一路

BS日テレの「浅田次郎と眞野あずさが巡る中山道の旅」を見た。

浅田の小説「一路」の舞台となる中山道をめぐる一種の旅番組。
浅田はこう言っていた----昔から江戸時代の参勤交代という奇妙な制度に興味があったが、どうせ誰か他の作家により小説化されているんだろう、と思って放置しておいたが、どうやら参勤交代そのものを具体的に描いた作品はなさそうだ、と気づいて、作品化をはかり「一路」となった---



私も参勤交代にはおおいに興味がある。昔に行って、加賀藩の4000人のパレードをぜひ見てみたいものだ。数十名のお祭りの行列でも楽しいんだから、絶対に見ものであるに決まっている。しかし、その行列は通り過ぎるのに数時間を要し、下々は土下座で平伏しておらねばならないので、見物できる保障はないが・・・

ウィキペディアから引用した丹波・園部藩の行列。園部藩は2万5000石。小さな藩でも結構立派だ。加賀藩ならこれの10倍以上の規模のはず。


わたしは普段あまり時代小説を好んで読むことはないし、浅田次郎にいたっては昔の「鉄道員」(ぽっぽ屋)という短編集しか読んだことがない。が、参勤交代に引かれてこの「一路」を読んでみた。上下2巻の大部な小説である。これが、めちゃくちゃに面白かった。ストーリーも面白いし、江戸時代の道中を豊かにイメージできるし、擬古文的な言い回しや時代的な表現・語彙に満ちた達意の文が快調で日本語の心地よさを十二分に堪能できる。映画化・TVドラマ化も考えられるがその際にはこの浅田節は味わえないだろうから、魅力半減だ。しかし、映像でも見てみたくなる作品ではある。

話は、美濃国に知行をもつある旗本の、中仙道経由で江戸に至る参勤道中を描く。主役は道中を差配する若き共頭。お家騒動が筋運びの道糸となり、厳冬の中仙道の12泊の行軍を描く。なぜ普通の大名の東海道道中にせず、特殊な地位・小録の旗本の中仙道道中にしたのかは、最初違和感があるが、おいおいドラマの仕立て上の必然性がわかってくる。魅力的なのは主役の一路ではなく、もう一人の中心人物の殿様。バカ殿なのか名君なのか、なかなか傑物で時に爆笑もさせてくれるので読む場所にご用心。

コチラに中仙道の楽しい地図がある

この小説で読む限りは参勤交代は大変な事業である。全国300諸侯が250年間も続けた、ということは単純計算では延べで300X250=75000回も大旅行が行われた、ということである。こんなものすごい量の大移動はじつは江戸時代・ひいては日本の形を規定するくらいの影響があったのではないか。

たとえば、300諸侯の領地は全国に散らばるが、参勤交代の制度上、殿様の正室と子どもは江戸常住で、ほとんどの殿様は子ども時代を江戸で育つことになる。すなわち江戸時代の指導者層はほとんど江戸を故郷としていたことになる。明治維新後の版籍奉還・廃藩置県で諸侯は爵位を与えられて全員東京に召還されることになった時、皆唯々諾々と従ったのであるが、実は全員故郷に帰っただけのことであったから、内心喜んだのではないか。貴人にとっては田舎より東京の方が楽しいに決まっている。現在の地方選出国会議員たちの子弟が東京の名門私立学校に行っているようなものだ。選挙区が岩手の小沢氏も山口の安部氏も福岡の麻生氏もみんな東京育ちのお坊ちゃんたち。宮崎2区の江藤拓議員は世襲議員であるが、ド田舎の地元・門川中に通ったというだけでもエライのかもしれない。

大名行列ならぬ佐伯八坂神社の秋祭りの行列。
八坂神社 祭り
八坂神社 祭り posted by (C)オトジマ

九州の諸藩は旅程が1000km以上になり、江戸に近い諸藩に比べ出費の点でも大変なハンディを背負う。日向延岡藩は譜代藩。船で方財から出航して海路大阪まで行き、そこからは陸路東海道や中仙道で江戸に向かっていた。徒歩も大変だが、船旅も大変だ。艪漕ぎを併用していたから大勢の水夫が必要で、やはり多額の費用がかかったものだろう。日南の飫肥藩の場合、細島から船に乗り大阪に向かった。大小7隻の船を使い士卒276人内外、水夫269人くらいの規模である。乗客と同じくらいの人数の水夫が必要であった。コチラに詳細がある。

学校の歴史の時間には、幕府が参勤交代を命じた訳として、軍事的反抗を防ぐため大名に散財させて窮乏化をはかった・・・みたいなことを教えるが、浅田次郎はそれは結果論であって、当初はあくまで危急の際、江戸まで行軍するための演習という側面が強かったはず、と言っている。「一路」はそれを前提として物語が展開する。時代背景は幕末であるからかなりアナクロで、そこが面白い所でもある。フトンの中で読みながら眠るには面白すぎて眠れなくなるかもしれないが、ヒマな方には一読をお薦めする。

コチラに「一路」の関連ページがあるので興味ある方は参照。

















百済の里 正倉院

旧南郷村の「百済の里」事業は百済の館にとどまらずに、正倉院のレプリカを作るところまで行った。神門神社に伝わる銅鏡と同じ鋳型のものが正倉院にある、という点だけでその鏡の収蔵庫である正倉院のレプリカを作ってしまう、というほとんど牽強付会。総工費17億円は人口たかだか2000人の村にしては過分な投資。

これは本物の正倉院。ウィキペディアより。
Shoso-in
Shoso-in posted by (C)オトジマ

時の南郷村長 田原正人氏のあくなき執念により17億円の巨費を投じて「西の正倉院」が完成したのは1996年。完成に漕ぎつけるまでの艱難辛苦を現地案内所の方が懇切に解説してくれた。同じ話がネット上にあちこち散らばっているが、元は田原氏の苦労話、自慢話に由来するものと思われる。コチラを参照
田原氏の話はなかなか面白い。

