旧千燈寺跡

不動山近辺の位置関係がよくわからないのであるが、麓に旧千燈寺跡がある。立派な仁王があるのでよくネット上で見かける。せっかく来たので行ってみなくては。
旧千燈寺の詳細についてはコチラを参照のこと。

千燈岳登山道は先日の台風の雨で完全に川となっていた。
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車で山道を登ることしばし。駐車場からはこのような石畳の道が千燈寺跡まで続く。近年整備された道だろう。
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石垣と大きなイチョウが見えてきた。周囲は深い森の中。
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仁王が出迎えてくれる。木造の建造物はなくなっても石像だけは残る。ここの仁王は浮き彫りであるが、かなり立体的で、文殊仙寺のものより大きくて迫力がある。
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仁王の後姿はただの四角い石。境内跡には何もないが、なかなか風情のある所である。
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本来はここから五辻不動尊方面に山道を登って行けるのだろうが、地理不案内なので車で行ったのである。

近所には廃屋が数軒。国東には廃屋が目立つ。古い家屋は風情があっていいものだが、廃屋になると物悲しい。
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五辻不動尊

家を出てから5時間、やっと五辻不動尊のある不動山に着いた。
駐車場は広い。車を降りて、山の上を見上げると、山頂はすぐそこ。地図で見ると標高差わずかに80m。
木道やクサリ、手すりで整備された参道を登ること10分ほどで不動尊に着く。
すでに西日なので、どの写真も逆行ぎみ。
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こんな道。手すりがないと怖いかも。
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ネットでおなじみの風景。石灯籠の間から瀬戸内海に浮かぶ姫島が見える。
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不動尊のテラスから。
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不動尊の内部。建物は新しい。
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ここには国東の岩屋でよく見るように大きな洞穴があるのかと思っていたらそうではなかった。
おまけに山頂まで行ける、と考えていたがどこにも道がなく、クサリもぶら下がってないのであきらめた。ロッククライミングの心得か、クソ度胸があれば登れるのかも。地図で見ると352m。
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ここは午前中に登るべきだとか。朝早く来て、ご来光を拝むのも楽しそうだ。富士山と比べるとずっとお手軽。
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半島の中央部方面
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登り口、駐車場そばに「不動茶屋」がある。ネットで調べるといかにも営業中のようであったが、どうやら閉鎖されているようだ。店が営業できるほどには参拝者や観光客は来ないのだろう。
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田原荘の仁王

国東半島の田染(たしぶ)の荘は中世の荘園の区画が残っているということで有名である。
よくテレビ番組でも目にする。
田染は小さな盆地で中央を桂川が流れている。その上流が田原荘である。桂川の田染と田原の境目に「三の宮の景」という奇岩連なる景勝地がある。三宮八幡社という神社がある。
国東半島を巡る時には海岸部を経由するよりも、中央の両子山の周回路をロータリーとして短絡した方が便利。
ということで、日出から半島東北部にある五辻不動尊に行くのに、ナビの示す最短ルートは田原荘経由。
田原maps


国東半島ではどこでも両子山から放射状に流れ落ちる川沿いに細長い谷筋がある。田原も全くそうである。
県道31号沿いに集落が細長く連なる。道路沿いに立派な神社を二つ見た。まずは田原若宮八幡社。
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立派な仁王がある。
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仁王越しに、桂川の谷筋を見る。
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楼門に随身がいる
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イチョウの巨樹がある。拝殿には国東特有の左右に広がる神楽殿風の袖がある。
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何に使う空間なのか?絵馬あれば楽しいのであるが、何もない。
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イチョウが二本あり、地面にはギンナンがたくさん落ちていてクサイ。
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もうちょっと上流に上ると、此枝神社がある。
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立派な石垣の上に境内。モミジの頃はキレイかも。
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ここにも立派な仁王がある
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私の好きな仁王の後姿
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ここも若宮八幡社と似た作り
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ここにも立派な随身。
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ここの境内にはイチョウではなく、カチシバという巨木がある。
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立派な神社である。こんな小さな里には不似合いな・・・失礼
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久しぶりの国東

