映画「超高速!参勤交代」と延岡内藤家

「超高速参勤交代」


奇抜なタイトルと予告編で見たハタヤメチャおバカ風時代劇が面白そうなので見てみた。しかし、予告編とは印象が全然異なり、けっこうまともな娯楽時代劇。浅田次郎の参勤交代を扱った小説「一路」が大変面白かった。どちらも小さな貧乏藩の小さな参勤交代を描いているのでパクっているのかな、とも思ったが、浅田の「一路」は2013年刊、雑誌連載はそれ以前である。「超高速参勤交代」は2011年のシナリオコンペ城戸賞を受賞しているから単なる偶然かな?

お話は現在の福島県いわき市の湯長谷藩(ゆながや)が幕府老中から五日以内に参勤せよ、という藩取り潰しを策す、悪意ある無理難題を押し付けられ、藩主の決断のもと藩主筆頭に少人数であらゆる障害や幕府の妨害をはねのけて、成功する、というもの。ほとんど「走れメロス」で、夕刻、締め切り時刻ギリギリに滑り込む。まぁ、結末は見えているが、なかなか楽しめた痛快娯楽時代劇であった。

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実は興味を引かれたのはお話の背景である。奇想天外な話だから全く架空の話だと思っていた。「湯長谷藩」なんて聞いたこともないし。ところが見ていると延岡の人には「オヤッ?」と思う思い当たる場面が次々と出てくるのである。まず主人公の藩主が内藤政醇といい、家紋の下がり藤が重要なポイントなのである。あれ?延岡藩主の内藤さんの親戚か? 延岡の内藤氏は代々「政」の字が入っている。

実は湯長谷藩・内藤家は磐城平・内藤家の分家なのである。湯長谷は今のいわき市にあって、市中心部から直線で5kmほどしか離れていない。言って見れば延岡のスケールで考えれば延岡城の本藩に対し、今の伊形か一ヶ岡あたりに支藩があったようなものでえらく近い。石高はたかだか1万石ちょっとしかない小さな藩であった。湯長谷の内藤氏は転封になることなく江戸時代を通じて湯長谷にいた。そしてこちらも代々藩主の名には「政」の字が入っている。

物語中に本家の平・内藤家の殿様・内藤政樹が好人物としてちょっと出てくる。苦境に陥った湯長谷藩をとっさの機知で助ける大切な役。この内藤政樹こそが延岡藩初代藩主なのである。地名・人名は実在のものであった。

内藤氏の家紋、下がり藤。
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藩主、内藤政醇が浪人に扮し、旅籠に泊まって飯盛女に情けをかけている場面。彼女は下がり藤の家紋からこの浪人がお尋ね者と知るが、彼をかばって逃げる手助けをする。結末では側室に迎えられメデタシメデタシ。
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ではなぜその内藤政樹が磐城平からはるばる延岡に転封になったか、というと大規模百姓一揆の不始末の懲罰であった。平も延岡も表高七万石は同じだが平の実高は13万石もあったというから実質6万石の減封。江戸からの距離でいうとはるかに遠方だから明らかに左遷であるが、実は暖かくて冷害による飢饉もなくて意外と住みよかったんじゃないか。

内藤さんの前には有馬氏が山陰・坪谷村一揆の責任を取らされ越後国糸魚川藩5万石に転封となっている。暖地の延岡から豪雪地帯の糸魚川では有馬さんは大変だっただろう。

ウィキペディアによると内藤氏の平から延岡という転封は江戸時代最長距離の移動だったとか。有馬氏の延岡-糸魚川もそれに匹敵するほど遠い。

延岡藩最後の藩主、内藤政挙(まさたか)公一家。
s内藤正隆

さて映画中で湯長谷藩が5日で命じられた参勤は映画中では普通で10日かかる、と言っていた。さっそくルート検索してみると205km、徒歩で72時間、と出た。5日だと一日40km歩くことになる。そんなにメチャクチャなペースでもないような気もするが・・・
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福島県たいら市ではご当地映画として盛り上がったらしいが、意外や延岡にも縁のある映画であった。




門司港レトロ ロボジー

これが今回の「古い街めぐり」の最終回。

関門トンネルをくぐって門司側に出てすぐの所がいわゆる門司港レトロ地区。
駐車場も赤レンガ倉庫の跡で、壁だけが残る。

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P9153822 posted by (C)オトジマ

ツタで緑の壁になっている。紅葉したらキレイだろう。
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P9153824 posted by (C)オトジマ

昔は門司は列車でよく通過したし、高速でも通るが、実は足を下ろしたのは初めて。
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P9153781 posted by (C)オトジマ

さすが、レトロの街だけあって古い洋館があるなぁ、と思えば、なんと新築であった。大連にある建物の再現。
まぁ、そういわれなきゃ素人にはわからない。
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P1013886 posted by (C)オトジマ

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P1013888 posted by (C)オトジマ

再現だろうがレプリカだろうが、建ってしまえばそこから時代がついていくんだからそのうち古建築になるだろう。
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P9153819 posted by (C)オトジマ

旧門司税関
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P1013889 posted by (C)オトジマ

大阪商船ビル。
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郵船ビル。昔から大阪商船と日本郵船はライバル会社。こちらはレンガではないので近代的に見える。
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門司港駅まえの三井倶楽部。
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P9153789 posted by (C)オトジマ

三井倶楽部を見物しようと中に入ったら、食事ができるので門司港名物焼きカレーでも食べることにした。焼きカレーの店はこのレトロ地区にたくさんあるが、昼時でどこも混んでいた。ここは意外と穴場。国の重要文化財の建物内で食事ができる。
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P9153805 posted by (C)オトジマ

どんなものか、と思っていたらそう格別なものでもなかった。しかし、こんなすごい建物で食べられて、コーヒー・デザート付きで1500円は高くないのではないか。
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P9153801 posted by (C)オトジマ

レトロ地区は大賑わい。なかなかステキな観光スポットである。
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P9153818 posted by (C)オトジマ

門司港レトロ地区のシンボルがJR門司港駅だが、なんと巨大な覆いに囲われて修復工事中であった。グーグルストリートでも見れなかったが、なんと工事は継続中であった。観光客には工事が見れるように見学デッキが作ってある。

門司駅の解体修復工事
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P9153785 posted by (C)オトジマ

はずされた天窓が並んでいる。驚くような太い鉄骨の足場が見える。工事仮屋の方が門司港駅より立派に見えるくらい。どうせなら新築で再現した方が安くて早かったんではないか。
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本来の門司港駅はもちろんコレ。今後4年ほどは見れない。工期6年! そんなにかかる? 門司港レトロの象徴が6年も見れないなんて・・・
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実はこれは映画「ロボジー」からのスクリーンショット

「ロボジー」は門司を舞台にした映画である。映画中ではどこにも門司ということは明示されないが、そこここに門司界隈の風景や建物が登場する。
北九州には北九州フィルムコミッションという組織があり、ドラマや映画のロケをサポートしている。1989年設立以来すでに180本以上の映画・ドラマの撮影誘致・支援実績があるという。そういえば北九州が舞台の作品が多いような気がする。