まず、その大きさには驚く。奈良にある本物は写真でお馴染みだが、実物を見たことがなく、大きさの感覚はなかったので、ホーッ、こんなにデカイのかと感心する。写真ではスケール感がない。これがコンクリートの建物なら珍しくもないが、純木造だと知っていると驚異だ。近年建てられたものとはいえ、建物に興味のある人には見過せない建築である。本物は宮内庁の管理下で近寄れないが、ここならさわり放題である。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

周囲の緑が美しい。20年の歳月で植栽が落ち着いている。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

高床式だから床下は広い空間で2m以上ある。この柱は上の建物を載せているだけで、上まで貫通しているわけではない。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

この柱を束柱といい、木曽ヒノキ材で直径60cm・長さ250cmで40本あるという。正確な価格を忘れたがこれ1本だけでも400万円くらいするとか!!! とんでもない太っ腹である。私が村長ならここは杉でいいや、と妥協するところ。やはり田原村長はただものではない。建物全体の木材だけで5億円。

束石も古式にのっとっている。大宰府都府楼跡の列石を思い出す。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

20年のうちにいい具合に風化して材が黒ずんでいる。全く塗装はしていないとか。時代が経過すれば本物のように真っ黒になるだろう。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

予備の束柱が展示してある。外の柱とちがい新品同様にキレイ。
いわば400万円が転がっているのであるが、このお宝をドロボーするのはかなりの体力がいる。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

表面にヤリガンナの削りあとが見られる。電動プレーナーではないよ。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

と思っていたら、しっかりヤリガンナの展示があった。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

館内の様子。ここは建物を鑑賞すべきところで、展示物には驚くようなものはない・・・少なくとも考古学素人には・・・
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

珍しいのがこのホコの大群。実用上のものではなく奉納用のものだと思われる。神門神社に奉納されていたもの。1000本以上あるという。小さいものは彫刻刀くらいから大きなものは1mくらいのものまで。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

展示物
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

三十六歌仙図はよくある奉納品。江戸時代初期のものとか。神社の拝殿にあったにしてはかなりよく保存されている。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

放水銃。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ




百済の里 南郷

かつての南郷村神門(みかど)、現在の美郷町南郷区は「百済の里」として村おこしを図った。20年ばかり前に「百済の館」を作り、その後「西の正倉院」を建てた。百済の館ができた時に見に行った記憶があるが、正倉院は建って19年も経つというのにいまだ行ったことがない。

南郷区は小丸川の上流に当たる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神門の中心部。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

まずは物語の発端となる神門神社へ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

杉の巨木が歴史を物語る
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

狛犬は昭和初期の軍国時代の奉納。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神社から百済の館を見下ろす。屋根もどことなく和風とは異なる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

この塀は明らかに朝鮮風
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

こお角度で見るとまるで韓国に行ったみたいだ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

鮮やかな彩色も朝鮮風。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

地面は磚と呼ばれるレンガ、というよりテラコッタ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

中では試着用のチマチョゴリが何着もあって着てみることができる。
P5158033e
P5158033e posted by (C)オトジマ

神門には百済王の伝説がある。少なくとも宮崎県民にはおなじみの話。毎年の「師走まつり」はテレビニュースの恒例。詳細は知らないので詳しくは他のサイトに譲ることにする。ネットを見ていたら百済王伝説は史実とは認めがたいので町に異議申し立てするサイトがあった。コチラ。なかなか面白そうな論だが、根幹に「嫌韓」感情があるんではないか。「伝説」なんだからそうメクジラたてずとも・・・・と思うが。全国には根拠不明の伝説が満ちている。

ただし、韓国ではこの小さな村の小さな取り組みは過大に評価されているのかも。韓国首相も務めた金鍾泌(キム・ジョンピル)氏も訪れたようで植樹している。




蒲江 楠本浦 八十八体仏

蒲江、入津湾の最奥に楠本浦という集落がある。昨年はここの天満社をレポートした。海辺のステキな神社である。昨年の写真。
入津 天満社
入津 天満社 posted by (C)オトジマ

入津 天満社
入津 天満社 posted by (C)オトジマ

昨今、いずこも田舎には廃屋が増えているが、ここには現役の家屋で屋根に草の生えたお宅が目立つ。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦に八十八体仏があるという。国道388号沿いに案内看板はないのでわかりづらい。わからないほうがいいのかもしれない。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

建物は新建材の新しいもので面白くもなんともないが・・・
P5127959
P5127959 posted by (C)オトジマ

中には素晴らしい仏像がズラーリ・・・。  圧巻!
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

四国八十八箇所の本尊たちである。製作は天保11年。作者は岡本数馬。200年近く経過しているが、屋内にあったためか保存状態がいい。八十八体が1本のクスノキから彫られたという。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

P5127947
P5127947 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

各本尊の下の台座には札所番号、本尊の種類、発願者の氏名が彫りこんである。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

P5127952
P5127952 posted by (C)オトジマ

P5127954
P5127954 posted by (C)オトジマ
よくぞ廃仏毀釈を乗り越えて無事伝わったものだ。ただ、気になるのはセキュリティ。昨今の仏罰を怖れぬ仏像ドロボーが心配だ。

庚申塔や地蔵も集められている。裏山は墓地になっている。
P5127956
P5127956 posted by (C)オトジマ

墓地上がり口にヤカンがたくさんぶら下がる。いつも墓参りするマメな人々がいるのだろう。私などは盆と彼岸だけ。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

所変わって以下は蒲江元猿海岸にある大師堂。
P5127828
P5127828 posted by (C)オトジマ

P5127832
P5127832 posted by (C)オトジマ

左の稚拙な不動明王には思わず笑ってしまう。楠本八十八体仏のプロの業とはえらく技量が違うが、これはこれでいいものだ。
P5127829
P5127829 posted by (C)オトジマ



蒲江 西野浦

仙崎山から下り、ふもとの西野浦をうろついてみた。
西野浦は複雑な形の入津湾沿いの波静かな漁村である。

潮が引いている。
P5127893
P5127893 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

裏通りを歩いてみる。道路改良以前はメインストリートだったところ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

漁村特有の細い路地の向こうに真っ赤なホンダN1がかわいい。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

仙崎砲台の積み石と同じ平たい石の石垣。
P5127906
P5127906 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