久ぶりに国東半島に行ってみた。目的地は五辻不動。
日出のハーモニーランド近く、国道10号線沿いに立派な山門の寺がある。
赤松山願成就寺(あかまつさんがんじょうじゅじ)である。国東六郷満山霊場の一つである。
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立派な山門。
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上から山門を見下ろす。
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本堂のそばにもう一つ門がある。
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国東にはいたるところで国東塔を見るが、このありがたさがよくわからん。
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本堂で売っていたおみくじを置いて撮影。このかわいい犬の中におみくじが入っている。
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今の時期、どこもここも柿の実がたわわ。
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所変わって、10号線から大田に向かう県道31号線、小武で素晴らしい石垣の農家を見た。
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なんらかの観光施設か、とも思ったが個人のお宅のようである。しかし、人が住んでいる気配は感じられない。
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石組みは城郭風ではないが、十分、砦には見える。
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ボロボロの土塀がなんともいえない。
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もとはカヤ葺き屋根だったはずである。その姿が見てみたい。なんとか保存して欲しいものであるが、個人では維持するのも大変だ。
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小武の集落を見下ろす。いかにも日本のふるさとらしいのどかな山村である。
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細見川流域

先月は五ヶ瀬川の支流、曽木川の上流に行ってみた。曽木川に並行して細見川が流れている。曽木川は旧北方町の川、細見川は延岡市の川であるが、上流ではごく近いところを並行している。三椪小学校あたりでは両者の間隔は1kmもなく、600mくらいではないか。行縢川とも並行している。間隔は1kmくらいか。
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国道218号線、細見の細見橋たもとから入っていく。入ってすぐの所に桜の名所がある。春は素晴らしい桜が見れる。
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2012 桜 延岡 posted by (C)オトジマ

しばらくは細見川の小さなな沖積平野が続く。
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まぁ、川の流域はどこも似たような景色。
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そぐそこに行縢山が見える。
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黒仁田営農集会所の背後にも行縢山
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黒仁田近辺で見た青面金剛。弘化三年(1846年)の年銘。
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二股地区
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二股近辺の細見川。
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川の上流はどこも似たようなもの。細見川流域には別に特別なものはなかった。
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遺品バイクのその後

前回、義父の遺品の原付のことを記した。快調に北方までツーリングに行ったのはいいが・・・

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その後、オイルを買ってきて入れ、ガソリンも満タンにしたら、えらいことになった。
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駐車場に置いておいたら大量の油モレで地面に大きな池が・・・
さっそく車輪館を呼んで相談したら、幸いオイル漏れではなく、ガソリン漏れだそうだ。
見た目にはそう傷んでいるようには見えないが、ガソリンタンク内はひどいサビでそれがキャブレター詰まりを起こしたらしい。分解掃除にタンクのサビ取りその他でウン万円はかかりそうだ。
バッテリーが死んでいるが交換すると15000円もかかる。軽自動車のバッテリーだって5000円くらいなのに50ccのバッテリーがなぜそんなに高い?要は需要量の差だそうだ。昔と違いバイクの販売量が絶対的に少なくなってしまっている。中国やベトナムなら安いんだろうが。というところでバッテリーはあきらめた。セルスターターを使わなければいいだけのこと。

バイクは半年も乗らずに放置しておくとこうなるそうだ。この義父の遺品はおそらく5年以上は放置されていたはず。タダのはずがエラく高くつきそうだ。


バイクで北方散歩

昨年亡くなった義父のバイクを譲ってもらった。スズキバーディ50cc、走行距離5000km。老人だったのであまり走ってない。かなり長い間乗らずに放置してあった。

原付に乗るのは20年ぶりくらいか。自動2輪の免許はあるんだが、お金がないので自動2輪には乗った事がない。
そのバイクの試し乗りで北方まで行ってみた。

鈴なりのカキの向こうにスズキバーディ。harbyさんのブログみたいになってきた。
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北方は次郎柿の産地。ここらはまだ赤くなってない。
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ネットに入っているのが北方の次郎柿。「よっちみろや」で350円。下は我家に庭になった柿。
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川水流の鮎やな。延岡は台風の大雨で流れたとか。コチラは無事だったのかな。
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延岡よりだいぶ小規模だ。
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岩熊井堰には満々たる水。
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三須の川原では延岡商工同志会が恒例の鮎食い会を開いていた。姉夫婦が参加していたので立ち寄ってアユをご馳走になった。商工同志会もメッキリ高齢化が進んでいるとか。
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養殖アユであるがおいしゅうございました。ご馳走様。
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九重晴天