ロボジーは私の大好きな映画。とにかく笑える。私は近年こんなに笑えた作品はない。
ロボットの製作に失敗した電機メーカーのボンクラ社員3人組が窮余の策で着ぐるみのロボットで世の中をだます。というお話。単純に言えばそんな話であるが、よく脚本が練られている。脚本・監督は矢口史靖。彼の作品にハズレはない。

以下も映画のスクリーンショット。
駅前にロボット3人組の車が止まったところ。三井倶楽部が背後に見える。
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これは工学系ロボットおたくの女子大生・葉子が就活で会社訪問しているところだが、背景は北九州市役所。ガラス面に小倉城が映っている。葉子を演じているのは「花子とアン」でお馴染みの吉高由里子。朝ドラとは全く違うキャラで出ている。
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デコボコ3人組が学生相手にロボットに関する講義をする階段教室は北九州市内の西日本工業大学で撮影。
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学生は西日本工業大学学生のエキストラだろう。
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ロボット展示会にはご当地企業の安川電機のブースが大写し。モートマンが安川電機のブランド。
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ロボット展示会でロボジーが自転車に乗るところ。下に自転車ロボットの本家、村田製作所の村田セイサク君が小さく映っている。ロボジーは村田セイサク君に負けじと張り切って自転車に乗ってしまう。思わず爆笑するところ。
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主役のロボジーを演じるのは五十嵐信次郎ことミッキー・カーチス。彼以外には考えられないほどのハマリ役。
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私は昭和30年代のロカビリーブームを知らないのでミッキー・カーチスについても名前以外は全然知らなかった。あのころは歌手や芸人が英語名をつけるのが普通で、ペギー葉山とかフランク永井とかいたからミッキー・カーチスも芸名かと思っていたらさにあらず。本名はマイケル・ブライアン・カーチスだから、それの短縮形である。彼は両親ともハーフというからやっぱりハーフなのである。2分の1+2分の1=1になるかと思えば、生殖細胞の減数分裂で4分の1+4分の1=2分の1、になるわけだ。顔つきはほとんど日本人にしか見えないが。彼は子供の頃から英語名がコンプレックスで日本名にあこがれていたという。そしてこの映画ではじめて子供の頃考えていた日本名・五十嵐信次郎を名乗ったのである。歌手の余技にしては好演するなぁ、と思っていたらこれまたさにあらず。彼は若い頃から多数の映画に出演していて俳優としてはベテランなのであった。知らなかったなぁ。ともかく、この映画でミッキー・カーチスがいっぺんに好きになった。

長府 毛利屋敷

長府の街めぐりの目玉は藩主・毛利氏の屋敷である。
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P1013786 posted by (C)オトジマ

アプローチが長い。さすが藩主の屋敷
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見えてきた。
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この屋敷は明治36年に完成。長府毛利家14代当主毛利元敏が建てた。だから江戸時代の藩主の屋敷、というわけではない。長州藩には二つの支藩と一つの孫藩があった。ここ長府藩はおよそ5万石。

長州藩本家は公称37万石、しかし江戸時代末期の実高は100万石に達していたという。周知のように長州藩の城下は山陰の小さな町、萩である。本来は広島から転封に際し、藩としては藩庁を防府か山口に置きたかったのであるが、幕府の命によって不便な萩になった。幕末には藩庁は山陽側の山口に置かれた。この長府の毛利屋敷に相当する毛利本家の屋敷は防府に築かれた。現在防府に毛利博物館として公開されている。本家なので当然この長府毛利邸よりずっと大きく立派なはず。今回は行けなかったがいずれ行ってみたいところである。

玄関にあるツルの板絵。我々一般庶民の観光客は別の入り口から入る。
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P1013792 posted by (C)オトジマ

スゴイ花が飾ってある。係りの方に聞いたらこの花は買ったのではなく、寄付されたそうだ。
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どこの部屋も一部のスキもなく整えられている。
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広大な庭もキチンと手入れされている。
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どこの部屋にも美しく花が活けてある。
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畏れ多くも明治天皇ご宿泊の間。そうとんでもない部屋でもないか。
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庭の見える縁側で・・・・
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抹茶をいただいた。400円。こんなリッパなお屋敷で大変な贅沢。
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バックヤードに生け花の材料が控えているのを見た。部屋が多いから花をそろえるのも大変だ。
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素晴らしいお屋敷でした。これで入場料200円は格安。
世の保存建築の中には300円でもホコリだらけの物置き同然の家屋があったりする。

毛利邸の石垣を後にして武家屋敷街を散策。
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風情のある土壁が多い。
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すごい豪邸もある。概して立派なお宅が多い。地方都市にしてはお金持ちが多いような。
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せっかくのお屋敷も後継者がいないと廃屋になる。
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ステキなお宅だがジャングルになりつつある。もったいない。独居高齢者になるといかに立派な邸宅といえど、手入れされずにヤブになる。私的な庭といえ、観光地としては公的な助成が必要では・・・・。
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P1013839 posted by (C)オトジマ

放置すると、広い敷地は分割され小さな建売住宅が建って、武家屋敷街の趣台無しになってしまう。現にそんなところもある。

横枕小路。この塀で一軒のお宅。
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乃木神社の塀
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乃木神社。言わずと知れた乃木希典を祀る。
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観光案内には乃木邸があるように書いてあるので、どんな豪邸か、期待していたらコレだった。乃木は少年時代を江戸で育った。これはこの場所にあった乃木の実家の復元である。
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乃木親子像。
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P1013864 posted by (C)オトジマ

乃木博物館には乃木将軍ゆかりの品々がおさめられる。この砲弾型の料金入れは木製。
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境内に乃木道場がある。子供の柔道大会が開かれていた。熱気ムンムン。
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もう一つの風情ある小路、古江小路に向かう。
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これが古江小路。土塀が素晴らしい。家屋は新旧さまざまであるが、いかにも昔の武家屋敷街らしさが残る。
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たまには中が覗えるお宅もある。
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菅家長屋門。菅家は藩の侍医を務めた由緒ある家柄。
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初めて杵築の土塀のある武家屋敷街を見た時には感激したものであるが、ここは杵築をはるかにしのぐ土塀がある屋敷街である。中の見れるお屋敷があれば楽しいのであるが。オープンガーデンでもしないのかな。
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まだまだ見るところのある長府の町並みであるが、腹は減るし足が棒になったのでここらで撤収することにした。
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また、機会があれば来ることにしよう。素晴らしい町であった。
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P1013884 posted by (C)オトジマ

下関

上関のつぎは150km先の下関。 この上下二つの関は対になっているのかな?町や港湾の規模は全く違うが。山口県は地図を見るとさしたることないが走るとけっこう広い。

下関で車中泊。朝、火の山に登ってみた。標高260mくらい。山頂に展望台がある。関門海峡を眼下に
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玄界灘方面。
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瀬戸内海側
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下関の目的地は長府。harbyさんのブログで長府のことを知って、いずれ行きたいものだ、と考えていたが1年たってやっと実現した。それまで全然知らなかったのであるが、下関は港町とばかり思っていたら城下町でもあったのだ。

