HOT JIMA

今日も孫たちを連れて北浦・阿蘇海岸へ。
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道の駅のそばにはとっくに廃墟となった水泳施設とウォータースライダー。せっかくキレイな浜があるのにあんなもん作ったもんだからまたムダになってしまった。責任者はだれだぁ?
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ヒトデを拾って喜ぶ
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キャンプ場にはまゆうの大群落
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オヤ? スイカ割りをはじめたグループが・・・・
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引率者に聞いてみると大分県津久見市保戸島中学校の臨海学校だとか。高速を走れば津久見から40分で来るだろう。
生徒数は7名!割ったスイカを食べている色とりどりのTシャツの子ども達が全校生徒である。 そばの引率の先生もそのくらいいる。生徒達はみんな保戸島をアピールするTシャツを着ている。
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漁業の島。ちょうどここ阿蘇海岸のすぐ対岸の島浦島と同様。ただしマグロ漁が有名なのが違う。
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ローマ字で書いてある分にはべつに何とも感じないが、日本語で「保戸がええっちゃ」といわれると、オイオイ大丈夫か?と突っ込みを入れたくなるのは私だけではないだろう。
郷土愛に満ちた純真な保戸島の中学生たちのことはさておいて、手軽なウィキペディアで「ほと」を引いてみると・・・・・

---------ほとは古い日本語で女性器の外陰部を意味する単語。御陰、陰所、女陰の字を宛てることが多い。現在ではほぼ死語になっているが、転じて女性器の外陰部のような形状、形質(湿地帯など)、陰になる場所の地形をさすための地名として残っている。-----------

地名として有名なのが横浜市にある東海道線の駅・あるいは宿場町であった「保土ヶ谷」で、柳田国男のホド=ホト説の根拠として引き合いに出される。谷になったところや湿地にホト地名が多いそうだ。さもありなん。全国に「ホト」「ホド」にちなむ地名はたくさんある。ウィキペディアでもその例として大分県の「保戸島」を上げている。お笑いコンビ「雨上がり決死隊」のホトちゃんこと蛍原(ホトハラ)もどこかの地名に由来するものだろう。

しかし、ホトはすでに死語である。今どき「ホト」という語で顔が赤らむような人もいないだろう。大声で叫んでも後ろ指をさされることもない。保戸島の子ども達もどんどん宣伝して大丈夫である。

保戸島は津久見市の四浦半島の先端にある。下の写真では半島の一部に見えているが、先端は島になっている。今年の3月に撮影。
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P3050103 posted by (C)オトジマ

津久見港からフェリーで渡る。一度は行って見たいがまだ機会がない。集落の景観が日本離れしていることで近年評判になっている。-----写真は津久見市観光協会ホームページよりーーー
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ウィキペディアを見ていると「保戸島空襲」というのが目にとまった。1945年7月25日―終戦の3週間前---米軍の艦載機の爆弾が保戸島小学校の校舎に命中し----児童124人(1年生と5年生の全員と他学年生数名)・教師2人・幼児1人が即死し、75人の児童が重軽傷を負った。----という大変悲惨な出来事。今米軍機によりこんな事件が起きたら国民世論は沸騰し、安保法制が吹っ飛ぶどころか日米安保も危うくなるだろうくらいの大惨事。詳しくはコチラ

それはともかく戦時中、この島には1学年で60名ほどの児童がいたのは間違いない。それが今では3学年で7名とは・・・・・・。戦争の大惨事よりも過疎化非婚化の方がよっぽど人口減の原因になっている。安部さん、日本の未来を案じるなら安保法制どころではないよ。

夏は水遊び 北浦

夏休みの前半は孫を預かるのが恒例になっている。台風も2つ去ってようやく夏本番。子供はやはり水遊びをしないとおさまらない。まだ小学校低学年だから安全第一なところしか行けない。