またまた平日にヒマができたので九重方面にドライブに出た。ウチから久住の瀬の本高原まで2時間半。

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だいたい日頃の行いが悪いせいか、私が久住にでかけると天気が悪いものだが、この日は素晴らしい青空だった。
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阿蘇方面
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こんな雲は門川ではなかなか見れない。
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八丁原地熱発電所のそばに一目山がある。全体が草原で簡単に登れそうなので登ってみた。麓の登り口から頂上まで標高差130mくらいか。ものの20分ほどで登れる。
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登山道が頂上に向けて一直線に。流水で掘れている。
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登山道にお供えと思しきミカンと線香が。こんな低山でだれか遭難したんだろうか?
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頂上は標高1287mだから、そんなに低山というわけでもないか。
頂上から飯田高原方面を見る。白い湯気は大岳地熱発電所。
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あざみ台展望所から遊覧ヘリコプターが飛んでくる。二機組で10分おきくらいにひっきりなしにやってくる。平日なのに稼ぎまくっている。
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阿蘇方面
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リンドウがたくさん
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牧ノ戸駐車場近辺には紅葉したモミジもチラホラ。平日と言うのに駐車場も路肩も登山者と思しき車がいっぱい。九重はやはり人気があるんだなぁ。
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秋のフローランテ

平日にヒマができ、好天だったので宮崎のフローランテに出かけてみた。
秋だから花の種類が少ないか、と思っていたら意外と多種の花が。
毎度おなじみの光景なのでカメラのアートフィルターでポップアートを選んでみた。
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楽園の風景
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平日なので人出も少なく、子ども達が思い切り走り回る。
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英国庭園にも寄ってみた。
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店内はハロウィンの飾りつけ。
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場所は変わって、高鍋と川南の境目の持田地区のキャベツ畑では植え付け中。
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機械で苗を植える
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軽トラの荷台の苗。
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畑が一枚、コスモス畑になっていた。地主の遊び心か。
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歌舞伎絵巻シリーズ

残念ながら私は歌舞伎・浄瑠璃に全く縁がない。長年の田舎暮らしでお金もないので見たこともない。今から見に行ってもおそらく理解もできない可能性が高い。宝塚の舞台を見たときに全く没入できなかったのを思い出すと、たぶん歌舞伎にも没入できないだろう。もうトシだからこのまま歌舞伎を知らないまま死ぬことになるだろう。

そこで、せめて有名な演目だけでもどんなお話なのか知りたいと思っていたところに素人にちょうど良さそうな本が出ている。橋本治作・岡田嘉夫絵の歌舞伎絵巻シリーズ(ポプラ社刊)である。いちおう児童書の絵本の形をとっているが、とても子供が読みたくなるとは思えない。どれもお話が複雑で長いのでえらく文章が多いのである。絵はメチャメチャに美しいので見ているだけでも眼福なのであるが。

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「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「妹背山女庭訓」「国姓爺合戦」の5冊が出ている。いずれもタイトルだけはよく聞く作品である。「仮名手本忠臣蔵」などはおなじみのお話だからストーリーの見当はつく。菅原道真や義経、国姓爺などは歴史上の人物名だから手がかりがなくもないが、実はどんなお話なのか全然知らなかった。しかし「妹背山女庭訓」などはタイトルからは何の話やら全く見当がつかない。皆さん、知ってますか?

