2014 サクラ その3

3月30日日曜は意外に朝から天気が回復したので最後の花見に出かけた。

有名なサクラの名所は混雑が目に見えているので、日豊海岸へ。
北浦の旧国道はサクラ並木が続く。満開を過ぎ、サクラ吹雪である。北浦道の駅そば
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P1011728 posted by (C)オトジマ

花びらの敷き詰められた道を行く。
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ハイトンネル上の展望台には花見の家族連れが幾組か。
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春の陽におだやかな河内湾
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養殖ハマチの水揚げ
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先々週は原付で走った豊後くろしおラインに再び
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日豊海岸の風光明媚なところには必ずこんな看板が。そしてガケ下には投棄ゴミ。
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海が白く変色。ガケくずれでもあったか?
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空の公園で。
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今日はPM2.5はないようだが四国は見えない。
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前回来た時にはまだ咲いてなかったヤマザクラがもう葉ザクラになってしまった。
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米水津を過ぎて佐伯市街が近い木立地区ではヤマザクラがすごい。こんな密集状態は宮崎県では見かけない。
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2014 サクラ その2

3月29・30日の週末はサクラ満開だというのに雨となった。この日に花見を予定されていた皆さんは残念でした。商機を狙っていた弁当屋さんとか露店の皆さんもおおいにアテが外れたでしょうね。

雨の中を大型店に行ってみると消費税値上げ前の駆け込み買い物客でいっぱい。群集心理で我家も何か買わなきゃ、とあせるが夫婦二人しかいないのであまり買う物を思いつかない。オイルを交換したり、ガソリンを入れたり、腐らないものを車にあふれんばかり、タイヤが潰れるほど買ってきたが、2万円分もない。しょせんは蟷螂の斧。数か月もしたらすぐ慣れるだろう。3%で導入された時も5%になった時もそうだった。来年は10%。当然その先の15%、20%も、従順な国民だからさしたる抵抗もないだろう。
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昨日は快晴だったので、せっかく咲いているサクラがかわいそうなので近場を回ってみた。

遠見山は長いサクラ並木が頂上まで続く。平日だがヒマな中高年がけっこう見に来ていた。
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沖合いはビロウ島。
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山頂、日向灘空域戦没者鎮魂碑そばで。
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谷の山、赤水から妙見に抜ける。妙見の三松公園そばに妙見櫻台団地がある。造成されて40年以上はたつので桜がすでに老木になっていて見事な並木になっている。
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一番上の区画はサクラと海が見下ろせる絶景である。展望のいいお宅の庭にお邪魔をして写真をとった。
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正面の湾の対岸は洋望崎。
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櫛津のポリテクセンター。職業訓練校時代からのサクラだから大木になっている。
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櫛津から畜蓮、ジェイズゴルフ場に抜ける道もずっとサクラ並木。普段は気づかないが。
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櫛津の平田病院のウラ。いままでこんな所にこんな水路があるとは気づかなかった。以下話変わって江湖の入り江の話。
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この写真でわかるが、左岸は埋め立てによるもの、右岸は明らかに昔の海岸線である。江湖の入り江の地形変化に関しては以前に書いているのでコチラを参照。

明治33年の地図では江湖の入り江はだいぶ縮小している。日豊線はまだできてない。現在の土々呂駅、清本鉄工あたりは一面の水田になってしまっている。平田病院あたりも乾陸化されている。肝心の入り江は櫛津という文字に邪魔されてあまり見えない。
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これは以前に掲載した別の彩色地図。日豊線ができているから大正以降であるはずだが、江湖の入り江は上の地図に比べて大きい。郵便局の位置を上と比較して欲しい。測量や作図がいいかげんか、江戸時代の伊能図の引き写しか。この地図だと平田病院あたりはまだ海である。
ego no hama 明治map

清本鉄工の裏にもかつて湿地帯だった名残がある。向こうにポリテクセンターのサクラが見える。
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2014 サクラ

一挙に暖かくなって突然サクラ満開!そこらじゅう万民平等にサクラだらけなので、改めて私がサクラの報告をするほどでもないのであるが、一応年中行事ということで。

これは門川のサクラ名所牧山で数日前。まだ三分咲きのころ。
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ブリ見山のヤマザクラ
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これは今日、土々呂小学校。私たちが小学校卒業記念に植えたサクラ。約50年ということ、大木になっている。
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毎年必ずここには見に来る。
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海岸からすぐの学校であるから避難路を建設中。すぐ上の南一ヶ岡6丁目も見事なサクラが多い、
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延岡市三輪水源地で。広域農道釈迦地トンネルそば。まさに満開!やや人里はなれているせいか人けはない。
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やはり毎年ここに来ないとサクラを見た気がしないようになった。奥三輪の地福寺である。
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本堂横のシダレはまだ二分咲きくらいか。
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本堂のガラス戸越しに見るシダレが絶品。額縁効果でひときわ美しい。
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平日だったのでそう人も来ておらず、本堂で住職夫人からお茶とウメ漬けのお接待を受けた。
いつもはブログでしかお付き合いのない副住職とも会う事ができた。
本日の副住職のブログはサクラずくめ!

帰りに寄った細見の細見川河畔。ウグイスの鳴き声と青空の下のサクラは見事だった。
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今週の土日は雨のようだから、この木金の晴れ間が今年のサクラのピーク。こんな時自由業は都合がいい。
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別府 八幡竈門神社

APUから亀川方面に町のほうに下る。別府湾が近くなる。対岸は日出方面。
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亀川の斜面中腹に八幡竈門神社(はちまんかまど)がある。コチラが神社ホームページ

神社から市街地を見下ろす。正面は国立病院別府医療センター。
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鳥居手前の左右の丸いものに注意。
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なんと機雷である!
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直径1m近くある巨大なもの。
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奉納砲弾は良く見るが、機雷は珍しい。それも第一次大戦の凱旋記念というのも珍しい。
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例によって大木が茂る。
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この神社はえらく難しい字で竈(かまど)という字を書くが、亀の旧字体と似ている。亀と縁があるのはそのせいか、とも思ったが下に由来書がある。至るところに亀がいる。
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P3231576 posted by (C)オトジマ

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P3231573 posted by (C)オトジマ

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大分トリニータのマスコットは亀で、この神社にちなむらしい。
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P1011594 posted by (C)オトジマ

トリニータは毎年必勝祈願にここにお参りしてる。コチラで

立命館アジア太平洋大学

高速の大分道を通ると、多くの人が別府SAで休憩する。別府SAは標高400mくらいの高いところにあるので別府湾が一望できる。そのすぐ下に立命館アジア太平洋大学(APU)がある。

これは別の時、十文字山から見下ろしたAPU.
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PB200131 posted by (C)オトジマ

町から行くとなると明礬温泉経由で十文字山の展望台あたりから降りていく。かなり遠くて車でないと行けない。普通に考えればとんでもなく不便なところにある。大学から大分道が見える。その背後は自衛隊十文字原演習場。人家も店もない無人の荒野に大学が降り立った。
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P3231543 posted by (C)オトジマ

学生さんに聞いたら、高地にあるので雪や濃霧に悩まされるとか。
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P3231546 posted by (C)オトジマ

正門、というより入り口のようす。基本、徒歩で来る学生はいないからいかにも大学らしい正門はない。
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P3231544 posted by (C)オトジマ

どこでも大学の入り口には守衛所があって入構舎の管理をする制服姿のオジサンがいるものだが、ここは若い美人のオネエさんがいて、見学の申し込みをしたら丁寧に説明してくれた。
右が時計塔で左にAPU。
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P3231564 posted by (C)オトジマ

上の写真をまっすぐ突き抜けると、この広場に出る。春休み中で学生は少ない。新学期の部員勧誘のために縄跳び部が練習していた。
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P3231554 posted by (C)オトジマ

時計台前の広場では、新学期の部員勧誘のために縄跳び部が練習していた。
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P3233605 posted by (C)オトジマ

広くてちょっとした都市のビル街に見える。向こうに十文字山のアンテナ群が見える。
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P3231556 posted by (C)オトジマ

新しい同じような建物ばかりで、キレイではあるが、写真に撮って面白い被写体は見当たらない。
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P3231558 posted by (C)オトジマ

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P3231548 posted by (C)オトジマ

学生寮も立派である。APUは外国人留学生が多い事が売り物だが、この寮にはその留学生が多いらしい。
高いので、多くの学生は別府の町に部屋を借りて通学するらしい。通学がまた大変だ。バスは片道500円!
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P3231545 posted by (C)オトジマ

寮の学生さんに聞いてみた。「学費はいくら?」「高いらしいですよ。僕は把握してないですけれど・・・」。つまり親まかせで金の心配をしなくてすむ結構な身分ということ。たまたま来ていた卒業生に聞くと、文科系の大学ではあるが私立の理科系くらいの学費だという。普通の文系私大の1.5倍くらいか。留学生は半額が大学から補助されるが、その分を日本人学生が負担する勘定らしい。多くの外国人と接することができて生きた英語が身につく、というメリットがあるからその分高くても学生が集まるわけだ。ところがである。外人留学生はすぐに日本語を覚えてしまい、英語で話したがらないという。彼らは英語ではなく日本語をマスターしたいから当然だ。そこに日本人学生があえて英語で会話を仕掛けると不自然になるから、おのずと会話は日本語になってしまい、国際大学の趣旨が生かされてないという。先生達もこれには困っているらしい。

キャンパスから別府の町が見下ろせる。
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P3233603 posted by (C)オトジマ

バイク用の駐車場が広いが休み中なので少ない。広い駐車場なのに原付たちが固まって頭をつき合わせて停まっているのはなぜかな? 実は地面に固定されたロープに数珠繋ぎになっている。
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P3233606 posted by (C)オトジマ

立命館にはドロボーが多いのかな?
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P3233607 posted by (C)オトジマ

バス停はちょっとした都市の駅前バスターミナルくらいあって、休暇中なのに何台ものバスが待機していた。
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P3231561 posted by (C)オトジマ

ここAPUは京都の立命館大学の九州支店みたいなものである。実は40年前私は立命館大学を受験して合格している。当時は難易度は高くなかった。なにせ他の名門私学に比べ、授業料の安いのが魅力だった。よくは覚えていないが、年間5万円もしなかったのではないか。国立とあまり変わらなかったような記憶がある。時代が変わり、立命館も貧乏人には敷居が高くなってしまったのだろうか。とはいっても現在は国立だって年に50万も取る時代ではある。
結局私は立命館には行かなかったのであるが・・・。
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P3231549 posted by (C)オトジマ

別府ウロウロ

救世主教本部を見た後、そこらをウロウロしてみた。別府の人にはありきたりの風景でもヨソ者には物珍しい。

別府は傾斜地にある。火山麓扇状地というそうだ。川もこんなふう。滝の連続。境川。
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徹底して護岸がされている。急流だから自然のままでは侵食がひどいだろう。
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去年も来た。青山中学校のサクラの巨木の並木。まだ開いてなかった。手前はヤマザクラ。
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P3231525 posted by (C)オトジマ

ものすごく長大な石垣を見かけて、なんだろう? と中に入ってみた。
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P3231486 posted by (C)オトジマ

敷地内のここらは樹林の中の住宅地で規則正しく分割されて小さな家がたくさん建っているが、おおむね廃屋。
実はここは九大別府病院の敷地で、これは職員住宅地のようだが、ほとんど利用されてない。さすがに国家は土地利用がおおようだ。
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小鳥のサエズリだけが聞こえる。町の中に不思議な空間。広大な敷地だ。
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森の中に何かの碑。動物慰霊塔とある。医学用の実験動物の慰霊碑のようだ。
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暖かい日であったが、鶴見岳山頂付近にはまだ雪が残っていた。
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これが病院
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しかし、なんでこんなところに九大病院があるのかな?
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町の中にポッコリ盛り上がる実相寺山に仏舎利塔がある。
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実相寺山から別府の町が一望できる。
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石碑にはおなじみの「南無妙法蓮華経 立正安国」。日本山妙法寺が建てたもの。
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別府港のフェリー
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P3233591 posted by (C)オトジマ

こうやってみると火山麓扇状地というのがわかる。
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P3233582 posted by (C)オトジマ

ここは古戦場だという。ウィキペディアによればーーー石垣原の戦い(いしがきばるのたたかい)は、慶長5年(1600年)9月13日に豊後国速見郡石垣原(大分県別府市)で行なわれた黒田如水(孝高)軍と大友義統(吉統)軍の合戦である。ーーーー
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こんなノボリがたくさん。NHK大河ドラマにあやかろう、という魂胆。
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P3233598 posted by (C)オトジマ

こんな奉納石仏があった。奉納者は前別府市長井上信幸氏。注目すべきは左の石碑。「アジア太平洋大学は日本の宝、湯の町別府は世界の宝」 大きく出たものだ。多分、アジア太平洋大学を誘致したことへの自画自賛。
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P3233587 posted by (C)オトジマ

仏舎利塔からも遠くの山の上に立命館アジア太平洋大学(略称APU)が見える。そうだ、あそこに行ってみよう!!
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P3233593 posted by (C)オトジマ

というところで次回はAPU。
実は前日NHKBSで盲目のスーダン人・モハメド・オマル・アブディンの番組があってAPUが出てきた。
彼の著書「わが盲想」について以前書いたことがある。コチラ。 アブディンは15年も日本で学んできて35歳。大変なハンディにめげず素晴らしい努力家で才人である。しかし、東京外語大の博士課程にいるが、それが終了すると、日本に職をえない限りは日本滞在ができなくなる。彼はAPUに教員のポストを得ようと就活していたのである。番組の山場でAPUから返事の郵便が来たので、彼に感情移入している視聴者は当然「採用通知」だと思い込んでいたのであるが、「不採用」だったのである。アブディン一家のみならず全視聴者は失望した。ここでAPUはずいぶん多くの日本人を敵にまわしてしまった。

別府 救世主教

2週間前に行った別府に、また行く用事があったので街をうろついてみた。

以前にも書いたことがあるが、私の亡母は昔「救世主教」という新興宗教に凝っていた。
調べてみると、MOA美術館で有名な「世界救世教」の分派である。世界救世教の教祖・岡田茂吉自体が「大本教」から分派して教団を作っている。岡田没後に世界救世教から分派し、牧喜之助が教祖として救世主教を旗揚げした。この手の神道系・「手かざし」系の新興宗教は分派に分派を重ねて訳がわからないように込み入っている。「世界真光」「崇教真光」などもこの系列。宗教とは信徒になんかなるよりも、教祖になった方が御利益があるようだ。

さて、その救世主教は別府に本山があった。昭和30年代、幼かった私はよく母に連れられて別府の本山に参った。
小さな子供には宗教儀式は退屈であったが、行き帰りに汽車に乗れること、たまにラクテンチや近鉄デパートに連れて行ってもらえることなど楽しくもあった。あのころ飽きずに眺めた日豊線の車窓風景が私の郷愁の原風景となっている。

なにせ小さい頃だから場所は覚えてないので、ネットで調べると、救世主教関連施設が別府市荘園町あたりにある。ナビをたよりにウロウロしているとこんな看板が。鶴見町である。
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P3231483 posted by (C)オトジマ

細い道を入っていくとたしかに見覚えのある紋所があった。救世主教六山荘である。
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P3231477 posted by (C)オトジマ

清掃奉仕をしていた信徒の方に許可を得て中に入る。内側には梅鉢の紋。しかし、私の記憶にある本山の建物はかなり大きかった。内部には千人くらい座れるタタミの大広間があったような気がするのでここではない。
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P3231479 posted by (C)オトジマ

しかし、これには見覚えがある。
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P3231478 posted by (C)オトジマ

墳墓である。教祖牧喜之助の墓。太古の古墳と同じく、丸い葺石で覆われた円墳である。明治天皇の墓もほとんどこれと同じ。ともかくも手を合わせてお参りした。
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横にこんな墓碑が。しかし名前も生い立ちも経歴もなく、「主観様」をたたえる言葉。牧は昭和37年に亡くなっている。私は生きた「主観様」もじかに見てるし、できた直後のこの墓も見ている。50年前のことである。
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P3231480 posted by (C)オトジマ

敷地内ではあちこちで信徒の方々が静かに清掃や整備の奉仕活動をされていた。うかがってみると、私が思っていた大きな建物はここではなく、別の場所にある「救世殿」というものらしい。

またナビをたよりにウロウロすると1kmほど離れたところにらしきものがありました。これが救世殿。そう古くはない。
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P3231502 posted by (C)オトジマ

こんな通りにある。この坂道とサクラ並木にはオボロな記憶がある。昔は道路は舗装されておらず周囲はこんなに建て込んでなかった。
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紋所は元祖の世界救世教とほぼ同じである。
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幼い私がお参りしていたのはここだったのか? なんだか石垣が新しい。
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大通りから路地に入ると、こんなお屋敷がある。
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ここの生垣は古そうだ。50年は経ってそうだ。
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おなじみの紋所。
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門から中を覗くと。ここを見ても記憶がよみがえらない。地図を見ると、ややこしいことにここも「六山荘」なのである。グーグルマップで航空写真を見ると広い敷地に多くの建物があるが、あの巨大な大広間の建物は見当たらないような気がする。私が子供だったから大きく見えただけかもしれない。
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これも六山荘の塀である。
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閑静な高級住宅地である。
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鮮やかに記憶がよみがえる・・・という体験はなかったが、なるほど、こんなところだったか、と確認できただけでもよかった。奉仕作業の信徒の方には「お母さんが信徒さんだったんだから、是非あなたもいっしょにやりましょうよ」とお誘いを受けたが、子供の頃、さんざん宗教漬けにされたからか、長じてからは宗教は敬遠している。しんと静まり返ったこの本山を見ると、50年前に門前で入場を待つ長大な信徒の行列や大広間の人いきれがウソのようである。新興宗教の寿命も永遠ではない。

これは救世主教本部から程近い東荘園にある佛所護念会大分地方教会。新しく立派で大勢の人が来ている。
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佛所護念会青年会館。これも立派な建物。いかにも今、活気ありそうな宗教である。
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大型バスがいっぱい停まっていて、動員力がうかがわれる。佛所護念会は日蓮宗系列の新興宗教。立正佼成会・創価学会・霊友会など日蓮宗系列の新興宗教も多い。佛所護念会は霊友会から分派。
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P3233579 posted by (C)オトジマ

さっき、ウィキペディアで世界救世教を調べていたら、かの教団の教義の中に「医薬品は益より害が多い」というのがあったそうだ。なんでも「手かざし」で治癒できるという教義である。救世主教も似たような教義だったのだろう、子供の頃、我家にはクスリというものがいっさいなかったし、医者にも行った事がない。私は子供の頃アリナミンやベンザどころか正露丸もオロナインもクスリというものを飲んだことがないし、怪我しても赤チンキもつけたことがなかった。唯一飲んだのは中学生の頃、重症の蕁麻疹になり薬店で売薬を買って来て飲んだだけ。さしものクスリぎらいの母が心配して私を買いにやらせた。その後もまったく病気しないので現在にいたるまでクスリや医者に縁がない。今やっとその「クスリぎらい」の遠因が世界救世教にあったことを知ったのである。

綾 ウォーキングコース

綾の吊橋を渡り、森の中のウォーキングコースを歩いてみた。ほとんどの観光客は橋を往復してそのまま帰っているが、ここは照葉樹林が売り物なんだから、森を一回りすると入場料300円の元がとれる。
説明書には3km2時間とあるが、普通に歩いて1時間ほど。「体力のない方はここで引き返して下さい」という標識が500m地点にあるが、実はそこから先はトロッコ道で平坦路が多いので、そうきつくはないはず。

橋を渡ったところから、山ノ神への分岐がある。入り口だけ見て、そこは省略。
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照葉樹林帯に入っていく。
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有難そうに「照葉樹林」というれども、よく見るとありきたりの雑木林である。落葉樹がないのが特徴ではあるが、宮崎県人にとってはどこでも見慣れている。
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P3221413 posted by (C)オトジマ

かなりの急斜面で、沢や滝もあちこちにある。
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P3221417 posted by (C)オトジマ

平坦路に出ると立派な橋が。橋脚がものすごく貫禄がある。とても歩道用ではなく、重量物に耐えられる物。
これがトロッコ道だろう。トロッコ道というよりも森林鉄道の軌道敷きである。
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P3221422 posted by (C)オトジマ

下流側からこのように伸びてきている。ここから上流側の数百メートルがウォーキングコースに転用されている。もったいないから全部整備して欲しいもの。日之影のウォーキングコースはかなりの長さを使っている。
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P3221423 posted by (C)オトジマ

とても立派な切通し。岩を開鑿しているから大変な工事だっただろう。
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P3221426 posted by (C)オトジマ

昔の地図でこの森林鉄道の経路を見ると、かなり長い。紫色が森林軌道。吊橋のある綾南線の軌道は基点の綾から20数キロ、綾北川沿いの綾北線では35kmほどもある長大な鉄道であった。これは米軍が占領統治のために作った戦後すぐの地図。
綾軌道
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国有林の多かった宮崎県中部では森林軌道網が密だった。こんなにあった。
新潮 児湯
新潮 児湯 posted by (C)オトジマ

これは昭和16年、綾北営林署管内の木炭用材の搬出のようす。戦後、機関車が導入されるまでは下りは惰力走行、登りは空車を犬に引かせたので犬がいる。
aya kidou mono
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これは綾ではないが、昭和23年ごろ小林の森林軌道巣之浦線の写真。大木は情け容赦なく切り倒された。
現在綾の照葉樹林に残る森に残る大木は実は雑魚ばかり。ホンモノの巨木は切りつくされている。
kidou taiboku
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コチラに素晴らしい森林軌道の写真と綾の巨樹の写真がある。

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P3221434 posted by (C)オトジマ

軌道敷きとはここで別れ、谷底に向けて下る。
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P3221439 posted by (C)オトジマ

これはさらに川上に向けて伸びる軌道敷き跡。
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P3221438 posted by (C)オトジマ

巨木が残る平らなところに出た。
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P3221445 posted by (C)オトジマ

巨木にはこんな表示がある。
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綾南川を渡る。上の橋よりもはるかに低いとはいえ、水面から50mくらいはありそう。
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P3221448 posted by (C)オトジマ

さきほど渡った吊橋がはるか上に見える。
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P3221449 posted by (C)オトジマ

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P3221450 posted by (C)オトジマ

川を渡るとあとは下った分を登りなおさねばならないので、標高差100mくらいは登りが続く。
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P3221464 posted by (C)オトジマ


自然保護からの批判の多い中、国営林野事業でさんざん伐りまくって今さらなんだ、と言いたくなる。
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P3221456 posted by (C)オトジマ

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終点が見えてきた。
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P3221465 posted by (C)オトジマ

出口にはこんな回転扉が。たぶんカウンターがついてるんだろう。
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P3221467 posted by (C)オトジマ

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P3221468 posted by (C)オトジマ

コース内は照葉樹林なのでほとんど花はないが、駐車場にくるとヤマザクラが見事。
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P3221469 posted by (C)オトジマ

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P3221475 posted by (C)オトジマ

門川からだとやや遠いが、初心者にはほどよいウォーキングコースであった。

高速で綾へ

先週、高速道路の日向~都農間が開通したので、さっそく乗ってみることにした。

10号線、財光寺のインター入り口付近。
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P3221381 posted by (C)オトジマ

日豊線をくぐる進入路
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P3221382 posted by (C)オトジマ

料金所を過ぎると本線をくぐる
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ライダーも多い
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P3221388 posted by (C)オトジマ

美々津ゴルフ場近辺で。寺迫ちょうちょ橋というそうだ。走っている分には橋だということさえ気づかないが・・・・
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P3221389 posted by (C)オトジマ

下から見るとこんなスーパーな巨大橋。これは2月に撮影。なぜ「ちょうちょ橋」なのかはその特殊な工法、「バタフライウェブ」工法による。詳しくは施工会社のホームページを。
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P2023169 posted by (C)オトジマ

この橋を過ぎると田野の終点までトンネルがない広々とした宮崎平野を走る。

高速を宮崎西ICで降りる。日向からETC休日割で750円。このくらいなら払ってもいいが、4月からの値上げではいくらになるのかな。

今日の目的地、綾の吊橋に到着。山の斜面にあちこちヤマザクラが咲いているが、写真ではよくわからない。
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P3221398 posted by (C)オトジマ

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P3221399 posted by (C)オトジマ

日本一の高さだったが、その座を九重夢大吊橋に譲ってしまい、観光客も昔ほどはないようだ。
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P3221404 posted by (C)オトジマ

右が25年前の橋と妻。橋は最近リニューアルしてキレイになっている・・・妻はリニューアルされていない。赤ん坊は25歳になっている。橋の向こうの照葉樹林文化館は同じだが、周囲の樹林がすっかり茂ってしまっている。
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P3221407 posted by (C)オトジマ

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P3221402 posted by (C)オトジマ

照葉樹林文化館にはバードカービングが展示してある。
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P3221390 posted by (C)オトジマ

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P3221391 posted by (C)オトジマ

作者は渡辺耕作さんである。県内ではいつもマスコミに取り上げられる有名人である。実は私はバードカービングとは全然別の仕事であるが、彼といっしょに働いたことがあって縁がある。
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夏井の火葬場

黒木泰則さん所蔵の写真の中に珍しい写真があった。
夏井の火葬場である。現在の塩浜町公民館近辺にあった。煙突がある。ケムリが出ている時には人が焼かれている。
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45塩浜火葬場 posted by (C)オトジマ

戦後の地図には火葬場の記載がある。緑ヶ丘(現ウルスラ学園)には競馬場がある。
火葬場S
火葬場S posted by (C)オトジマ

私は子供の頃(昭和36年頃)、祖母の火葬で夏井の火葬場に行った記憶がある。当時は薪で焼き、一晩かかったので、骨拾いは翌日に再度行った。火葬場の係員をオンボと呼んでいた頃で、オンボに酒を一升持って行ったような記憶があるが、子供だったから記憶がオボロである。

葬祭場にはたびたび行く事があっても、火葬場となると肉親しか行かないもので、夏井には一度しか行ってない。その後、火葬場は浦城越えの峠に移転した。そこには父母と伯父で都合3度行った。でもさすがに火葬場で写真は撮っていない。下の写真は先日撮ったもの。

火葬場は平成24年に熊野江に移転したので、浦城トンネル入り口の旧火葬場は現在、廃墟となっている。
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P3161217 posted by (C)オトジマ

久しぶりに見ると、あれ?こんなんだっけ? というくらい小さくて質素だ。
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P3161218 posted by (C)オトジマ

その後で熊野江の新火葬場に行くと、あまりにも立派なことに驚く。火葬炉が8基もあり、焼却時間も大幅に短縮されたので、1日14件の処理ができる。高齢化時代の火葬急増に対応できるわけである。
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P3161219 posted by (C)オトジマ

夏井から浦城、そして熊野江と延岡の火葬場が豪華になっていく過程はこの半世紀の世の動きに連動している。
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P3161220 posted by (C)オトジマ

運営は南日本環境センターに委託されている。注意書きに「係員は公務員、あるいは公務員に準ずるものなので決して金品を渡してはいけません」と書いてある。オンボの時代の風習をもち込む人もいるのかも。
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P3161221 posted by (C)オトジマ

ここでは葬儀もできるらしい。安く簡素に上げたい向きは検討すべき。施設はそこらの安っぽい斎場よりはよっぽど豪華である。火葬場隣接だからとても便利でスピーディ。私ならそうする。しかし、市外の人は高い!!

コチラに『いのちの杜』ホームページがある。


原付で鶴見崎へ 3

本文、写真、表題で鶴見崎・鶴御崎がゴチャゴチャになっているが、鶴見崎は昔の表記、現在は鶴御崎である。

鶴御崎半島の北岸、県道604号をひたすら東へ。
一昨年訪れた丹賀砲台が見えてきた。山頂のドームが砲塔跡である。地下の山腹は要塞になっている。
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P3161282 posted by (C)オトジマ

丹賀砲台は一見の価値ある史跡である。一昨年詳しく書いたので詳しくはコチラ
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P7293285s posted by (C)オトジマ

砲台地下。一昨年の写真
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P7293279s posted by (C)オトジマ

大島と潮の流れの速い元の間海峡。
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P3161283 posted by (C)オトジマ

半島先端では道は海岸を離れ、山を登っていく。水の子島海事資料館を下に見て先を急ぐ。資料館も一昨年見ているのでパス。
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P3161287 posted by (C)オトジマ

鶴御崎園地に到着。
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P3161321 posted by (C)オトジマ

灯台は前回見ているので、今回は展望台と周辺砲台跡へ
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P3161288 posted by (C)オトジマ

照葉樹林帯の中を登る
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P3161289 posted by (C)オトジマ

山頂の展望台に到着。
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P3161315 posted by (C)オトジマ

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P3161300 posted by (C)オトジマ

南方、蒲江方面を望む
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P3161297 posted by (C)オトジマ

向こうに鶴御崎灯台が見える。
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P3161291 posted by (C)オトジマ

豊後水道には豊予要塞という瀬戸内海入り口を固める砲台群があった。
その中でも丹賀砲台の30cm砲が最大のもの。丹賀砲台は豊予海峡からやや引っ込んでいるので、半島先端の高台であるここで観測をしていた。観測結果を丹賀砲台に連絡して30cm砲の照準を定める。しかし、実戦で役に立つことはなかったし、実戦以前に丹賀砲台の30cm砲は1942年(昭和17年)の腔発事故で吹っ飛んだ。

豊予要塞、砲台配置図。これだけあれば鉄壁に見えるが・・・。実戦では敵はヒコーキでやって来たから役立たず。
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img159 posted by (C)オトジマ

観測所跡
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P3161292 posted by (C)オトジマ

観測所入り口
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P3161293 posted by (C)オトジマ

観測所内部。豊後水道をにらむ。しかし潜水艦で来られたら対処できなかっただろう。
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P3161294 posted by (C)オトジマ

80年前のコンクリート
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P3161296 posted by (C)オトジマ

近年作った公園施設にも植物がはびこり、いよいよ廃墟の面影がある。いっそ現代的な構造物なんかなくしてくれたほうがよかった。
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P3161301 posted by (C)オトジマ

観測所から10mほど下ったテラス状のところに砲台跡が4基並んでいる。
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P3161302 posted by (C)オトジマ

ちょっと見には砲台には見えない。元来は15cmカノン砲だったが、後にそれは現在の灯台近辺に移設し、15cm榴弾砲に配備換えした。カノン砲とちがい、榴弾砲は大きな施設は不要だという。

15cmカノン砲はこんなもの。かなり頑丈なコンクリート土台と大勢の要員が必要だ。たかだか直径15cmしかない大砲でも大ごとなんだな。
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img158 posted by (C)オトジマ

洞窟から外を見る。内面はモルタル張り。
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P3161304 posted by (C)オトジマ

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P3161307 posted by (C)オトジマ

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かまどの跡?焼却炉跡?
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P3161318 posted by (C)オトジマ

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P3161319 posted by (C)オトジマ

一昨年来た時には酷暑の時で山の上に上がる気力がなく、灯台にだけ行ってここを見なかった。しかし、よく調べると灯台の下に移設されたカノン砲の砲台跡がある。また見逃してしまった。廃墟オタクやミリタリーオタクなら豊予要塞だけでも見て回るのにけっこう手間ヒマがかかり、面白そうである。蒲江の仙崎にも砲台群があるが、資料を見てもそれは豊予要塞に含まれていない。豊予要塞は陸軍施設だったのに対し、仙崎砲台は海軍施設だったかららしい。
仙崎砲台のポストはコチラ

家から鶴御崎園地まで115kmであった。よりみちしながらなので5時間かかった。帰りは違うルートで走りっぱなしで3時間。往復235km、8時間。給油約7Lというところか。燃費32km/L! 最近の軽では30km越えるのもあるのに・・・
鶴見崎へ2
鶴見崎へ2 posted by (C)オトジマ

原付で鶴見崎へ 2

以前に鶴見崎に行った時には畑野浦~佐伯を国道388を使ったが、今回は海岸沿いの豊後くろしおライン経由で。
harabyさんのブログで素晴らしい絶景写真があった。

畑野浦を過ぎると峠越えの長い坂道が始まる。峠越えにはいる手前に豊後くろしおラインの分岐があり、いきなり長い尾浦トンネル。交通は少ない。
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P3161249 posted by (C)オトジマ

トンネルを抜けたところで尾浦を見下ろす。
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P3161250 posted by (C)オトジマ

ぐんぐんと高度が上がり、はるか下に海が見える。この交通量にはもったいない立派な道だ。
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P3161254 posted by (C)オトジマ

対岸は仙崎公園や仙崎砲台のある半島。
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P3161255 posted by (C)オトジマ

いくつか展望所があるが、岬の突端に近い「空の展望所」が特に景色が良い。標高160mくらいある。
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P3161263 posted by (C)オトジマ

ヤマザクラが今にも咲きそう
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P3161256 posted by (C)オトジマ

今から向かう鶴見崎半島が見えている。こうやってみるとえらく遠い。
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P3161258 posted by (C)オトジマ

今から向かう色宮漁港方面。
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P3161262 posted by (C)オトジマ

鶴見崎へ2
鶴見崎へ2 posted by (C)オトジマ

米水津湾沿いの県道501から、さっきまで走ったくろしおライン「空の展望所」のある対岸の山を振り返る。
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P3161264 posted by (C)オトジマ

米水津湾から鶴見崎半島を望む。
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P3161266 posted by (C)オトジマ

米水津漁港
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竹野浦天満社
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P3161269 posted by (C)オトジマ

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小浦
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P3161274 posted by (C)オトジマ
小浦から「小浦中越ふれあいトンネル」で半島を横切り佐伯湾に出る。

トンネルの手前の道端にネーブルの無人販売。10個入り200円!!安!!買う!!
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P3161275 posted by (C)オトジマ

トンネルを抜けると波静かな佐伯湾。
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P3161276 posted by (C)オトジマ

水はキレイ
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P3161279 posted by (C)オトジマ

半島北岸沿いの県道604。半島付け根から先端の鶴見崎灯台まで28kmも延々と曲がりくねって続く。
車だとウンザリして同乗者は車酔いするが、バイクならヒラリヒラリと快適。
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半島の先端方面。
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P3161280 posted by (C)オトジマ


原付で鶴見崎へ 1

ようやく暖かくなってきたので久しぶりに原付でツーリング。
harbyさんが鶴見崎に行っていたルートを辿ってみることにするがほぼウロおぼえなので、念のためにポケットにポータブルナビを突っ込んで行く。

鶴見崎へ
鶴見崎へ posted by (C)オトジマ

本日は日向~都農の高速開通の日ではあるが、式典の後、一般の通行は午後3時以降らしいから蒲江あたりの混雑はないだろう。とりあえず高速に乗ってみる物見遊山客は終点の蒲江まで行くだろうから、春分の日あたりはすごい車になるだろう。

国道388で北浦まで行き、古江から海沿いの県道122に入る。12月に来たルート。
県内海岸で最北の集落、直海漁港。サクラはまだつぼみ。
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P3161224 posted by (C)オトジマ

景色は例によって中国渡来のモヤ。えらい迷惑だ。前回はこのあたりの横島展望台とふもとのきれいな浜に寄ったが、今回はひたすら鶴見崎をめざす。
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美しい景観をぶち壊す投棄ゴミが道路下に散乱。ちょうど県境付近。大分県から来たゴミではないか?
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P3161226 posted by (C)オトジマ

家から県境まで1時間半。
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P3161227 posted by (C)オトジマ

波頭津海岸。実は昨日もキャンプの下見にここに来ている。高速のおかげで蒲江が身近になった。
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対岸は名護屋崎。その向こうが屋形島。高い山は背平山のようだ。
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葛原海岸。日豊海岸は次から次と浜や浦が続く。津々浦々である。
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P3161232 posted by (C)オトジマ

テトラ海岸でもある。
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P3161234 posted by (C)オトジマ

名護屋湾。道路脇に「貝毒注意」の看板がある。貝を掘る人は多く見かけたが大丈夫か?
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P3161236 posted by (C)オトジマ

蒲江の道の駅に到着。今日も車がいっぱい。宮崎ナンバーが多い。高速開通効果のあらわれる明日からはもっと宮崎ナンバーが増えるだろう。
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P3161238 posted by (C)オトジマ

大型バイクライダーも多い。高価なピカピカの大型バイク群の間に私の20年前のスズキバーディ2サイクル。バイク王の引取価格では30倍くらい違うだろうが、ぐねぐね曲がった山道を走る分にはそうひけをとりませんから。
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P3161243 posted by (C)オトジマ

店内は大盛況
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P3161240 posted by (C)オトジマ

おなじみ「蒲江のけんちゃん」正栄堂のうず巻。お土産に買って帰る。
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P3161241 posted by (C)オトジマ

マリンカルチャーセンター手前の高山海岸。砂が黒い。
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P3161244 posted by (C)オトジマ

河内湾。
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P3161245 posted by (C)オトジマ

楠本浦の天満社で。ここいらには浦々に天満社がある。
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P3161247 posted by (C)オトジマ



宮之浦八十八箇所 再訪 2

前回からの続き

67番から74番までは初めて回る番所である。しばらく尾根筋を歩く。

67番
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P3153495 posted by (C)オトジマ

69番
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P3153497 posted by (C)オトジマ

70番。
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P3153502 posted by (C)オトジマ

宮之浦八十八箇所は約200年の歴史を持つ由緒ある遍路道である。由来は以前にも書いたが再録。
「Wing」によれば、起源は江戸時代に遡るらしい。北浦町史からの孫引きとなるが、引用する。
----江戸後期、宮野浦では疫病、火災などが煩雑に起こっていた。当時、京阪地方との交易で莫大な富を得た宮之浦の住人、中野忠五郎が文政9年(1826)、四国八十八箇所を模し、小豆島で御影石に刻んだ88体の大師像を千石船で搬入、地区民あげて安置した。その際、それぞれの札所から砂を運び、四国と同じ順番になるように配置を決め、砂を撒き、寺の名前を付けた


つまり、全部が同じ大師像なのである。それぞれに番所の寺名が記されてはいるが、その寺の本尊にちなむ石仏があるわけではない。その点では浅ヶ部八十八箇所みたいな「次はどんな石仏かな?」と覗き込む楽しみはない。

いたるところにヤブツバキが咲く。
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P3153505 posted by (C)オトジマ

72番
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P3153510 posted by (C)オトジマ

73番
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74番
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P3153514 posted by (C)オトジマ

海が見え始める。島野浦が見える。
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75番
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P3153518 posted by (C)オトジマ

76番。77番は対岸の高島にあるので、ここから拝む。
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P3153522 posted by (C)オトジマ

75番、76番のあるところは木が切り払われて眺望が開け、絶景である。以前にも同じような写真を載せたが、今回は天気が良かったので少しはマシだと思う。しかし、カメラが悪い。
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P3153519 posted by (C)オトジマ

この日の干潮は13時でこの写真は13時30分くらいだから、やや潮が満ち始めのころ。ミナが取れそうな潮の加減だ。ここらは貝の宝庫。去年の春には潜ってミナを取り、そこでゆでて食べた。
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P3153521 posted by (C)オトジマ

76番からは下り坂になり、平地に降りる。昔の集落あとみたいになっている。家はもうないが、残骸が残っている。
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P3153526 posted by (C)オトジマ

足跡だらけのヌタ場になっている。夜はケモノの集会場になっているのではないか。
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カマドの跡。貝取りのオバちゃんに聞くと、住居ではなく魚の加工場だったとか。
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浜はすそこ。ここへの往来は船だったのではないだろうか。
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78番
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78番はなかなか立派な徳利を持っている。伊万里である。残念ながら欠けている。完品なら骨董屋に売れそうだ。
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小さい丘の上に大間明神がある。お稲荷さんである。ものすごい赤である。ここに79番がある。
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P3153539 posted by (C)オトジマ

大間海岸。美しい浜である。
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P3153541 posted by (C)オトジマ

さきほど見下ろした磯場でミナでも取って帰ろうと思ったが、潮が満ち始めていたのでやめた。幾人かの地元のオバちゃんたちが貝を取ってリュックいっぱいに詰め込んで帰ろうとしていた。ミナかと思っていたが、アサリだそうだ。
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P3153542 posted by (C)オトジマ

宮之浦の町に戻るには遍路道を一山越えていかねばならない。どうみても70過ぎ、もしかすると80過ぎのあのオバちゃんたちは思いアサリのリュックを担いでにぎやかにおしゃべりしながら急坂を登ってくる。実に達者である。
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P3153544 posted by (C)オトジマ

あと88番までは以前に写真を掲載したので省略。

結願の88番へは集落内の道。
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P3153553 posted by (C)オトジマ

88番は高台の立派な堂内にある。
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宮之浦の町
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P3153560 posted by (C)オトジマ

88番から宮之浦分校へ短絡路がある。途中で弁当を食べ、ゆっくり回って2時間半のコースであった。30箇所もないのに2時間以上かかったのだから、全コース3時間はやはり絶対ムリ。5時間くらいは見たほうがいいだろう。
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P3153562 posted by (C)オトジマ

※15番~51番までの記事はコチラ


宮之浦八十八箇所 再訪

やっと春らしい陽気の土曜日。一昨年、宮之浦八十八箇所を回った時、後半でいくつか回らなかった番所があったので、行ってみた。

県内では高速道路の開通が大ニュースである。明16日は都農~日向が開通。先週8日には須美江~北浦が開通。
今日は私にとって須美江~北浦間の初乗りである。高速が出来る、と聞いたときにはさぞ景色がいい道路になるだろう、と期待していたが、実際出来てみるとトンネルばかりで海はまったく見えない殺風景な高速である。

須美江インターを過ぎるといきなりトンネル。
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P3153448e posted by (C)オトジマ

正面は森山。
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P3153451 posted by (C)オトジマ

あっという間に北浦インター。
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P3153453 posted by (C)オトジマ

宮之浦八十八箇所の地図。全部回ると4~5時間かかるのではないだろうか。地元のオバちゃんに聞くと「私たちは3時間で回るよ」と言っていたが、私には絶対無理。地図はWaiwaiの広報誌「Wing」より転載。
宮之浦MAP2014
宮之浦MAP2014 posted by (C)オトジマ

今日歩いたのは61番から88番まで。15番~51番は以前に書いたことがある。途中の遍路道に割り込む短絡路が宮之浦分校から66番にのびている。地図中のオレンジ色の道は私が記入したもの。
宮之浦MAP2014s
宮之浦MAP2014s posted by (C)オトジマ

宮之浦分校の職員駐車場に車を置いて出発。土曜日だから職員はいないだろうからいいだろう、と車を置いたら、なんと学校は昨年に閉校になっていた。県北では学校の閉校が相次いでいる。
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P3153455 posted by (C)オトジマ

閉校しているのによく花が手入れされている。
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P3153454 posted by (C)オトジマ

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P3153456 posted by (C)オトジマ

昨年の閉校の時の写真が碑に焼き付けられている。
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P3153457e posted by (C)オトジマ

分校裏の谷を上がる。道路に見えるが実は水路。
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P3153459 posted by (C)オトジマ

少し登ると水路はだんだん荒れてくる。大雨の時には濁流になるはず。
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P3153462 posted by (C)オトジマ

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P3153463 posted by (C)オトジマ

大きな二本杉のところから山道に入る。
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P3153464 posted by (C)オトジマ

道はしっかりしている。倒木が多い。
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照葉樹林帯である。
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P3153469 posted by (C)オトジマ

20分も登ると祠が現れる。
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P3153470 posted by (C)オトジマ

尾根に着くと遍路道に出会う。右に行くと88番方面。あと1時間とある。
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P3153492 posted by (C)オトジマ

分岐近辺にある66番。
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P3153491 posted by (C)オトジマ

分岐からやや引き返して、岬の方へ枝分かれしている61番~65番を回る。これは63番吉祥寺
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遍路道に椿の花びら。
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岬の突端にある64番
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P3153488 posted by (C)オトジマ

海が見える。無人の静かな湾内でプレジャーボートで釣りをする優雅な人もいる。
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65番。
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久留米あちこち

久留米市草野は古い街並が残る地域である。ここも数年前に来たことがある。

これは5年前に撮影したもの。
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CIMG4087 posted by (C)オトジマ

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CIMG4084 posted by (C)オトジマ

今回は今が最盛期のはずのツバキが目的。耳納山地北斜面の山辺道文化館からやや登ったところに市営「久留米つばき園」がある。
草野の東隣の田主丸は植木の産地として有名である。耳納山地北斜面を東西に走る県道151号沿いには延々と植木屋と果樹園が並んでいる。草野も同様で、とくにツバキ苗産地として日本一だそうだ。

しかし、この日は曇天で寒かった。のんびりツバキを楽しむような陽気ではなかったので駆け足で園内を廻った。人もマバラ、椿の花もマバラであった。
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P3081087 posted by (C)オトジマ

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P3081089 posted by (C)オトジマ

ツバキはサクラのようには一斉に咲き誇ることはないようで、マバラに咲いているからいささか迫力と華麗さに欠ける。園の係員に「もう盛りは過ぎているんじゃないですか?」と聞いたら、そんなもとはない、いろんな品種があるから、次から次へと咲くので特に盛りはない、とのこと。
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ウメが盛りであった。
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結局、駐車場のツバキが一番見事であった。次にはお天気のいい日に来よう。
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P3081099 posted by (C)オトジマ

つばき園の近所にある辺道文化館はお洒落な洋館。昔は医院だった建物。ここで「つばき展」が開かれている。入場無料で3月30日まで。庭にはカフェ「椿舎」(つばきや)もオープンしている。既に閉館の時間だったので中には入らなかった。
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P3081100 posted by (C)オトジマ

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P3081105 posted by (C)オトジマ

玄関にもツバキ
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P3081101 posted by (C)オトジマ

久留米市津福今のスシローの横にエノキの巨樹があった。
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P3091201 posted by (C)オトジマ

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P3091209 posted by (C)オトジマ

木の下に祠があって、石仏が並んでいるが、その極彩色に驚いた。高千穂でもペンキ塗りの石仏を見たが中間色が心地よかった。、これは悪趣味の域に近いが、こんなのもアリだろう。単なる石仏もいいが、彩色はまた楽しい。
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P3091203 posted by (C)オトジマ

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P3091206e posted by (C)オトジマ

久留米市ではないが、久大線の福岡県の大分県の県境に「夜明」という駅がある。温泉があるらしい。
筑後川の川沿いの小さな集落で、夜明温泉がある。名前がステキで印象的だ。
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P3081020 posted by (C)オトジマ

駅舎は新しい。
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P3081012 posted by (C)オトジマ

なんの変哲もない駅だ・・・。特に大きな町でもないのにホームが2面もあるのはここが久大線と日田英彦山線の分岐駅だから。
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P3081014 posted by (C)オトジマ

実は「男はつらいよ寅次郎紙風船」のロケ地なのである。物語の展開上ではここを訪れる必然はないのであるが、寅さんがチラッと駅に降り立つ場面がある。印象的な駅名で気になっていたので寄ってみた。
以下は映画からのスクリーンショット。
yoake sta

映画は1981年だから33年前。様子が変わっているのは当然だ。
yoake.png

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駅は無人駅で地域の観光や地域情報に関するポスター等はあるが、「寅さん」ロケに関するものはなかった。地域の人も映画のことを知らないのではないか?
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P3081016 posted by (C)オトジマ

駅に長期間にわたる「夜明駅旅ノート」が置いてある。旅人の印象や寅さんファンの一言でも書いてあるんだろう、と思ってパラパラめくってみたが、地元の高校生の連絡ノートか落書きばかり。丹念に読めばあるのかもしれないが。
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P3081018 posted by (C)オトジマ

駅からダム湖を見下ろす。寅さんはここで何をしたのだろう。バイをするような土地ではない。たぶん山田洋次監督が駅名を気に入ってチラッと登場させたたけだろう。
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P3081019 posted by (C)オトジマ


吉井 白壁の町

うきは市吉井には5年ほど前に訪れて、白壁の町に感心したことがある。harbyさんが吉井のひな祭りに行ってるのを見て再度行ってみたくなった。

町中ひなまつりにあふれている。どこの店も雛飾りが。
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P3081025 posted by (C)オトジマ

商店に飾られていた昔の雛。幕末の作。雌雛は高さ1mもあるという巨大なものである。
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P3081026 posted by (C)オトジマ

金子文夫記念資料館には古い雛がたくさん陳列。これは箱雛と呼ばれる。
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P3081038 posted by (C)オトジマ

「おきあげ」と呼ばれる2Dの雛。ホンモノの雛が買えない人々が平面的な人形を作って飾った。題材は歌舞伎に由来するものが多いようだが、私には古典の素養がないのでさっぱりわからない。しかし、大変手の込んだもので大変立派である。
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P3081045 posted by (C)オトジマ

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P3081046 posted by (C)オトジマ

肥料店も今ばかりはハレの日。古い建物だが修復してあるので真新しく見える。修復にあたっては「風化」を考慮に入れるべき。風化してるからこそありがたいのである。人工的にでも風化させねばならない。
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P3081077 posted by (C)オトジマ

店内の座敷には雛飾り。
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P3081070 posted by (C)オトジマ

店内に古いオート三輪がある。飾りではなく現役だという。1963年ダイハツ製(昭和38年)1500cc。たびたびテレビ出演もしている名物らしい。
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醤油屋
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米屋
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丸石積みの護岸が美しい。
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素戔嗚神社
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P3081084 posted by (C)オトジマ

楼門は修復中。以前来た時にはシロアリの巣になってボロボロだった。塗装作業の人に聞くと、極力以前の部材を残して表面にサンダーをかけてカキ渋を塗っているとか。
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P3081082 posted by (C)オトジマ

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P3081083 posted by (C)オトジマ

神社前の通りは電柱地下化工事中。結構なことです。
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P3081085 posted by (C)オトジマ

街角ののぼり旗に面白い写真があった。蒸気機関車が街中を驀進している。つげ義春の「ねじ式」の一場面のようだ。調べてみるとこれは明治時代に敷設された「筑後軌道」。久留米から日田市豆田まで46kmを走っていた。
久大線と並行しているが筑後軌道のほうが古いのである。久大線が久留米‐日田間に14駅しかないのに筑後軌道にはなんと62駅もあった。46kmに62駅ということは平均駅間750mくらい。そうとう遅かっただろう。1929年に廃止されているからわずか20年くらいの命脈だった。でも見てみたいなぁ。
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P3081027 posted by (C)オトジマ

興味ある人のために筑後軌道の地図を付す。昔の筑後川周辺は鉄道だらけ。
tikugo rail

金子文夫資料館に昔の吉井商店街の作ったスゴロクがあった。昭和10年前後のもの。商店ごとに楽しいイラストが入ったカラー刷りでとても立派なものである。これを見ただけで昔の吉井がとても栄えていたことがうかがえる。
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P3081057 posted by (C)オトジマ

商売の職種と無関係に戦車や飛行機が描かれるのが軍国風である。
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P3081055 posted by (C)オトジマ

丹念に見ると面白い。
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P3081061 posted by (C)オトジマ

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P3081062 posted by (C)オトジマ


佐嘉神社近辺

徴古館から歴史民俗館にかけて見かけた風景。

県庁所在市で人口が少ない順では全国トップクラスだった佐賀市は人口が10万人台だったと記憶していたが、調べると近年の市町村合併で市域が広がり20万人を越えている。ただし旧市域ではいまだに16万人台。はなわが自嘲した田舎町の佐賀ではあるが、小なりとはいえ、さすがに県庁所在市らしい貫禄がある。佐賀藩は大藩で明治維新では薩長土肥の一角であった。豊かな平野を控え長崎街道が通り、古くから商業が盛んだった歴史的背景や城下町としての歴史遺産があることで、人口では2倍もある宮崎市よりもはるかに風格を感じさせる。金ではけない歴史遺産の大切な所以である。

古賀銀行。佐賀の歴史的街並の核となっている。ひなまつり期間中は菓子売り場となっている。
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P3091158 posted by (C)オトジマ

近所の三省銀行。ひなまつり期間中は佐賀段通の展示場となっている。普段の日に行った方がいい。
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P3091154 posted by (C)オトジマ

松原町の一角。古い建物が並ぶ。
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P3091172 posted by (C)オトジマ

写真館。
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P3091174 posted by (C)オトジマ

松原町の同じところ
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P3091169 posted by (C)オトジマ

古い建物が理髪店になっている。近代的なビル群の中にこんな建物が残る。
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P3091125 posted by (C)オトジマ

佐嘉神社(さがじんじゃ) 佐賀藩の藩祖や幕末、明治期の藩主を祭神としている。ここからみる社殿は明治、昭和期の創建だから新しい神社である。ひなまつり期間ということで露店も多く出て大変な賑わい。
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P3091187e posted by (C)オトジマ

明治期に奉納された陶製の鳥居。
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P3091182 posted by (C)オトジマ

鳥居の向こうにステキな建物、と思ったらトイレだった。楠が貫いている。
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松原の大楠。元来、ここにあった松原神社が拡大されて佐嘉神社となっている。
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P3091180 posted by (C)オトジマ

神社の周囲には堀が廻り、コイが泳いでいる。
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P3091176 posted by (C)オトジマ

佐賀市内には恵比寿さんがお地蔵さんのように市街各所にあって恵比寿めぐりができる。なんと808体もあるとか。
詳しくはコチラ
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P3091127 posted by (C)オトジマ

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P3091159 posted by (C)オトジマ


佐賀城下ひなまつり

9日の日曜に「佐賀城下ひなまつり」に行ってみた。佐賀藩主鍋島家ゆかりの博物館「徴古館」を中心に、近くにある歴史民俗館(いくつかの保存建築群の総称)で毎年開かれる。

3月3日もだいぶ過ぎたことだしすいているだろうと、気軽に行ったが、徴古館周辺は車がごったがえし、駐車場はどこも満車。

徴古館は花できれいに飾られていた。内部は撮影禁止なので写真はなし。
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P3091123e posted by (C)オトジマ

いまはどこの歴史的街並保存地区でもこの時期には「ひな飾り」であふれているので、お雛様にはいささか食傷ぎみであるが、ここには侯爵鍋島家の女性達が所持したお雛様たちが勢ぞろいしている。大藩であるだけにほぼ究極のお雛様といってもいいんじゃないかな。とはいえ、お雛様はみな似たようなものだからどこで差をつけるかというと、調度品である。以下の写真はチラシより。

とんでもない技術でつくらえたミニチュアの漆塗り蒔絵や螺鈿の箪笥や長持、什器類。
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img153 posted by (C)オトジマ

オール銀製の調度品もある。
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img155 posted by (C)オトジマ

お顔もそういえばみやびである。
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saga dolls posted by (C)オトジマ

わざわざ見る価値のある雛飾りはここ徴古館だけ。他の会場にも多数お雛様があるが、よそでも見れるものや新しいもの創作物が主体である。

長崎街道、古賀銀行前の通りも今日は人通りが多い。
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P3091137 posted by (C)オトジマ

古賀銀行の前には立派な花が。どこの会場も花が美しかった。
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P3091136 posted by (C)オトジマ

古賀銀行の中ではお菓子の即売会
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P3091129 posted by (C)オトジマ

楽しい創作ひなを展示。オール老人の雛。老女の三人官女がモチ食っている。
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P3091131e posted by (C)オトジマ

古賀銀行にあった花の雛
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P3091138e posted by (C)オトジマ

古賀家にあった明治時代のひな。
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P3091144 posted by (C)オトジマ

ここのヒナの調度品は庶民的な物がある。ゲタ、ショウケ、オヒツ、ホーキ、モッコ・・・
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牛島家は食品即売会場となっている。
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P3091157 posted by (C)オトジマ

中はごった返していたので入るのはよした。
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福田家の応接間は佐賀錦の創作人形の展示場。
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P3091166 posted by (C)オトジマ

福田家では佐賀錦人形の即売会。
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P3091165 posted by (C)オトジマ

数年前のゴールデンウィークに来た時にはあまり観光客もおらず、ゆっくり見れたが、今回は思いがけずたくさんの観光客で込み合っていたし、とても寒かった。


久住の野焼き

毎年この時期には阿蘇から久住にかけての草原では野焼きが行われる。今日のニュースでは久住で野焼きの人が火傷して重態というのがあった。3月8日、久留米に行く途中、その事故の直前にあそこらを通過したのである。

撮影したのは瀬ノ本高原近辺。
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P3080997e posted by (C)オトジマ

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周囲には胸に黄色い「ボランディア」と書いたゼッケンの人々がたくさんいて、火の管理をしていた。聞いてみると、要員の半分は地元以外から来たボランディアだという。話してくれた方は北九州から毎年来ているという。地元の方の高齢化と農林関係従事者の減少で野焼きも大変だろう。

要員は手に手にこんな熊手のようなものを持っている。これではたいて延焼を防ぐ。
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P3080999 posted by (C)オトジマ

これは翌日3月9日、帰りに俵山で見た野焼き跡。
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P3091213e posted by (C)オトジマ

山のはるか上まで焼けている。焼けている最中に見たら壮観だっただろう。
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P3091214 posted by (C)オトジマ

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P3091215 posted by (C)オトジマ

これは2011年3月13日、東日本大震災の翌々日に撮影した久住花公園近辺の野焼き。うっかり炎の中に取り残されたらとても危険だ、とわかる。
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話は変わり、これは九重スキー場。周囲の雪はもう融けていたがスキー場は真っ白でたくさんの人がスキーをしていた。
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P3081002 posted by (C)オトジマ

道路沿いの雪を袋に積めて持って帰ろうとしたら凍っていてとても固く、素手では歯が立たなかった。
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P3081000 posted by (C)オトジマ

去年登った一目山には雪がひとかけら。
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P3081004 posted by (C)オトジマ

湧蓋山にも雪が残る。小国富士ともいうそうだが、確かに北から見ると富士山型に見える。
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P3081010s posted by (C)オトジマ


別府の街角

別府の町をチラッと見て何枚か写真を撮った。ゆっくり回れば面白いものがありそうだが、いずれの機会に。

竹瓦温泉の近く、飲み屋街の只中に神社が、
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P3051883 posted by (C)オトジマ

その名も波止場神社。いまや波止場は遠くなっているが・・・
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P3051881 posted by (C)オトジマ

別府築港之碑。揮毫は松方正義。昔はここらが波止場だったんだろう。
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P3051882 posted by (C)オトジマ

なかなかレトロな店があちこちに。
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P3050978 posted by (C)オトジマ

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P3051892 posted by (C)オトジマ

レトロが行き過ぎると廃屋になる。
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P3051891 posted by (C)オトジマ

中島町、青山町あたりの住宅地ではこんな石垣の塀が多い。なかなか見事である。
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P3050987e posted by (C)オトジマ

丸石ではあるが、火山活動でできた石ではないだろうか。
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P3050986e posted by (C)オトジマ

どこも実にきれいに積んであるところをみると、専門業者がいるようである。
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P3050983 posted by (C)オトジマ

立派なお屋敷。
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P3050985e posted by (C)オトジマ

別府 竹瓦温泉界隈

伽藍岳の帰りには別府に寄った。かねて竹瓦温泉に行ってみたかったからである。
市街地の飲み屋街の真ん中なので、車で行くと、やや行きづらい場所にある。近所の有料駐車場に車を置いた。
10号線から行くなら、ゆめタウンに車を置くとよさそうだ。

竹瓦温泉前の通り
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P3051868 posted by (C)オトジマ

どこぞの取材クルーが来ている。彼らはこのあと竹瓦温泉に入り、砂湯の撮影をしていた。
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P3051863 posted by (C)オトジマ

こんな街中にあるとは思わなかった。
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P3051866 posted by (C)オトジマ

堂々たる姿である。
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銭湯とはややスタイルが異なる。入湯料100円と300円のタオルを買っても門川の心の杜温泉より安い。
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砂湯は1000円する。
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P3051870 posted by (C)オトジマ

男湯のようす。湯温43度。かなり熱いが、じっとつかっていると極楽極楽・・・・となる。10分も入って上がると体中真っ赤になっていた。
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P3051873 posted by (C)オトジマ

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これは近所にある永石温泉。市内各所に市営温泉がある。調べると無料のところもあるではないか!次はそこだ!
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P3050979 posted by (C)オトジマ

やってきた老人に料金を聞いたら「知らん」と言っていた。老人は無料なんでしょうね。いいなぁ。
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P3050980 posted by (C)オトジマ

竹瓦温泉の近所に友永パン店がある。「蒲江のけんちゃん」のブログで知った。別府の名店らしい。店の外観を写真に撮る観光客風の女性が何人もいた。やはり有名なんだな。
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P3051896 posted by (C)オトジマ

レトロな看板建築。駐車場はある。
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P3051893 posted by (C)オトジマ

店内の様子も殺風景である。ぜんぜんオシャレではない。他に卸してはおらず、ここでしか買えないという。
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P3051890 posted by (C)オトジマ

番号札を取らされる。混雑した時には順番待ちになるのだろうが、この時にはお客が少なく待たされなかった。夕方行ったせいか種類はアンパン食パンしかなかった。アンパン100円。食パン4枚入り160円。
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P3051889 posted by (C)オトジマ

買って帰って切ったところ。まぁ、確かにおいしくはあるが、正直言って私にはヤマザキのアンパンとの違いはそう感じられなかった。同じ値段ならヤマザキの方が2倍は大きいが・・・・。
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P3050989 posted by (C)オトジマ

最近はB級グルメブームで一度評判になるとたちまち全国区になる傾向がある。昔はどこの町にもあった地元のパン屋さんががんばって生き残ったら思わぬブレークをした、というところか。食べログで調べてもここのパンの種類はごく少ない。今はどこにでもあるしゃれた石釜パンの店と違い、あくまでレトロであるところが意外と新鮮。別府も町ごとレトロで売り出せばいいのかも。


雪と強風の伽藍岳

久しぶりに休みが取れたので大分方面に遠出。
午前の雨が午後には晴れる、という予報を見て、以前にじなしさんのブログで見た別府の伽藍岳に登ってみようと思い立った。

別府で高速を降り、大分道沿いの県道で塚原温泉に行く。途中の自衛隊十文字原演習場からの景色。この山の奥に伽藍岳があるはず。
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P3050936 posted by (C)オトジマ

車を降りて登山道に入るといきなり雪道。
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P3050941 posted by (C)オトジマ

3週間ほど前の大雪がまだ残っている。倒木や折れた大枝が多い。よっぽど降ったのだろう。
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P3050942 posted by (C)オトジマ

道路を塞ぐ松の倒木。かなりの大木だが、土壌がもろいからだろう。
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P3050940e posted by (C)オトジマ

シリカ(珪石)の露天掘り鉱山跡という。山頂近くまで車道があって登山道として利用されているが、重機が2代置いてあって、轍の跡がごく新しいのでまた採掘しているんだろうか。
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P3050944 posted by (C)オトジマ

陽の当たるところの雪はなくなっている。いかにも火山という山容。イオウの臭いが漂う。
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P3050951 posted by (C)オトジマ

車道がなくなり、細い登山道となり山頂が見えてみた。
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P3050954 posted by (C)オトジマ

尾根になるとものすごい風で林の中にはいるとホッとする。
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P3050971 posted by (C)オトジマ

山頂からの景色。草原の中を走る大分道見える。すごい強風だが、景色はオボロにかすんでいる。中国直送のPM2.5か。
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P3050956 posted by (C)オトジマ

鶴見岳方面。山の北斜面にはまだ雪がたくさん。
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P3050958 posted by (C)オトジマ

別府市街方面。残念ながら視界が悪い。おまけに冷たい強風で山頂にのんびり滞在する雰囲気ではない。
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P3050959 posted by (C)オトジマ

標高1045.3m。駐車場からの標高差は250m。延岡中心部の愛宕山に登るくらいか。とても寒かったが汗が出るくらいはあった。今度は青空で視界のいい日に登りたいもの。
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P3050965 posted by (C)オトジマ

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P3050966e posted by (C)オトジマ

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P3050968 posted by (C)オトジマ

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P3050974e posted by (C)オトジマ

古写真 学校

引き続き、黒木泰則さん所蔵の写真と私の手持ち写真から、昭和30年代の延岡市内の学校関連。

市内なんだろうが、どこの学校かわからない。服装からすると私よりやや上くらいか。昭和30年代前半ではないだろうか。心当たりの方は教えて下さい。
ラジオ体操
ラジオ体操 posted by (C)オトジマ

シーソー
シーソー posted by (C)オトジマ

鉄棒
鉄棒 posted by (C)オトジマ

※下のharbyさんのコメントにあるように以上3点は延岡小だそうである。延岡小が本小路にあった頃である。元来は現在の市役所の場所にあったものが空襲で消失、戦後本小路に移転の後、現在地への再移転は昭和48年。


小学生 農作業
小学生 農作業 posted by (C)オトジマ

緑小である。まだコンクリート校舎が珍しかったころ。昭和34年ごろか。
緑小 1961
緑小 1961 posted by (C)オトジマ

延岡高校。恒高から延高に変わって間もない頃か。写っているのは私と従兄である。私が入学したころには既にこの校舎はなかったような気がする。
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1962__40 posted by (C)オトジマ

私が高校生の頃にはこの校舎で勉強した。まだあるんじゃないかな。昭和35年頃か。
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1962__43 posted by (C)オトジマ

愛宕山。すでにテレビ塔は立っている。
愛宕山1960
愛宕山1960 posted by (C)オトジマ

恒小の運動会。
恒小運動会 1960
恒小運動会 1960 posted by (C)オトジマ

集団就職列車。よーく見ると印刷のアミが見えるのでどこかの印刷物が出元のようだ。延岡駅なんだろうが、どこにもそれらしき看板類がないので断定できない。私が中学生の頃、昭和40年代にはもう見られない光景だったから、昭和30年代だろう。
就職列車
就職列車 posted by (C)オトジマ

古写真 延岡市街

引き続き、黒木泰則さん所蔵の古写真、私の父の撮影した写真から延岡市街地のもの。どれも昭和30年代と思われる。

県立病院が新しい。現在の県総合庁舎あたりは一面の田んぼ。恒小には木造校舎が並ぶ。ベビーブームの頃、恒小に通った人の話では、生徒数2800人いたことがある、と聞いたことがあるが、信じられない数である。ホントですかね?
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37 posted by (C)オトジマ
※下のコメント欄に恒小卒業生のharbyさんの注釈あり。別の人の話では当時日本一のマンモス小学校だった、とも聞いたことがある。昭和22年生の人たちが延中にいた頃は1学年800名もいて、定期テストの番数は廊下の端から橋まで800人分張り出された、という。壮観だっただろう!もちろん氏名入りですよ。私が土々呂中の時代には50番まで張り出されたなぁ。

上の写真からやや東に振ったあたり。旭化成ベンベルグ工場が見える。恒小の裏と奥に旭化成の平屋の社宅がズラリと並ぶ。供給所の白い建物も見える。供給所!懐かしいなぁ!土々呂の子供にとっては憧れの場所だった。今でも夢に見ます。
40 恒富小
40 恒富小 posted by (C)オトジマ

恒富供給所。こんなんでしたっけ?薬品工場側でしょうね。私が子供の頃は安賀多のバス停で降りて、裏口から入っていたのでコチラ側の印象は強くない。
供給所
供給所 posted by (C)オトジマ

中央通のロータリーでの工事。はたしてロータリーの建設工事なのか下水道工事なのかはわからない。自転車が堂々と走ってるところをみると、昭和30年代初期か。
42中央ロータリー工事
42中央ロータリー工事 posted by (C)オトジマ

同じく中央通のロータリー。コメヤが見える。西日本相互銀行の建物。バスの胴には「新産都市指定促進総決起大会」とある。1962年に関連法律ができ、1964年が新産都市指定年なのでそれ以前の1963年頃か。
41中央ロータリー
41中央ロータリー posted by (C)オトジマ

大師祭りのパレード。車の幕は「島津久永・オスタちゃん新婚旅行御来延」とある。オスタちゃんとは昭和天皇皇女の貴子さんである。島津久永氏は佐土原藩藩主家。年表を見ると、御成婚が1960年なのでその頃か。
daishi matsuri 1960 (1)
daishi matsuri 1960 (1) posted by (C)オトジマ

祇園町。九州一周駅伝のようだ。昔は祇園町がゴールだったのか。正面に大渕薬局の大きな瓦屋根が見える。
48駅伝祇園町e
48駅伝祇園町e posted by (C)オトジマ

これも上と同じ場所。鼻ありバスとか、交差点中央の交通整理台を見ると、昭和30年代初めごろではないか?
46祇園町交差点e
46祇園町交差点e posted by (C)オトジマ

同じく祇園町。これくらいだと、私にも見覚えのある時代の光景である。詳細な撮影年不詳。
祇園町2
祇園町2 posted by (C)オトジマ

これは工事看板に昭和33年とある。祇園町らしい。私の考えでは、恵比寿町の高千穂通り銀星パチンコ前交差点から高千穂方面を見たところではないだろうか。道案内に「回り道 DETOUR」と英文表記があるのが時代を感じさせる。今の人はグローバル化による英語表記と錯覚するだろうが、これは占領軍統治時代の名残である。昭和20年代は日本中英語表記ばかりだった。
祇園町
祇園町 posted by (C)オトジマ
※下のコメントにharbyさんの解説あり。やはり恵比寿町らしい。

祇園町、さわたり楽器店近辺。詳細な撮影年不詳。
中央通り
中央通り posted by (C)オトジマ

山下銀天街の工事。舗装工事なのだろうか。詳細な撮影年不詳。
銀天街
銀天街 posted by (C)オトジマ

私の父が撮影した野口記念館。1958年らしい。昭和33年である。昭和30年に建てられている。すでに歴史的建造物の仲間入りしている貴重な建築。大事にしたいものである。同期の市役所は姿を消した。
野口記念館 1958
野口記念館 1958 posted by (C)オトジマ

市役所。1958年。新品の頃。耐用年数50年だったか・・・
市役所 1958
市役所 1958 posted by (C)オトジマ

同じく市役所。バスに「新産都市指定促進総決起大会」があるので昭和38年(1963年)頃か。
市役所
市役所 posted by (C)オトジマ

市役所講堂での結婚式だとか。市役所講堂というのがどこにあったんだか知らないが・・・本庁舎と別棟か? 内藤記念館での式なら私も出席した記憶がある。昭和30年代には結婚式の簡素化とか会費制結婚式とか、華美な式を避ける動きが盛んだったらしい。成人式も振袖ではなかった。
市役所講堂 結婚式
市役所講堂 結婚式 posted by (C)オトジマ

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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