バイク屋さんを覆いつくす木。何の木?
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

堂々たる構えの民宿。屋根瓦は古いが、板壁は新しい。この地域ではこんな茶色に塗った板壁の家が多い。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

img024e
img024e posted by (C)オトジマ

昔の防波堤のようだ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

どこにもカキがびっしり
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

ほとんど波のない河内湾は入津湾の一部で湾最奥にあたる。国道388号線より。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

こんな入り江を見ると、オールズバーグの絵を思い出す。
西風号の遭難
西風号の遭難 posted by (C)オトジマ

遠景の山が仙崎山と思われる。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

ここでカヌーやボートを漕ぐと楽しそうだ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ



仙崎砲台

蒲江のマリンカルチャーセンターの裏山に高平山キャンプ場がある。眼下にマリカルを見下ろす絶景の地。そこから半島の先端に向けてサイクリングロードがあり、終点が仙崎つつじ公園である。ここに入津湾側の西野浦から登ってみた。標高差およそ300mを九十九折の細い林道で15分くらい。

img024e
img024e posted by (C)オトジマ

西野浦の林道登り口から集落を見下ろす。向こうは西浦湾。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

仙崎つつじ公園からの絶景。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

蒲江、北浦方面。左端水平線に深島。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

空気の透明度が今ひとつで、四国がオボロに見える程度。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

水平線は見えない。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

300mの眼下に豊後水道。まったく白波の見えないおだやかな海面。定置網がいくつも仕掛けてある。
P5127850
P5127850 posted by (C)オトジマ

鳥羽一郎もここに来たのかな?
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

つつじ公園を仙崎山から俯瞰。おおきな広場があり、野外ステージもある。水道・トイレもあるのでキャンプもできそうだ。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

西浦湾方面。西浦湾は入津湾の一部で湾は複雑な形状をしている。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

つつじ公園に「砲台跡」という表示があるので、仙崎山山頂方面に登ってみた。公園から整備された遊歩道を登る。山頂の標高は412m。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

セメントの構築物が現れる。土台は積み石である。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

確かに砲台然としている。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

直径10mくらいの円形の構築物が3つ並ぶ。昔は砲塔があったのだろうか。天蓋がなかった可能性もある。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

ネット上で調べても昔の写真がなく、ここに設置されていた説明板はすっかり消えてしまっていた。
なんでも戦時中に海軍が設置した対潜水艦用の15cmカノン砲だったとか。30cmという話もあるが、それはありえないだろう。丹賀砲台が30cmであるがあの巨大さとは比べるべくもないし、砲弾をここまで持ち上げるのは容易なことではない。

仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

P5127869
P5127869 posted by (C)オトジマ

この窪みは弾薬庫と思しい。
P5127880
P5127880 posted by (C)オトジマ

P5127884
P5127884 posted by (C)オトジマ

仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

基部は戦国時代の山城風の石積み。資材は現地調達したようだ。現在では周囲に大きな車道も見あたらないが、麓から400mの高地まで人力でセメントや砲を担ぎ上げられるわけもないので、車道を開削したはずである。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

こうみると本当に山城に見える。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

ちょっとした広場があり、モルタルの破片が散乱している。
台所みたいなので戦時中は司厨所だったのだろうか。
P5127875
P5127875 posted by (C)オトジマ

なんでも戦時中には完成しなかったとか。小さな陣地とはいえ、機械力の満足になかった時代だから大変な苦労で構築されたはずだ。いまでは樹林に覆われていかにも廃墟となっているが、昔は展望が利いたと思われる。


豊後水道には各所にこんな砲台が配備されていたのである。近所には鶴御崎の砲台群がある。丹賀砲台については昨年のレポートがあるので参照。



蒲江のうず巻

4月にも行った蒲江に再び。なにせ高速無料で1時間でいける手軽な場所である。

蒲江けんちゃん日記帳」は蒲江銘菓「うず巻」を製造している方のブログで私は毎日愛読している。高速開通で観光客が激増し、「うず巻」も飛ぶような売れ行きだという。そりゃ、買いに行かなくちゃ。ココ「正栄堂」がけんちゃんのお店。
P5127810
P5127810 posted by (C)オトジマ

店売りではなく「道の駅かまえ」での売り上げが主体らしい。近所の道の駅に寄ってみると・・・
大変な賑わい。高速で北上し蒲江ICで降りた車はほぼ100%ここに寄っていると見ていいようだ。当然宮崎ナンバーが多い。
P5127811
P5127811 posted by (C)オトジマ

ありました、「うず巻」のコーナー。うず巻は蒲江の名物で作っている業者は数軒あり、この売り場にもいくつかの店のうず巻があるが価格は皆同じ。あとはパッケージ勝負。
P5127818
P5127818 posted by (C)オトジマ

正栄堂のうず巻を買って帰り、切ったところ。アンコをスポンジケーキで巻いたようなものか。1本220円、これは2本セット420円。
P5127961
P5127961 posted by (C)オトジマ

店内には海産物がいっぱい。
P5127820
P5127820 posted by (C)オトジマ

取れたての貝類。
P5127822
P5127822 posted by (C)オトジマ

これは蒲江では「ジンガラ」というそうだ。先週の記事で宮之浦で潜ってこれを取り、ゆでて食べた。
P5127815
P5127815 posted by (C)オトジマ

大分県南ではかつて真珠養殖が盛んだった。子供の頃には副産物の真珠貝の貝柱をよく食べたものだ。いまでも真珠養殖は小規模に行われているらしい。貝柱はすっかり価格高騰しているとか。
P5127824
P5127824 posted by (C)オトジマ

高山海水浴場。砂利の海岸。むこうの山は先月登った背平山
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

元猿海岸。高山海岸とつながっている。向こうにマリンカルチャーセンター。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

マリンカルチャーセンターは巨大な建物。各種研修施設として作られた県の施設。団体で400名宿泊できる。息子が高校生の時、入学後のオリエンテーション合宿がここであった。当時は延岡からここまで来るのに佐伯経由で3時間はかかったはず。地の果てのように遠くて生徒達は乗り物酔いしただろう。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

今日も三重高校の新入生たちが合宿。海を見ながら弁当を食ってる。山の中の子ども達だから初めて海を見て感激!---ってことはないだろうな、今時。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