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とりあえず「妹背山女庭訓」を読んでみると、なんと1400年前頃の「大化の改新」をめぐる物語であった。古代もかなりの古代である。小学校の歴史でもお馴染みの事件。登場人物は天智天皇・中富鎌足・蘇我蝦夷・蘇我入鹿など古代日本の有名人物ばかり。ただし物語は史実とは全くかけ離れたファンタジーである。ご都合主義と勧善懲悪と魔術が織り成すムチャクチャなお話。ただし、それはリアリズムに毒された近代文学を読みなれた現代人の感想で、昔はどこの国だってこのスタイルが物語の王道だったのだろう。

ではこの本が面白いか?といえば疑問符がつく。児童向けの絵本の体裁をとっているから、語り口は「ですます調」で、原作にあっただろう古文のリズムはない。お話も骨格だけに削られているはず。難しい名前の人物がいきなり次々に登場するのも難物。岡田嘉夫の絵は大変華麗で江戸時代の錦絵をも凌駕せんばかりに美しい。しかし、少女マンガの決め絵みたいに意味不明の花や小鳥が人物を取り巻き、人物も全く歌舞伎役者の衣装で隈取。これがまったくストーリーの理解を助けるような挿絵ではない。結論的に言えば、読んでいて面白いとは、残念ながら言えない。たぶん歌舞伎に多少ともなじみのある人なら面白く読めるのかもしれないが。

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私の率直な感想は他の「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」についても全く同じ。義経千本桜は源平合戦後の義経と兄・頼朝との葛藤に滅びたはずの平家の残党が入り乱れる複雑な話。義経が奥州に逃れる前の一悶着。この絵本では表紙からしていかにも吉野山に桜が咲き乱れているが、実際はお話に一切桜は関係ないそうだ。

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菅原伝授手習鑑」は菅原道真がお習字の先生でもするのかと思ったら、全く異なり、菅原道真の大宰府左遷をめぐるお話。それも菅原道真が主役かというとそうでもなく、彼をとりまく敵味方の群像が入り乱れて争う。挿絵はどのお話も同工異曲と言っていいが、どれも間違いなく美しい。

この企画はいいんだが、どこかが間違った。無理に子供向けの体裁をとったのがいけなかったんではないか? この本は子供にとっても辛抱して読めるものだとは思えない。むしろ大人向けと割り切って、大人向けの文体にしたほうが良かったと思う。読み物の味わいは文体にもある。そりゃ、原作の古文の方が味わいがあるに決まっているが、そこを現代人にも楽しめる文体にするのが作者の腕の見せ所である。ところがである・・・・。アマゾンの購入者レビューを見ると、みなさんおしなべて高い評価をしておられ、お話もたいへん面白い、と言っておられるの。ということは私の鑑賞力の貧困なのだろうか?

芸術新潮の2012年7月号で作者の橋本治がこのシリーズを紹介し苦労談を語っている。岡田嘉夫作の絵を生かすには、文章を極力減らさねばならないが、これを削ることが一番の苦労だったという。「仮名手本忠臣蔵」でいえば原作を削りに削ってやっと原稿用紙60枚にしたという。原作中の心理描写はほとんどカットしたという。それでも絵を損ねないように文章をレイアウトするのに大変苦労した。最後には、どうせダレも文章なんか読みゃしないさ、と達観したという。それでも60枚あるんだから子供向け絵本としては異例に長い。

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江戸時代の娯楽である落語には、江戸の人々に基本教養であった歌舞伎が背景にあるという。「四段目」などでは子供も歌舞伎に夢中である。丁稚の定吉が「仮名手本忠臣蔵」の四段目を延々と語る場面が見せ場である。べつに「仮名手本忠臣蔵」を知らなくとも楽しめる話であるが、丁稚ですら知っている原作を知らない、というのは若干気になる。橋本治も忠臣蔵は誰でも知っているが「仮名手本忠臣蔵」を読んだ人はめったにいない、と言っている。歌舞伎でも全編が一挙に上演されることはない。ちなみに「仮名手本」とはイロハ四十七文字のかな文字から四十七士を暗示する表現なのだという。それも知らなかったなぁ。そこで、橋本は多くの人に名作歌舞伎の原作に親しんで欲しい、という願いからこの企画を立ち上げた。歌舞伎原作といいながら、実際には人形浄瑠璃の原作であるが。