長府は下関中心部から海岸沿いに瀬戸内海側に5kmほど東にある。長州藩毛利家の分家である長府毛利家の城下町である。藩家老の屋敷跡が長府庭園となっている。庭園の向かいは下関美術館となっている。
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中央に屋敷があり周囲に日本庭園がある。
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モミジが多いので紅葉時期にはキレイだろう
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このハスは孫文蓮という。孫文が支援者の長府在住者に送った古代蓮を、ハス博士で有名な大賀一郎が育成した。
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書院では今日はお茶会が開かれている。
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着物の奥方たちが集まっている。
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たくさんご婦人方がいるので遠慮しながら書院内部を写してみた。
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庭園の石灯篭になにかいる・・・・
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ネコの住まいになっていた。ノラにはうってつけの住居だ。
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長府の古い町並みを歩いてみる。これは長府博物館。維新関連の資料が揃っているらしい。古くて立派な建物。長府の篤志家、桂弥一が昭和8年に建設。今、近所に新しい建物が新築中で来年開館らしいから、今年度までだ。
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博物館敷地に「万骨塔」がある。「一将功なって万骨枯る」の万骨である。維新ではたくさんの無名の人々が死に、一部の者が明治の元勲として爵位を得て功なった。その万骨を鎮魂するもの。私は一将功なって万骨枯る、と聞くと、日露戦争の旅順攻略戦の英雄、乃木将軍を連想する。その乃木もここの出身。
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博物館の隣が功山寺。国宝の仏殿。屋根は桧皮葺。
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藩主毛利氏墓地
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霊場巡りもある
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本堂
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本来は国宝の山門が見れるはずだが・・・・  なんと修復工事中。残念。
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参道を降りる
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参道の古い土塀
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順序が逆だが、これが入り口。
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功山寺からやや離れたところに覚苑寺がある。ここも毛利家の菩提寺のひとつ。禅宗の一派、黄檗宗(おうばくしゅう)
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古そうな本堂
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方丈
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黄檗普茶料理、とある。料理が食べられるのかな? 寺の公式ページを見てもそれに関しては何も書いてない。
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土壁がいい雰囲気。紅葉がキレイらしい。詳しくは公式ページに写真がある。
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境内では発掘作業中。なんでもここで和同開珎が鋳造されたとか。「長門鋳銭所跡」として境内地が国の埋蔵文化財指定を受けている。あの有名な古銭がこんなところで作られたとは知らなかったなぁ。詳しくはコチラ
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室津 上関

柳井市に隣接して上関町(かみのせき)がある。中国電力の原発立地騒動で有名になった。
室津半島先端に室津という小さな港、狭い海峡をはさんで対岸の長島に上関という港があり、上関町役場はそこにある。

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建築史家で建築家の藤森照信氏の本に「建築探偵神出鬼没」という本があり、全国の面白い古建築が紹介されている。その中に室津の「四階楼」というのがあった。せっかく柳井まで来たのでちょっと足を延ばしてみた。

名前のとおり4階建て。うれしいことに入館無料。係りの女性が懇切に案内してくれた。あまり来客がないようだ。
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P1013700 posted by (C)オトジマ

そう大きな建物ではない。珍奇な形でもない。事前に知っていないとうっかり見過して通ってしまうかも。
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藤森氏が来たのはたぶん20年以上前だろう。その当時は四階荘という旅館だったそうだ。その後、建物は町に寄付され、改修された後に上関町郷土史学習館として公開されている。国の重文。
明治12年に地元の有力者、小方謙九郎によって建てられた。130年は経過している古い建物である。明治初期の文明開化期、目立ちたい一心で高層の洋館風の建物を造りたかったんだろう、と藤森氏は述べている。洋館、とはいいながら、地元の大工や職人が見よう見真似で洋館風に擬しただけ、ともいえる。
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内部はほとんど和風建築。しっくい細工があちこちにある。
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P1013699 posted by (C)オトジマ

二階の窓。
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壁の漆喰細工。
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天井の隅にもしっくい細工
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最上階の4階は壁がない18畳の大広間になっている。この色ガラスがすごい。あまり品がよろしくはないが、この建物に彩を添えて楽しくしている。ラブホを連想したが、係りの女性は「昔のカラオケ店のよう」と形容していた。
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モンドリアンにも見える。明治初期の田舎大工のセンス。今の田舎大工よりずっとマシかも。
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天井には鳳凰のしっくい細工。昔は黄金色だったらしい。
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窓から目の前に巨大な建物が建設中。道の駅だそうだ。せっかくの四階楼から海が見えなくなる。
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古い建物を見ると必然的に必ず厠も見ることになる。これは平成になって修復されたものだろう。
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基本的に4階で4部屋だからあっという間に見終わる。

せっかくだから対岸の上関の町も歩いてみた。

上関町役場のある通りは古い町並みとなっているが、特に対策を講じて保存しているわけでもないようだ。
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キタナイといえばそれまでだが、見物する者からするといい味出してます。
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新建材ではなく、板張り、ペンキ塗りがレトロ感を出す。
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この建物が観光パンフレットに載っている。アルミサッシになっている。
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向こう岸が本州側の室津。
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対岸は室津半島であの山のむこうに柳井がある
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上関町役場はこの古びた通りにひっそりと立つ古びた建物。玄関には古びた看板が・・・。
まだ「原発推進」の看板は下ろしていない。看板があるかぎりは交付金が下りるんだろうな。
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島の西端にある原発立地予定地。工事はある程度進んでいたが、2011年3月の福島原発事故を契機として工事は中断し、まだ埋め立てには着手できてないようだ。
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本土の室津とはこの上関大橋でつながる。
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上関大橋のたもとに温泉「鳩子の湯」がある。えらく立派な施設である。
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よーく見ると・・・・
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原発マネーのようだ

大変立派な温泉だ。大勢の町民で賑わっていた。
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鳩子の湯から外を見る。あまり景色はよくない。対岸が上関の港
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室津を後にして帰路につく。ちょうど夕日が瀬戸内海に沈む時。太平洋岸に暮らしていると海に沈む夕日は珍しく感じる。
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瀬戸内海を見ると、思わず小柳ルミコの「瀬戸の花嫁:をつい口ずさんでしまうのは世代のせいか。夕景を見ればなおさら、「瀬戸は♪日暮れて♪夕波小波♪・・・」と出てくる。だれだったかな、うろ覚えだがブームの宮沢だったかブラジルで現地日系人の集まりで少女が「瀬戸の花嫁」を歌うのを聞いて思わず涙した、というエピソードを聞いたことがある。異郷で聞くと突然郷愁を誘われる、ということか。

Youtubeを見ていたらブラジルの子どもタレント発掘番組で8歳の日系人少女が歌ってた。おしゃべりの幼さに似ず歌は大人びている。さて皆さん、涙が出るかな?


