島ノ浦 三十三箇所 その2

--前回エントリからの続き--

うっかり2番を見過してしまったが、遍路道をしばし行く。おおむね上り勾配が続く。
島の浦3-12
島の浦3-12 posted by (C)オトジマ

3番が現れた。遍路道の脇の薮の中のあるが、小さな標識があるのでわかった。
島の浦3-12
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3番紀州粉河寺千手観音
島の浦3-12
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島の浦3-12
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だいぶ登って来た。途中でメジロ捕りのオジサンに出会う。トリモチを巻きつけた長いサオを持っていた。メジロの捕獲は禁止されたはずだが・・・。彼はこの先の遍路道について丁寧に説明してくれた。
島の浦3-12
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左:4番泉州施福寺千手観音 右:5番河内国葛井寺千手観音
島の浦3-12
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西国三十三箇所は元来が観音信仰に基づくので仏像は観音ばかりである。仏像の彫りは素晴らしいが、特に驚くほどではない。驚くべきは文字の彫りの素晴らしさだ。書や彫刻に詳しい私ではないが、その繊細・流麗な彫りにほれぼれとする。仏像ではなく、土台の文字をしみじみと鑑賞した。
島の浦3-12
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森の中の遍路道から尾根に出るとパッと明るくなる。日差しの中に観音様が・・・
島の浦3-12
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6番大和国南法華寺千手観音。尾根の吹きさらしにあるせいか、石材のせいか風化がひどい。江戸期天保年間の設置。
島の浦3-12
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島の浦 6-12
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北浦、蒲江方面。水平線に深島が見える。
島の浦3-12
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7番大和国龍蓋寺如意輪観音
島の浦3-12
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島の浦7-10
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島の中央の遠見場山あたりまではツツジロードと名づけられている。ややすれ加減だが、日蔭ではまだ満開。
島の浦 6-12
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島の浦 6-12
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途中で祠を見かけた。
島の浦 6-12
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島の浦 6-12
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島の浦7-10
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11番山城国上醍醐寺准胝観音 18番山城国頂法寺如意輪観音
島の浦7-10
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遠見場山の山頂あたりは遍路道の辻になっており、順番が錯綜している。島野浦三十三箇所はコースが周回路になっていない。

島の浦7-10
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島の浦7-10
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島野浦 10-12
島野浦 10-12 posted by (C)オトジマ

遠見場山山頂の灯台が見えてきた。ん?イラストのイメージと違いえらく小さい灯台だな。
島野浦 10-12
島野浦 10-12 posted by (C)オトジマ

灯台からの絶景は次回エントリで


島ノ浦 三十三箇所

先週の日曜(4月21日)は高千穂のa href=

狗山城のキリ

門川城は別名狗山城ともいう。依然にその本丸を紹介したことがあるが、門川城は本来は本丸のある小さな丘だけではなく周囲の山に広く展開していた。その山にキリの花が満開である。

遠目にはキリが群生し密集しているようにみえるが・・・
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

山に分け入ると、その大群落がどこかわからなくなる。
上を見るとたしかにキリの花があるんだが・・・
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

どうやら、満開は過ぎているようだ。葉が出始めている。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

大きな花びらがたくさん落ちている。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

この山のキリの木は巨木である。これで太さが50cmほどある。タンスなら10個も20個もできそうなくらいある。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

キリの木は生長が早いというから杉なみだとすると、樹齢5~60年か。以前にはすぐ近所に家具の指物大工もいたし、門川にも木工所がいくつもあったが、現在では見当たらなくなったので、キリの需要もなくなったのではないだろうか。

キリの木越しに五十鈴小学校をのぞむ。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

かつては里山として開けた段々畑だったのであるが、畑は遺棄されてキリが植林されたようだ。かなり雑草や木が生い茂っているのでヤブ漕ぎしないとキリの花見はできないのが残念。うまく整備すれば南郷のジャカランダよりもきれいな紫の花が楽しめるのであるが・・・

イノシシのワナが。中は草ボーボー。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

クヌギの原木林の新緑が美しい。ここもかつては畑か水田かだったはずだ。
狗山 キリ
狗山 キリ posted by (C)オトジマ

一年中ゾーリ履きで、前回エントリの浅ヶ部88箇所もゾーリで登ったくらいであるが、今回は事前に地主からマムシがウジャウジャいるので必ず長靴を履いて来い、という注意があった。長靴は持ってないので革靴で行ったのであるが、幸いマムシには出会わなかった。

ひゅうが

テレビのニュースで細島港に護衛艦ひゅうがが入港中、というので出かけてみた。「ひゅうが」はご当地ネームだし、いわば空母みたいなものだから見てみたい。

下は現地で配布された広報リーフから
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

現地に行くと道路の角々に旭日旗を持った案内係がおり、駐車場に呼び込む。1kmほど離れたところからシャトルバスに乗ることに。タダと思ったらなんと300円取られる。少し高くね?? でも駐車場は見物客の車でいっぱい。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

対岸に「ひゅうが」が見える。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

艦内に入るとガランドウの巨大空間。ヘリの格納庫である。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

巨大なヘリ用の昇降エレベータに乗せられる。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

エレベータが甲板に上がっていく。艦橋はステルス性能のため外板が傾斜し、単純な形状。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

エレベータの穴を上から見るとこんなふう。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

飛行甲板。外人さんも見物に来ている。昔の帝国海軍と異なりオープンである。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

甲板はおよそ縦200m、横30mほどの平面である。ヘリの発着艦に支障がないように極力邪魔物がないので、何も見物するものがない。唯一の構造物である艦橋には登れないので単にグランドを歩き回るようなもの。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

唯一、甲板の先端に20mm機関砲があるのが軍艦らしいところか。唯一の突起物なので皆さんこれを観察している。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ファランクスと呼ばれる対艦ミサイル迎撃砲である。6銃身が束になったガトリング砲が毎分3000発の弾丸を撃つ。実際には1000発弱しか装填できない。給弾装置がジェットコースターのコースみたいだ。実弾が装填されているようだ。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ファランクスは防御兵器である。じゃあ攻撃兵器は?というとコレ。見ただけではなにやらわからないが、Mk41と呼ばれるミサイル発射筒のフタが16個ならんでいるのである。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

