にしますか?」と聞かれ、本当の座席に案内される。予備校の方がいい例えかな? 煉獄予備校では大学受験の前にきびしい試練を受ける。うまく試練を耐えれば大学という天国に行けるが、そうでない場合には---。
死者は天国か地獄かに行く前に煉獄でしばし留め置かれて吟味されるという。昔は教会から免罪符(贖宥状)を買うと留置期間を短縮できたから人々はラクをしようと期待し争って免罪符を買った。今なら霊感商法よりはるかに悪質な詐欺である。高位の聖職者は位階が高いほど煉獄留置期間が短くてすんだそうである。それだけでもバカバカしい話でとても大真面目に信じる人の気が知れない。

なぜ昔、教会でこんなものが想定されたか、という理由の方がもっとバカバカしい。死者が死後に即、天国か地獄かに行ってしまうとすると、聖職者が死者のためにお祈りする意味がなくなってしまう。いくらお祈りしようが死者が地獄行きの列車に乗せられた後ではお祈りの効き目が無い。そこでお祈りがムダにならないためには、死後、しばらく猶予期間があればいいことになる。そこで煉獄が必要になる----という、教会の都合で作られたものなのである。さすがに現代では教会はあまりに馬鹿げた煉獄のことを言わなくなってきているらしい。それならば天国も地獄も同じくらい架空のものなんだからやめたらよさそうなものだが。

ドーキンスによれば、アメリカの世論調査で全人口の95%が死後も自分は生き続ける、と信じているという。天国でその後の生を過ごす、というのである。であるならば、なにも死を怖れる必要はない。むしろサッサと死んでつらい闘病生活や老醜を味わわずにすんだ方が楽だ。
ところがドーキンスによれば、ある老人施設に永年勤めた友人の話として、信仰を持つ人ほど死ぬことを怖れる傾向がある、というではないか。

また宗教団体は自殺、自殺幇助、安楽死に強固に反対する。死後に天国があるのなら、むしろ早くそちらに行って幸せになることをあえて他人が阻止する理由はないはずだ。
「あなたの余命はあと3ヶ月です」と医師に告げられた時、信仰を持つ人は「ええっ?うれしいなぁ。でも待ちきれないなぁ。あと一月くらいに短縮して欲しいなぁ」と言ってもよさそうではないか。天国に行けるなんて本物のパラダイスなんだからハワイやバリ島行きの無料チケットが懸賞で当たったよりはよっぽど幸運である。信仰を持つ人は親族や友人がもう死にそうだ、という時には末期の床の横で「うらやましいなぁ。私もいっしょに行きたい位だ。おめでとう。あちらで去年死んだロバートおじさんに会ったらよろしく言っておいてくれよ。」と言ってもよさそうである。

下:煉獄に渡るための渡し舟。仏教では三途の川というのがあるが、西欧人の発想も似たようなもの。


つまり、強固な信仰を持つ人でも本心では天国の存在など信じてはいないフシがある。
しかしまた、キリスト教徒が信心をやめる決心がつきかねる大きな理由の一つが、地獄に行くことの恐怖にあるという。何も昔の話ではなく、現代でもそうである。今どきの日本人は本気で地獄落ちを心配したりする人にはあまりお目にかからない。キリスト教徒はアホなのか?実はほとんどのキリスト教徒は幼いころから地獄の観念を刷り込まれて半ばトラウマになっているのである。だから理性を超えた所で恐怖感が消えないのであろう。

下:ロダンの地獄門。ダンテの神曲は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」からなっている。ロダンはそれをもとに作った。


まぁ、いかに地獄が怖いとはいっても、生きている間に悪事をしなければ天国に行けるとしたらそう心配することもないはずだ。しかし、とかく彼らの神様ときたら、とても料簡がせまく、融通がきかないので、いかに生きている間にさんざん礼拝をし善行も積んだはずの信者とても前もって天国行きのチケットをくれる訳でもなく、地獄行きにならない保障もないのである。
信仰者ほど死が不安になる理由はそんなところか。信仰は人生に平安を与えるどころか不安をいや増すのではないだろうか。それくらいなら、ハナから天国も地獄も無いし、神もないと考えていたほうがよっぽど平穏な人生を送れる。
ジョン・レノンはImagineでこう歌った。(万万が一この歌を知らない、と言う珍しい方がいたらリンク先のYoutubeで原詩と和訳つきで聴ける)

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

あまりに有名な歌であらためて訳するまでもないが---

天国なんてないと想像してよ
やってみれば簡単さ
僕達の下には地獄なんて無い
上にはただ空があるだけさ
すべての人々が今の為に生きていると想像してよ
(死後の天国のためにではなく)

国がないと想像してよ
想像するのは難しくはないよ
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

レノンのメッセージはドーキンスの600ページに及ぼうかという大著のエッセンスである。レノンは天国も地獄も、さらには宗教も国家もない世界を提案する。さらには所有もないと言うから彼の理想社会は共産主義社会である。アメリカのキリスト教徒たちが怒り心頭に発する歌である。9・11後にはラジオで放送自粛されたとか。9・11の本質をついているからだろう。問題はテロではなく宗教であった。アメリカでは”no religion" の部分を"a religion"と改変して放送することもあるという。つまりあらゆる宗教は存在しない、キリスト教一つだけをを除いて。レノンが1980年に殺されていなくとも、彼はアメリカにいる限り命の危険があったのではないだろうか。

ドーキンスはマーク・トウェイン(トム・ソーヤーの作者)のこういう言葉を紹介している。
「私は死を怖れない。私は生まれるまでに、何十億年もの間、死んでいたのであり、そのことから、ほんのわずかな不自由さえ感じたことはない」
まさに至言である。我々は生を受ける前は無であり、死後も無に帰す。死後は生まれる以前となんら変わるものではない。生まれる前に天国にいた、という記憶がある人にもめったに出会わない。我々もマーク・トウェインのように考えれば、安心して死を受容できるというものである。






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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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