私は知らなかったのだが、このメリッサ・クニヨシちゃんは日本でもテレビ局に呼ばれて評判になったらしい。Yotubeに2年前の画像がいろいろあるので興味ある方はチェックして欲しい。ブラジルではこの番組からJotta。Aという少年がスターになっているが、他にも歌のうまい子供がウジャウジャいるようだ。オマケにメリッサちゃんのハナミズキ。


タイラ・カレンちゃんもめちゃうまい。沖縄系移民の子孫は歌がうまいようだ。メリッサちゃんと競演。


ジャスミン・ヤマシタちゃんもうまいぞ。ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」劇中歌。元歌はベット・ミドラーのローズ。

柳井津

瀬戸内海沿岸には江戸時代に栄えた港町が多く、いくつもの古い街並が残っている。ここ柳井もそうである。
大きな市営駐車場には連休というのにほとんど車が止まっていない。

恐ろしく人けのない無人の通りを行く。本当に観光地なのか? と思うくらい。P9142192
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お寺があった。
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ようやく「らしい」所に出た。観光客もチラホラいるが大賑わいには程遠い。内子の方がずっと多い。
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道がタイル貼りでちょっとやりすぎ。
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真っ白な白壁の商家が並ぶ。ここも修復されてややキレイすぎる。
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かけや小路、というわき道。
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周防大島からここらあたりには焼杉の壁が多い。揃っていると美しい。
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新聞販売店
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柳井川。かつては船運に使われた。ここが柳井津という港だった。今は埋め立てがすすんで海まで遠い。
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表通りを離れるとこんなボロボロの土壁の家もある。ピカピカの白壁よりも味わいがある。
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赤い金魚の提灯が柳井のシンボルらしい。
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甘露醤油資料館の巨大な蔵。
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蔵の内部。お土産を売っている。まぁ、ほとんど醤油。
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本当に醤油の醸造をしていた。
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昔は醤油はこのカメで出荷された。今、あちこちの庭先の装飾で見かける。
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柳井市町並み資料館。明治40年、周防銀行本店として建築。柳井は江戸時代以来、商業の町として栄えて、商人たちが共同してこの銀行を作った。しかし、大正以降、鉄道の開通で船運は廃れ、大きな工場の立地もなく、発展から取り残された。山口県の瀬戸内海沿岸には岩国、下松、光、周南、宇部、防府、小野田、下関と工業都市がズラリとならぶが、ここは例外。だからこそ空襲にもあわず、この古い町並みが残ったといえる。
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銀行内部一階
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二階の松島詩子資料館。松島詩子は柳井出身の歌手。私は全然知らない。
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商家博物館むろやの園
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ここは小田家という商家であった。油の製造販売を業としていたが、後には地主としても繁栄した。
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敷地はウナギの寝床のように細長く、柳井川の岸まで100mほどもある、という大きな商家で、建物はたくさんある。
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豪商の屋敷の例に漏れず、数多くの部屋、立派な厠、庭園などが続く。しかし、短期間にこんなにたくさんのお屋敷を見て回るといささか食傷気味で、どこも同じに見える。
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昔のシビン。一輪挿しにちょうどいいようなかわいいデザイン。
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二階の一室。奥方の部屋には筝が置いてある。
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二階から見下ろすと、屋敷と蔵のあいだに庭があるのがわかる。
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なたね油の商家だった。昔はこのような照明器具はナタネ油を燃料とした。ということは菜の花の畑もそうとうあったということ。
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女中部屋にはまったく陽はささない。
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敷地の奥へ奥へ進む。ほとんど観光客はいない。
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蔵がいくつもある。
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蔵の中は小田家伝来のお宝の展示場。人けはないし、監視もないので盗ろうと思えば盗り放題。無用心だ。
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高そうな象牙の根付。
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ベッコウの櫛
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油の製造を展示する蔵。 手前にナタネが置いてある。
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ナタネを絞る装置。内子で見た蝋を絞る装置と全く同じ仕組みだが、大きさはかなり小さい。
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小田回春堂というクスリ屋もやっていたようだ。大きな仁丹の看板が素晴らしい。ケヤキの一枚板! 手彫りでいい仕事してます。一点モノである。よーく読むといろいろ書いてある。そうとう古い。
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子供のお人形もある。かわいいんだか不気味なんだか・・・。夜暗がりでいきなり出会ったら、キャッと叫びそう。
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庭に古瓦を埋め込んだ面白い装飾があった。
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この小田家は広大な敷地の大きな資料館となっている。普通の古民家・古商家資料館の10個分くらいはあるので入場料450円が決して高いとは思わないが、係りの方はたった一人。そして展示品のホコリや庭の雑草からして人手不足なのは明らか。いくつも古いお屋敷を見て回ると、気合の入った公開建造物はまず、花でわかる。部屋部屋に気の利いたた季節の生花が活けてあるところは勢いのある施設である。この小田家にはあまり花を見かけなかった。

周防大島 ハワイ移民資料館

周防大島南岸沿いの県道4号を西進する。

島の西端に小さな平野があって周防大島町役場もここにある。島中どこにも古い家並が見られる。
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ごく狭い平野である。
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ここにハワイ移民資料館がある。別にハワイ移民に興味はなかったのであるが、その資料館が福元家という古い民家なので見たかったのである。ついでにハワイ移民についても知ることができる。
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福元長右衛門は明治初期にアメリカに移民し貿易業で成功した後、帰国し、昭和3年にこの屋敷を建てた。そう古いものではない。当時の価格で約3万円(現在の金額にして推定3億円以上)かかったといわれている豪邸である。凝った材料を用いているらしい。ただし、各地で古い豪邸を見てきたばかりですっかり目が肥えてしまい、豪邸に食傷気味だったのでそう驚くようなものではなかった。まぁ、冷静に考えれば大変立派な家。80年以上経過しているが状態はきわめて良い。
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古い家のガラスは趣がある。
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アルミサッシなんてどこにもない
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階段手すりはケヤキ、踏み板はモミジ。高価な材料である。
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台所。アメリカ暮らしをした人だけあってアメリカンな調度が多い。煙突があるのは大きなストーブ。ストーブとはいっても台所用の薪を焚くオーブンレンジである。
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ハワイはかつては独立したハワイ王国であった。カメハメハ大王の名は有名だ。ハワイが悪辣な手法でアメリカに主権を奪われて併呑されたのは1898年で日清戦争のすぐあと。

1881年、ハワイ王カラカウアが来日した時の写真。カラカウア王はアメリカを牽制するために王女を日本の皇族と結婚させることを希望したが、日本側に断られたとか。日本としてはアメリカへの忖度があったらしい。今と同じ。
Hawaii King s

日本からの移民はハワイ王国からの要請で1885年から10年続き約3万人が移住した。だから当時はアメリカ移民ではなく、ハワイ移民だったのである。当時移民した人々は日本人移民の急増でハワイはいずれ日本領になるのではないか、と思ってた人も多かったと聞いたことがある。この時期の移民を官約移民という。日本とハワイの両政府の斡旋による移民ということ。その3万人のうちなんと約4000人がこの周防大島から選ばれたのである。

この官約移民ではだれでも行けた訳ではなく、希望者の中から選抜された。明治初期には全国的に不作が多く当時の月額15ドルという待遇は悪くなかったので希望者が多かったらしい。しかし、実際に選ばれたのは異常に山口県が多く、とりわけ周防大島からが多かったという。当時は薩長藩閥政府であるから長州閥の外務大臣・井上馨の力が大きかったらしい。つまり周防大島の島民だけが極めて貧しくて、移民に適していた、というわけではなかったのである。

屋内にはハワイ移民関連の資料が多数展示してある。
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移民の掘っ立て小屋
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移民はサトウキビ栽培に従事した
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小学校もあった
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立派な教科書も独自に作っていた。国語ではなく「にっぽんご」となっている。これは戦後のものだろう。現在は現地化がすすんでなくなっている。
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美しい周防大島を後にして本州側の柳井に渡る。連休の観光客か交通量が多い。
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周防大島 安下庄