見物客の多くはこの地味な色の四角いフタに気づきもしない。現代の兵器というのはどうも見た目が猛々しくない。このノッペラボーの1万3000tの艦でもハリネズミのような武装の7万tの大和に勝てるポテンシャルを持つ。かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』ではたった1隻のイージス艦が太平洋戦争海域にタイムスリップし派手に活躍する。

やはり大和クラスの46cm砲とは言わないまでも大砲や高射砲とか見てみたいものだが、特に見るべきものもないので再び艦内にエレベータで降りる。
これは昇降エレベータの駆動装置。巨大なもの。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

サンドバッグがぶら下がっている。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ヘリが一機展示されて、客を操縦席に乗せている。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

SH-60J。けっこうデカイ、キタナイ。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

ヘリに「DAWN BLITZ 2013」のシールが。ドーンブリッツとは「夜明けの電撃戦」の意。6月にアメリカで行われる離島奪回作戦の演習。今年からはじめて海上自衛隊が参加するとか。「ひゅうが」も行くのかな? 尖閣問題を踏まえての訓練。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

お土産も売っている。タオルやマグカップ、バッジなど。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

販売係の自衛官がキャップの説明をしていた。「これはぺーぺーの帽子、これはちょっとエライ人、こちらがもっとエライ人、こちらがとーーってもエライ人用。同じように見えて葉っぱの数がちがうでしょ。」と楽しい説明。どうせならエライ人用を買うよね。
ひゅうが
ひゅうが posted by (C)オトジマ

浅ヶ部88箇所  4

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23-23 posted by (C)オトジマ

写真ではわかりづらいが急坂。
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左:31番竹林寺文珠菩薩 右:28番大日寺大日如来
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

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左:24番最御崎寺虚空蔵菩薩 右:25番津照寺延命地蔵菩薩
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

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23-23 posted by (C)オトジマ

遍路道を掘り返してる者がいるな、と思ったらイノシシがタコノコを食ったあと。キレイに食べてる。
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23-23 posted by (C)オトジマ

ヒザが笑い始めるころやっと長い坂道が終わり、セメント舗装の道に出る。ゴールはすぐそこ。
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23-23 posted by (C)オトジマ

暗い森の中を歩いたあとでは明るい里にほっとする。
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

茶畑がキレイ
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23番薬王寺薬師如来。このコースの基点。
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仁田野茶屋。
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23-23 posted by (C)オトジマ

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23-23 posted by (C)オトジマ

仁田野茶屋からは車道を歩いて車を置いた御山ノ口茶屋まで戻るが、途中にある樋口茶屋に寄って見る。樋口茶屋は他から孤立した4番札所になっている。
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車は樋口茶屋に置いていくのが正解のようだ。
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路傍に打ち捨てられた野仏も素晴らしい彫りだ。盗まれないかしら・・
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浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

風情のある農家の納屋。
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

これは風情のある廃屋
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

屋根に弓矢がくくりつけられている家がある。いちおう武器だから物騒じゃないの? 聞いてみるとこれは今年の神楽宿になったお宅の目印だそうだ。「はよー取らにゃいかんちゃけどねー。よだきいとよ」と言っておられた。
浅ヶ部
浅ヶ部 posted by (C)オトジマ

今回の、御山ノ口茶屋~仁田野茶屋~御山ノ口茶屋のコースは私の足で3時間。ほどよいハイキングコースではないだろうか?しかも有難い仏の顔を拝みながらである。高千穂観光は人のウジャウジャいる高千穂峡や当てにならぬパワースポットではなく、ぜひ浅ヶ部88箇所を回って欲しい。

私の古傷もちのヒザでは山道3時間が限度なので、残りのコースはいずれ機会を改めて回りたいと思う。


より大きな地図で 浅ヶ部 を表示

浅ヶ部88箇所 3

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このルートだと焼山寺が12番、樋口茶屋が4番でルート上の連番からえらく飛んでいる。そして尾根筋では46番からいきなり68番に飛んでいる。他のコースも奇妙な番号の飛びがあるのであるが、どうにも美的でないし、訳がわからない。

車道脇の76番からはしばらくこの車道を登る。
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76-68 posted by (C)オトジマ

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車道をしばらく行くと、山道の遍路道に入る案内がある。12番の焼山寺山に行くには車道を直進したほうがいい。私は12番をパスして遍路道に入った。まだしばらくは上り坂が続く。
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75番善通寺薬師如来。
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浅ヶ部88箇所では、札所の石仏は石の祠に入っており、おおむね当該する寺の本尊と大師のセットが安置されている。本尊の彫りはなかなかしっかりしており、キレイなお顔をしておられる。
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遍路道に札所ではない単なる祠がある。何かわからない。
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76-68 posted by (C)オトジマ

途中に分岐があり、一方は焼山寺山方面への道。ちょっとそちらを覗いてみる。途中に十二社岩という表示がある。なんの岩なのかはわからない。
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76-68 posted by (C)オトジマ

向こうのピークが焼山寺山。十二社岩の先で遍路道は下りになり焼山寺山に至る。下に車道が見えている。
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尾根筋の遍路道に戻る。このあたりはとてもきれいに清掃されているなぁ、と思いながら歩いていると清掃されている地元の方にお会いした。4月30日(旧暦3月21日)に弘法大師のお祭りがあり、参詣者が多いので清掃をしているらしい。
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69番観音寺聖観世音菩薩。大師には天保10年の年銘。
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76-68 posted by (C)オトジマ

山頂で風雨にさらされ200年経過してるとは思えない立派なお顔の大師様。とても小さい。大きいと担ぎ上げるのが大変だからか。
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46-35 posted by (C)オトジマ

69番から浅ヶ部集落を見下ろす。ここらの標高はおおむね690mくらい。麓との標高差が300mくらいか。
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高千穂中心街方面。
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46-35 posted by (C)オトジマ

68番神恵院阿弥陀如来。この先に67番があると思いきや、いきなり46番に飛ぶ。間が20番ない。
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尾根筋には杉林が多くなり、道はわりと平坦で楽に歩ける。
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46-35 posted by (C)オトジマ

