大晦日の土々呂湾

今年の大晦日は例年になく穏やかだった。去年に大晦日に大雪の中を高森越えで福岡にいったのが思い出される。
南一ヶ岡の上にある海咲ヶ丘に登って土々呂湾を撮影してきた。夕日を浴びた土々呂湾は全く波がなく鏡のように静かだった。

土々呂
土々呂 posted by (C)オトジマ

土々呂
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土々呂
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下:延岡新港。島の浦が見える。中央は土々呂小。
土々呂
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下:1967年、45年前に同じ場所から撮影。中央の段々畑の山が現在南一ヶ岡の南端になっている。
土々呂 1967年
土々呂 1967年 posted by (C)オトジマ

45年間から延岡市の人口は実質的には減少しているのにどうしてこんなに家ばかりになってしまったんだ?我々が子供の頃はあの段々畑の山が遊び場だった。夏にはサツマイモ、冬には麦が作付けされていた。斜面の薮にジョロウグモがたくさんいた。対岸の鯛名の山にも段々畑も見える。現在は携帯電話の鉄塔が無粋である。正面のゲンコツ山は昔と変わらない。

ガーデニングは楽し

私が30年前に家を建てた頃はこの団地は一面の野原で家の前の道路は車が通ることもまれだった。
それ以来30年間路上駐車をしてきたのであるが、次第に家が建て込みだし、路駐へのまなざしもきびしくなってきた。
そして今年の12月になって毎晩警察が巡回し、車に警告書を貼り付けるようになった。

さらには罰金を科すとまでいう警告書も貼るようになったので、重い腰を上げて駐車場をつくることにした。

下:これが工事開始前の玄関まわり。ツタが生い茂り荒れ放題。アリエッティの家のようだ。


まずはツルハシを買ってきて穴掘りにとりかかる。
左側の庭を削りとる。これですでに取り掛かって三日くらいたっている。慣れない土方仕事はすぐ腰にくるので一日2時間が限度。


ユキヤナギの大きな株をやっと撤去した。ツルハシの柄は2本折れた。柄はカシでないとダメ。ホームセンターの家庭用ツルハシの柄はラワンなのでヤワ。


下:作業開始一週間目。前のブロック塀の土台はタガネでたたいて割った。300円のタガネの強さに感心した。


下:元の古いブロックを再利用して擁壁を作る。ブロックには漆喰が塗ってありカビで黒ずんでいる。


下:十日目。


下:石段にとりかかる。斜路に取り除けない巨石があって階段の形状は制限される。


下:作業開始2週間目。


下:18日目。ほぼ完成。


下:20日目。完成。軽自動車一台分のスペースを広げることができた。車の尻は30cmほど道路にはみ出るが、もう警告書は貼られなくなった。


忌々しい警察にブツブツ言いながら作業を開始し、毎日仕事のかたわら腰の痛みと闘いながら少しずつ進めたが、やり始めると意外と楽しい。今日完成してしまったらなんだかさびしい。ガーデニングの楽しさをやっと知ったのである。早く春が来て緑で覆われるのが見たい。

内藤記念館 紅葉

延岡図書館に行ったついでに内藤記念館に寄ったら遅まきながら紅葉していた。暖地で平地だから目も鮮やかというわけにはいかない。日光を透かして見ればそれなりに紅葉に見える程度。

内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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下:レンガは「からみれんが」と言うらしい。黒っぽい色で硬そうだ。かつて内藤家が経営していた見立鉱山の鉱滓を焼いて作ったとか。旧延岡高等女学校、現在の延岡中学校にもこのレンガの塀が残っている。なんならこのレンガを復活して町中レンガの街並にすると素敵になるんではないか。
内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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下:静思庵の藁葺きに紅葉が似合う。
内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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内藤記念館 紅葉
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下: 静思庵にある石臼。何に使ったものか?とても分厚くて一つで数百キロはありそうだ。人力で回せるものか?
内藤記念館
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スノーマンと第九

このブログでは個人的な身辺雑記はなるべく書かないようにしているが、年末多忙の折、あまり報告すべきこともないのでご容赦のほどを。

土々呂に住む昔なじみがピアノの発表会をするというので手伝った。プログラムを作ったり、会場の装飾を作る、程度である。今回は「ウィンターコンサート」というタイトルなのでスノーマンを作った。発泡スチロールで簡単に作れる。雪ダルマは形もシンプルなのでデッサンも容易だ。接着剤は専用のものが必要になるので、両面テープや爪楊枝で文字や目鼻をくっつける。




下:カルチャーセンターのべおか、ハーモニーホールはピアノ発表会に最適な広さ。


下:これは数年前の「秋のコンサート」。イスは学校の廃棄物に着色。花は野の花なので金はあまりかかってないが、なかなか洒落た装飾に見えませんか?