団体さんはライフジャケットを着ているところを見ると船に乗ってサンゴ見物に行くようだ。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

駐車場の車列、これ全部宮崎ナンバー。宮崎県民は大分観光にずいぶん貢献してるぞ。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ




平戸  田平教会

平戸の最終目的地は田平教会。田平は平戸島の対岸の九州本土。
平戸大橋のある田平口から国道204号を離れ、海岸沿いにしばらく南下すると丘陵地帯の畑の中に突然教会が現れる。

教会は道路の側に尻を向けていて、西の方、つまり海の方に正面がある。昔は海の側からアクセスしたものか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

和瓦とレンガの様式建築の美しいコンビネーション。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

これが正面。堂々たる姿。
P5057772
P5057772 posted by (C)オトジマ

引きで。麓から教会敷地に登る石段から撮影。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

P5057774
P5057774 posted by (C)オトジマ

教会建築の時、この炉で石灰を作ったという。石灰と赤土を混ぜたアマカワでレンガの目詰めをした。信者たちが食べたあとの貝殻を持ち寄り、ここで焼いて作った---とある。
P5057776
P5057776 posted by (C)オトジマ


田平教会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産暫定リストに登録されている。1918年(大正7年)鉄川与助により設計・施工された。

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ここの教会のステンドグラスは具象的で美しい。浦上や今村、平戸の教会が単純な幾何学模様であるのと異なっている。これがオリジナルかどうかは知らない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ステンドガラスはそれぞれ違う絵柄だが、座席から先は立ち入り禁止なので一部しか見れない。観光客向けに絵ハガキセットとして売っている。
P5057785e
P5057785e posted by (C)オトジマ

教会の隣は墓地になっている。墓はすべて海のほうを見ている。
こんなにズラリとキリスト教式の墓石が並んでいる光景は初めて見た。墓石は頭に十字架がついているだけで一般の日本式墓石とあまり変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

歴代司祭の墓は大きくて立派だ。仏教の寺でも歴代住職の墓が立派だったりするのと同じことか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

左:仏式の墓では戒名が見られるが、ここの墓にはかならずカタカナの洗礼名が書かれる。
右:平たい墓石もある。元来はこの形だったのではないか。
P5057797e
P5057797e posted by (C)オトジマ

昔は土葬だったから、こんな形の墓もある。
P5057795
P5057795 posted by (C)オトジマ

長崎県では彫った文字を金色に装飾している派手な墓石が多い。
キリスト教式でも変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

海の向こうは平戸島。日没時には素晴らしい夕景が見れるのではないだろうか。西方浄土だか天国だがが向こうに見えるかもしれない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

NHK教育の「美の壷」を見ていたら、長崎の出津教会(いずし)が紹介された。自然石を積んだ石壁の素朴な建物である。司祭の名にちなみ「ドロ様壁」と呼ばれたという。一目見るなり「見たい!」と思い、行く計画を立てたのである。しかし連休中の長崎市内の混雑を思うと、あの市内を突破して西彼杵半島の海沿いを行くのはかなり時間がかかるようなので、今回はあきらめたのである。出津教会も世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった長崎県内にある教会の一つ。まぁ、リストにある他の教会がいくつか見れたので今回は満足。


宝亀教会

平戸島、紐差からやや平戸市街よりに宝亀という小さな集落があり、宝亀教会がある。国道から離合もできない細い坂道で畑や林の中を登っていく。ほんとにこんなところに? 物見遊山の外来者が入っていくのが気が引けるようなひなびた小さな集落である。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

駐車場は結構広くて、県外車が何台か停まっていた。こんなところにも観光客が来るんだ・・・ まぁ、自分もそうだけど・・・
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

小さいけれど赤い壁がかわいい教会だ。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

明治31年(1898年)頃建設らしいからすでに100年以上経っている歴史ある教会だ。世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つである。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

瓦は和瓦。洋風建築に和瓦という組み合わせは相性がいい。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

この教会は内部撮影禁止なので窓の外から撮ってみた。ステンドグラス越しなので色つき。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

教会に来た近所の老人が「これはモチの木」と教えてくれた。このかわいらしい教会は観光用や結婚式用のチャペルではなく、地元の人々の信仰の場だというのがあまり実感できない。おそらく集うのは老人ばかりではないか。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

宝亀からもう一つ北にある入り江が川内である。湾の対岸から見る川内集落は私にとっては夢の中の景色のように思えた。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差に行く途中は国道を通り過ぎただけだが、この集落の中を通り抜ける旧道があるはずで、古い家屋が残っているはずだ、とめぼしをつけ、帰りには旧道を通ってみた。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

やはり古い店や家屋が残っている。車が少なく静かだ。
懐かしい街並。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

この床屋は現役だと思う。ネジネジのサインに電源コードが来ている。グルグル回ってはいなかったが。重要文化財クラスの床屋だ。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

このタバコ屋も現役。昔は旅館だったような。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

川内
川内 posted by (C)オトジマ

川内
川内 posted by (C)オトジマ

蒲鉾屋が多い。この集落の名産品だという。一軒に寄って蒲鉾を買い、食べてみた。おいしかった。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

川内
川内 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ


平戸 紐差教会

平戸市街は細長い平戸島の北端にある。そこから国道383号で南下し、17kmはなれた島中央の集落である紐差へ。

島とはいえ道路は快適で、ぜんぜん島を走っているという感じはしない。平地が少ないからか、いたるところに石垣を築いた棚田が見られる。向こうに赤い平戸大橋が見える。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸は九州本土、田平地区。田平教会がある。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸に、江迎の風車が見える
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

というところで、紐差(ひもさし)の紐差教会に着く。
小さな町なのに立派な教会が丘の上にそびえる。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は九州各地の教会建築で有名な鉄川与助の設計である。去年、太刀洗の今村教会を訪れるまでは知らない名前だったが、その後急に興味が湧いた。長崎県には彼の設計した教会が多い。五島列島には行けそうもないが、折りあらばあちこち行ってみたい。