周防大島は東西に長く、車で走ると端から端まで40kmはある大きな島である。北岸には国道437号が走る。道の駅サザンセト近辺から、島を横切って島の南岸に行く。東西には長いが幅は狭いところで2kmもないのであっという間。南岸沿いに走る県道4号を西進する。
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海岸はどこでも大変美しい。
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この島での目的地は県道4号沿いにある安下庄という集落。古い街並専門サイト「郷愁小路」でこの集落のことを知った。
古い街並が残っているらしいが・・・。 北岸の国道437号ほどではないが県道4号は狭いのにけっこう交通量が多く、路上に車を止めて写真を撮るには気が引ける。

平和委員会の方が宣伝カーの準備をしていたので話を伺うと、この家も200年は経つそうだ。横の母屋は幕末の四境戦争の時に燃やされたあとで建てたのでそれでも150年は経っているとか。四境戦争なんて初めて聞く。詳しくはコチラで
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町のどこからでもすぐ背後にそびえる嵩山(かさざん)が見える。標高618mが海からいきなり聳え立つので町からはかなりの標高差がある。山頂まで車道があり、展望台やパラグライダーのランチャー台もあるらしい。この島の高山群は瀬戸内アルプスと呼ばれる。詳しくはコチラ
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農協の建物。レトロ感横溢。
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農協の向かいの木材屋も洋館風の古い建物。
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古い街並は県道から一歩中に入ったところに残る。西安下庄。
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古い漁村特有の狭い小路に古い家が立ち並ぶ。車社会には不向き。
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小路の向こうに海が見える。
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昔は商店だったような家が並ぶ。
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漁村なので驚くような立派な家はない。
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つげよしはるのマンガに出てきそうな集落がまだ残っていた。
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廃屋も多い。周防大島町は人口激減の島。1970年から現在までの44年で人口が半減している。現在人口約18000人。明治時代には7万人いたという。この平地のない島に!1976年に大島大橋ができて本土と陸続きになって離島ではなくなったが、人口減少には歯止めがかからない。
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立派な神社があったので参拝した。長尾八幡宮。
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神社境内から見る嵩山と山麓、安下庄の農村。
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安下庄の海岸と嵩山。海が青い。
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安下庄湾。対岸も周防大島の一部。真っ黒に肌を焼いてる若者がいる。どこか遠くの海外のリゾートに行かずともここに素晴らしいビーチがあるじゃないか。この島はリゾート地として絶好。
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県道沿いにこんな入り江が次々と現れる。
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周防大島 陸奥公園

夜10時頃、周防大島東端の伊保田港でフェリーを降りて、すぐ近所にある陸奥野営場へ。

周防大島sL

人けのないさびしいキャンプ場を想像していたら、テントがズラリとならんで大盛況だった。広島ナンバーが多い。そういえば広島から近いし、広島は人口100万の大都市だから連休にキャンパーが押し寄せても不思議はない。テントサイトは使わずに駐車場で車中泊。ワゴンRのシートを倒してベニヤ板を敷くと安眠できる快適空間ができる。

朝の様子。
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P9142040 posted by (C)オトジマ

キャンプ場の一角に自衛隊の対潜哨戒飛行艇 PS-1 が置いてある。樹木が多くて全貌をいっぺんに写真に収めるのは難しい。
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雨ざらし日ざらしであまりキレイではない。4発機だからかなり大きい。ここでは飛行機にさわり放題。バンバンたたいてみた。飛行艇の細部が見れるので興味深い。
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なぜ陸奥野営場というかというと陸奥記念館があるからである。
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陸奥とは遠くはなれた周防の国になぜ陸奥? たぶん我々の世代までは戦艦陸奥はお馴染みの船である。現代の人は戦艦というと反射的に大和、と思い浮かべるだろうが大戦中までは陸奥こそが帝国海軍を代表する戦艦だった。同形艦に長門がある。大和・武蔵の完成は戦時中で秘密兵器だった。陸奥は排水量32,720トン、40cm主砲8門を持つ巨艦であったが、大戦中の昭和18年、一度も戦うことなく火薬庫の爆発でこの記念館のすぐ近くで沈没した。死者1121名を数える大惨事となったが、国民の士気を損じるとしてこの事故は戦後まで秘匿された。最近防衛大や自衛艦内のイジメが話題になっているが、戦前はそれがはなはだしく、イジメにあった水兵が火薬庫に火を放ち、艦もろとも自爆した、という説もある。詳しくはウィキペディアなどを参照して欲しい。
Japanese_battleship_Mutsu.jpg

向こうに見える島が柱島。海軍の泊地があり陸奥はそこで沈んだ。
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朝、開館まで待てなかったので記念館は見なかった。近くの丘に残骸が展示してあった。スクリューはまだピカピカしている。
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副砲。
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艦首、舳先の一部。
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砲塔の付け根の分厚い鉄板は爆発の衝撃からかグニャリと曲がっている。
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美しい瀬戸内海
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島の北岸沿いに国道437号が走る。景色がキレイだし曲線改良が進んで快適なドライブコース。湾ごとに古い集落があるが、国道はたいてい集落の海側をバイパスしている。その集落内を通る旧道に回るとどの集落も古い家屋がよく残っている。古民家の宝庫みたいな島である。
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郵便局跡。
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周防大島には周防大島八十八ヶ所霊場巡りがある。総行程160kmくらいで一日30km歩けば5日くらいで回れるのではないか。景色は抜群にいいので楽しそうだ。四国は1000kmあるから相当な覚悟が必要だがここならラクかな。
コチラに歩いた人のレポートがある。この方は例によって登山趣味の方で中国地方の山の権威のようだ。
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札所のひとつ、67番西方寺。
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廃屋も多い。
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美しい瀬戸内海に見とれるが、黄色いガードレールはいただけない。山口県はどういうわけかこの黄色い悪趣味なガードレールで全県を彩っているのである。ダサイことに早く気づけよ。
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P9142075 posted by (C)オトジマ

道の駅サザンセトとうわはたぶん大島観光の中心。この島にドライブで来た車は取りあえずは寄るはず。

この道の駅に隣接して「服部屋敷」がある。服部家は幕末の在郷士族で農業のほか酒屋、網元、廻漕業など手広く行い、名主・村長職などを務めた名家。屋敷は明治18年に建築され、平成6年現在の地に移築復元された。いろいろと凝った造作のある屋敷らしいし、入場無料なので是非見てみたい。

ところがである。道の駅の案内所できくと、近年来訪者が少なくなってほぼ常時閉館状態らしい。事前に予約があれば役場から人が来て見せてくれなくもないらしいが、その日は日曜だったから無理。やむなく外から周囲を歩いただけ。

屋敷の周囲は土塁で囲まれている。復元ではあるが珍しい屋敷だ。そのせいで中の様子はうかがえない。
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全国各所にこのような保存家屋があるのだろうが、平日は来訪者もマレだろうから維持するのは大変だ。周防大島は以前は4町あったものが平成の合併で1つになっている。以前は各町ごとに箱物を競って作ったんだろうが、今となっては維持が大変、という構図だろう。しかしここは道の駅の横で観光コースにあるからかなり条件はいいはずだ。ぜひ常時公開する体制を作って欲しい。でないともったいない。民間委託という方法もある。

松山 萬翠荘

松山は旧藩主が建てた洋館、萬翠荘を見るのが目的。城山の一角にある。三越のある電車道からすぐの所にある。
すぐ横には「坂の上の雲ミュージアム」がある。ミュージアムも見る気があればそこの駐車場に車を入れれば両方いっぺんに見れる。

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これが萬翠荘(ばんすいそう)。お城のようだ。
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大正11年、旧藩主の子孫、久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別荘として建てたもの。
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外観も日本の庶民感覚からは遊離しているが、内部も同様。生活感は全く感じられない。だから見物してもあまり面白くはなかった。
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古い建物の面白さは、やはり住んだ人の生活が偲ばれるところにあるようだ。ここは久松伯爵だって住みたくはなかっただろう。単なる迎賓館だったのだろう。
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松山城へのロープウェイは萬翠荘から700mくらいの所にある。連休で城山近辺は人出が多い。
ロープウェイは往復510円。もちろん徒歩でも登れるがお急ぎの向きはロープウェイが速い。リフトと並走していて、お好みでどちらに乗ってもいい。登りはリフトにしてみた。
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城も観光客が多い。中国だか台湾だかの団体さんと一緒になった。例によって騒がしい。しかしさすがは漢字の国で、我々が読めない古い掛け軸などをスラスラ読んでいる。もちろん中国語でだが。
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石垣が青空に映える
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天守閣
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リフトの終点から天守閣までがけっこう遠い。まぁ、防御を宗とする山城だから当然ではある。松山城は現存城であるから天守内部にもエレベーターはないし階段は急である。高齢者には大変かも。

天守からの眺望。遠くに石鎚山が見えるらしいが、どれかわからない。
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瀬戸内海が見える。
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遠く海上に小さく由利島が見えた。TOKIOの鉄腕ダッシュのダッシュ島である。
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現存城だからどこも古びた板張り。セメントのところがないのがうれしい。
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甲冑を身につけるサービスがある。
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城マニアにはこたえられない素晴らしいお城であることはわかるが、マニアではない私にはどこの城も同じに見えてしまうのであった。

せっかく四国に来たんだから八十八箇所のひとつでも参ってみよう、ということで市街地にある石手寺へ。道後温泉からほど近い。夕方なのでだれも参拝者がいなかった。昼間は賑わったはずだ。石手寺は51番札所。

ここの寺には国宝・重文だらけらしい。この仁王門も国宝。
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金網が張ってあるので仁王門の中の仁王は撮影しずらい。古そうだ。
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俗世の問題にも強い関心があるようだ。
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古そうな土塀が一部残っている。
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門前は仲見世通りとなり土産物店が並ぶ。夕方なので閉店している。
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せっかく松山に来たので道後温泉にも行ってみた。おなじみのあの木造の建物。その周辺はこれがまたすさまじい人出。入湯券売り場にも行列。紅葉時期連休の高千穂峡よりも賑わっていた。意外と若い観光客が多い。風呂に入ってみたが人が多いのでゆっくり入る気にもなれなかった。連休の定番観光地には行くものではない、とあらためて肝に銘じた。

その夜のうちに防予フェリーで山口県周防大島の伊保田港に向かった。

内子 上芳賀邸

内子の上芳賀邸は公開されていて、蝋の生産の様子も知る事ができる。
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広い敷地にいくつも建物がある。
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蔵の中は展示場
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母屋の内部、台所
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ベンガラ格子
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立派な屋敷が昔の栄華を偲ばせる。見ごたえのある豪邸であった。
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たくさんの部屋がある
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立派な庭もある
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二階から大きな屋根を見る
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立派な蔵
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いかに大きな屋敷かがわかる
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二階は展示室になっている。いろいろとお宝が転がっているが、ホコリを被ってたくさんあると有り難味が乏しい。
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天井の木組
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昔の蝋つくりのジオラマがあった。よく出来ている。これは山のハゼの木から実を採っているところ。きっと負けてかゆくなる人が多かったはず。
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庭に見本なのかハゼの木が一本。
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袋の中にハゼの実が詰まっている。これだけ採取するには相当かゆくなるだろう。
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ウスで搗いている
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蒸している
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蒸した後に蝋を絞る。巨大な柱が二本。両側からクサビを打ち込んで圧力を加えて絞る。
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蝋を熱して冷たい水に注ぎ込むとこのような蝋の花ができる。
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蝋を干している
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蝋の出荷
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このようなカタマリになって出荷される。大きさは弁当箱くらい。
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昔はローソクが蝋製品の中心だっただろうが、近代に入ると輸出もされいろんな用途に使われた。これらは現代の蝋を使った製品。ダーマトグラフとは初耳である。柔らかめの色鉛筆と思えばいいようだ。蝋を多く含んでいるということ。ダーマトグラフとは三菱鉛筆の登録商標だとか。使い心地のいい筆記具だという。価格も1本100円くらいらしいから高くはない。ガラスやプラスチックなどなんにでも書けるのがいいらしい。
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昔、博覧会に出品した見本。大変立派な漆塗りの箱に入っている。
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蝋が産業として栄えたのは江戸時代から明治まで。石油からパラフィンが生産されるようになるとすぐに衰えた。
昔栄えて当たり前だった産業なんだろうが、現代人には無縁になってしまったもの。なかなか面白かった。

内子 歴史的街並

内子の歴史的街並は八日市・護国寺伝統的建造物群保存地区に集中的に残っている。昔の街道沿いである。
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ひときわ立派な建物が本芳賀邸である。蝋の生産で財を成した。芳賀家は分家に分家を重ね、十数家あるそうだ。そのなかの一番の本家と言う意味で本芳賀と呼ばれる。近所に中芳賀邸、上芳賀邸、街中に下芳賀邸がある。残念ながらこの建物は中を見れない。
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緻密な亀の漆喰細工
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彩色された美しい鶴の漆喰細工
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庭園の一部は見る事ができる。家屋内部も公開して欲しい。分家の方は公開されている。
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こんな土壁のむき出しがあるとリアリティがある。修復前は町中こんな壁だらけだったはず。つまり現状は美しすぎるのである。
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ここらはアスファルト舗装
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きれいに整備されている小路。キレイすぎるかな。
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こんな石が多く使われている
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ここからは別の通りの商店街。ここには昭和の香りがただよう別のレトロがある。
これは芳賀一族の下芳賀。料理屋さんで現在も営業している。
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なぜにイギリスの旗??
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商いと暮らし博物館
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クスリ屋の店先のようだ。
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これまたレトロ感横溢。商店の木製の引き戸はもう見かけない。毛糸屋が成り立つのかな?
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本当は古い建物だが、残念ながら化粧直しをして新品同様に見える。
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さすがにこの金物店は営業していないようだ。
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壊さないで欲しいな
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内子の主要産業であった蝋に関しては次回ポストで詳しく。

伊予 内子

3連休をとって愛媛・山口方面への旅。
朝6時家を出て、佐賀関から九四フェリーに乗る。8月に計画した時には臼杵から八幡浜へのフェリーを利用しようと考えていた。距離は2倍あるが料金はそう大きく変わらない。

佐賀関精錬所を見ながら出航。
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佐多岬のあたりで三崎発佐賀関行きのフェリーとすれ違う。
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四国上陸後1時間ちょっとでで内子に到着。とりあえず内子座駐車場に車を置く。
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内子座は大正5年にできた芝居小屋。戦後は映画館に転用され、老朽化して取り壊されるところを、町民の熱意で復元された。ちょうど山鹿の八千代座と似た経過をたどる。復元運動の起きた時期もほぼ同じ1980年代。

舞台
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末期には映画館に転用されていたので椅子席になっていたのを桟敷席に復元している。よってこの桟敷は昔のものではない。八千代座よりもやや小ぶりに思えるが収容客数は650名で同じ。
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二階から見下ろす。二階席の構造も八千代座とほぼ同じ。
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八千代座は天井に描かれた昔の商店広告が面白い。ここは天井にはないが壁にはある。この自転車店の広告を見ると、昔は自転車にもブランドがあったんだなぁ。今もスポーツ自転車にはあるんだろうけれど、普通の自転車でブランドを気にする人はいないだろう。
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奈落は本来はなかったそうだ。地下水がひどく、地下を掘れなかったそうだ。だからこれは近年作られたもの。丸石の石組みが面白い。突き当りが回り舞台の回転機構。
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左が内子座。
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内子座近くのレトロな医院。
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内子ではこんな風車をよく見た。何かと思ったらアルミ缶に細かな切れ目を入れて作ってある。
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内子高校。
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内子は内子座が有名だが、意外とこの映画館、正確に言うと映画館跡の方が興味がある。
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かなりボロボロ。昔はどこの小さな町にもあったはずだが、今ではどこにも見れない。私の場合は土々呂劇場を思い出す。
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旭館、という小屋。延岡にも旭館という小屋があった。延岡の旭館は旭化成にちなんだもの。安賀多町の交差点にあった。しかし延岡旭館は最盛期にはスクリーンが5つくらいもある大規模な映画館だった。よく行ったもの。
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森文とは大正時代にこの小屋を建てた醸造業者。
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スクリーン。そこらじゅうに昔の映画のポスターが張り巡らしてあるので今ひとつ昔のノスタルジーに浸れない。
さらに椅子が場違い。どこかのホテルか結婚式場のお古をもらってきたような椅子。土々呂劇場では木の長椅子だった。
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ん?! エプソンのプロジェクター? あのカシャカシャという映写機は展示物として飾られていた。時々映画会を開いているそうだがDVDだったか・・・・。
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手描き看板。なかなか上手。懐かしい「道」。でも白黒映画だったが・・
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映画館のオーナーだった森文醸造のポスター。ヤツナミテンイチのマークでそれがブランドのようだ。
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この価格には私もなじみがある。残念ながら昭和・・・年のところが破れている。昭和30年代には間違いないだろう。
映画、それも邦画の全盛期、そしてテレビの普及とともに没落の始まる時期。
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バックヤード。
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2013年に国の有形文化財指定を受けたそうだ。どんなガラクタでも長く保存しておけば希少価値がでるということ。
内子の町自体が時代に取り残されたので価値が出た、という感がある。海の対岸の豊後高田みたいだ。
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海岸ウォーキング

このところ健康のために毎日近所でウォーキングをしている。同じところでは飽きるので場所を変えつつ。
門川の向ヶ浜もいい散歩道。

これは五十鈴川河口。向こうの森は尾末神社。
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向ヶ浜から乙島を見る。静かな海であるが遊泳禁止。波が立たないのでサーフィンにも向いてない。
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浜の南端側から北端の五十鈴川河口方面を見る。浜は1kmちょっとある。松林は幅がごく狭く10m内外であるが、中に歩道が貫通しているので日差しが強ければ松林の中を歩ける。浜と松林で往復2kmちょっとくらいか。
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文化センターに車を置けば遊歩道や浜へのアクセスがごく容易で絶好の散歩道である。

日向のお倉ヶ浜は日本の白砂青松100選に選ばれる素晴らしい浜と松原がある。
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松林の中は明るい。マツクイムシでたいぶ間引きされたか。
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国有林と思っていたら半分は民有林なのである。ただし中を歩いていても違いはわからない。
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伐採処理されているからか、マツクイムシ被害の松はあまり見かけない。
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松林から浜に出る。
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大御神社、米の山方面。
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日向岬、馬ヶ背方面
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尻無川方面
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ハマグリの殻が多い、しかし碁石を作れるような大きさのものはない。
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干潮なので浜が広い、軽飛行機なら滑走路に使えるんではないか。
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チドリが多い。
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ゴミ集めをしている奇特な方がおられる。今度来るときには私もゴミ袋を持って来よう。
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運動公園から北端の塩見川河口まで行くと1.5kmくらいはあるか。往復3kmくらいにはなるのではないか。快適な散歩道である。車はお倉が浜運動公園に置くといい。

臼杵 寺めぐり 見星寺

旧真光寺からやや下ったところに見星寺がある。時間の流れが止まったかのような街並の中にある。
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突き当たりが見星寺
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臨済宗妙心寺派・見星寺
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こじんまりとした寺。
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今回は、二王座周辺でこんな茶色のカラートタンの壁が目に付いた。古い家屋の補修に景観を考慮してカラートタンを使っているんだろうが、やはり板壁にして欲しいところ。
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これは旧真光寺のすぐ下の露地。正面の民家が全面カラートタン張りになっている。
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2010年撮影の同じ場所。実は以前にはこの空き地にこんな家が建っていた。この家を取り壊した後で、その向こう隣の家の壁面のボロ隠しでこんなふうにカラートタンを張っているようだ。この家の雰囲気がお気に入りだったんだがなぁ・・・
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軒下には古いバイクが放置されていてそれがまたえもいわれぬレトロ感を醸していた。再現して欲しい。
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二王座歴史の道の善正寺の前には古い洋館風の二階家があったが、今回は工事中。どうやら同じ形で新築しているようだ。店にでもなるのかな?あの古さがよかったんだがなぁ。新築の洋館ってどうよ? 左が2年前。右が今回。
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P7293374e posted by (C)オトジマ

昨年は中央通主天街のフジジンの店でしょうゆソフトを食べた。エエッ?しょうゆ味?と思ったが意外とおいしかった。今回は隣のカニ印醤油の店に入ってみた。
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ここは味噌ソフトクリームである。醤油よりさらに違和感があって食欲をそそらないが、せっかく臼杵にきたんだからトライしてみた。味噌味がシッカリしている。これが意外とどころか、今まで食ったソフトクリームの中で最もおいしかった。臼杵に行く方には是非お薦め。310円。
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以前にも書いたがここの「カニ印」とはあの甲殻類のカニではない。カニ印といいながらどこにもカニさんのマークはない。岐阜県可児市の可児(かに)である。祖先は可兒孫右衛門といい、美濃藩主だった稲葉氏の臼杵移封にお供して来た。当主は代々可兒傳右衛門を名乗り現在の12代当主は可兒傳右衛門直愛というらしい。可兒家及びカニ醤油について詳しくはコチラ