ところで。この前日、17日土曜には延岡文化センターでは「延岡第九を歌う会」による年末恒例のコンサートがあった。ご存知のように第九だからたくさんの出演者が出るし、プロ歌手や指揮者もいる訳だから大量の花束の需要があったらしい。市場の狭い延岡のことだからこの一つのコンサートのせいで延岡中の花屋から生花が姿を消したというウワサである。だから翌日のこのピアノ発表会には花が届かないだろうという予測でポインセチアの鉢を飾ったのであるが、幸い一つ生花が届いていた。



17日夜の「第九を歌う会」演奏会の前日、16日夜には「のべおか第九を歌う会」の活動を描く映画「ここに生きる」の撮影が本番と同じように文化センター大ホールで行われた。
映画の概要を聞くと「フラガール」や「スイングガールズ」風のお話のようである。この手の映画は周防正行監督の「シコふんじゃった」以降、種目は相撲、ダンス、ブラスバンド、男子シンクロ、野球、バンド、喉自慢、と多岐にわたれど近年の日本映画のパターンの一つになっている。合唱でもすでに「うた魂」がある。洋画でも「天使にラブソングを」という合唱がテーマの傑作があるし、「ブラス」は田舎の炭鉱のブラスバンドの話でちょっと似た設定かもしれない。
「ここに生きる」の場合には地域起こしの側面がある。映画を支援する会の会長に首藤延岡市長が就いている。俳優も地元の素人を使う。また製作は大手映画会社とつながりがない地域のプロダクションによっているので、上映も各地の公民館を自主上映で巡回することになる。商業的には大変だろう。プロデューサー兼監督は県内で活動する堀有三氏が務める。成功を期待したい。
詳しくはココの記事を参照。

下:映画撮影の様子。とはいってもカメラがある以外は17日の本番と全く同じだろう。写真は朝日新聞より。


ブラウザはオペラで

皆さん、ブラウザは何を使ってますか?
このブログへのアクセス解析を見ると、トライデントという銘柄表示が最も多いということは、つまりMSのインターネットエクスプローラが主流ということ。最近はサファリが増えているところを見るとiPadやiPhoneからのアクセスだろう。Firefox(ファイアフォックス)もあるがわずかだ。あとはSleipnir(スレイプニル)Mozilla、Operaもないではない。

欧米ではエクスプローラの優位はあるにはあるが、Firefoxが強く、最近ではGoogleのChrome(クローム)がどんどん伸びているとか。日本でエクスプローラが強いのはパソコンを買った時点でOSのWindowsに付属しているからだ。多くの人はブラウザをエクスプローラしか知らないだろうし、そもそもブラウザを使っているという意識もない人が多いんではないか。

私はエクスプローラの使い勝手になじめないまま、8年ほど前にエクスプローラをやめて娘の勧めでオペラに切り替えた。マウスジェスチャーの使い勝手がよく、すぐになじんでもうエクスプローラには戻れなくなった。なんでみんなあんなに使いづらいエクスプローラを使ってるんだろう?と思う。たまにエクスプローラを開いてみるがどう使うのかサッパリわからない。

その後FirefoxもMozillaもChromeもSleipnirもすべて試してみた。Chromeは信頼できるGoogleのブラウザだから決定版だろうと期待していたが、確かにシンプルではあるがOperaを凌駕する機能はない。Sleipnirは唯一国産のブラウザでできることなら応援したいものだ。使ってみるとほとんどOperaと似た操作感でなかなか優れている。しばらく使ってみたが長年使い慣れたOperaのほうに戻ってしまった。

下:私のOperaを立ち上げた時の画面。左端のカラムにブックマークをたくさん登録しているが、常時使うサイトは常にデスクトップに並べて表示しておく。Operaではメニューから奥の機能を使うことはほとんどない。(クリック拡大)