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は昭和4年、鉄筋コンクリート造である。
鉄川は今村教会や田平教会のようにレンガ造の名建築が多いが、昭和になって鉄筋コンクリート造が一般化して、この紐差教会ではじめて教会建築に鉄筋コンクリートを導入したとか。まぁ、見物する方はレンガの方がはるかに風情があっていいのであるが、立てる側となると、予算や構造設計や強度で鉄筋コンクリートの方が楽に決まっている。

まぁ、真四角な近代建築と比べればはるかに優美な建築である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

この小さな町にこんなにたくさんの座席が必要なの?と疑問になるくらい大きい。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

ステンドグラスの模様は単純である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

天井にも細かな細工が。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会から見る紐差の入り江、木ヶ津湾。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

P5057723
P5057723 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会のアーチから麓をみると、神社の屋根が見える。国土地理院の地図を見るとこの場所には神社の鳥居のマークはあるが、教会にはなんの印もなくてその存在が抹殺されているようだ。地図記号にはキリスト教会のマークはないんだな。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

その素盞鳴神社神社から教会を仰ぎ見ると・・・。樹林がジャマで教会がよく見えない。うまく両方が見えれば、平戸の寺と教会のアンサンブルみたいな面白い絵が撮れると思ったんだが・・・
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

P5057729
P5057729 posted by (C)オトジマ

明治44年の奉納
P5057730e
P5057730e posted by (C)オトジマ

この日訪れた4つの教会。すべて平戸市内。
hirado map
hirado map posted by (C)オトジマ


平戸 ザビエル教会

観光パンフレットにある「寺院と教会の見える風景」---長すぎ---。「寺坂」でいいんじゃない?

坂を上りきると平地になり、正宗寺がある。
参道から境内にかけて西国三十三箇所の観音がずらりと並んでいる。
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

左から、一番那智山寺、二番紀三井寺、、三番粉河寺
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

左端二十三番勝尾寺、右端十五番観音寺
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

教会の裏に立派な墓地がある。
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

教会を裏から。建物はコンクリートに塗装され、正直安っぽい感はまぬがれない。それもペンキ塗りたてという感じ。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

内部には入れるが、座席より前には行けない。
今回4箇所の教会を見て回ったが、どこも開放されていて、写真撮影もおおむね禁じてない。拝観料は取らない。賽銭箱があれば喜捨するのであるが、見当たらなかった。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

1931年(昭和6年)に建てられた当時の写真。
P5057683e
P5057683e posted by (C)オトジマ

平戸殉教者慰霊碑
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

教会から見下ろす。下は光明寺。イチョウの巨木がある。
やはり私には教会よりもお寺の方が見て落ち着く。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

寺越しに平戸城を見る
P5057692
P5057692 posted by (C)オトジマ

教会の前には「主の平和」という土産物屋が。
P5057690
P5057690 posted by (C)オトジマ

教会の麓の商店街。観光地らしく、擬古風の街並。
P5055403e
P5055403e posted by (C)オトジマ

書店も擬古商家風。
P5057620
P5057620 posted by (C)オトジマ

こどもの日なので日の丸が揚がっていた。大島渚の「少年」を思い出す。あるいは「つげよしはる」?
P5057696e
P5057696e posted by (C)オトジマ

寅さんもここの商店街を歩いていた。

平戸 坂の町

寅さんは全国の風情ある古い街並を訪れていて、平戸にも来ている。1977年の「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」である。映画撮影直前に平戸大橋は開通していたが、映画には全く登場しないし、寅さんは島へはフェリーで渡る。車で橋を渡るんじゃ絵にならない。

天守閣から撮ったカット。寅さんの乗った船が近づく。懐柔櫓の屋根瓦が古い。現在の瓦は新しく葺き替えたもののようだ。


手前は中村正俊、船の上に寅さん、背景の山は城山で懐柔櫓が見えている。


1977年の平戸港。遠景に市役所とその左のNTTビルが見えている。


映画より。港近くの町の中。やはり古い。


映画中のザビエル記念教会。今は薄い緑色に塗装されていた。


寅さんが教会から坂道を下ってくる。この坂道が平戸名所。
現在と比べると36年前はかなり、小汚い。換言すればとても古色あふれて風情がある。土塀は苔が生えてボロボロ。さて現在ではどうなっているか・・・・


坂道を上から俯瞰。現在では左の大きな木造建築はなくなっている。


この坂道を登るのが平戸の目的のひとつだった。
さっそく登ってみよう。商店街から坂道の取り付きまでは殺風景。この先に絶景が見える。
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

寺と教会が同時に見えるこの場所では観光客が皆カメラを構える。
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

教会と寺という異質な組み合わせが絶妙である。
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

映画撮影時の後で、土塀は土台の石垣とともに改修されたようだ。寅さんが歩いた坂道もいいが、改修後もそう悪くない。瑞雲寺の本堂はコンクリートである。
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

土塀がえもいわれぬ曲線を描く。
P5057635
P5057635 posted by (C)オトジマ

うーん。ちょっと新しすぎ?
平戸坂道
平戸坂道 posted by (C)オトジマ

平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

P5057655
P5057655 posted by (C)オトジマ

光明寺のソテツ越しに瑞雲寺を見る。
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

光明寺
P5057646
P5057646 posted by (C)オトジマ

光明寺
平戸寺院坂
平戸寺院坂 posted by (C)オトジマ

平戸坂道
平戸坂道 posted by (C)オトジマ

平戸坂道
平戸坂道 posted by (C)オトジマ

平戸坂道
平戸坂道 posted by (C)オトジマ

坂道から下を俯瞰。坂道を登りきると、正宗寺があり、その先にザビエル教会がある。
平戸坂道
平戸坂道 posted by (C)オトジマ

平戸城

今回の目的地は平戸島。平戸についてはその昔、南蛮貿易の拠点だった、ということしか知らない。ナビのおおせのままに運転するといつしか平戸大橋を渡り、平戸市街へ。延岡からおよそ350kmくらいか。約6時間の道のり。九州も狭いようで結構広い。

市役所の駐車場に車を置くと、すぐ横に平戸城登り口。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

城山の中腹に広場があり運動場になっている。
天守閣は樹林の陰で見えないが、乾櫓が見えている。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