まずは門川町のプール。大人から見たら退屈なところだが子供は2時間だろうが3時間だろうがキャッキャと過ごす。毎日行くとその都度3人分700円取られるのがちと痛い。
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育メンパパもけっこう来ている。
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今日は台風の波もおさまったので海へ。まずは須美江海水浴場。高速のおかげでウチから30分。
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しかし、湾内のせいか全く波がなく、透明度も全然。そこで3kmほど北の阿蘇海水浴場に場所を移す。
ここもあまり波がないので、子供にはまったくスリルがない。すぐに飽きる。透明度は須美江よりよほどマシ。向こうは島浦島。
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阿蘇海岸には「道の駅北浦」があり、阿蘇キャンプ場もある。キャンプ場の横に小川を堰き止めた河川プールがある。
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海に飽きたらここでも遊べる。シャワー代わりにちょうどいい。
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飛び込み禁止、といったって飛び込みたくなるよね。
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炎天下、時を忘れて遊ぶ孫。見てるほうがよく焼ける。
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家に帰ったらまた庭のプール。
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荒尾 宮崎兄弟

万田坑から遠からぬ所に「岩本橋」がある。肥後や豊後に多い石橋である。
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荒尾市の名所の一つになっているので、とりあえず寄ってみたがいささか地味な名所である。
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江戸時代の最後の年、1868年に完成しているからおよそ150年前。とんでもなく古い訳ではない。
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現在は使用されていない。橋の入り口には車止めがあり、そもそもこの橋は川の中洲までしか行けない。
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橋の周囲の民家の石垣の立派なこと。肥後石工の伝統か。
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荒尾の名所のもう一つは宮崎兄弟生家。
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宮崎兄弟とは明治期の社会運動家、宮崎滔天の兄弟である。
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宮崎滔天(虎蔵)は有名であるが、虎蔵には何人か兄弟がいて虎蔵が末子である。上の兄弟の宮崎八郎、民蔵、彌蔵を含めた4兄弟を顕彰する記念館になっている。それぞれに幕末から明治の動乱に参加して苛烈な人生を送った。

中国人観光客向けの看板。宮崎滔天は孫文と辛亥革命を支援したことで有名だ。革命以前に孫文はこの家に宿泊したという。当時、清国は危険分子である孫文の首に2万円の賞金をつけたとか。滔天は運動に明け暮れて貧乏であったが妻は遠来の客孫文をもてなすためにいろいろと料理をしたとか。過日も書いたように、1911年に辛亥革命が成就すると孫文は恩人の宮崎滔天に会いに再び荒尾に来た。中華民国大総統となった孫文はその時は大牟田の三井港倶楽部に宿泊した。
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残念ながら生家は修理中で立ち入れなかった。
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向こうの門が本来の門。
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宮崎家は細川藩の郷士にすぎなかったので特に豪邸でもなんでもない。
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立派な蔵がある。実は昔のものではなく記念館として新築されたもの。内部が展示室となっている。宮崎兄弟関連の品物や文書が多く展示されている。撮影禁止なので全然写真がないのが残念。万田坑ではガイドの方が「ドンドン写真を撮ってブログに書いて下さい」と言っていたのと対照的。
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中で宮崎兄弟に関するビデオを見た。30分かかるがガイドの説明よりよほど要領を得てなかなか勉強になった。
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去年の大ヒットNHK朝ドラ「花子とアン」は影の薄い主人公より、脇役の柳原白蓮と伊藤伝右衛門の方に注目が集まった。白蓮が不倫の末に駆け落ちする年下の恋人、宮崎龍介もこのドラマですっかり有名になったが、この龍介は滔天の長男であり、この家で生まれている。だから今の観光客には滔天よりも龍介と白蓮の方がずっとアピールする。朝ドラに便乗した龍介・白蓮関連の大きな展示スペースが設けられていた。面白い写真もあったが残念ながら撮れなかった。
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面白いことに滔天の正業は実は浪曲師であった。飯塚で公演したときには伊藤伝右衛門に会ってご祝儀をもらっていた。その後息子が日本中をにぎわす渦中の人となったとき、さすがの滔天もビビッて龍介に「お前、大丈夫なのか?」と案じたとか。豪傑の家系である。滔天の母は「男子たるもの畳の上で死んではならぬ」と息子達に諭した。親がそういうからと言って小心者には革命や反政府活動に身を投じるなんてそうできるもんではない。やはりDNAのなせるワザか。