源氏物語は次から次へと現代語訳が出る。この橋本治も「窯変 源氏物語」を出しているくらいだ。歌舞伎原作も原作の浄瑠璃本は現代人が読むにはハードルが高すぎるから、読みやすい形でいろいろ出て欲しい。物語を面白く、絵は理解の助けになるような本ならマンガでもいいのではないか? 橋本治は「日本文化のために買ってください!」と訴えている。その意気やよし。ちなみに私は図書館で借りて、自腹を
切らずに文句をつけてますが、
お金と興味ある方は是非買ってあげて下さい。宣伝のつもりで画像を掲載しています。







山本作兵衛

九州北部に残る石炭成金たちの豪邸はいずれも素晴らしい。日本建築の精華である。

先日訪れた築上の蔵内邸  過去関連ポストはコチ
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飯塚の伊藤邸 過去関連ポストはコチラ
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

唐津の高取邸 過去関連ポストはコチラ
高取邸
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しかし、これらの豪邸が成った陰には数知れぬ炭鉱労働者の血と汗があったのは当然である。
蔵内邸で面白い物を見た。峰地炭鉱「採炭領収之證」とある。
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これは「炭鉱札」。私製の紙幣である。炭鉱が鉱夫に賃金として支給した。下は裏面。大正6年発行。
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この私製紙幣が鉱夫たちを大変苦しめたという。
炭鉱は個々の鉱夫の採炭量に応じてこのような炭鉱札を渡す。上の札は100斤(60kg)の札。時期によって異なるだろうが説明書では10斤1銭だったとか。この札が発行された大正前期頃の鉱夫の日当はおおむね1円くらいだったらしいから石炭1000斤(600kg)ほど。大正7年(1918年)には米騒動が起きて米1升が50銭以上になったというから日当で家族分の米を買うだけで精一杯ということ。ちなみに筑豊で最初に米騒動の暴動が起きたのはこの「炭鉱札」が発行された蔵内家経営の峰地炭鉱だという。きっと待遇が悪かったんだろう。

さてこの炭鉱札は全国の多くの炭鉱で明治から大正期に使われた。経営者は現金の用意をせずにすむ。鉱夫は炭鉱内の売店でしかこれを使えない。構内売店は物価が不当に高かったがそこで買わざるを得ない。特定の日に会社でこれを現金に交換できるのであるが、手続きが面倒でなかなか満額を交換してくれなかったという。だから炭鉱内外には今で言う悪質金券ショップがはびこり、3割、5割という法外な手数料を取って現金化していた。その日暮らしの鉱夫たちは損とわかっていてもそれを利用せざるをえなかったとか。上の炭鉱札の裏面には「会社廃業の折には無効とす」と書いてある。鉱夫たちは採炭現場でも酷使され、最後には悪辣な賃金支給の方法でも骨の髄まで搾取されたのである。



まぁ、それは山本作兵衛の本「炭鉱に生きる」を読んで知ったことである。
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sakube (1) posted by (C)オトジマ

この本は1967年にまだ山本存命中に発行されたものが、2年前、世界記憶遺産になったのを機に再版されている。山本は明治32年から昭和30年代の60代になるまで炭鉱で働いた。彼が7歳の頃から地下に潜って石炭堀りをした見聞を60歳を過ぎて炭鉱の夜警をしながら、記憶によって描いている。彼の絵に描かれたのはおおむね明治から大正にかけての記憶のようだ。彼が子供の頃、青年の頃である。炭鉱の近代化以前、ほとんど人力で掘っていたころ。明かりは灯明の裸火でワラの山に火を持って入るような危険なものだったとか。電池式のキャップランプができたのは昭和になってから。
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sakube 3 posted by (C)オトジマ

上の絵では炭層は3尺くらいあるが、これより薄い炭層では腹ばいになってツルハシを振るうという大変な作業。よく考えると石炭というのは一種の岩であるから鉱夫は一日中石に向かってツルハシを打ち込んでいたわけだ。一日にツルハシを5本ほど使い、毎日研ぎと焼きいれをする必要があったという。ツルハシも研ぎ賃も自分持ち。
炭鉱労働者と家族の貧困と悲惨が縷々語られているが、なかなか現代人には想像のつかない世界だ。彼の絵からは炭鉱が近代産業という雰囲気が感じられない。江戸時代の延長のようだ。