立派な石垣と、磨り減った石段が歴史を感じさせる。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

北虎口門が見えてきた。ここは搦手だから裏口から登って来たことになる。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

北虎口門は現存遺構。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

入場料500円を払って天守のある本丸に登る。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

北虎口門を見下ろす
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

天守。もちろんコンクリート造。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸藩はおよそ6万石。平戸島と対岸の松浦郡・壱岐国という平野のない所領で6万石とはどうなってるんだろう?延岡藩の7万石とさして変わらない。維新後は内藤氏は子爵に対し松浦氏は伯爵!まぁ、ここらは官軍についた松浦氏と譜代藩だった内藤氏の違いだろう。平戸藩は藩庁を本土の松浦郡にではなく、離島の平戸島に置いている。こんな規模の藩で離島、というのも珍しいのではないか。元が水軍だから離島も苦ではなかったのかも。

天守からの眺めは絶景!! 天気が良くて空も海も青い。島は黒子島。左は平戸港。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

対岸は本土、田平地区。平成の大合併で対岸も平戸市となっている。手前は懐柔櫓。奇妙な名前だ。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸大橋方面。海面に速い潮流が見えている。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

内陸、市街地方面。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸港。海岸部の右手に去年建てられた平戸オランダ商館。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸港はごく小さな入り江だ。これが日本史に名を残す港だとは。正面の丘、左手にはザビエル記念教会があり、右手の中腹にある和風建築が松浦資料博物館。今回はここを見損ねた。またいずれ。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

市役所から市街地へ渡る幸橋。なんと300年前の石橋が現役。上から見てもそれとはわからない。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

P5057694
P5057694 posted by (C)オトジマ

平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

ボラがウジャウジャ。他の方のサイトでもこの橋関連でボラの写真があるので、ボラはこの橋の名物なんだろう。
平戸城
平戸城 posted by (C)オトジマ

海底から引き揚げられたオランダ船の鉄製イカリ。3mくらいあってけっこう大きく、現代のイカリとほぼ同じ形。一緒に陳列してある中国船のイカリが単なる石なのに、西洋はやはり進んでいたんだな。
P5057613
P5057613 posted by (C)オトジマ

城島の酒蔵

久留米市西部に城島地区がある。かつては城島町だったが大合併で久留米市に併合された。有名人ではオウム真理教の上祐史浩サンがここの出身とか。

城島は瓦と清酒の名産地。去年、隣町の太刀洗町の今村教会の見物に行ったおり、寺男の方がしきりに「屋根瓦は城島瓦」と自慢してたので、ホホウ城島瓦というのはここらではブランド瓦なんだな、と知った。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島は神戸の灘・京都の伏見・広島の西条とならぶ酒どころとして有名だという。現在では9つの蔵元が存在している。昔はもっとあったはずで、現在では清酒需要が減退しているから経営は大変ではないだろうか。

大正時代の城島の酒造場。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

昔は大川鉄道(後に西鉄大川線)が走っていた。
P5047516e
P5047516e posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

花の露酒造には大変大きな木造の酒蔵が残っている。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

この長い板塀。屋根を覆うつる草まで、風情がある。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

和瓦の大屋根は味があるなぁ。ホレボレ。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

鉄骨とスレートで大きな工場が安価に作れる時代に、この巨大な木造建築は貴重だ。ぜひ残して!
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

事務所かな?今では使われていないようだ。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

この会社にはどこにも近代建築がないところが素晴らしい。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

道路を挟んだ工場を結ぶパイプライン。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

萬年亀酒造も古さが風情を醸す。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

萬年亀酒造の事務所。万年生きた亀が藻を生やすみたいに事務所もツタに覆われつくしている。大丈夫かね?
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島の隣、大善寺の「菊菱」もすてきな酒蔵の雰囲気を残すが、現在ではウナギ屋さんに衣替えしている。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島
城島 posted by (C)オトジマ

店内の写真はコチラにたくさんある。ウナギは高いので残念ながら食べなかった。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

「菊びし」の前に広がる筑後川の旧川道。
城島
城島 posted by (C)オトジマ

城島の翌日に見たのがこれ。酒蔵つながりで、長崎県の潜龍酒造「本陣」の建物。佐世保市の江迎町にある。佐世保というより平戸の近くである。
本陣
本陣 posted by (C)オトジマ

ここにも巨大な木造建築が。
P5057568
P5057568 posted by (C)オトジマ

手前の建物は昔、松浦藩御用の本陣として使われていた。
酒のブランド「本陣」はそこから来ている。
本陣
本陣 posted by (C)オトジマ

本陣
本陣 posted by (C)オトジマ

潜龍酒造前には江迎湾が細長くのびる。向こうに松浦鉄道の鉄橋が見える。
P5057577
P5057577 posted by (C)オトジマ





石橋文化センターのバラ

例年GWには息子のいる久留米に行く。
久留米はツツジが名物であるが、5月は石橋文化センターのバラ園が賑わう。孫を連れて行ってみた。

石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

見事なバラ
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

大賑わい
P5047421
P5047421 posted by (C)オトジマ

バラは種類も数も結構多くて、大分県の大神ファームより日大規模かも。大神ファームが800円取るのに対し、ここは入園料無料。有料のバラ園はここにバラで負けてはいけないはずだ。
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

いろいろな露店も出店し、大繁盛。
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

とにかくゴールデンウィークということで、駐車場には県外車も多い。入園は無料だが、駐車場は200円。
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

ケヤキの新緑がキレイ。右は市立図書館。
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

孫たちは広い園内を駆け回る
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

坂本繁二郎のアトリエ。坂本は同じ年に生まれた青木繁とともに久留米の生まれで石橋美術館のコレクションの主要画家。
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

石橋美術館
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

でかいサギが魚を狙う。いるのはでかいコイばかりでサギの手には負えなそうだが・・・
石橋文化公園
石橋文化公園 posted by (C)オトジマ

文化に理解ある地元大企業があると有難い。久留米出身の富豪ホリエモンは地元への貢献がない、という声も。
P5047492
P5047492 posted by (C)オトジマ