荒尾いろいろ 寺

私が以前から愛読するサイトに「珍寺大道場」がある。全国にある怪しい、あるいは笑える宗教施設を訪問し、いろいろと突っ込みを入れている。神や仏に対する崇敬の念はあまり感じられないが、ものの見方がとても面白い。
荒尾に行く前にこのサイトをチェックしてみたら「荒尾大師」と「荒尾観音」があった。

まずは荒尾大師。慈照院という寺であるが、宗派が「民主真言宗 児玉派 本山」となっている。まぁ、弘法大師を祀ってあるんだから真言宗系というのはわかるが、いかにも零細個人商店という感がネーミングから伝わる。「民主」というのもいかにも寺院と相性の悪そうな語彙である。まぁ、何につけ民主的であるに越したことはなさそうだが、古今東西、民主とは相容れない独裁的カリスマ教祖が率いる新興宗教ほど勢いがあるものである。

進入路がとても狭くて場所もわかりづらい。その参道からしてあまり流行っている様子がない。とにかく駐車場に車を置いてほとんど民家風の寺は無視して、ひときわ目立つ大師様の鎮座する大師堂に参る。
巨大な大師坐像が見えている。
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だいたい五鈷を持つ大師の右腕は不自然に曲がっているものではあるが、ここのは不自然が度を越している。顔が今ひとつありがたくないし、体に対し大きすぎる。ここの先代住職のハンドメイドらしい。まぁ、素人にしては上出来ではある。
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元来白亜のコンクリ像であるが塗装がだいぶ剥離している。土台が大師堂になっている。
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内部の仏像群。
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コンクリ大師と顔が似ている。もしかすると先代住職ご自身がモデルでは。
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大師像がいろいろ。
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屋外にも大師像
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石仏も新らし目のものが多い。あまり古い由所があるわけではなさそうだ。
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次は荒尾観音。
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「宗教法人幸生宗善徳寺」。これまた零細な単立の宗派・寺のようである。延岡大師だって単立だが。
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ここの名物は寺を取り囲むコンクリ仏たち。荒尾大師と同じく素人の手作り感が強いが、なかなかうまい。
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ペンキ塗りの色が独特で不気味さをいや増している。夜見たら怖いかも。
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こんなにデカイ。作るの大変だっただろう。
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これはタイプの異なるコンクリ仏。
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下に石仏群がズラリと並ぶが、これは八十八箇所巡りのようだ。どこから移設されたのかも。
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それぞれに番号が振ってある。
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種々雑多な仏像。色とりどり。宗派の雑貨店みたいだ。
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手形、足形がたくさん。すべて同じものなのでここで販売したんだろうが、かなり古いので近年は手足の病で来る人がいないのかも。とにかくいろんな祈願を受け付ける。
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新興住宅地の中にあってすぐそこには三井グリーンランドの観覧車が見える。
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私はたいていの寺社では見物のお礼にお賽銭を上げてくるものだが、ここは全然ありがたくなかったので賽銭を忘れた。

三池坑

三井港倶楽部のすぐ横に三池坑がある。にわか作りの広い駐車場があって、連休のせいかテントが張られて来客にパンフレットを配っている。ここは見学料は取らないのがうれしい。三井が太っ腹なんだろうか。しかし実際のところコストはほとんどかかっていないだろう。ここは万田坑に比べてもさらに廃墟感が横溢している。笑えるくらいだ。

この投げやり感がたまらない。
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池も干上がった投げやりな日本庭園。昭和24年天皇行幸のために急遽作られた庭園だとか。
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日本庭園の奥には廃屋が並ぶ。
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閉山時のままの廃墟に順路と説明板が設けられている。
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ここには斜坑がある。第二斜坑。セメントで塞がれている。
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斜坑は2012m、斜度11度。人車は坑口から海底下350mの坑底まで1700mを7分かかった。そこから水平な坑道になり人車を乗り換えた。切羽まではさらにはるか遠く、行くだけで1時間はかかったという。往復2時間はただ現場に行くだけで費やされるがそれも高い給料のうちであった。だから事故が起こっても徒歩で地表まで戻るのは困難だったとか。三池炭坑は大牟田・荒尾市域に広く広がって万田坑をはじめいくつもの坑口があるが四山坑、宮浦坑、三川坑などは地下で坑道がつながっていたとか。