これ以上失うもののない無産階級だった山本は、つくづく無産運動に身を投じたい、と願っていたそうである。大正から昭和にかけ、労働運動は盛んになっていく。しかし、子供の頃からの難聴があったのであきらめた、と語っている。

下:蔵内邸では10月に山本の作品の展覧会がある。
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sakube (2) posted by (C)オトジマ

山本の書き残した画文はいまや「世界記憶遺産」となって大変有名になった。一生最末端の労働者だった山本の画文が鉱夫たちの膏血の上に咲いたアダ花である蔵内邸で展示されるというのも面白い。かつての強欲資本家と無産階級の末端鉱夫の残した物が仲良く同居できるのは、100年の時の経過がその葛藤を洗い流したからだろう。

DTIからFC2に転居して来ました

DTIブログが閉鎖になるのでFC2に転居してきた。

DTIはあまりメジャーなプロバイダではなかったが3年もいると使い勝手が良くて、すっかり居心地が良くなっていた。当初は1日のアクセスが10に満たなかったが最近では平均200前後にまで増えてきていて、多い日には500、1000まで行くこともある。グーグル検索の上位にあるワードも増えてきていた。そんな中でまたここFC2でゼロから再出発となる。

私は以前にも幾つかのブログサイトを遍歴している。ヤフーブログでも2度ほどやってみたが、全然アクセスが増えないので半年でやめたこともある。人気ブログサイトだからいいというものでもないようだ。ヤフーブログはほったらかしのままだが、キチンと閉鎖してFC2に再録する価値のある記事だけ再アップロードしようと思っている。

ひと頃は昔から愛用するブラウザOPERAのコミュニティでブログを英語で書いていた。OPERAコミュニティは日本人はあまりおらず、ワールドワイドである。OPERAではHost-Linkというアクセス解析サイトを利用できた。毎日のアクセスが世界地図で表示され世界中からビジターが来るのがわかるのでとても面白かった。私のブログへはおおむね日本文化への関心が高い欧米系諸国からのアクセスが多かったが、ほとんどなかったのが中国、インド、アフリカ、南米。東南アジアは多かったかな。3年ほどやったが、今は放置している。英語で書くとくたびれる。

DTIブログの住人達は混乱に陥っている。盛んに転居通知が飛び交っているようだ。多くの人が私と同じようにFC2に転居しているようだ。いずこのブログサイトもおおむね丸ごと引越しサービスをしているんだが、その対象にDTIブログを含めているのはFC2だけなのである。まぁ、おかげさまで私の場合も過去記事・画像をまるごと引っ越せたのである。

FC2を1週間使ってみて、記事をポストする分には差はないのであるが、アクセス解析がとても使いづらいのが難点。アクセスの情報量は多いのであるが、その都度別画面にログインする必要があり、とても面倒だ。そのうち慣れるのだろうか。 アッサリとサービスを停止してしまったアメリカ資本のDTIであるが、このFC2もアメリカ系とされている。国内大手のIT関連企業と資本関係はないようだから、いつまでサービスが持続するのかわからないが、今後他社に転居するのは容易なはずである。まぁ、そうならないことを祈っている。

私の過去3年分の記事はこのサイトでも見れるが、転居に際しかなり脱落もあるようだ。12月まではDTIのサーバも生きていると思うのでDTI版「一歩 日豊 散歩」も参照して欲しい。

宇佐市大洲

古い街並専門サイトの「郷愁小路」によれば宇佐市大洲にも懐かしい街並があるという。築上からの帰り道に寄ってみた。

長洲は宇佐市の海岸部、駅館川の河口部にある。昔は肥前島原藩の飛び地で港町として栄えたとか。

何の予備知識もないので、およそこの辺だろう、という地域をグルグル回ってみた。最近でできた広い道ではなく、少し入った狭い道にチラホラ古い建物が散在している。
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P9239373 posted by (C)オトジマ

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P9239374 posted by (C)オトジマ

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P9239375 posted by (C)オトジマ

たしかに古い家屋が残ってはいるが、残念ながらマバラに点在し、まとまって面的につながっていない。それも廃屋か廃屋寸前も多い。
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P9239378 posted by (C)オトジマ

粟島神社近辺になんだか昔懐かしい小路が残ってはいる。大正・明治までは行かず昭和30年代くらいの趣・・・
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P9239383 posted by (C)オトジマ

粟島神社
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P9239400 posted by (C)オトジマ

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酒屋。かつては酒造場だったようだ
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P9239390 posted by (C)オトジマ

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P9239391 posted by (C)オトジマ

貴船神社近辺。久保酒蔵前にはやや古い建物が並ぶが、肝心の酒蔵が古くない。
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貴船神社近辺。久保酒蔵前
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P9239396 posted by (C)オトジマ

貴船神社。
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P9239397 posted by (C)オトジマ

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P9239404 posted by (C)オトジマ

しばらく以前には古い建物が多かっただろうが、その頃は車の入りにくい細い道ばかりだっただろう。そこに広い道を通すと必然的に古い建築は取り壊されて新しい家ばかりになってしまう。古い家はスキマ風、雨漏り、日当たりの悪さ、シロアリ蝕害、狭い部屋など現代人には住みにくい。当然だろう。

ここには意識的に歴史的街並を残そうという取り組みがないようなので、このまま更新が続き、すぐにも昔の趣はなくなりそうだ。20年前に来るべきだった・・・。

豊後森 三島公園・末廣神社

豊後森の古い街並の北のはずれに三島公園と末廣神社がある。
三島公園は元来は藩主御殿のある森陣屋と呼ばれた場所。

手前の池は「旧久留島氏庭園」大きな石碑は「童話碑」。背景の山は大岩扇山。

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P9229108 posted by (C)オトジマ

旧久留島氏庭園。昔のお殿様の庭。
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P9229105 posted by (C)オトジマ

庭園から山の斜面を登っていく道がある。
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P9229112 posted by (C)オトジマ

登りきったところに栖鳳楼(せいほうろう)がある。これは1832年に8代藩主通嘉(みちひろ)によって建てられた茶屋である。10年ほど前に保存修理工事がなされている。ここからは九重連山や城下が見下ろせるので、実質天守閣的な機能があったとか。
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P9229116 posted by (C)オトジマ

森の町を見下ろす
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P9229163 posted by (C)オトジマ

石を多数配した庭園がある。
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P9229117 posted by (C)オトジマ

こんなに大きな石臼も埋められている。とても人力では回せないくらい重いはず。大宰府の観世音寺の碾磑 ( てんがい )なみ。
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P9229118 posted by (C)オトジマ

栖鳳楼から一段あがると、広い境内の末廣神社がある。
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P9229127 posted by (C)オトジマ

藩主が建てた神社だからとても立派。
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P9229147 posted by (C)オトジマ

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文政十二年銘の狛犬。1829だから約200年前。
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P9229162e posted by (C)オトジマ

ここにも砲弾が奉納されている。奉納年が読みづらいが、昭和29年5月、重量207kgとある。奉納砲弾は通常日露戦争の凱旋記念が多いものだが、敗戦後9年もたっての奉納ってありうる?敗戦記念か?
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P9229155e posted by (C)オトジマ

拝殿内にある随身。
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P9229145e posted by (C)オトジマ

神社拝殿を見ると必ず絵馬や三十六歌仙がないかチェックするくせがある。ここには素晴らしい三十六歌仙がある。レリーフである。
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P9229136 posted by (C)オトジマ
右:伊勢:三輪の山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば
左:紀貫之:桜ちるこのした風は寒からでそらにしられぬ雪ぞふりける

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P9229143 posted by (C)オトジマ
右:凡河内躬恒:いづくとも春の光は分かなくにまだみ吉野の山は雪降る
左:柿本人麿:ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ・・・・・だと思う・・・達筆すぎる・・・