ゆるキャラブームに久留米も参戦。なかなかカワイイし、デザイン処理も悪くない。クマモンに続けるか?
P5047489
P5047489 posted by (C)オトジマ


宮之浦で磯遊び

島野浦の翌日は島野浦の対岸の宮之浦、大間海岸に出かけた。
男子中学生3人を連れて磯遊びである。

大間海岸には宮之浦漁港から宮之浦八十八箇所の遍路道を逆順に歩いて至る。4月30日のお大師さんの祭りということで、1番札所にはノボリがたくさん上がっていた。ここの祠にもいつになく幔幕が張られていかにもハレの日、という感じである。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

中学生は遍路道の急傾斜もヘイチャラで、すいすい歩く。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

子ども達も今日の磯遊びの安全を祈る。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

ここらの遍路道のレポートはコチラで。

他の宮之浦八十八箇所のレポートはコチラ

大間海岸を歩く。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

対岸の島野浦がすぐそこに。前日は向こうからこちらを眺めた。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

砂浜海岸の中ほどに赤い鳥居が立つ。石段を登ると大間明神がある。神社に79番札所がある。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

きれいな砂浜で誰一人いない。ゴールデンウィークの休日なのにもったいない。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

ちょうど干潮。どんどんと潮が引いていき、岩場が広がっていく。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

サンゴも見られる。水中カメラがあったらもっと色鮮やかなサンゴが撮れるのだが・・
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

さっそく子ども達が水に飛び込む。水温はやや低いがすぐに慣れて気持ちよくなる。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

まったく波のない大きな潮溜まり。ここには大きなミナがたくさん。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

ウニがウジャウジャいる。というか、ウニしかいない・・・
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

NHK教育の「サイエンスゼロ」で磯の生物相が乏しくなる「磯焼け」に関して、ウニの異常発生が原因だ、としていた。ウニが海藻類を食い尽くして他の生物を根絶やしにするとか。世界共通に見られる現象だそうだ。それには海水温の上昇が関係するらしい・・・。もしかすると日豊海岸でも同様のことが起こっているのかもしれない。とにかく水中の生物相が貧弱だった。昔はこんなことなかったような気がするんだが。

タチの悪いのがこのガンガゼである。とんでもなく長いトゲが密集していて、ウッカリさわると大変なことに。さっそく子どもの一人が刺されてしまった。他のウニなら手のひらに乗せても大丈夫だがガンガゼの針はとても鋭く返しがついていて更に毒があるという。昔はこんなの見たことなかったなぁ。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

ミナは深く潜らなくともそこらにゴロゴロしている。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

海水で茹でて・・・
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ

おいしく頂きました。ミナを食うつもりの人は身をほじくるためのクギとが針金を持っていったほうがいい。
宮野浦
宮野浦 posted by (C)オトジマ


島ノ浦 三十三箇所 その4

--前回エントリからの続き--

遍路道の23番手前からの分岐を下ると、福聚寺の墓地に出る。寺は山の中腹にある。その周囲の斜面を墓が埋め尽くす。この区画には戦死者の官給墓石が並ぶ。
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

島野浦の町を見下ろす。土地が狭いので屋上を活用できるコンクリート建ての家が多い。
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

あの山の尾根筋が5番から10番くらいにあたる。集落の中に突き出た小さな尾根に1番の島野浦神社がある。
P4287294
P4287294 posted by (C)オトジマ

福聚寺の屋根
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

ここは川島にある福聚寺の出張所みたいなことが書いてあるが、ググっても川島の福聚寺が見当たらない・・
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ


島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

なんと、あの大塩平八郎の娘(小山せき)がこの寺にいたことがあるという。ネットで調べると島野浦関連でしか出てこない。彼女はその後、延岡に移り、明治まで生きたという。この石碑の「伝説」という文字が気になる。どうやら小山せきが大塩の娘だという確たる証拠はないのかもしれない。
P4287300
P4287300 posted by (C)オトジマ

鐘を撞いてもいいが、町中に響き渡るので1回にしておいたほうがいい。
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

本堂横に観音堂がある。中は見れない。この境内に33番があってもいいはずなんだが・・・・
福聚寺
福聚寺 posted by (C)オトジマ

実はこのときは気づかずあきらめて麓に降りてしまったのだが、この観音堂前に33番があったのである。後で再び登って来て見つけた。このハナシバに埋もれている石仏である。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

ハナシバを横にどけて写真を撮る
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

境内から漁協方面に少し石段を下りた斜面の中腹に32番がある。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

32番の横には地蔵堂がある
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

ふてぶてしいネコがお供え物をくすねている。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

前回記したように、配布されている西国三十三観音巡りマップでは32・33番の順路はわかりにくい。一度全部回った後で「ふれあい館」横の路地から寺に上がったほうがわかりやすい。ちなみにそこらの老人達に地図を見せて32番33番のありかを尋ねたのであるがほとんどの人は知らなかった。地元の人も意外と知らないのである。「ふれあい館」の店員さんに聞くと20年ほども遠見場山に登ったことはない、という。

麓から寺を見上げる
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

寺から神社方面に降りる石段
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

ノスタルジーを感じさせる古い商店
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

集落の内部はどこまでも細い路地でつながっている。車というものを全く想定しないこんな集落は漁村では昔はありふれたものだったのではないか。宮野浦や蒲江でもこんな路地を見た。火事が起こったら大変だ。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

島野浦神社の社殿は真新しい
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

元の社殿にあった彫刻を生かしている。なかなかいい。
P4287319e
P4287319e posted by (C)オトジマ

大きなシャコガイが奉納されている
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

各戦争の鎮魂碑が並ぶ。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

日中戦争・太平洋戦争でこの小さな島から約100名の戦死者を出している!! とんでもない戦争だったんだなぁ。現在島の人口は約1000名。
P4287327e
P4287327e posted by (C)オトジマ

「江りい丸」遭難慰霊碑。昭和19年1月11日、広島から出航し、南方に兵員輸送中の輸送船・江りい丸は島野浦沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け、2450名中198名が死亡した。死亡者は確かに多いが、90%以上が助かっている方に驚く。真冬の海だよ。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

西国三十三箇所の第1番は神社の下の辻にあった。掲示板に挟まれているのでうっかりすると見過す。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