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なんと車掌がいたんだ! 運転手はいなかったんじゃないかな。自走はできないんだから。
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斜坑なので登山用ケーブルカーみたいに座席が階段状についている。
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ものすごく太いクサリで連結される。昭和38年の大爆発では斜坑で炭車の連結が切れて逸走脱線し、車輪とレール、あるいは炭車同士の接触で飛んだ火花が炭塵に着火したとか言われている。
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炭車
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ここにも山ノ神がある。鉱山の安全を祈念する・・・・・・が大事故は起こった。
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繰り込み所。坑夫の準備室。まだロッカーが残っているが大きな台風が来たらすぐにも倒れそうである。
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ガイドの方が説明している。ガイドは年配の方で三池坑で働いていた方々である。見物客の半数はもと炭坑関連で働いた人々で懐旧の念断ちがたく来るという。この日も電気関係の仕事をしていたという方がガイドに代わって説明してくれた。やはり現場にいた方の話はとても面白い。
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風呂場には入れなかったので説明板から。坑夫は汗と炭で真っ黒になるからフロは欠かせない。
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こないだまで人が出入りしていたかのようだ。
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社是
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組合の掲示板
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トロッコの巻き上げ機棟。昭和38年の大爆発の時には坑口から100m以上離れたこの建物まで爆風が及び、屋根が吹き飛んだという。
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ウィンチのワイヤドラム。太いワイヤで2500mあるという。炭車や人車は機関車が引く訳ではなくケーブルカーみたいにワイヤで動かされた。とにかく炭坑内に火気を持ち込みたくないので内燃機やモーターはご法度。動力源は坑外に置いた。
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圧縮空気を溜める巨大な気室。坑内の動力源は圧縮空気であった。削岩機はエアで動く。自動車工場でインパクトドライバがエアで動くのと同じ。モーターだとブラシで火花が散る。坑内には圧縮空気のダクトが張り巡らされていたはず。
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コンクリート壁に穴がいっぱい。戦時中の空襲の機銃掃射のあとかと思ったらさにあらず。ここには鉱山学校もあって生徒が削岩機で穴あけの練習をした跡だとか。
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現在三池港周辺の炭坑関連施設跡はメガソーラーばかり。グーグルマップで見るといたるところソーラーパネルだらけ。エネルギーの変遷を如実に示している。
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三池炭坑の概略図。そのうち炭坑鉄道だけ紫色のラインで示した。昔は他にも支線があって今の三井グリーンランドあたりまで線路が延びていた。いま線路跡も世界遺産になっている。せめてこの紫色の部分でも復活してもらうと世界遺産巡りが遊園地並みに楽しくなるんだが・・・・。
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ここらで孫達の退屈と空腹が極に達したので順路の先を見ずに三川坑を後にした。

三池炭坑は1997年に閉山している。まだ埋蔵量の4分の1しか掘っていないそうだ。地下にはまだ膨大な石炭が眠っているが採算がとれない。度重なる事故もコストを引き上げた。大きなな事故は1963年(死者458人)、1984年(死者84人)。

1963年(昭和38年)というと私は小学4年生である。その年のケネディ暗殺はよく覚えているが、三池炭坑事故の記憶はあるにはあるがそれほどハッキリしていない。大事故があった、というくらいでその後CO中毒の被害が後年に及んだので記憶が補強されているんだろう。今調べると、死者458人・CO中毒患者約839人のという大惨事。御巣鷹山の飛行機事故よりもはるかに大きいというべき歴史的な大事故である。なんとその同年同月には東海道線鶴見駅の多重衝突事故で191人が亡くなる大事故もあった。これもおぼろに覚えてはいる。






大牟田 旧三井港倶楽部

石炭関連で翌日は大牟田に行った。大牟田は三池炭坑関連施設が集中しており、世界遺産に指定された施設も宮原坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港などがある。すべて回りたいところだが、小学校低学年の孫を二人連れているのでそうもいかない。なにしろ子供には退屈すぎるところばかり。