などなど・・ おそらく江戸時代の流行だから墨が消えかかっている。貴重な文化遺産だが、ここにあらばこそ、だろう。

他にも多数。当然36人分揃ってるが以下略。
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P9229138 posted by (C)オトジマ

立派な板絵も奉納されている。残念ながら歌舞伎や古典に造詣がないので何の絵やら判別しがたい。
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P9229144 posted by (C)オトジマ


実はこの神社がいわくのある神社なのである。

ウィキペディアによれば----

慶長6年(1601年)、来島長親によって玖珠郡などを所領とする豊後森藩が立藩された。来島氏はその格式のため城を持つことが許されなかったため、長親はそれまで玖珠の拠点とされてきた角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。
陣屋の敷地内には、来島氏の故地である伊予大三島の大山祇神社の祭神を勧請して三島神社(末広神社)が造営されていたが、天保8年(1837年)、第8代藩主の久留島通嘉が、三島神社の改築を口実として、石垣や茶屋の「栖鳳楼」(せいほうろう)を増築するとともに、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門庭園を造らせ、城構えのように整えた。
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城持ち大名ではなかった久留島通嘉が神社建立にかこつけて実質的な城を作った。ということ。実際、神社の周囲は堅固な石垣に囲まれていて、予備知識がなかったら城と思い込む人も多いだろう。

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P9229170 posted by (C)オトジマ

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P9229165 posted by (C)オトジマ

以前のポストでNHK時代劇ドラマ「酔いどれ小藤次」について記した。---コチラを参照---

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ドラマの原作となったのは佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」シリーズ。以前のポストから引用する---

「酔いどれ小藤次留書」第1話「御鑓(おやり)拝借」は物語の発端である。この巻ではわずか1万2000石の小名、久留島氏が城無し大名だったことが物語の重要な鍵となっている。江戸城中で西国の諸侯、森藩久留島、赤穂藩森、丸亀藩京極、肥前小城藩鍋島、臼杵藩稲葉の各大名が同席したおり、稲葉雍通(てるみち)は久留島通嘉が城を持たぬことを愚弄し、他の3人も同調した。久留島通嘉はその恥辱を忍んだが、ある機会に本来目通りかなわぬはずの最末端下士・厩番の赤目小藤次にふと洩らす。後日、小藤次は離藩し秘かに藩主の無念を雪ぐべくたった一人で四藩を敵に回し報復を画する・・・・

この物語に出てくる藩主・久留島通嘉は例の石垣を作ったり栖鳳楼を建てた人物。造営工事のための苛斂誅求のせいか、彼の代には大規模な百姓の逃散が起こっており、当時は評判は悪かったとか。今ではこうして森の観光資源となっている。もちろん物語はフィクションであるが、この本を読んだ時から、一度ここを訪ねてみたかったので念願がかなった。

玖珠町も由来がピンと来ない「童話の里」よりも「酔いどれ小藤次の里」で売り出した方が観光客が来るんではないか?久留島記念館の係員の方も「是非、竹中直人に来て欲しい」と言っておられた。彼はNHKドラマ中で森藩ではなく「九重藩」となっていたことに対し、「事実と異なる」とNHKに抗議の電話をしたそうだ。NHKは「まぁ、フィクションですから」と軽くいなしたとか。実は森には小藤次の姓である赤目という姓は全くないそうだ。ついでに久留島姓もいないとか。藩主一族が皆東京に転居したからだろう。

本を読んで、若き藩主久留島通嘉に親近感が湧いたので、菩提寺の安楽寺にも行ってみた。

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P9229121e posted by (C)オトジマ

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P9229124e posted by (C)オトジマ

本堂の裏に歴代藩主の墓所がある。殿様たちの墓は意外と小さく質素で民間人の墓石と異ならない。貧乏な藩だったんだなぁ。貧乏のあまり、参勤交代を出来なかった年も幾度かあったという。
1万2000石じゃーねぇ。

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P9229126e posted by (C)オトジマ

これが8代久留島通嘉の墓石。
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P9229128e posted by (C)オトジマ

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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