12代当主可兒傳右衛門直愛(なおえ)さんが、こんなソフトクリームの解説書きを書いている。
kani s

たしかに注文を受けると高齢のご婦人が奥に引っ込んでずい分時間をかけて持って出てきた。

臼杵寺めぐり 龍原寺 大橋寺

二王座の丘を下りて二王座のメーンストリートに出た。手前が浄土真宗本願寺派・善正寺、奥が真宗大谷派・善法寺。どちらも立派な寺である。
ここら辺は寺が集中している昔の寺町。
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善正寺の山門は新品。本堂も新しい。
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右に見えるのが旧真光寺。
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旧真光寺から下りていく。
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臼杵川の近く、県道に面した龍原寺。浄土宗知恩院派
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龍原寺境内。この寺は三重塔で有名だがあまり大きな寺ではない。我々が本堂の階段で休憩していたら住職がスクーターに乗って出かけて行った。坊さんもヘルメットを被るんだな。
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江戸時代末期に建てられた由緒ある塔である。
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境内の墓地に「宮本武蔵」建立の墓を見た。まさかあの武蔵ではないよね。たぶんタケゾーさんかな。
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龍原寺のむかいに大橋寺がある。大きくて立派な寺。浄土宗西山禅林寺派。
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正面入り口参道。車道が設けられている。
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鐘楼かと思ったら観音堂だった。
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本堂。中には入れなかった。
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山門
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境内から龍原寺を望む。
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大橋寺は臼杵川を背にしている。対岸の住吉神社から撮影。城郭と堀のように見える。
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臼杵は人口4万人に満たぬ小さな市であるが、えらく立派な寺が数多い。

臼杵 寺めぐり 二王座界隈

月桂寺・多福寺のある丘の上には墓地がある。古い墓石ばかり。向こうに臼杵城の城山が見える。
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P9071634 posted by (C)オトジマ

そこらから道なりに下り始める。風情のある古い石垣・石塀のお宅が多い。
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行けども行けどもステキな石垣の道。大事にしてほしいなぁ。たまにブロック塀があるとガッカリ。
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石垣の羅列・・・・
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ところどころに昔の武家屋敷跡の表示がある。
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突然洋館風のお宅。ふと気づけば門柱に案内表示--映画「なごり雪」のヒロイン雪子の家としてロケに使われた家だった。
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映画では雪子があの窓から雪に擬した紙ふぶきを撒き散らす場面がある。
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映画「なごり雪」については以前に書いたことがあるのでコチラを参照

ついでにイルカの「なごり雪」。このピアノバージョンがいいなぁ。リンクが切れないといいんですか・・・


石垣の下が駐車場になっていて今ひとつ。
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映画「なごり雪」のロケ地ガイド。中央下に雪子の家・釘宮邸がある。雪子が窓から雪を撒くイラストもある。これを見ると多福寺もロケ地になっている。このロケ地ガイドをはじめとして観光案内パンフレット類は観光交流プラザで手にいるので、回る前に寄って入手しておくと便利。
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石垣もほっとくと植物でビッシリになってしまう
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ソテツがなかなかいい味出してます
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臼杵寺めぐり 月桂寺

多福寺のとなりが臨済宗妙臨寺派・月桂寺。これまた立派な寺である。それもそのはず、この寺は藩主稲葉氏の菩提寺であった。まぁ、場当たり的にぶらりと訪れているのでそんなこととはツユ知らず、帰って復習して知ったこと。

どこの町でも藩主の菩提寺はその町でもっとも立派であるから一見の価値はある。スゴイ石垣。
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御成門というらしい。藩侯専用の入り口。すごい急な石段。当然閉ざされていたので、脇の車道から入る。
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門を境内側から見る。横にある蔵は経蔵。
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大きな本堂。全部が障子貼り。この障子戸を開けてみたらなんとそのウラにはアルミサッシのガラス戸があった。でもこうやって昔の風情を強く残してくれていることに感心した。
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障子の張り方が不ぞろいで今ひとつヘタなところがまたいい味を出してます。
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本堂の扁額。とんでもなく大きいケヤキの一枚板。いくらしたんだろう?
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白い壁の建物は霊廟。藩主・稲葉家の祖霊を祀る。
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本堂の裏手の山には十六羅漢がある。どれも大きくてとても立派な羅漢である。
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野の花の中の羅漢
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一番上には仏様たちが。
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仏さんが乗っているのは獅子?
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コチラはゾウさんみたいだが・・・
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上から見下ろすと、寺の巨大な屋根が見れる。古瓦のなんともいえぬ味わいが素晴らしい。
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向こうに臼杵城が見える。
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いかにも藩主菩提寺らしい貫禄のあるお寺であった。

臼杵 寺めぐり 多福寺

例年暑い盛りに臼杵を訪れている。今回は二王座の山の上へ。
臼杵市観光交流プラザの前に蛤小路という小さな通りがある。

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突き当りが多福寺である。趣ある石段の上にある。
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山門から見下ろす臼杵の町。NTTのビルとアンテナがせっかくの城近辺の風情を台無しに・・・
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掃き清められた境内。立派な鐘楼。
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石垣は急な坂で上に続く。墓地のようだ。
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境内を見下ろす。立派な本堂。木造であるが、わりと新しい。二王座周辺には大きな寺がいくつもあるが、どれも大きくて立派な木造の本堂を持つ。
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急な坂の上に墓地がある。年よりは参るのが大変そう。
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多福寺の石垣。ほとんどお城みたい。
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石垣の説明。
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隣接する月桂寺の石垣もすごい。
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高千穂の豪雨

このところ、毎日町内各所でウォーキング。しかし今日はヒマがあったので高千穂まで足を伸ばしてみた。
高千穂オルレコースの一部を歩いてみるつもり。天翔大橋を渡り県道50号で丸小野谷へ。

これは松の木地区のクリ林。
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でかい。下にははじけたクリの実が転がっている。もう収穫最盛期である。
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県道に車を置いて丸小野谷一周のつもりで歩き始める。茶畑が見事。
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本来のオルレコースは対岸を通るが、地区の排水路工事のため現在は谷の西岸のこのルートに変更されている。
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道路脇の森の中に若禰宜神社、という小さな神社がある。鳥居の向こうは昼なお暗い。
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本当はすごく暗いがカメラが明るく撮ってくれている。建物はなく石の祠がある。
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ここで突然雨が降り始めた。激しくなったので公民館の軒先で雨宿り。
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写真じゃわからないが、これがまたすさまじい降り方。まだ歩き始めたばかりだがとても外には出れない。しばらくすれば止むだろう、と考えたがなんと1時間以上たっても全く弱まる気配がない。最近あったばかりの広島の土石流災害が頭をよぎる。近年開発された住宅地なら土砂崩れが起こっても不思議はないすごい雨。多分1時間で100mmくらいは降ったのでは・・・・。
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公民館の前の丸小野川は濁流渦巻く。本来はほんのささやかなせせらぎである。
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止まないのであきらめて濡れるの覚悟で引き返す。
道路は川になっていた。
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県道近くで
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県道50号
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県道脇のお宅のご婦人が「家に土砂が入ってきた」とかで不安そうに外に出ていた。背戸には泥が流れていた。家と接する裏山が一部崩壊していた。
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そこで雨が止んだので、もう大丈夫だろう、それ以上は広がるまい、と思い車に乗った。
ところが、夕方のNHKニュースにはまさにこのお宅が土砂崩れ被害で出ていたので驚いた。家の中まで相当量の土砂が崩れ落ちていた。まさに事件の現場にいたのだが大規模な災害にならなくて不幸中の幸い。

国道218号を下ると平野部に近づくにつれ何事もなかったかのように穏やかで五ヶ瀬川も濁っていなかった。あの丸小野谷の狭い範囲だけの集中豪雨だったようだ。
プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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