大牟田駅前通り。JR大牟田駅は西鉄大牟田線との共同駅。大牟田駅の近くに大牟田市庁舎がある。
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大牟田は石炭産業華やかかりし昭和30年には人口20万人を記録しているが、石炭の没落とともに人口も減少し現在11万人余。この建物は昭和11年完成。戦前の市庁舎にしてはとても立派である。今の真四角なビルと異なり、塔があると威厳が漂う。
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当初はタイル貼りだったらしいが現在ははがされて地味な外観である。復活したらいいのに。
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昔の看板をよくぞ撤去しなかった。内部も見たかったが休日なので休館。
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「大蛇山」とは大きなお祭である。大変な賑わいらしい。ここにも世界遺産のノボリ旗。JR大牟田駅に寄って観光案内パンフレットを探したら、遠隔地の観光案内パンフはたくさんあるのに地元大牟田のものは全くない。駅員に頼んでようやく一部さがしてもらった。どうやら世界遺産観光対応はまだできていないようだ。
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次に世界遺産とはなっていないがとりあえず見て楽しそうな旧三井港倶楽部に行ってみる。
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旧三井港倶楽部 の庭の一角に団琢磨の胸像。
昭和恐慌の時、三井財閥の総帥だった団は右翼の凶刃に斃れたことは知っていたが、三池炭坑との関係は知らなかった。団は福岡黒田藩士であったが明治以降官の技術者として三池炭坑で働く。三池炭坑が三井に払い下げられるとそのまま三井に横滑り。三池炭坑を発展させ三井のドル箱に成長させ、その功で三井中枢に入り理事長にまで上り詰めた。作曲家の団伊玖磨は息子とばかり思っていたら孫だそうだ。
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団の揮毫
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旧三井港倶楽部 。現在はレストランとしても使われるが観光客にも公開している。
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明治41年築だからおよそ110年前。そう古くは見えない。
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1階はステキなレストランになっている。午前中だからか食事の客は見当たらなかった。
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ちゃんとテーブルセッティングしてある。予約があるのかな?
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ここには辛亥革命後に大総統となった孫文が宿泊している。孫文は革命以前は清国のお尋ね者で隠れるようにして荒尾の宮崎滔天宅に泊まったが、革命成就後はうって変わって大ヒーローとして迎えられた。
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昭和24年、全国行幸中の昭和天皇も来ている。敗戦後、石炭は最重要産業だった。傾斜生産といって、政府はともかくも戦後復興を石炭と鉄を最重点にした。天皇はヘルメットに作業服で坑内にも入っている。天皇がおかけになったイス。座ろうと思ったら使用禁止だった。
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伊藤博文の揮毫。三池炭坑訪問時のもの。「浦潤山輝」 港は賑わい、鉱山は輝く、の意か。
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イスの背もたれの彫刻
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二階から庭を見下ろす
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石炭のカタマリ。この黒いカタマリが三井財閥を成長させた。子供には訳のわからんただの石。
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三井三池の構内はやたらと広いが幸いなことにこの旧三井港倶楽部のすぐ横に三池坑があった。三池坑の見学は旧三井港倶楽部から行くのが便利である。

万田坑

息子のいる久留米に行く途中で荒尾に寄り、世界遺産になった万田坑を見てみた。つい今月になってユネスコの世界遺産に認定されたばかりだから誰もいないだろう、と思っていたら大間違い。広い駐車場はほぼ満車で交通整理員が何人も出ている。「世界遺産」のノボリ旗が随所にはためく。「世界遺産」のブランドは絶大だ。P7193451
P7193451 posted by (C)オトジマ