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46-35 posted by (C)オトジマ

下野越えという辻。遍路道が浅ヶ部と下野を結ぶ峠道と交差するところ。ここには37番、36番があり、いくつもの祠が集まる。
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46-35 posted by (C)オトジマ

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46-35 posted by (C)オトジマ

左:37番岩本寺不動明王 右:35番清瀧寺薬師如来
下野越え1
下野越え1 posted by (C)オトジマ

左:39番延光寺薬師如来
下野越え2
下野越え2 posted by (C)オトジマ

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46-35 posted by (C)オトジマ

下野の谷を見下ろす。岩戸と下野を結ぶ林道が見える。向こうの山は祖母山方面。
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46-35 posted by (C)オトジマ

---以降仁田野茶屋までのルートは次回に続く---

浅ヶ部88箇所 2

---前回からの続き---

浅ヶ部を取り囲む山々に88箇所が分割して配置されている。だから順序良く連番になっているわけではない。一挙に88箇所回るようにはできていない。今回はまとまって40番回れる御山ノ口茶屋―仁田野茶屋のコースを歩いてみる。

御山ノ口茶屋から麓方面を見る
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88-80 posted by (C)オトジマ

御山ノ口茶屋。茶屋といっても茶が出るわけではない。屋根があって、石仏があって、休憩できる・・・くらい。しかしこの茶屋は札所の番号にはカウントされてない。
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88-80 posted by (C)オトジマ

中には大師。大師はファンタが好きなのかな?
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88-80 posted by (C)オトジマ

イノシシ除けの電柵を乗り越えて遍路道に入ると、さっそく88番大窪寺が現れる。本来なら88番は最後の札所で結願なのであるが、本場の四国でも逆打ちといってルートを逆に回ることもあるわけだから、ここをスタートということにする。
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88-80 posted by (C)オトジマ

大窪寺の本尊は薬師如来。
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88-80 posted by (C)オトジマ

遍路道はこんな風。薮の中の細道。
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88-80 posted by (C)オトジマ

88番から76番までは一方的な上り坂。立派に登山である。
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88-80 posted by (C)オトジマ

次々と札所が現れるので、景色の見えない薮の中の単調な上り坂も癒される。札所が見えると思わずうれしい。
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88-80 posted by (C)オトジマ

浅ヶ部の仏達は皆屋根付なのでそう風化が進んでない。ほとんどが天保年間のものであるから200年ほど経っている。
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88-80 posted by (C)オトジマ

しかも、屋根の上に土を載せて植物を生やしている。
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88-80 posted by (C)オトジマ

立派な鉄の階段が・・・。 担ぎ上げるの大変だったろう。
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80-76 posted by (C)オトジマ

一部に鉄の手すりも設置されていた。
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80-76 posted by (C)オトジマ

左:85番八栗寺聖観世音菩薩 右:84番屋島寺十一面千手観世音菩薩。
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84-85 posted by (C)オトジマ

左:83番一宮寺聖観世音菩薩 右:82番根香寺千手観世音菩薩
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82-83 posted by (C)オトジマ

ところどころ、周囲の木を切って、景色が見えるようにしてある。下界が見えるとうれしい。
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88-80 posted by (C)オトジマ

高千穂の盆地が一望できる。絶景。
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80-76 posted by (C)オトジマ

浅ヶ部の集落が真下に
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80-76 posted by (C)オトジマ

80番國分寺十一面千手観世音菩薩
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80-76 posted by (C)オトジマ

80番國分寺十一面千手観世音菩薩
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80-76 posted by (C)オトジマ

ここらの遍路道はキレイに掃き清められている。地元の方たちが分担して掃除している。掃除するだけでも登山である。
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80-76 posted by (C)オトジマ

76番のところで薮の中の遍路道はいきなり車道に出る。近年麓から焼山寺山まで作業道が作られたのである。だから4輪駆動車なら車で山頂まで行けるのである。
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P4216890 posted by (C)オトジマ

76番は車道脇にある。車道建設にともない、場所を移設した、と断り書きがある。ここでお弁当。麓からここまで約1時間の登り。麓では強い風で体感温度が低く、寒いくらいであったが、ここまで来ると汗をかいている。
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80-76 posted by (C)オトジマ

後半は次回で・・・

浅ヶ部88箇所 再訪

2年前の初春に高千穂町浅ヶ部88箇所を少し回った。

新緑が美しい。集落背後の山の尾根を巡る予定。撮影地点の標高が400mほどで、焼山寺山山頂が796mなので標高差約400m。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

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P4217041 posted by (C)オトジマ

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P4217042 posted by (C)オトジマ

まず浅ヶ部集落の中央にある徳玄寺にお参り。この道を直進し、突き当たったところに御山の口茶屋・88番があり、本日はここから逆打ちで回る予定。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

この寺は曹洞宗で、別に88箇所の札所というわけではないが、駐車場の少ない集落なので、巡礼者に駐車場の便を提供している。お遍路マップはここで入手できるので便利。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

本堂内部。この小仏をナデナデしてお賽銭を上げる。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

境内に大師堂がある。四国88箇所の本尊が全部並んでいる。88箇所めぐりは基本的にお大師さんの真言宗であるが、調べてみるとわずかながら臨済宗や曹洞宗の寺も混じっているから、ここに88箇所があってもそう不思議はないか・・・ ネットで見てもこの88箇所のことは記載が見当たらない。浅ヶ部88箇所とは別の88箇所から移設したものか?どれも大変状態がいいのでもともとここで屋内にあったものか?
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

ここならつらい山登りをせずに一挙に88箇所を拝めるのであるが、それでは有り難味がない。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

それぞれに奉納者の氏名が記してある。明治以降のものと思しい。愛嬌ある表情のカワイイ系の仏が多い。
徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

徳玄寺
徳玄寺 posted by (C)オトジマ

徳玄寺由来。鎌倉期に遡るというから古い。
徳玄寺
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さてこの先に御山の口茶屋がある。
88番
88番 posted by (C)オトジマ


春の門川

4月中旬の路傍にはやけにイペイの黄色い花が目立つ。最近の流行のようだ。イペイはブラジル原産で樹高30mに達するらしいから数十年後は春のイチョウみたいになるだろう。
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2013-4 posted by (C)オトジマ

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2013-4 posted by (C)オトジマ


門川の心の杜にはイペイの林がある。1000本あるという話だが、そんなにあるようには見えない。まだ若木である。
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この林が樹高30mになったら壮観だろうが、それまで生きていられるか・・・
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門川城、二の丸にあがるコイノボリ。
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門川城が水田に映る
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キリの林が花盛り
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サクランボが鈴なり。鳥との戦い。ここではネットを張っている。我家はあっという間に鳥に食い尽くされた。
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ハナミズキ
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2013-4 posted by (C)オトジマ

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2013-4 posted by (C)オトジマ

フローランテ

4年ぶりにフローランテに寄ってみた。
県内の人にはあまりにもおなじみの場所であるが、当ブログには県外の読者もおられるのであえて書く。例によって曇天なので色が今ひとつ。おまけに家に帰って写真を見たら花のアップばかりで遠景がないのであまり観光案内にはなっていない。興味ある方は公式ホームページへ。

フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

芝生の手入れがオ-ガスタのゴルフコースなみ。実際には大変広い芝生があって、子供たちが駆け回っている。我家の芝生は今の時期まだ枯葉色だが、ここは真緑。なんでも秋には冬用の芝の種を蒔いて、冬芝と夏芝を使い分けてるという。
フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

P4146827e
P4146827e posted by (C)オトジマ

P4146823e
P4146823e posted by (C)オトジマ

フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

色のコンビネーションにはかなり凝っている。フローランテにはかなり優秀なディレクターがいるんじゃないだろうか。
フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

ランが木の幹から生えている。本来はこの姿なんだろうが、珍しく感じる。
フローランテ
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アコウの巨樹。
フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

撮影スポットの「月のガゼボ」。アズマヤのことをガゼボというんだなぁ。ガゼボというと「I LIKE CHOPIN」(邦題-雨音はショパンの調べ―松任谷由実詞)しか頭に思い浮かばなかった。私の好きな曲である。ガゼボがイタアリア人というのは今知った。
フローランテ
フローランテ posted by (C)オトジマ

ちなみにこの方がガゼボさん。露骨な口パクだなぁ。

景清廟

宮崎市、平和台の麓の下北方界隈に縁戚の家があるはずなのでウロウロしてみた。結果、ウロ覚えで見つけられなかったが・・

そのかわり「景清廟」なるものに行き当たった。全然予備知識はないが、面白そうなので寄ってみた。
下北方
下北方 posted by (C)オトジマ

下北方
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由来はコレ
下北方
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この看板が読みにくければネット上に参考資料がある。こちらに藤原景清についてのウィキペディア記事  能の「景清」の粗筋はコチラで参照
景清、つまり藤原景清(平景清ともいう)は実在の人物であるが、さまざまな伝説があるらしい。能の「景清」が代表例。その舞台が日向国宮崎なのである。そこらは史実なんだか怪しいらしい。ここの廟は能の「景清」が実話だとして、その霊を慰めるために建てられたようだ。生目神社も景清に由来するとか。詳しくは県内観光案内サイトのコチラで。

謡曲「景清」の粗筋
下北方
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廟の内部
下北方
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なんと墓石もあるが、新しい。昭和のもの。実在の景清は800年前の人。
下北方
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その他新旧色々な石碑がある。タケノコもある。
下北方
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驚いたのがコレ。宮崎市の多くが延岡藩領であったのは知っていたが、その標柱をこんなところで見るとは。ただし、看板にあるように明治以降粗末に扱われ、礎石代わりに使われていたものを、炯眼の士が価値を認めここに立てなおしたもの。
下北方
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延岡藩領は大分にも点在していた。下は豊後高田市香々地の山中に残る石柱。(じなしさんのブログより転載)

「これより西、延岡領」と書かれているはずだが、下のほうが礎石に埋没している。

延岡7万石というが、大分から宮崎にかけて点在する所領の合計だったのであるから、延岡の実質石高はたいしたことなかったのではないか?

高鍋城には高鍋藩の藩境をしめす標柱が残っている。延岡藩のと同じ書式で書かれている。
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下北方には下北方古墳群があって、住宅地の中に小さな円墳がポコポコと残っている。これはそのうちの一つ。石仏がたくさん。
下北方
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石仏はどれも状態が良いので、廃仏毀釈以降、明治か大正期のものではないだろうか。
下北方
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千手観音が多い
下北方
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新西国三十三番、とある。石灯籠の年銘は天保九年。灯籠は西国三十三番とは関係ないと思われる。
下北方 33箇所
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古墳のそばにあったお宅の玄関先がステキなので写真に撮った。
下北方
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八紘台

宮崎市に行く所用があって、お昼のコンビニ弁当を食べるのに、思いついて平和台に行ってみた。はたして何年ぶり?もしかすると40年ぶりとか50年ぶりとかかも知れない。妻は生まれてはじめて来た、と言う。県民とは言いながら、県北にいると宮崎市はなかなか縁遠い。おそらく妻は60年の県民生活で県庁に行ったことがないと思う。

八紘台
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戦後世代は平和台としかなじんでないし、本来の八紘台の時代よりも平和台の時代の方がはるかに長くなってしまったが、私はどうにも平和台はなじめない。日中戦争の最中、太平洋戦争の直前に建てられたあの塔は平和とは縁がないのではないか?塔にはしっかり八紘一宇と書いてあるし、八紘台でぜんぜんかまわない。

人物は私の叔父やいとこたち。叔父は大阪で鉄工所を経営し軍需成金となり、羽振りがよかった。塔には八紘一宇とあるから、戦前か戦時中の写真と思う。戦後10年ほどの間、八紘一宇の文字は撤去されていた。まだ新品の頃。周囲に樹木は少なく、松の大木が生えている。
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八紘台
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四方に四神が立つ。武人・工人・ 農人・漁人の姿。なかなか見事な彫刻である。彫刻家・日名子実三が塔のデザインを無償でやらせて欲しい、と申し出があり、相川勝六県知事が依頼したという。
八紘台
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塔の基部には玄室がある。扉にも細密な彫刻。中は現在空洞のようだ。
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塔に用いられた石材は国内や、世界各地から集められた。知事は軍にも石の収集を依頼し、軍は派遣先の各部隊に各2個ずつ送るよう命じた、という。当時は日中戦争のさなかで、派遣軍はおおむね中国戦線にいた。現地部隊の中には、現地の遺跡や建築物から石を抜き取って送ったと思われるものも多いらしい、と聞いたことがある。詳しくはUMKが製作した番組で紹介されたことがあるのでコチラで。

河南省・前田隊、とある。
八紘台
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山東省・水野隊
八紘台
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南京日本居留民会、とある。これはどこかの建造物から抜き取ったとしか思えない。
八紘台
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長岡市教育会
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P4146765 posted by (C)オトジマ

たくさんの石に奉納団体名が刻んであるが、70年の間に風化が進んで読み取れなくなりつつある。

ほとんどの石が黒ずんでいるなかで、半透明でピカピカの石。どうやら石英のカタマリのようである。
八紘台
八紘台 posted by (C)オトジマ

塔から下の広場を見下ろす。
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P4146759 posted by (C)オトジマ

塔の石については「八紘一宇」の塔を考える会(代表 税田啓一郎氏)が研究を重ねている。成果は書籍にはなっているようだが、ネット上に活動記録が見当たらないのが残念である。コチラにはPDFで若干の報告があるが、肝心の資料は添付されてない。





北方 慈眼寺

チューリップの中川への帰り道、北方、曽木の慈眼寺に寄ってみた。別に何の予備知識もないが、ナビに寺のマークがあるから寄ってみただけ。

曹洞宗弘誓山慈眼寺とある。住職は久峩さん。延岡市内では佑国寺や寳藏寺が同じ曹洞宗でいずれも久峩さんという住職だが親戚か?
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曽木
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寺は古いが、建物は新しい。
曽木
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山門前にある六地蔵塔
曽木
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境内になにやら台が設置されて、ご婦人方がご接待の様子・・・
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ああっ!「甘茶もらい」だ! そういえば4月8日は花祭り。聞くと本来は8日だが、日曜日の7日にしたそうである。
曽木
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子供の頃、同級生達が花祭りの日には土々呂の極楽寺に「甘茶もらい」に行っていた。私は檀家ではないので行ったことはなく、自分の檀那寺の三福寺は遠いのでこれまた行ったことはなく、結局一度も甘茶もらいの経験はないのであるが、こんなところで体験できるとは!子供の頃からの夢?が偶然かなった。

これがお土産のセット。ペットボトルの甘茶に甘茶粉末、花の種、花祭りの解説書など・・・ 妻は恐縮してお賽銭を2度もあげていた。
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P4076739 posted by (C)オトジマ

しみじみと甘茶を味わってみた。何十年ぶりに飲むような・・
甘茶とはアマチャヅルとは全く違う、ガクアジサイの変種であるアマチャから作られる。かなり甘いが、砂糖とは異なりなんらかのクセがある。昔の人には貴重な甘味源だったと思われる。

慈眼寺のそばにTR高千穂線の曽木駅がある。というより、あった、というべき。荒れ果てている。
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かつて北方町時代には「日本唯一干支の町」が売り文句であった。曽木は子。
曽木
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線路は撤去されて、次第に鉄道の影が薄れつつある。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

久しぶりに見たような青空の風景。川水流の国道218号近辺を見下ろす。
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P4076695 posted by (C)オトジマ

五ヶ瀬川上流方面
川水流
川水流 posted by (C)オトジマ

川水流から五ヶ瀬川を渡り、北方ゴルフ場に向かうと、門川の松瀬の国道388号への短絡路への分岐点にイチゴ売りの軽自動車が停まっている。看板に注目!
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P4076694 posted by (C)オトジマ

車に張られたダンボールの「息子ですよ」。店舗の看板にしては奇妙であるが、いつもここを通る人にはすぐ意味がわかるのである。じつはこれは門川のイチゴ農家が直売していて、以前からこの場所でご婦人がやっておられた。さては代替わりしたんだな、と思って聞いてみたら、やはり彼女の息子さんだった。お母さんは引退したわけではなく、川水流の国道218号沿いでやってらっしゃるという。

コチラが国道218号にあるお母さんの本店。
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P4076699 posted by (C)オトジマ

延岡―曽木間の高速開通でゴルフ場下の車が減ってしまったので218号に進出したという。曽木―蔵田間が開通したらいよいよ大変だ。新しい場所を探さないと。彼に聞くと、勝手にどこでやっても良い訳ではないらしい。

松瀬越えで見かけたキリの花
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P4076692 posted by (C)オトジマ





中川のチューリップ

毎年、この時期になると、鹿川の中川集落のチューリップがテレビで流れる。チューリップは珍しくもないが、背景の比叡山、矢筈岳がなかなかいい。


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地図で場所を確認して、いつものように槇峰から鹿川方面に網ノ瀬川沿いに入る。比叡山の麓に来ると、路肩という路肩に登山者の車が停車。県外車も多い。カラフルな登山服の中高年登山者が大勢うろついている。駐車場には地元の農産品の即売所も。4月7日は比叡山の山開きとか。(下の写真は2011年撮影)
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P9046762 posted by (C)オトジマ

これは比叡山の対岸の矢筈岳。
中川
中川 posted by (C)オトジマ

八重桜越しに。
北方
北方 posted by (C)オトジマ

比叡山周辺はえらく車が多かったが、それを過ぎると、パッタリ出会わない。おや?中川のチューリップは閑古鳥か?
離合もできない狭い道で網ノ瀬川を渡り、中川集落に入ると、どこから湧いて出たか、たくさんの見物人と車で大賑わい。テントの即売店、交通整理のガードマン、パトカー、特設駐車場・・・。山深い小さな集落に何ごと?!
中川
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これがチューリップ畑の全景。実はタンボ2枚分しかない。おまけに散り始めている。地面が丸見え。
中川
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借景に価値がある。絶景である。左が比叡山、右が矢筈岳。真ん中の谷を網ノ瀬川が削っている。
中川
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中川
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ここは球根採取用の畑で、観賞用ではないとか。
中川
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招かれてもいないのに、タダで勝手に見物に行ってあぜ道を踏み荒らしておいて、文句を言えたものではないが、チューリップはさほどのことはない。たまたま門川の知り合いにも出会ったが「狭いね。それにエラク遠かった・・・」という感想。でも、写真に撮るとえらくいいところに見える。ともかく、中川集落の皆さん、ご苦労様でした。

もと来た道を帰るつもりが、交通整理員によって別の道に誘導された。広い道で等高線沿いに丹助岳の裏を巻いて青雲橋方面に至る道。たしかにこれは遠い。実はこれが公式ルートらしくて、たくさんの車とすれ違った。あれだけの車が網ノ瀬川沿いのせまい県道214号に流れ込んだら大渋滞だ。

槇峰で気になっていた槇峰鉱山強制連行中国人慰霊碑を見に行った。先月慰霊祭があったはず。毎年テレビのニュースで流れる。
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P4076700 posted by (C)オトジマ

黒木知事時代に建ったんだなぁ。かなり昔だ。
北方
北方 posted by (C)オトジマ

鉱山労働で亡くなった中国人の氏名が刻んである。ソ連の日本兵のシベリア抑留や北朝鮮の拉致よりヒドイかも。忘れてはならない日本の過去がこんな山奥に。
北方
北方 posted by (C)オトジマ


佐土原 高月院

一般にどこの城下町でも藩主の菩提寺は立派である。
佐土原藩島津家では高月院にあたる。大光寺のほうが広くて立派そうで5代・6代藩主の墓もあるが、残りの歴代藩主の墓はすべて高月院にある。1612年に2代藩主が建立。高月院という名は初代藩主以久の戒名に由来する。


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高月院は佐土原城からごく近い。鶴松館から山越えで300mほど。車で行くより早いかもしれない。

高月院
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高月院
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本来の建物は1812年に火災にて焼失。これはその後、建てられたもののようだ。
高月院
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戊辰戦争で佐土原藩は官軍として活躍。これは戦死者の慰霊碑である『豊烈曜後の碑』
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本堂の裏に石段がある・・・
高月院
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ここを登ると、歴代藩主の墓石がたくさん並ぶ。奥方、側室の墓も含む。
高月院
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高月院
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高月院
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墓地とはいえ、なかなかいい雰囲気のところ。王様の墓のピラミッドが観光地になってるくらいだから、スケールはかなり小さいがお殿様の墓を見物しても不謹慎にはならないだろう。
高月院
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高月院
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高月院
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ついでに巨田(こた)神社まで足を伸ばした。
佐土原
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なかなか由緒ある神社らしい。詳しくはコチラで。
佐土原
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本殿は国指定重要文化財という。
佐土原
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佐土原、上田島の商店街。
佐土原
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昔はこんな風だったらしい。
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古い民家が残っている。
佐土原
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佐土原城

鶴松館のすぐ上に出土文化財管理センターがある。まぁ、どこの自治体にもある程度のもの。土器や石器、さらには古い農具などが展示されている。かなりヒマそうな施設で、悠久の時が流れている。昔の「御普請所跡」と標柱がある。
佐土原城
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この駅名版は佐土原駅から持ってきたものか。国鉄妻線があったころのもの。
佐土原城
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佐土原城の山城は戦国大名の伊東氏、江戸時代に封ぜられた島津氏によって200年ほど使われた。山城の本丸は1625年に廃されて、麓の居館が使われるようになった。山城の土木的な遺構は現在でも残っている。
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山城周回路のうち中道を行ってみる。1周2kmもないくらいの山道なので30分くらいか。この日は平日のせいか誰にも会わなかった。女性一人ではこわいかも。
佐土原城
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佐土原城
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本丸手前にある枡形虎口。といっても武装の武者が5人も入れば満員になるくらい狭い。各所に陶板の案内と解説が設置。
佐土原城
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本丸。ただの広っぱ。山頂であるが展望は全くきかない。
佐土原城
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佐土原城
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堀切。尾根筋を切断し、尾根伝いの侵攻を防ぐ。
佐土原城
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登城路。苔が美しい。
佐土原城
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登城路。本丸にいたる侵入路を狭くして、周囲の土塁から攻撃を仕掛ける。
佐土原城
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石垣やら建物やらは全くないので、かなりの城マニアでないと楽しめないかも。しかし山道を短時間で周回できるので子供連れにはいいハイキングになるだろう。


麓に降りて、鶴松館裏の菖蒲畑。
佐土原城
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鶴松館の向かいに「城の駅」が建設中。近々開業とか。
佐土原城
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佐土原 鶴松館

佐土原城は江戸期は島津氏3万石の居城。鹿児島の島津本家の城が鶴丸城というのに似せて鶴松城といった。(ツルマツではなくカクショウなので語呂では似てない)

本来の城の遺構は明治初期は破却され残っていない。城山の麓の二の丸跡に二の丸御殿の一部が復元されて鶴松館となっている。バブル期、竹下内閣のふるさと創生事業でばらまかれた1億円で建てられた、というが、とても1億円では足りなかったのではないかと思われる立派な建物である。
鶴松館
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長い塀だけでも藩主の威光を感じる。この塀が実際の物と同様なのかは怪しいが。
鶴松館
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一目見るなり、立派な建築である。いかに再現とはいえ、もしかすると江戸時代の御殿より立派なのではないか?
鶴松館
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鶴松館
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藩主の居室
鶴松館
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島津家より寄贈された屏風
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鶴松館
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普通ではなかなか見れない長い廊下がスケール感をいや増す
鶴松館
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熊本城本丸御殿や佐賀城本丸歴史館と比べると確かに小さく質感も劣るが、熊本藩50万石、佐賀藩35万石という大藩に比し、たかだか3万石の御殿としては立派すぎるくらい。延岡7万石にはこれより立派なものがあっても不思議はないのだが。

瓦には島津の紋。瓦も特注だ。
鶴松館
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裏庭。向こうに見えるのは埋蔵文化財資料館
鶴松館
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広大な御殿内に私以外には人っ子一人いなかった。大変ぜいたくな見物である。
鶴松館
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鶴松館
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塀は新建材の張りぼてかと思っていたら、けっこう本格的。あと50年くらい経つと古色がついて本物の文化財になるんでは。
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遠景。この原っぱにもかつては藩庁の建物が並んでいたのでは。
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できてから20年も経っているが、私は初めて来て、佐土原町という田舎町にはもったいないくらいの施設だと思った。今や合併で人口40万の宮崎市になっているので不釣合いではない。もっと増設してもいいくらいだ。

竹下内閣のふるさと創生の1億円は自治体によっては無意味な箱物や浪費に使われた例も多い。しかし、こんな使われ方なら文句はない。あのふるさと創生事業の使途は古建築の復元や保全に限定すればよかったのに。はやりの箱物は古くなればゴミになるが、骨董品なら古くなるほど価値が増す。




佐土原 大光寺

佐土原は宮崎市に編入されてしまっているが、編入以前は人口3万人以上いて市になっても不思議はないくらい有力な町であった。

宮崎市に行く時はバイパスで通り抜けるだけで佐土原の町をゆっくり見たことはない。そこでしばしうろついてみた。

佐土原は島津氏3万石の城下町だから見るべきものが残っている。まずは吉祥寺に行ってみる。
佐土原 鬼子母神
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鬼子母神で有名だという。
佐土原 鬼子母神
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お寺ではあるが鳥居がある
佐土原 鬼子母神
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鬼子母神の堂内。神社の通例のように鏡がある。
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右が鬼子母神、左が吉祥寺の本堂。
佐土原 鬼子母神
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鬼子母神は神様ではなく仏様だという。元来はインドの神様で法華信奉者の守護神となっている。吉祥寺は法華宗、京都本能寺の末寺だという。あの本能寺の変の寺である。
明治の神仏分離令以降、寺に鳥居や神社があるのはあまり見かけなくなっているが、ここには立派に生き残っている。

次に吉祥寺のすぐ近所の大光寺。遠くからでもその威容が目に付く。参道に風情がある。
大光寺
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大光寺
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立派な山門。臨済宗佛日山大光寺。
大光寺
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本堂が前後に二つ建っている。前のほうは古そうだ。現在は後ろの新しい建物が使われているようだ。
大光寺
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古刹の貫禄を感じさせる。
大光寺
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内部はこれ。床は新しくピカピカ。
大光寺
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安置されているのは木造岳翁長甫像。
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大光寺
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島津家藩主の墓はおおむね別の寺である高月院にあるが、ここには六代藩主の墓がある。
大光寺
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佐土原の上田島とか下田島という地名をニュースでよく聞くが、中世にここを支配していたのが田島氏である。いかにも室町時代に遡りそうな墓石が並ぶ。
大光寺
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大光寺
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田島氏墓地から現代の墓地を見下ろす。
大光寺
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大光寺
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大光寺
大光寺 posted by (C)オトジマ

石仏がたくさん。五体満足なものが多い。島津領であったが廃仏毀釈を免れたと思しい。
大光寺
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被害者もいる。左には下半身がなく、右には上半身がない。
本来一体なのかは知らない。
大光寺
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この寺にはいくつも重要文化財クラスの仏像があるようだが、どうやら収蔵庫に入れられているようで見れなかった。
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なかなか風情のあるお寺であった。


蒲江 王子神社

古い集落には古い神社が定番。
御手洗家の裏山が王子神社になっている。右は御手洗家
王子神社
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王子神社
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とんでもなく急な石段。老人には御利益より危険の方が多そうだ。
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山の急斜面に石垣を築き境内を確保している。
王子神社
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由来はこちらで
王子神社
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王子神社
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境内に家があり、社守の方が住んでおられた。その老人に伺うと、キャノンの御手洗氏の同級生だ、という。
王子神社
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この狛犬の奉納者は南米移民のようである。
昭和7年、南米ペルー帰国、と彫ってある。故郷に錦を飾る典型。
王子神社
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境内から町を見下ろす
王子神社
王子神社 posted by (C)オトジマ

小さな蒲江浦と役場跡、御手洗病院が見える
王子神社
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蒲江浦のすぐ背後にそびえる背平山(392m)は国道から山頂まで約4km。山頂は公園になっているが、例によって携帯の鉄塔が林立。樹木が生い茂り視界はあまり開けていない。
おまけにドンヨリした天気で遠望が利かなかった。

屋形島
蒲江
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深島
蒲江
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高平山、マリンカルチャーセンター方面
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ


蒲江

高速の北浦-蒲江間が開通して県境の向こうの蒲江が身近になった。また蒲江地域では国道388号の改良であいついでトンネルが開通し、いくつもの浦々が短絡された。去年2度ほど行っているが、あらためて高速経由で行ってみた。タダなので気楽だ。

国道からはずれた蒲江浦地区。本来の蒲江の中心部。大きな蒲江湾のなかにさらに小さな入り江がある。

より大きな地図で 蒲江浦 を表示


正面の建物が旧役場。現佐伯市蒲江振興局
蒲江
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蒲江
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旧役場前。深島、屋形島へのフェリー乗り場。小さな待合室がある。
蒲江
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細い路地のさびれた商店街。
蒲江
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寂れているが、この雰囲気は好きだ。同じような漁師町の呼子の町に似ている。呼子はいまやB級グルメの町で大賑わいであるから、真似できるかも。その時にはこの古い商店は核となれる。壊すなよ!!
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蒲江
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商店街を離れると、迷路のように古い路地が入り組んでいる。車のない時代に成立した街区。火事の時には大変だ。門川の尾末も30年前まではこんなだったものだ。
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蒲江
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蒲江
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蒲江
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その奥に古い塀で囲まれた立派なお屋敷が・・・・
蒲江
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御手洗家である。
蒲江
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御手洗家は古くから蒲江の大庄屋を務めた旧家である。
今では日本財界の巨頭、キヤノン社長を務めた御手洗富士夫氏の実家として有名である。
現在では医業を営んでいる。キャノンの初代社長、御手洗毅氏も一族で、産婦人科医のかたわら社長を務めたという。御手洗富士夫氏は第6代・8代社長で、御手洗毅氏の甥にあたる。

蒲江浦にある現御手洗病院
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

近所の御手洗産婦人科は御手洗病院院長の弟さんの経営
蒲江
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小学校のころ、同じ学年に御手洗という姓の生徒が転校してきた。ナニ?おてあらい?? え? ミタライって読むの?イジラれそうな変わった苗字だ。しかし、これがなかなか由緒ある氏族らしい。蒲江の御手洗氏は瀬戸内水軍清原氏が起源という。
先日テレビで瀬戸内海の大崎下島(呉市)の御手洗集落という古い街並が紹介されたが、この地名も御手洗一族に由来するとか。

御手洗の街並(ウィキペディアより)


大崎下島の御手洗についてはコチラ

蒲江の御手洗一族の歴史については御手洗病院院長の御手洗東洋氏が本にしておられる。コチラ






今山八十八箇所

江戸時代末期に今山に大師庵が、周囲に八十八箇所めぐりが設けられた。明治初期の廃仏毀釈で八十八箇所はいったん廃棄されたが、その後明治10年ごろから市内各地域に奉納を募り、明治20年頃に再整備されたとか。現在設置されている標柱には奉納した地域名がある。

麓からの参道の順路どおりに並んでいるわけではなく、おおむね逆になっている。各札所(といっても石仏)は等間隔にあるわけでもなく、いくつもが集中していたり、ばらけたりと。更には必ずしも順番に並んでいるわけでもない。あまり便利な八十八箇所めぐりとも思えないので、これがオリジナルの設置場所ではないんではないか。浅ヶ部や宮野浦の八十八箇所みたいに、しばらく歩いて、「あった、あった!」と宝探しみたいに次のを見つける、というコースの方が絶対に楽しく、ありがたい。

30番台。大師銅像の先にある
今山八十八箇所
今山八十八箇所 posted by (C)オトジマ

29番国分寺(出北・別府)。ここの石仏はほとんどが大師像で皆同じ。全然面白くない。札所の本尊にちなんで彫られた石仏だといろいろと変化があって面白いのであるが。コチラ、とかコチラ、には本尊にちなむ石仏の八十八箇所めぐりが見られる。
今山八十八箇所
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18番~21番。18番春日町・大瀬町の奉納。
今山八十八箇所
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44番~48番。
今山八十八箇所
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今山八十八箇所
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今山八十八箇所
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85番~87番。次が当然、結願の88番か、と思うとなんと60番!?
なにがなんでも赤い毛糸のキャップをかぶせたいという執念がすごい。定期的に交換されているのかな?ここでは前掛けは見かけないのは雨ざらしだからか、禁じられているのか。
今山八十八箇所
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左は84番屋島寺(松山町)
右が結願の88番大窪寺。うれしいことに伊形・土々呂の奉納。
88 88-84
88 88-84 posted by (C)オトジマ

8番熊谷寺(幸町)、9番法輪寺(中央通)、11番藤井寺(南町)
今山八十八箇所
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12番焼山寺(北町)、14番常楽寺(柳沢町)、15番国分寺(本町)
今山八十八箇所
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53番圓明寺、68番神恵院、49番浄土寺
今山八十八箇所
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55番南光坊(中町)、69番観音寺(児湯郡)、54番延命寺(博労町)、67番大興寺
今山八十八箇所
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5番地蔵寺、6番安楽寺、7番十楽寺
今山八十八箇所
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一番霊山寺(北小路)
今山八十八箇所
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ほとんどが近くに集中しているとはいっても、実際八十八箇所を参るなら、そもそもが山の上にあることだし、老人にはよい運動になるだろう。若い人には是非宮野浦浅ヶ部をお薦めしたい。


今山大師

県北のフリーペーパー「0982」に今山大師の記事があって面白く読んだ。0982のホームページにも同じ記事が転載されるはずであるが、なぜだか更新が止まっているようなので、まだ読めない。

今山大師本堂
今山大師
今山大師 posted by (C)オトジマ

今山大師
今山大師 posted by (C)オトジマ

かねてより今山大師の住職、野中氏は天台宗だと聞いていたが、弘法大師は当然ながら真言宗の開祖である。天台の最澄は伝教大師、真言の空海は弘法大師で同時代のライバル。どうなってるんだ?と疑問に思っていた。その後、今山大師は中央宗派に属しない単立の寺院だと知って疑問は解決していたと思っていたが、実際はやや込み入った事情があったらしい。以下は「0980」(渡部洋三氏)よりダイジェスト。

天保年間に疫病を鎮めるために地域の大師信徒たちが、高野山から大師坐像を勧請して、大師庵を作ったのが今山大師の起こり。今山周辺には八十八箇所めぐりもあったが、明治初期の廃仏毀釈で一度途絶した。
大正時代に地域住民が今山の下にある天台宗善正寺の住職・円帰哲禅師に大師庵の管理を依頼したところ、師は宗派を超えてこころよく引き受けられ今山大師を単立の寺として登記した・・・という由来がある。「0982」にはその後の円帰哲禅師、その後善正寺に入った野中豪雄師についても大変興味深いエピソードが語られているが、詳しくは「0982」2013.4月号を参照して欲しい。

国東半島には天台の寺が多いが、そんな寺でも弘法大師の石像があるのを見る。昔は宗派の違いに鷹揚だったんではないか?

国東六郷満山霊場第27番天台宗長慶寺にある大師堂
大師
大師 posted by (C)オトジマ

国東六郷満山霊場第二十六番天台宗岩戸寺境内の弘法大師
大師
大師 posted by (C)オトジマ

今山大師に登る石段。
今山大師
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今山大師
今山大師 posted by (C)オトジマ

今山大師
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山頂にある弘法大師銅像。大師祭り前の恒例の沐浴のため、足場が組まれている。
今山大師
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名残のサクラ
今山大師
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やたらと中国製の石像が多い。全然有難くない!規格量産品ばかり!
今山大師
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こういう今風二頭身デフォルメ像も有難くない。
今山大師
今山大師 posted by (C)オトジマ

今山大師
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びっしり並ぶ献金の石標が土留めの擁壁になっている。金額が万円の単位だからそう昔ではない。
今山大師
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山頂から愛宕山、市街中心部方面
今山大師
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Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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