Operaはスウェーデン生まれである。アメリカ発ではないのでなかなかメジャーになれていない。Operaのコミュニティに集まる人々を見ると世界中から来ているが、東欧圏や東南アジアでは特に人気があるようだ。日本が Internet Explorerの牙城であるのはは日本人ユーザーの主体性のなさ、冒険心のなさ、インターネットスキルの弱さなどからだろう。

Operaはかつては日本国内の多くのサイト、とりわけ官公署のサイトに対応してない場合があり、PDFの閲覧やダウンロードに不便な時期があった。しかし日本語版もどんどんバージョンアップされ、現在では閲覧できないというサイトはほどんどない。一度使い慣れたらその優秀さにほれ込むOperaをみなさんにお薦めする。Operaのホームページの外国臭さになじめない人は国産品のSleipnir(スレイプニル)を試してみてはどうだろうか。
ともかく一度Internet Explorerから脱出してみる価値はあると思う。どうせタダなんだから。

オペラはコチラから 
http://jp.opera.com/products/

スレイプニルはコチラから
http://www.fenrir-inc.com/jp/sleipnir2/downloads/

タケオカ アビー

近所の80歳以上のご婦人が原付にボディをつけた車、タケオカ・アビーに乗っている。私の子供が保育園に通っていた頃、彼女はそれに孫を乗せて連れて来ていた。その孫はすでに大学を出て社会人になっているから、20年くらい前だろう。ということは彼女のアビーはすでに車齢20年以上になっているということ?? そんなに長持ちするものなの?? 
この手のミニカーは、昔は原付免許で乗れたので老人向けにかなり普及していたが、1985年に道路交通法の改訂により普通免許が必要となったとたんにめっきり姿を消した。このおばあさんは普通免許を持っていたのだろう。

下:青ナンバーがミニカーの特徴。


下:ピザ配達の三輪車と違い、車室は密閉されている。


下:中身はまんまヤマハの50ccスクーターであるが、これはミニカーなのでヘルメット不要で速度も60kmまでOKという。まさかこのおばあさんが60km/hで飛ばしているとは思えないが。ボディ先頭には2灯のヘッドランプがあるのに運転席内にもスクーターのヘッドランプがある。たぶん後者は死んでいるんだろう。




ボディはFRPなので錆びないからあまり劣化していない。ちゃちな車だと思っていたが、なまじな普通車よりずっと耐久性がある。このおばあさんは時折国道10号線を走っているのも見かける。私もこんなのが欲しいな、と思ってメーカーサイトを覗いてみたら、80万円以上するので意外と高い。たった50ccなのに660ccの軽自動車が買える価格なのである。便利そうだけどどうせ普通免許がいるのなら軽自動車を買ったほうが絶対に得に感じる。

タケオカのサイトを見ると、現在はバッテリー駆動の電動車が主流のようである。興味ある方はどうぞ。

東長寺

芸術新潮の11月号を読んでいたら、日本画家・鳥山玲の仕事が紹介されていた。鳥山については何の知識もないが、彼女が東長寺に描いた仏画や天井画に目が止まった。寺の障壁画を現代の日本画家が描くことはよくある。東山魁夷の唐招提寺襖絵や、平山郁夫の薬師寺「大唐西域壁画」は有名である。奈良に行く機会はないが福岡なら息子と娘がいて、たびたび行く機会があるのでぜひ行ってみようと思った。すぐ忘れるので自分自身の備忘録として記す次第である。

下:芸術新潮より


鳥山玲についてはWikiには項目がないので芸術新潮から引く。1956年生、東京芸大日本画科を出た後、さらに同大で金属、漆、ガラス工芸も修めている。在学中に安宅賞を取り、卒業後も多彩な活動をして日本画壇のジャンヌダルクと呼ばれた。
東長寺との縁は以前から彼女の作品に惹かれ作品も購入していた住職・藤田紫雲氏から、新築された五重塔の内部装飾をの要請されたとのこと。当初は花鳥画のみの予定が鳥山のたっての願いで仏画をはじめ内部空間全体の荘厳を一括受注ということになったという。