炎天下の木陰でガイドの説明を聞く観光客。ガイドは元炭坑夫だった人たちのようだ。とても詳しい。
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全くの廃墟である。明治の産業遺産というが1997年閉山だからそう大昔の感じはしない。
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この立坑の鉄塔が坑口を象徴する施設。三池炭坑というのは大牟田・荒尾両市にわたって広がり、いくつかの坑口があった。三川坑、宮原坑 、四山坑、有明坑、万田坑などである。このうち万田坑は明治期に開かれたので明治の産業遺産となっている。
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単なる古い工場跡にしか見えないし、今残っている建屋はごくわずかなのでガイドの説明を聞けば多少は時間がかかるが、ザッと見るだけなら5分もかからない。よほど炭坑に思い入れがあるか、産業史に関心があるか、あるいは遺跡マニアでないと興味が持てないような物件ではある。今後行かれる方はそのつもりで行かないと失望する可能性がある。
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三池炭坑には各坑と三池港、国鉄と連絡する炭坑鉄道があった。おそらくそのトンネル跡。
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竪坑入り口。
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炭車
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人車。ここは斜坑はなく竪坑なので坑夫は人車もろともエレベーター
に釣られて地下数百メートルまで垂直に降りた。この1両に25人乗ったという。ギュウ詰めだったらしい。
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竪坑は2台のエレベータが天秤になっていた。昔のツルベと同じ。興味深いのは箱が上下するガイドは木製角材であること。今は切断されて一部が見えている。数百メートル規模だから超高層ビルのエレベータみたいなもの。それがナゼに木製か?炭坑は常に可燃性ガスが発生するので極端に火気を嫌う。鉄製のガイドだと金属の箱との接触で火花が散るからまずいそうだ。
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歴史に名高い三池炭坑炭塵爆発事故も火花が原因-----ウィキペディアによれば-------
坑内で用いられていた石炭を満載したトロッコの連結が外れて火花を出しながら脱線、暴走し これにより大量の炭塵がトロッコから坑内に蔓延した。この炭塵に引火爆発したのが原因である---------

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地下深くに伸びる竪坑は土を投入して塞がれている。国の石炭政策によって閉山する時に再開できないように埋めたとか。
閉山時、トンあたり14000円の炭価であったが当時オーストラリアの露天掘り石炭がトン当たり4000円だったとか。
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昨日まで稼動してたかのようだ。
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浴場跡もそのまま
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浴室の窓。レンガがなかなかいい。
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赤レンガに和瓦の組み合わせがいい。
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世界遺産になってあわてて草刈をしたとか言っていたが、草ボウボウのところも残る。
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石炭資料館にあった写真。四山坑の巨大な竪坑櫓。これが残っていれば集客力があったろうが、廃棄された。
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昨日まで使っていたかのようなヘルメットと電池。
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かつての盛時。線路の数がすごい。
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うーーん。坑内に入るとかもっと炭坑体験ができないものだろうか。









海霧

今日は朝から陽が差していたが、海を見ると珍しく海霧が立ち込めている。ここらでは珍しい。
あの霧の向こうには門川湾と遠見半島があるが全く見えない。
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乙島の向こうから霧が島を乗り越えてやってくる
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霧は川沿いだけ陸地に侵入してくる。
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陸地は青空。もう梅雨が明けたような空だ。
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午後になると霧は勢いが小さくなる
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霧だか雲だか判然としない。
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海辺に行って乙島を見ると霧の中から少しだけ頭を出している
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梅雨明けか。今週台風が去ってからかな。
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IMG_20150714_140450e posted by (C)オトジマ

雲の中へ

梅雨なのか台風のせいなのかずーーーっと天候不順の毎日でさすがにウンザリしてきたところ。
家から見える遠見山も毎日雲の中でである。
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本来ならあの雲の中に遠見山がある。あの山の山頂まで10kmほどあるがバイクで行って見よう。
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山頂近くの町道。濃霧の中を走る感じ
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濃いところでは視界20mはない。車で走行するなら徐行したほうが良さそうだ。
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山頂から海を見下ろす。当然ながら真っ白。標高約300m。
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頂上駐車場。雨は降ってない。一台駐車しているが見えない。
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数日前、ちょっと青空が見えた日に向ヶ浜から遠見山を見る。台風で波が荒いが沖合い防波堤のせいか驚くほどではない。
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都於郡城 再訪

西都市の都於郡城に昨年訪れた時には雨がひどくなってすぐに帰った。ちょうどNHKが伊藤マンショ像の撮影をしていた。
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P6080049 posted by (C)オトジマ

さて再び訪れてみると・・・・。 まず一番北の三の丸に登って見る。
ただの芝生の広場にしか見えない。まぁ、こんなもんだろう。
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P7073361 posted by (C)オトジマ