今回の巡礼では24番~31番を回りきれなかった。4時間歩いて足が棒になったので、また機会を改めてやって来ることにしよう。来てみれば島野浦はそんなに遠くない。

ともかく島野浦三十三箇所巡りは素晴らしい巡礼路である。海と山の景色を両方楽しめるし、船にも乗れる。宮野浦八十八箇所とともに延岡市が誇るべき文化遺産・自然遺産である。ぜひ皆さんにおすすめしたい。

中心部から一つ北の入り江にある宇津木地区にある島野浦小学校を見に行ってみた。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

昔とは校舎は変わったが、場所は同じだという。
実は私の母が若かった頃、この小学校で教員をしていた。昭和10年頃のことである。母は生きていれば97歳くらいである。教え子はまだご健在かもしれない。宮崎の師範学校を出て、すぐにここに赴任した。日豊線の市棚駅から山を越えて、海岸部に出たという。徒歩だったのではないか。小学校には小さな子から19歳の青年までいたという。小学生なのに母と年齢が変わらない!
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

小学校横のこの古い家屋は母も見ただろう。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

高速船乗り場で島の駐在さんと住民が歓談。その横を、船から降りて来た人たちがノーヘルでバイク、軽トラの荷台に人を乗せて走り去る。うーむ。法律はこのくらい柔軟に運用して欲しいね。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

午後2時35分の高速船で島を去る。楽しい5時間だったぁ。島野浦よ、ありがとう。
島野浦
島野浦 posted by (C)オトジマ

島野浦西国三十三箇所巡りマップ。 本物はフェリー乗り場に置いてあります。不必要に大きい地図なので持ち歩きには不便。
島野浦巡礼マップ50
島野浦巡礼マップ50 posted by (C)オトジマ

対岸の宮野浦八十八箇所関連レポートはコチラ

高千穂浅ヶ部八十八箇所関連レポートはコチラ



島ノ浦 三十三箇所 その3

---前回エントリからの続き---

遠見場山はトンバヤマと読む。門川のトンバンヤマと同じ語源ではないか。すなわち昔の藩の遠見番所があったところ。
標高185.3m。灯台は小さいが、テッペンまで登るハシゴがあるので登ってみた。高所恐怖症の人にはお薦めできないが、絶景である。もし島野浦三十三箇所を回るのなら灯台からの眺望ははずせない。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

南の方、浦城方面。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

北の方。宮野浦方面。右の島が高島。正面の砂浜が大間海岸。宮野浦八十八箇所の77番が高島に、79番が大間海岸の大間明神にある。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

小池の鼻。海岸が美しい。この入り江にオオスリバチサンゴの日本一の群生が見られるという。昔、グラスボートという、船底がガラスになって海底を見れる観光船で見に来たことがある。あのグラスボートはどうなったのかな?
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

島野浦中学校方面。学校は山の陰で見えないが。フェリーの発着場が見える。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

島野浦中心街方面。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

12番近江国正法寺千手観音  13番近江国石山寺如意輪観音
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

16番山城国清水寺千手観音
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

左:16番は奇妙に足が短い?! 右:17番山城国六波羅蜜寺十一面観音
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

17番はヒダラ松峠にある。絶景ポイント。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

17番
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

ため息の出るような絶景にしばしたたずむ。ここでお弁当---と言いたいところだが、島内最大の店である漁協経営のふれあい館には日曜日には弁当が売ってない!やむなく菓子パンを買ってきたのであるが、つくづくコンビニの有り難味を知る。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

はるかかなたの水平線におぼろに見えているのは土々呂・赤水の遠見半島である。赤水も島野浦も平成の大合併以前から延岡市であるから、延岡市の広さを実感できる遠望である。尾鈴も見えるらしいが、この日は見えなかった。四国も見えなかった。中国のせいで空気の透明度が低い。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

日井の浜(ひいのはま)方面。磯遊びに良さそうな所だ。島の浦中学校前からこの浜にいたる歩道がある。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

17番からはもと来た道を引き返す。マップには17番の先に中山崖展望所というポイントがある。ヒダラ松峠から10分ほど先であるが、札所ではない。100mほどの断崖があるらしい。2時35分の高速船に乗りたいのでパスした。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

日井の浜から登って来たという元気のいい親子が追い越していった。今日出会ったハイカーは彼ら一組だけ。ゴールデンウィークの日曜と言うのに・・・
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

再び灯台のある遠見場山にもどり、18番から左折して福聚寺方面に山を下る遍路道をたどる。ツツジがきれい。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

19番山城国行願寺千手観音
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

20番山城国行願寺千手観音
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

20番あたりから下の遍路道はなかなか気持ちいい。以前には畑があったのではないか、と思われる石垣が見られる。
P4287267
P4287267 posted by (C)オトジマ

19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

薮の中の22番に木漏れ日のスポットライトが差す。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

22番摂津国総持寺千手観音。顔がない。こんな離島にも廃仏毀釈の波が押し寄せたか・・・観音は亀の甲羅に乗っているのであるが、亀の顔ももげている。もったいない・・・
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

22番の先で道が分岐し、直進し島の浦診療所方面の30番に行く道と、右折し三十三番の福聚寺方面に分かれる。どちらに行ったものか悩んだが、福聚寺の方に行ってみた。結論的に言えば、ここは直進をお薦めする。どうせ最終的には高速船乗り場に戻らねばならない訳で、福聚寺は乗り場の近所だし、32番は寺の下にあるから、32・33番は最後に回すほうが効率的だ。

23番近辺の遍路道。23番は分岐のやや先にある。
13-23
13-23 posted by (C)オトジマ

現れた23番に唖然とする。新品ではないか!土台はオリジナルであるが・・・ やはり新品は有難くない。日本製か、中国製か知らないが、彫が甘く、たくさんの手や持ち物が太い。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

23番摂津国勝尾寺千手観音
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

背後にオリジナルの残骸が転がっていた。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

でかいカンタロミミズ発見
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

分岐を福聚寺方面に行くと森を抜け、墓地に至り、町が一望できる。
19-23
19-23 posted by (C)オトジマ

福聚寺から先は次回に続く


プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR