見立鉱山から木浦鉱山へ

かねて行ってみたかった日之影川の源流から県境の峠・杉ヶ越、木浦鉱山ルートを通ってみた。

日之影川ではアユ取りの人々。網で獲ってる。合法なんでしょうね。戸川集落のやや下流
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見立のやや上流。
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あちこちに釣り橋が。橋の向こうに愛車ワゴンRが見える。
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渇水で水量が少ない。
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向こうの建物にもみじ祭りと書いてある。秋は紅葉がキレイだという。
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こんな山奥にも野仏が
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県道8号は上の野仏のある橋を渡ると川からはなれ、峠越えになる。さして急峻な道ではない。舗装もしっかりしている。杉ヶ越のトンネルを越すと大分県佐伯市。
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峠から見下ろす大分県側
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宮崎県側から県境の峠のトンネルを抜けると鉱山跡がある、というのは県道7号の尾平越え、尾平鉱山と同じ。尾平鉱山も木浦鉱山も江戸時代に竹田・岡藩の収益源だった。

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県境からダラダラ坂をかなり降りたところに木浦鉱山がある。
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木浦鉱山という名前の集落で、すでに鉱山は廃鉱となっている。
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昔は賑わった鉱山街だったらしいから、どこかに古い街の面影はないか、と探してみたが・・・ あまりない。
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昔は旅館で今はカフェ「かわせみ」。平岩弓枝に「御宿かわせみ」という作品があったな--
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鉱山が栄えたのは江戸時代らしいから、すでにその頃の栄華が残ってないのは当然か。
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案内看板も退色でほとんど消えかかっている。
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里の駅「木浦 名水館」があるが、閉まっていた。大分県には各所に湧水や鉱泉がある。
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木浦鉱山から宇目の国道326号・小野市に向かう途中に「ととろ」があるらしい。最近すっかり「ととろ」をきどっているが、本家元祖老舗「ととろ」はもちろん延岡市土々呂町に決まっている。なにせ人口規模が違う、JRの「ととろ駅」がある、「ととろ港」「ととろ小学校」「ととろ中学校」・・・・となんでもありで、こんな僻地の寒村とは「ととろ」の格がちがうのである!!
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なにせ元祖「ととろ」の延岡市土々呂は数百年の古い歴史を持つから、だかだか25年前のアニメが名前をパクッてヒットしたからといって軽々しく便乗しないのだ。土々呂町には「トトロショップ」「ジブリショップ」なんてないのである。

これは木浦の怪しい「トトロ」あやかりショップ。
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これが本家元祖「ととろ」駅。後ろには「MIYAZAKI」と書いた電車が停まっているでしょ。
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ラサ工業

さて見立の英国館に転がっていた「ラサ工業50年史」のことである。
ラサ工業は見立鉱山を経営していた会社である。現在でも排水管理のためか現地に事務所がある。
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「ラサ」という日本語らしからぬ社名であるが、大正時代以来の伝統ある社名である。ラサとは沖縄東方海上に浮かぶ絶海の孤島の名称で沖大東島ともいう。洋上の孤島は海鳥の繁殖地になることがままあり、ここも鳥の糞に由来する燐鉱を産し、1913年に「ラサ島燐鉱株式会社」が設立され、肥料の原料として採掘した。今年が100周年ということ。
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ラサ島に舞う海鳥
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ラサ島はいまも全島がラサ工業の所有となっている。

英国館に置いてあるのは「ラサ工業50年史」だからなんと50年前に出版されたものである。ということは100年の歴史の前半を描いているだけである。この会社の全盛時代は戦前のことで戦後はジリ貧だから後半の50年史にはたいしたトピックはないだろう。

同じく肥料会社から発足し同じくらいの歴史を持つ日本窒素-旭化成の現在の売上げ1兆5000億に比べ、ラサ工業はわずかに300億。鉱山に依拠した経営が災いしたようだ。ラサ工業も設立間もない大正九年には大戦景気もあって10割配当をし、設立5周年パーティには時の首相原敬も出席したという黄金時代があった。

パラパラと拾い読みしてみたら面白い記事があったので抜き出してみる。

ラサ工業は原料たるリン鉱石をラサ島とフィリピン東方にあるアンガウル島に頼っていたのであるが、将来の資源枯渇を見越し、新たに産地を探すことになった。南洋の孤島を探すうちに、南シナ海の新南群島に至った。南沙諸島(スプラトリー諸島)のことである。1919年、その中のウェストヨーク島に目をつけ無主地であることを確認し「大日本帝国」の標柱を立てた。その後、別の島イツアバー島にて1920年にリン鉱石の採鉱を始めた。

戦前、ラサ工業が東南アジアの持っていた鉱山
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イツアバー島(長島)全景
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P8211686e posted by (C)オトジマ

1929年の世界恐慌で事業縮小を余儀なくされたラサ工業はこの新南事業所を休止し、島から撤退する。ところがその4年後の1933年、フランスがこの諸島を先占宣言するのである。当時ベトナムはフランス領土でこの諸島もその近隣ではある。ラサ工業は奪還すべく政府に働きかける。毎日新聞は現地に特派員を派遣し、下の写真の標柱を発見し、日本の先占の証明だとした。日本政府もフランスに抗議して交渉に入る。政府は1939年官報にて「南シナ海上の新南群島を台湾総督府の管轄下に属せしむ」と告示した。

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P8211685e posted by (C)オトジマ



その結果、ラサ工業は新南諸島の権益を確保できたわけである。ただし、フランス政府が非を認め了承したかどうかは怪しい。1939年のことである。その直後第二次大戦が勃発し、フランスはドイツに占領され、フランス領インドシナは日本に占領されてしまい、ドサクサに紛れてしまう。その後、日本の敗戦で日本はすべての海外領土を放棄する。そしてこの南沙諸島は再び帰属があいまいになり、現在の国際紛争に至っている。

以前にも書いたことがあるが、この地域は各国が主権を主張している。地理的に最も近い沿岸国としてフィリピン。フランスから独立したベトナムは、1933年のフランスによるこの諸島の先占宣言を根拠としているのだろう。はるか遠く離れた中国が、相手が弱小国ばかりをいいことにゴリ押し的に実力で占拠を始めたのはえらく不当に思えたものである。

しかし、1939年の日本の領有宣言が有効なら、この諸島は日本領土たる台湾に帰属してたわけだから、現在台湾の主権を主張している中国が南沙諸島の領有を主張しても全く不思議はない。上の「大日本帝国---」の標柱は中国の主張にとってきわめて有効な論拠になる。

しかし、中国の主張は尖閣諸島と同じで、そんな些事におかまいナシに、「大昔から中国領土であるのは自明だ」の一点張り。なまじフランスや日本の領有に触れると議論の余地のある論争になってしまうので無視して、実力行使したほうが得策、ということだろう。尖閣でも手法は同じ。

日之影の山奥で、現在のホットな領土紛争についての意外な過去史に触れる事ができた。

見立 英国館

一昨年、見立に来た時には夕方で英国館に入れなかったので、今回は入ってみよう。外見からはあまり英国臭が漂わず、近年建てられた安普請の感があるが、もしかすると内部には意外な発見があるかもしれない・・・・

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P8211660 posted by (C)オトジマ

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P8211659 posted by (C)オトジマ

私夫婦以外にももう一組の夫婦が来ていて、入り口の電話機に入館希望を伝えると、ふもとのカモシカロッジから管理人の老婦人がエッチラオッチラ登ってきて、約10分は待たされた。それにつけても入館料300円は高くはないか?

予想たがわず、内部も安普請だった。床は新建材のフローリングで古くなっており、天井もよれよれになった新建材、暖炉はセメント。置いてある家具もいかにも地元の家具屋から買ってきたようなありふれたもの。木材の産地なんだからせめてオール杉のムク材で作って欲しかったところ。
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P8211669 posted by (C)オトジマ

ユニオンジャックはあるが、英国臭は全然ナシ。

もともとここには見立鉱山のクラブハウスがあってハンターらの外人技師がいた。鉱山関係の資料があるが、これも貧弱である。下は「ユリ鉢」といって、鉱石を水中で揺すり、比重の差を利用して金属をえりわけていた器具。砂金取りなどが使うのを映像でよく見るが、木製というのが珍しい。ケヤキ材をロクロで削りだしたもの。大きい。
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P8211662 posted by (C)オトジマ

近辺のジオラマ。実際の坑口は遠方にあって、鉱石は索道でここに運ばれた。
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えP8211666 posted by (C)オトジマ

選鉱場


索道の鉄塔が遠くに見える
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P8211703 posted by (C)オトジマ

下:索道端末。鉱石を運ぶバケットがぶら下がっている。


この杉林のあたりに昔鉱山住宅が並んでいたはず。
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P8211704 posted by (C)オトジマ

昔の写真。すごい斜面で暮らしてたもんだ。


ここを訪れた知人からは「ステキな建物だった」と聞いたことがあるが、正直言って私にはあまりステキではなかった。できた当初はもうちょっとキレイだったとは思うがステキではなかったはず。安普請は古くなっても古色による風格が出ない。

しかし、資料として置いてあった「ラサ工業50年史」が意外と面白かった。詳しくは次回で

わが盲想

なんとなく図書館の新刊書棚にあった「わが盲想」という本を借りてみた。外人系のお笑い芸人か?とも思ってほうっていたら、妻の方が先に読んでしまってエラク感心していた。



著者はモハメド・オマル・アブディン、スーダン人、盲目、日本に留学中ですでに15年が経ち、現在研究者生活をしている。そもそも日本にスーダン人が多数いるとは思えない。盲目という大変なハンディを背負って、現在では超流暢に日本語を話す。なおかつ彼は読み・書きもほぼ完璧なのである。全く日本語を知らない状態から、来日後の悪戦苦闘の経過を綴ったものが、この春ポプラ社から単行本として刊行され、評判になっている。

ポプラ社ではブログ形式でウェブ上で公開していて、本の内容はおおむねそれと重複しているのでお金のない人はコチラで読めばタダである。お金のある方はぜひ本を買って彼に印税収入をもたらして欲しい。

ポプラ社が動画をアップロードしている。彼がパソコンで日本語入力しているのを見るだけでも価値がある。


ツイッターはコチラ

スーダンと言う国が我々には全くお馴染みではない。イスラム国だという。スーダンのことはそう詳しく描かれてはいない。もっぱら彼が日本の盲学校や大学で日本語修得や盲目であるがゆえに苦労したことがとても面白、おかしく描かれている。私は2時間で読んでしまったくらいだから、とても読みやすい。出版社は変換ミスの訂正くらいしかしていないから、ほぼオリジナル。

盲人の生活の苦労も健常者にはなかなか想像がつかないが、その一端がわかる。東京の荒川区から府中の東京外大まで電車を4つ乗り継いで通学するだけでも一冊本が書けそうな位の大事業である。盲人が電車に乗る、ということは晴眼者が手すりのないビルの屋上の外周を歩くようなもので、普通なら禁止されるような危険な行為である。彼にはハンディを笑い飛ばせるユーモアがあるので彼が本に書けるようなテーマはたくさんありそうだ。

私はいまだテレビで彼を見たことはないが、今後、異色外人タレントとしてそのうちブレークするんじゃないだろうか。話も大変面白いし、知識人でもある。

日之影川・男淵

以前に日之影流域の石垣の村「戸川集落」に行ったとき、男淵という素敵な淵を見た。いずれ泳ぎに来たいと思ったものである。

というところで夢がかなったのが下の動画。とてもキレイであるが、透明度は北川水系・小川の方がマシか。日之影川は瀬ばかりで深い淵はあまりない。


チョー気持ち良かった~!! 深い所で5~6mくらいか。橋の下では、水底まで岩が垂直に切り立っていて、アユがたくさん泳いでいた。

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橋は人道。
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人道の対岸には昔のトロッコ軌道敷きを利用したウォーキングコースがある。トロッコを復活して欲しい!
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男淵近辺の県道8号。
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橋のたもとに石碑が。「奨学大淵橋」とある。大正時代のもので、説明はなく献金者の氏名のみ。通学路として架けられたものか。現行の橋の下にあったようだ。
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橋の土台だけが残っている。
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「はだしのゲン」の汐文社

松江市教育委員会が学校で児童が「はだしのゲン」を閲覧することを制限したことが問題になっている。これを聞いたほとんどの人は「なにをいまさら?」と思ったことだろう。

常識的は意見はこうである。---産経ニュースより----

公明党の山口那津男代表は22日の記者会見で、松江市教育委員会が漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市立小中学校に求めたのは不適切だとの認識を示した。「これまでみんな見ることができて(漫画で描かれた)表現もずっと享受されてきた。知る機会はきちんと保たれた方がいい」と述べた。

一方で自民党には理解を示す人もいる。---朝日新聞電子版より---

下村博文文部科学相は21日の記者会見で「特段の問題はない」と述べた。漫画の内容について「教育上好ましくないと考える人が出るのはあり得る」とも話し、対応に理解を示した。

そもそも今回の松江市の対応が、一部のしつこい「市民」の苦情に対応したものらしい。その「市民」の本当のネライは残虐場面にではなく、「反戦・反核」憎し、の方にあるようだ。自民党に呼応する声があるのはうなづける。

「はだしのゲン」は大昔から全国どこでも学級文庫の定番である。一般にマンガは学級文庫や学校図書館に置かないが、「はだしのゲン」だけは別である。単なる無味乾燥な平和教育の教材というわけではなく、子供が喜んで読む面白いマンガなので、こんなに長い間愛読されてきたのだろう。



実は私は「はだしのゲン」にほんの少しかかわりがある。

「ゲン」の版元は昔から汐文社である。他社版も集英社とかホルプとかあったが、基本は汐文社。かなりマイナーな出版社である。現在では児童・学校向けの書物が中心になっているようだ。私が学生時代この出版社でアルバイトをしたことがある。経営不振でアルバイトは全員解雇されたので、短期間だったとおもう。お茶の水に会社があったので近所の中央大学の学生アルバイトが多かった。およそ40年前の話だから、社員も経営者も入れ替わっているし、話しても時効だろう。

汐文社は元来は京都の会社で、当初は部落問題関連書籍が多かった。まぁ、左翼系の版元である。その後、社会科学系や一般書籍も出すようになり、コミックにも手を出した。コミックは大量に部数が捌けるので当たると大きい。しかし、昔も今も売れる著者は大手の講談社・集英社・小学館がほとんど押さえているから、落穂ひろいのように、大手版元に収録されていない有名作家のマイナーな作品をかき集めていた。白土三平・矢口高雄・水木しげるなどの作品もあったが、聞いたこともない単発物ばかり。返品の洪水で、倉庫は文字通り「返品の山」で、出庫係はその山に登って、本をかきわけて目当ての本を探していた。

アルバイトの仕事は全国の書店に直接電話して、コミックを置いてもらうことである。通常だと書店は日販・東販などの取次としか交渉しないので、書店まかせにしていると、書店の限られた書棚は大手のコミックだけに占拠されて、零細版元の聞いたこともないタイトル群が割り込む余地はない。そこで「はだしのゲン」の登場である。汐文社はどの書店も知らないが、「はだしのゲン」の知名度は抜群であった。

「はだしのゲン」の汐文社で~す。「ゲン」を始めとした売れ筋作品ばかりのセットを組んだので置いて下さい。いつでも返品可ですよ~!

と切り出すのであるが、これが容易なことでは置いてくれない。当時は個人経営の零細書店が全国に1万店以上あったと思われるが、コミックの洪水でどの書店も飽和状態だから物理的にスペースがないのである。そこをお人よしの店主や、訳のわからん老人店主を口車に乗せて置いてもらうのである。しかし、いざ店にそのコミックセットのダンボール箱が届いてみると、「はだしのゲン」以外は聞いたこともない作品ばかりだからたちまち「ゲン」を除いて返品となる。

実はこれは会社の資金繰りの面があった。返品は覚悟だが、取り合えず翌月には一旦セット丸ごとの代金の入金がある。
その請求が立つことは電話ではあいまいにしておく。返品に伴い返金もあるが、とりあえずの短期運転資金を入手できる。あまり誉められたやり方ではない。すぐに行き詰った。

その後、私は郷里で書店経営に関わったことがあり、その時は棚に汐文コミックスを置くようにした。売れなかったが「ゲン」だけは売れた記憶がある。

※ヤブヘビか!?

--その後、8月24日朝日新聞電子版によれば、話題沸騰の「ゲン」が売れに売れて、汐文社では急遽大増刷しているという。例年だと夏休み・終戦の日特需で10冊セットが2000セットくらい出るらしいが、今年は7000セットが売れ、8月15日を過ぎても勢いが止まらず増刷中とか!1セット7000円ほどだからこの夏だけで5000万円ほど(定価換算)売れたことになる。こりゃボーナスが出るぞ、よかったねぇ、汐文社!---

それはとこかく、ゲンの作者で被爆者でもある中沢啓治さんは昨年亡くなった。汐文社は中沢さんには大恩があるのは確かだ。中沢さんは若い頃に描いたこの作品だけで一生を過ごしたようなマンガ家である。うたかたにように消え去る消耗品のコミックが多い中で、一作だけとはいえ超ロングセラーで歴史に残る作品を残せたんだからもって瞑すべし。

汐文社刊「マタギ列伝」


その売れなかった汐文コミックスの中にはいい作品もあった。私は矢口高雄の「マタギ列伝」が大好きだった。矢口は少年マガジンで「釣りきち三平」が大ヒットしていた。釣りをしない私は読みもしなかったが、「マタギ列伝」ではじめて奥羽山中でクマを追うマタギたちのことを知った。緻密で美しい絵も魅力だった。矢口氏の郷里のことを描いている。現在では「マタギ列伝」は他社版で入手できる。















夏雲

8月になってPM2.5のせいだか大気中の水蒸気のせいだか、春先の黄砂のように景色がおぼろに見えていた。それが台風13号の影響なのか一雨降ったあとに目がらウス幕が取れたかのようにクリアな空が見られた。というところで空の写真。

学校は門川中学校
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P8181570e posted by (C)オトジマ

ジブリのアニメ、「耳をすませば」に出てくる雲みたい
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P8201594 posted by (C)オトジマ

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城ヶ丘の坂道を登るとまずこのブーゲンビリアが目に付く
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満月なので夜の雲もキレイ
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満月も撮って見た。
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夏の終わり

猛暑は依然として衰えないが、セミの鳴き声は着実にクマゼミからツクツクボーシに移行しつつある。8月26日に2学期の始まるここらの子ども達も宿題の追い込み時期に入ってきた。

我家では久留米に住む孫たちを預かっていたのであるが、本日で帰っていった。盆で娘達も帰省していたこともあり、朝から晩まで続いていた喧騒がウソのように静かになってしまい、夏が去っていくのを感じた日であった。

孫がいると、毎日プールか、川か、海に行く日々である。という訳でこの夏はよく泳いだ。
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IMG_3257 posted by (C)オトジマ

町営プールは幼い子供をつれた家族連れで賑わった。水温は生ぬるく、浅いので小学生までしか楽しめない。
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IMG_3260 posted by (C)オトジマ

須美江海水浴場は遠浅で波がおだやか。水質も良く、砂浜もきれいで子供連れには最適。
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P8171528 posted by (C)オトジマ

盆の土曜日というのに都会に近い海水浴場では考えられないくらい空いているのがうれしい。
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P8171548 posted by (C)オトジマ

近場の五十鈴川は長期の日照りでほとんど流れがなくなるほど淀んでおり、水質が悪くなってきたので泳ぐ気がしないので敬遠し、もっぱら北川水系の小川まで出かける。
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P8147235 posted by (C)オトジマ

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P8121512e posted by (C)オトジマ

ここも水量が減りつつあるが、透明度は維持している。
水平方向には20mくらい先まで透けて見える。
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P8116900 posted by (C)オトジマ

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P8101503 posted by (C)オトジマ

そこらじゅうイノシシの足跡ばかり。住民は減り、野生動物ばかりのさばる。
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P8158709 posted by (C)オトジマ

最近は花火がやたらと安価なせいか、だれかかれかが子ども達に花火を買ってあげるので毎晩花火をしている。ジィジが子供の頃は花火はばら売りで1本5円、10円してたからそうおいそれとは買えなかったぞ。駄菓子屋の店先で1本1本慎重に吟味して買っていたものだが、いまや300円で大量に入った袋がある。
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P8171564 posted by (C)オトジマ

子ども達は毎晩録画してある「コクリコ坂から」を飽きずに見ていた。幼児向けではないような気がするが、面白いらしい。そのテーマ曲が耳につく。「さよならの夏」である。


現在映画館ではジブリ作品「風立ちぬ」が上映中で10月までの超ロングランらしいが、当ブログには依然として2年前の「コクリコ坂から」を検索するアクセスが非常に多い。以下。

コチラにレビュー
コチラに「紺色のうねりが」解説

川の口神社の大ケヤキ

諸塚村川の口出身の妻と結婚して30ウン年経ち、川の口には度々里帰りしているが、集落の産土の神、川の口神社に参ったことがなかったので、この度墓参ついでに寄ってみた。

神社のある公民館から集落を見下ろす。集落は谷底ではなく、山の中腹にある。標高500mほど。
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神社の森
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神社には巨大なケヤキがあって集落のどこからでも見える。
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推定樹齢400年とか。例によって写真ではスケール感が伝わらない。トトロが住んでいそうだ。
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これは根元。
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杉の巨木もある。他にもいろいろ巨木が残っていて、巨木が神社の格を示すとするなら、この神社は貫禄十分である。
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拝殿手前の巨石もご神体である。その岩の上にも木が生えている。
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緑が美しいモミジに数枚赤い葉が・・・
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稲荷社もある
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P8088574 posted by (C)オトジマ

賀来飛霞

諸塚にある妻の実家は旧家である。山の斜面にへばりつく僻村であるから旧家と言っても裕福には程遠く、長年続いた歴史も風前の灯。後継者はなく廃屋となる日も遠くないだろう。
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P8048531 posted by (C)オトジマ

かつてはカヤ葺き屋根だった。
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P8048486 posted by (C)オトジマ

家業は昔から木炭やシイタケを含む林業である。平地がないので農作物は自家消費分くらい。集落には戦時中に用水ができて猫の額ほどの水田が拓かれている。
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P8048514 posted by (C)オトジマ

敷地の一角に「賀来飛霞宿泊弁指之跡」という石碑が建っている。雑草に覆われ何だかよくわからないが・・・
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これは25年ほど前の状態。
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May21~38 posted by (C)オトジマ

賀来飛霞(かくひか)とは江戸時代末から明治初期にかけての本草学者である。1816年、現在の豊後高田市で医師の家庭に生まれた。医業の延長で本草学を学び、薬草採集のために全国を歩いた。その旅行記が多数の採薬記として残っている。日向国には1841年に訪れ、「高千穂採薬記」を著している。(鉱脈社刊の復刻版)
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P8068547 posted by (C)オトジマ

弁指(べんざし)とは九州地方、とくに豊後・日向地方で庄屋を補佐する村役人のこと。賀来飛霞がこのあたりにやって来た時、この家に宿泊した。賀来飛霞はここを訪れた時のことを高千穂採薬記」にこう書いている。(クリックで拡大)


地域の庄屋宅がはなはだ遠いので、やむなく弁指の家に泊まること。主の風体、まだ屋敷が新しいこと、立派な木目の一枚板の戸、床の間の置物、ヘタクソな書、まかないに出た男達のことなどを記している。ということはこの家はおよそ200年近く経っているということ。今でこそ日向市から車で1時間半で着くが、昔は尾根伝いの山道で延岡から2日はかかったのではないか。こんな僻地にも延岡藩の支配は細かくいきわたっていたのである。

この集落で撮った賀来飛霞とは無関係な写真。
下は数年前の一斉地方選挙の村のポスター掲示板。
珍しいので写真に撮った。ここでは候補者たちは談合して同じポスターを作り、経費節減している。選挙運動も談合の上、一日おきと決まっている。一番下にいる黒木正一氏は現在県会議員に出世している。
P1010054
P1010054 posted by (C)オトジマ

山村の墓地

盆を前に妻の実家の墓掃除に行った。諸塚村、川の口集落である。

墓地は集落のはずれの斜面にある。数年前までは昔ながらに墓石が乱立していた。しかし、近年急速に寄せ墓が進み、様相が一変しつつある。

下は5年前のもの。まだ寄せ墓が進んでいない。
川の口 墓 0803 彼岸 (12)e
川の口 墓 0803 彼岸 (12)e posted by (C)オトジマ

これは今回。かなり寄せ墓が進行。小ぎれいになったが、面白くはない。やはりオバケの出そうな苔むした墓地がいい。
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P8048507 posted by (C)オトジマ

これは妻の実家関連の墓石たち。まだ寄せていないのでたくさんある。近く寄せる予定である。土葬なので骨があれば掘り起こすが、おおかたは土に戻っているはず。
P8048499
P8048499 posted by (C)オトジマ

実家の墓石でも江戸時代に遡る古いものは場所を占拠して新たに埋葬する場所がないのですでに一箇所にまとめてある。
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P8048520 posted by (C)オトジマ

古いものでは寛政年間のものも確認できる。こうなるといかな御先祖とはいえ、赤の他人同様。
P8048522
P8048522 posted by (C)オトジマ

たまたま隣家の墓地に巡回供養に来ていた檀那寺・浄覚寺の住職が朗々とお経を上げてくれた。有難きかな。
P8048518
P8048518 posted by (C)オトジマ

墓地の中央に大きなカヤの木が生えている。碁盤屋が見たらヨダレが出そうな・・・・。盗伐に要注意。
P8048529
P8048529 posted by (C)オトジマ

墓石にセミの抜け殻
P8048524
P8048524 posted by (C)オトジマ

墓地のそばに野仏たち。
P8048508
P8048508 posted by (C)オトジマ

馬頭観音。年銘は文政九年。約200年前。古い割にはキレイだ。
P8048513
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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