北の方、西都市街方面を見下ろす。天気が悪いので尾鈴山は見えない。けっこう高台にある。
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P7073363 posted by (C)オトジマ

改めて本丸に登りなおす。伊東マンショ像
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どこを撮影しても広場かゴルフ場にしか見えない。
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中世の城なので土塁ばかりで石垣は全くない。よほどのマニアでないと城の雰囲気は味わえない。
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苔むした石塔群。字は見えない。
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急峻な土塁。登るのは難しい。
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近世になって遺棄されて以降はヤブになっていたに違いない。最近の整備で城跡と見えるようになったはず。
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そこまで城マニアではないので少し歩き回ったらすぐ飽きた。やはり歴史に思いを馳せないと史跡の探訪は面白くならない。

イラストレーターの安西水丸は城下町好きの人には二つのタイプがあって一つは武家屋敷の雰囲気や郷土料理を楽しんだりする雰囲気派と、歴史から入る歴史派がある、と言っている。安西は断然「歴史派」だそうだ。

安西水丸の「ちいさな城下町」を読んでいると安西の歴史の素養には驚く。彼のアーチストとしての才は言うまでもないが、歴史オタクで城歩きも趣味の域を越えている。まぁ、このように著述者としてちゃんとカネをかせいでいるんだからその道でもプロといえばプロではある。このくらいあるとどこの城を見ても楽しいに違いない。
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P7093383 posted by (C)オトジマ
なお、この本ではモノクロの4コママンガとカットがあるくらいでいかにも安西らしいイラストはまったく期待できない。この本は雑誌連載企画で全国20箇所の城下町を取り上げているが、それぞれについて彼の個人的なかかわりから説き起こしている。ただのオシャレなアーチストではなくウンチクも多い教養人であった。この本は彼が昨年亡くなる直前に出ている。長生きしてれば続編が読めたのであるが残念である。

石井十次資料館

雨が上がったのでちょっとドライブ。去年雨で見そこねた都於郡城を再訪してみよう、と西都方面へ。

木城を通過していたら農道脇に「石井十次資料館」というごく小さな標柱が立っていた。ヒマだからちょっと寄り道していこう。
県民にはおなじみの「孤児の父」石井十次である。

古風な門を入ると屋根の上に鐘楼をつけた奇妙な建物がある。方舟館である。岡山から移築したという。知らなかったが方舟という語からも類推されるように石井はキリスト者であった。
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P7073277 posted by (C)オトジマ

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P7073337 posted by (C)オトジマ

この手の資料館にしては入場料が500円は高い。係りの方に「高いですね」というとこれでも施設の維持管理は赤字だという。ここは町立ではなく社会福祉法人「石井記念友愛社」が運営している。

係りの方に資料館に案内される。久しぶりの来館者なのか1時間ほど情熱的に説明を受けた。
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石井は高鍋藩士の子供で明治初期に岡山で医学を学んだ。そこでたまたま一人の孤児を預かることになり、それをきっかけに医学ではなく孤児救済という社会事業に目覚める。岡山に日本で始めての孤児院を開設する。
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よく見る写真である。教科書にも載っていた。岡山の1000人の孤児たち。すごい数だ。
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P7073283e posted by (C)オトジマ

体操している
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P7073295e posted by (C)オトジマ

集めてきた孤児のシラミを退治しているところか
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石井とは関係ないが、当時の東北地方の貧しい農民の子。孤児、あるいは女工哀史、女郎の予備軍。
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お揃いの着物の少女達。小ギレイだ。石井はの教育方針の中の一つに「満腹主義」というのがある。腹いっぱい食べさせることで悪習に感染した孤児を感化させることができる、というもの。国民の多くが貧しかった時代ならそうかも。
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P7073309e posted by (C)オトジマ

ERTHQUAKE ORPHANAGE---震災孤児院。 濃尾大地震のこと。石井は娘に「震子」と名付けている。
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孤児が農作業をしている。実習教育も方針。
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実習教育。製本作業をしている。
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P7073306e posted by (C)オトジマ