東長寺は五重塔を新築するような寺だから最近できた寺かと思っていたら大変由緒ある寺であった。空海が唐から帰朝後、最初に建てたというからなんと1200年前!!江戸時代は福岡藩主、黒田家の菩提寺でもあった。グーグルマップで見ると博多駅から遠からぬ地下鉄祇園駅の北には寺が集中している。いわゆる寺町である。東長寺のそばの聖福寺は後鳥羽上皇より、日本で最初の禅寺である事を意する「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の号を賜わったというこれまた大変古く由緒ある寺であり、広大な境内を持つ。ここもぜひ訪れたいもの。来年だな、こりゃ。

下:娘達は行った。中は見なかったらしい。


下:多くの寺が集まる博多区御供所町および上呉服町は博多駅から大博通りを500mくらいのところ。都心部なのに緑が多いが、東長寺には緑地なし。


コチラに後日、この寺を訪れた時のエントリがある。

メジロ飼育禁止

先日の朝日新聞に大量にメジロを捕獲して販売したペットショップが摘発されたニュースがあった。
メジロは一家で一羽のみ飼育できるとか。しかし2012年度をもって全面的に捕獲も飼育も禁止になるという。誰とは言わないが門川でもメジロ籠を大量に保有している人は何人もいる。先日、火野正平のNHK「心旅」を見ていたら火野が訪問した熊本のあるお宅の庭先にメジロ籠をいくつも持っているところが映っていた。アレッ、NHK、やばいよ!と思ったものである。



我々が子供の頃はメジロの捕獲は大人のみならず子供の遊びであった。我が家の庭でもトリモチをトベラやマサキなど実のなる木にしかけると簡単に獲れた。オトリのメジロを籠にいれて木にぶら下げておくとたくさん寄ってきた。泣き声が美しい。地味な色が多い野鳥の中でもメジロは緑色で美しい。ペットになるわけだ。しかし、最近は昔のように群れ遊んでいる様子を見なくなった。今頃になって捕獲禁止にしたのが遅すぎたのではないか。カモやキジがいまだに狩猟対象になっているのもおかしな話だ。鳥を鉄砲で撃ち落すのはそりゃあ面白いに決まっているが、あえて鳥肉を食う必要もない時代にはすでに時代錯誤の娯楽である。トキやコウノトリやアホウドリのように絶滅寸前になってやっと気付くのか。

去年、北浦の林道を走っていたら、各所にメジロワナがしかけてあり、そばにオトリ籠があった。監視員が見回っていて、警告文書を貼り付けて回っていた。なまぬるいんじゃないの?と思った。オトリは全部没収するか放鳥すべきである。



下:クリック拡大で警告文が読める。上の写真では所有者名と思しきも写っている。


とにかく、あと数ヶ月でメジロの保有は禁止される。飼っている皆さん、メジロ趣味はキッパリとあきらめ、全部放鳥して下さいね。ニワトリでも飼いましょう。鳴き声もいい。

下:誰のお宅とは言わないが某所の庭先にメジロ籠がいくつも。室内からはたくさんのメジロのさえずりが聞こえていた。
小野
小野 posted by (C)オトジマ

いろいろ羅列

この間撮った写真で掲載しきれなかったものから、適当に羅列してみた。脈絡はない。


下:用作公園で見かけた狛犬。かなり珍しい形。古そうだ。


下:城原八幡前の杉の切り株。巨大な切り株から新たな杉が生えている。


下:国東の霊仙寺よこにある實相院の地蔵。どういうわけか二体ともほおかむりをしている。


下:安岐町、山神社
安岐 山神社
安岐 山神社 posted by (C)オトジマ

下:山神社には、「トトロの生まれた穴」がある。宮崎駿もビックリ。大分には各地に怪しいトトロ由来地がある。
安岐 山神社
安岐 山神社 posted by (C)オトジマ

下:拝殿天井の板絵
安岐 山神社
安岐 山神社 posted by (C)オトジマ

下:普現寺の石仏
普現寺
普現寺 posted by (C)オトジマ

下:普現寺でみた球形の墓石。おそらく住職の墓だろう。大胆なデザインだが地震のときに転げ落ちそう。
普現寺
普現寺 posted by (C)オトジマ

2011 紅葉の見納め--岡城

一月前に竹田に来た時には岡城は緑のままだった。だからこの一月間で3度ほどこの町を通過したが岡城には登らなかった。
さて12月の岡城はいくらなんでも紅葉しているはずだ。
結論的に言えば、やや遅かったがおおむね満足できる状態だった。2011年の岡城紅葉は12月初め、と結論できる。平年よりかなり遅いはずである。

下:駐車場から西の丸を見上げる
2011 岡城 紅葉
2011 岡城 紅葉 posted by (C)オトジマ

下:登城口、土産物屋の並ぶ付近の上。あの土産物屋の「荒城の月」はなんとかならないものか?荒城の月は確かに名曲ではあるが、強制的かつエンドレスに屋外スピーカーで聞かされると古城の静寂をかき乱す騒音となる。滝廉太郎も天国で嘆いている。
2011 岡城 紅葉
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下:大手門上がり口のモミジはすれ加減。
2011 岡城 紅葉
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下:古大手門近辺
2011 岡城 紅葉
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2011 岡城 紅葉
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2011 岡城 紅葉
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下:九重もクッキリ。
2011 岡城 紅葉
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下:本丸跡から清水門方面を見下ろす。
2011 岡城 紅葉
2011 岡城 紅葉 posted by (C)オトジマ

2011 岡城 紅葉
2011 岡城 紅葉 posted by (C)オトジマ

下:中川覚左衛門屋敷近辺
2011 岡城 紅葉
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下:中川覚左衛門屋敷
2011 岡城 紅葉
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2011 岡城 紅葉
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2011 岡城 紅葉
2011 岡城 紅葉 posted by (C)オトジマ

岡城でみごとな紅葉を見れたので、フラストレーションのたまった今年の紅葉シーズンに気持ちよく区切りを打つことができた。さて、来春の桜シーズンまでは「見わたせば花も紅葉もなかりけり」のさびしい季節を過ごさねばならない。

2011 紅葉の見納め--城原八幡・用作公園

野津から犬飼経由でのどかな丘陵地帯をとおる快適な中九州道で竹田方面へ。現在豊後大野までできている。

知人から用作公園のモミジが最高だ!と聞かされていたが、ネット上の情報ではここも今年はいまひとつ、というウワサ。用作(ゆうじゃく)公園は岡藩第一家老中川平右衛門の別荘だったところ。岡城からはかなり遠い丘陵の中にある。
用作と書いてユウジャクというのはとても読めたものではない。「用作」とは中世の用語で領主や地頭の直営田を指す言葉から由来するようである。「用作」は所によって佃・正作・手作・門田などいろいろな呼称がある。

駐車場から降りたところにある斜面はなるほどいまふたつ。すれたものや赤くなってないものばかり。園内を探し回って真っ赤な木をやっと見つける、というくらい。厚く積もった落ち葉は茶色い。観光客もさほど多くなかった.
ここも来年に期待したい。
2011 用作公園
2011 用作公園 posted by (C)オトジマ

2011 用作公園
2011 用作公園 posted by (C)オトジマ

2011 用作公園
2011 用作公園 posted by (C)オトジマ

下:やっと一本今が盛りの赤い木を発見。あまり大きい木ではない。下から陽光をすかした時にだけ真っ赤に発色する。
2011 用作公園
2011 用作公園 posted by (C)オトジマ

その後、城原(きばる)八幡まで足を伸ばす。景行天皇行宮跡の丘のモミジの大木たちが気になっていたのである。一月前の11月6日にはまだ鬱蒼たる緑の森だった。ところが、来るのがやや遅すぎたようだ。ここも分厚く落ち葉が積もっていた。先週くらいが見頃だったか。でもいい雰囲気の写真が撮れた。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:ここで遊べる城原小学校の児童やゲートボールできる年寄りたち幸せだ。この日は誰も見なかった。敷き詰められた落ち葉を踏み荒らした足跡もなかった。地元の人にとってはありふれた風景なんだろう。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

去年は12月11日に来た時には、まったく葉は残っていなかった。来年こそはベストタイミングでここに来たいものである。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:城原八幡の楼門。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:名物のイチョウはほぼ散っていた。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

下:用水の太鼓橋には厚く落ち葉が。
城原八幡
城原八幡 posted by (C)オトジマ

2011 紅葉の見納め--普現寺

2ヶ月前に大分・野津の普現寺を訪れた時にたくさんのモミジの大木があるのに驚いた。紅葉すればさぞ見事だろう、と機会をうかがっていたのであるが、いよいよ12月4日の日曜あたりがラストチャンスか、と思い出かけてみた。

結論的に言えば、いまひとつ、どころかいまふたつ。
地面には赤くならずに茶色のまま落葉したモミジの葉がうずたかく積もっていた。どうやら今年は不調だったようだ。来年に期待しよう。とりあえずは今年の不調な紅葉を。

国道10号から上がってくる道にはモミジの大木がいっぱい。しかし、もう葉はなかった。
野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

下:山門前の石段。
野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

下:山門前の石段の落ち葉。赤く見えるが実際は茶色。赤いのはカメラのエフェクト。
野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

下:紅葉している所だけ写してみた。
野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

野津 普現寺
野津 普現寺 posted by (C)オトジマ

下:緑色の苔の上に分厚く積もった落ち葉
普現寺
普現寺 posted by (C)オトジマ

普現寺
普現寺 posted by (C)オトジマ

下:続々とモミジ見物の善男善女がやってくる。堂内では小さい子供も交えて勤行がおこなわれていた。
普現寺
普現寺 posted by (C)オトジマ

下:犬飼の10号線わき、浄水場の広場で見事なイチョウを見た。
野津 イチョウ
野津 イチョウ posted by (C)オトジマ
下:青空あってこその黄色。オリンパスブルーがキレイ。
野津 イチョウ
野津 イチョウ posted by (C)オトジマ



風立ちぬ--2


(※モデル・グラフィクスより)

第二次大戦の各国の代表的戦闘機を見ると、イギリスのスピットファイア、ドイツのメッサーシュミットBf109、アメリカのP51のスタイリッシュなことに比べ、日本の戦闘機群のダサイ理由はその機首である。彼らが水冷エンジンによるとがったスマートな機首を持つのに対し、我が方はどれも空冷星型エンジンによる太い機首。太平洋の戦線では米軍機も空冷エンジンが主体であったが彼らのエンジンは大出力で速度、武装、装甲において大戦末期には彼我の差は大変大きくなった。日本陸軍にもドイツのダイムラーベンツからライセンス生産した水冷エンジンを積んだ3式戦「飛燕」があったが、エンジン生産・整備いずれも手こずり大量配備はできなかった。空冷エンジンにしたって大戦以前にアメリカから技術導入したものが原型となったいた。

下:メッサーシュミットBf109と零戦。零戦にも水冷エンジンを与えればかなりカッコ良くなるはず。Bf109ha最終型では時速700kmに達したが零戦は600kmにも達することはなかった。


下:ダイムラーベンツのBf109用水冷エンジン。34L、V型12気筒、約1000馬力、重量600kg。12気筒あるからクランクシャフトはそうとう複雑な形状。本来は鍛造だが日本では鍛造できず、削り出し加工したという。マシニングセンターのない時代にさぞ大変だったろう。


下:昭和10年、堀越設計の九試単戦が初飛行。曲線を多用したスマートな機体。これに水冷エンジンと引き込み脚を採用したら本当に完璧になる。そうならなかった理由は上の宮崎氏のマンガの中にある。

(※モデル・グラフィクスより)

宮崎氏は「CUT」でこう述べている。
「いや、これはたぶんオフレコにしなければいけないと思うんですけど、戦争の道具を作った人間の映画を作るんですけど、スタッフにも女房にも『なんでそんな映画を作るんだ?』って言われて、僕もそう思うんですけど(笑)。だけど、歴史の中で生きるということはそういうことだと思うんですよ。それが正しいとか正しくないじゃなくて、その人間がどういうふうに生きたかっていう意味ではね。その男はその時の日本の、もっとも才能があった男なんです。でも、ものすごく挫折した人間なんです。物造りを全うできなかったから、敗戦の中では、ずたずたになってったんですよ。でも僕は彼が『美しいものを作りたかった』ということをポツっと洩らしたということを聞いてね、『これだ!』と思ったんです。」
「なんでこんなものを作ったんだろうと思ったの。美しいものを作りたいという動機がないと、作れないもんですよ。兵器を作ってないんです、この男は。その動機が結果的に、美しいものを作ったけど、それが結果的に高性能の武器だったという。ある意味では悲劇の主人公なんですよ。』

下:大型のラジコンの模型で復元された九試単戦。Ju87 シュトゥーカやコルセアみたいな逆ガル翼が日本機には珍しい。


通常だったらこの手の映画は実写とCGの組み合わせだろう。原作監督が宮崎氏だからアニメになるだけ。しかし、そこはジブリならではの世界を見ることができるだろう。商業的には大変だろうが、宮崎氏は最後の作品として彼の生涯の趣味であるヒコーキとミリタリーテクノロジーをテーマとした作品を作ろうとしている。ファンとしては一度くらい彼のワガママを許さねば、と思う。

※2013年7月の実際の映画「風立ちぬ」レビューはコチラ

※後日、「風立ちぬ」を再論した。重複する部分もあるが参照して欲しい。 コチラ

宮崎氏の「紅の豚」「ポルコロッソ最後の出撃」に関するエントリはココ


風立ちぬ--1

旧聞に属する。なにせ「CUT」9月号を今頃読んだのだから。同号に宮崎駿と編集長の渋谷陽一との対談が載っていた。そのなかで宮崎氏が自身の次回作について述べていた。夏のNHK特番「ふたり」のなかで彼が絵コンテを描いていた作品である。夏には次回作は宮崎氏の自伝になる、という一部報道もあった。しかし宮崎氏が具体的に明らかにしているわけではないが、どうやら対談の感触では「風立ちぬ」が原作となるようである。零戦の設計者、堀越次郎の物語である。
ネット上で見るとすでにいくつも同じ話題があるようだが、あえて書く。

宮崎氏は数年前、プラモデルの雑誌「モデルグラフィックス」に同名のマンガを連載した。彼の作品は昔からこのマイナーな雑誌で公開されてきた。「雑想ノート」「飛行艇時代(紅の豚原作)」「泥まみれの虎」など。マンガというより絵入りのエッセイか解説本に近い。映画とは違った彼の魅力を味わえる。

下:宮崎氏は昔から自らをブタのキャラクターで描く。マンガの登場人物もブタ顔のことが多い。

(※モデル・グラフィクスより)

※このエントリから1年後の2012年12月にジブリによって「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」の同時公開が公表された。「風立ちぬ」のポスターは上のマンガの1カットが元になっている。(2012年12月13日記)


堀辰雄の「風立ちぬ」は有名な小説であるが、それと同じタイトルというのは訳がなくはない。実際にこのマンガには堀辰雄が登場する。高原のホテルやサナトリウムも登場する。私は堀越次郎の来歴に詳しくないのでこのマンガがどこまで事実でどこからが創作なのかまったくわからない。堀越が三菱で戦闘機の設計をしていたのは有名なことである。マンガではその細部が描かれるのであるが、ほとんどは宮崎氏の想像によるものだろう。さらに物語に色を添える女性と高原のホテルで出会い・・・・(ネタバレになるので以下略)というのはいささかドラマチックすぎるので創作だろうと思う。

「風立ちぬ」はまだ単行本化されていない。映画とのタイアップで出版される可能性がある。マイナーな雑誌連載なので一般にはあまり知られていないだろう。宮崎氏はCUT上で「関東大震災の大群衆シーンがあり、アニメーター泣かせの大変な作画になるが、それをこなすために一挙に40名の新人を採用した」と述べ、この作品でジブリが潰れてもいい、とまで言っている。「風立ちぬ」がそのまま映画化されてもマニアは大喜びだが、女子供にはとても受けそうにないので興行的にはどうだろうか。

堀越次郎は1903年生、宮崎氏は1941年生で関東大震災は1923年。関東大震災の時、堀越は20歳の青年。下の場面は堀越が大学生の頃の世相。クリック拡大して宮崎氏の細かな書き込みを読むととても面白い。宮崎氏はまだ生まれていない頃なのに彼の思い出話のようだ。左端のコマを見ると当時の日本の社会情勢は今となんだか似ている。


(※モデル・グラフィクスより)

堀越は零戦の設計で有名であるから、「風立ちぬ」も戦闘機の設計がテーマとなっている。設計であるから技術上の話が多い。そのままではとてもアニメーションになるとは思えない。さてこれをどう起承転結のあるエンターテインメントにするのか、楽しみである。次回エントリではそのヒコーキの話について書いてみたいと思う。

※2013年の実際の映画「風立ちぬ」レビューはコチラ

コチラにも後日の関連記事





2011年 藤河内の紅葉は??

11月の最終日、いくらなんでも山奥は紅葉してるんじゃないの?と思って藤河内に行って見た。天気はいまいち。
結論的に言えば、渓谷に紅葉なし。

下:県境を越えたところ。三国街道にある神社。
2011 秋 藤河内渓谷
2011 秋 藤河内渓谷 posted by (C)オトジマ

下:桑原発電所近辺。実はここの紅葉が一番見事。ここから先に行けども行けども赤いモミジは見られない。
2011 秋 藤河内渓谷
2011 秋 藤河内渓谷 posted by (C)オトジマ

下:桑原発電所そば。
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下:藤河内までいく林道沿いにはたくさんモミジがあるのであるが、色づきはいまひとつ。黄色いものが多い。赤くなる前に散りそうだ。
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下:奥に行くほどモミジは黄色くなり、藤河内渓谷の遊歩道ではまったくモミジがない!藤河内のモミジは途中の沿道で楽しむもののようだ。それも今年は不作。ふもとから10kmあまり、杉材を積んだトラック以外にはすれ違う車もなかった。遠景でわかるように山の上はかなり紅葉している。この林道は山の北側斜面を削っているのであまり陽が射さないのが紅葉に悪影響しているのか?
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下:渓谷には全く人けナシ。
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豊後高田 昭和ロマン蔵

昭和ロマン蔵は旧宇佐参宮線豊後高田駅そばにある。元来が米蔵、あるいは農協の倉庫だったから駅のそばにあるわけだ。これももともとは地元の大地主にして財閥の野村家の倉庫であった。外観やカワラが新しいので近年建てたものと思っていたら、古い倉庫を改修したものだそうだ。それを知ると突然ありがたくなる。

昭和ロマン蔵
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昭和ロマン蔵
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中には昭和、というより昭和30年代のものがいっぱい。「三丁目の夕日」の世界である。我々の世代にぴったりフィットするもので埋め尽くされている。だれしもおもわず「ナツカシ~~!」と絶句するだろう。


下:マツダポーター。私も昔マツダのポーターキャブに乗っていたものだが、こんなボンネット型のポーターには乗ったことがない。昔の酒屋、米屋はこれだったなぁ。
昭和ロマン蔵
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下:ダイハツのオート三輪。室内はエンジンむき出し。こんなもんだったの?オート三輪は運転したことないなぁ。
昭和ロマン蔵
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下:昔の理科室といえば人体模型。薄暗がりで見れば、こりゃ子供にはコワイはずだ。じっとこっちを見てるもん。この学生服の中尾君はソチラの人の気を引きそうである。
昭和ロマン蔵
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昭和ロマン蔵
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下:そういえば黒龍化粧品てあったけなぁ。原節子が宣伝してたの? 寅さんの看板はキャラコ張りにターナーで手描き。鉛筆のデッサンが見える。寅さんの顔がいまいちだが上手である。私には描けない。昔の看板屋は大変だったな。今じゃプリンタであっという間だ。
昭和ロマン蔵
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下:私もこの雑誌を買ってもらってたっけなぁ。今じゃ小学館の学年誌は絶滅したんじゃないの? と思っていたら小学3・4年生は来年3月号で廃刊のようだ。「エイトマン」も私の少年時代のもの。白黒でアニメ化されていた。マガジンは友人宅で読んでたなぁ。
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下:肥後の守も昭和30年代の少年の必須アイテム。私が子供の頃は50円くらいで上等があった。今、ホームセンターでみると700~900円くらい。そのくらいの物価上昇なら普通かな?
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下:どこから見つけてきたものやら未使用のおもちゃがロットでならんでいる。
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下:なつかしいお菓子の一斗缶。店頭ではバラで売られていたものだ。今じゃ想像がつかないだろうが、アメやキャラメルは一粒単位で買っていた。一個1円だったなぁ。
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下:定番の昔の台所風景。ガス・水道・冷蔵庫があるから昭和30年代後半である。私の幼い自分には水道はなく、大きな水がめが台所に据えてあった。煮炊きはマキで。プロパンが導入されたのは昭和37年ころか。
昭和ロマン蔵
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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