裁縫をしている
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これは岡山からコチラに移転した後、ここ茶臼原の写真。
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子ども達が皆クワを担いでいる。大きな牛馬用のスキを担ぐ子もいる
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クワ畑
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面白い資料がある。明治38年のライオン歯磨の新聞広告。ライオンの社長小林富次郎は石井に共感して商品に寄付のためのスタンプを付けて販売し、益金を寄付していた。えらかったんだなぁ、ライオン。
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P7073304e posted by (C)オトジマ

小林から石井への送金の現金為替の封筒。日向国小湯郡----となっている。
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ライオン歯磨と関係あるのかどうか知らないが、石井十次の教育方針の一つに「ライオン教育」というのもある。たぶんライオンが子供を千尋の谷に突き落として育てるようなことを言うのではないか。静養館には藤島武二のライオンが子供を谷に突き落とす絵がかけてある。子供を誉める時も叱る時も決して大勢の前でせずに別室で1対1でしたそうだ。

施設には寄付者のゆかりの名前のがつけられた。ライオン館。 今も近所に現存するとか。
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P7073303e posted by (C)オトジマ

これは第五ライオン館
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P7073313e posted by (C)オトジマ

東京館---東京の人々の寄付だろう。石井の方針のひとつに「托鉢主義」というのもある。善意の喜捨を請う、というもの。福祉制度のなかった時代では当然だろう。寄付を集めるには人脈や政治力がいる。
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P7073311e posted by (C)オトジマ

石井の最大の人脈は倉敷紡績の大原孫三郎である。岡山の孤児院では全面的に大原の支援があった。
これは児島虎次郎の描いた肖像画。大原美術館のあの大原である。
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P7073322e posted by (C)オトジマ

児島は岡山出身で大原から奨学金をもらって洋画家になった。大原の信厚く、大原のためにパリで絵画の買い付けを担当し。たくさんの名画を購入した。今の大原美術館の名声は児島の鑑識眼にも負うところが大きい。
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P7073321e posted by (C)オトジマ

児島虎次郎は石井に私淑し孤児院の情景を描いた。この「なさけの庭」は東京府勧業博覧会へ出品され一等賞授賞、宮内庁買上の栄誉を受けた出世作。これにより石井十次の篤行は明治天皇の知るところとなり、石井の孤児院には天皇から年に1000円の下賜金が毎年与えられるようになった。
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石井には娘が3人いたが男子はいなかった。その娘の一人「友」の婿になるのがこの画家・児島虎次郎である。だから今でもこの石井記念友愛会の理事長は石井氏ではなく児島氏である。別棟の静養館に児島の絵が展示してある。ルノアールに傾倒していたのかおおむねルノアール風である。貴重な作品がこんな額縁や保管で大丈夫かな?と聞くと、近く美術館を建てる予定だとか。

児島虎次郎 自画像
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P7073344e posted by (C)オトジマ

窓辺の少女 明治末ごろ
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和服の少女
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中国の少女  これはなかなかステキな絵である。
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資料館にはルノアールの彫刻がある。大原から寄付されたもの。ルノアールの息子ココの像。ルノアールが彫塑もやっていたとは知らなかった。晩年手が不自由になってからの作。
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ホコリ臭く、古ぼけた書類ばかりの資料館の中ででひときわ目を奪うのはこのステンドグラス
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キリスト様かと思ったらどうやら違う。ハカマをはいたハゲ頭が合掌している・・・石井十次である。奇妙なステンドグラスである。
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ところがである。作者がなんと染色家の芹沢銈介なのである。石井との接点ではなく、理事長の児島氏が芹沢に直接依頼したとか。
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イエス像もある。しかし芹沢がステンドグラスをやるとは知らなかったなぁ。大変貴重な作品だ。
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児島虎次郎の作ったイスがある。木彫りの重厚なイスだ。時々子ども達をここに座らせてステンドグラスの石井と対話させるとか。
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床の一部は岡山から取り寄せた大理石だとか。
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他は木レンガ貼り。これがまたいい。
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資料館へのアプローチには和瓦がうまく使われている。
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大量の瓦。これは岡山の施設から持ってきたものだとか。それをここの園児たちが積んだという。
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右が資料館、左が方舟館
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石井の住居であった静養館
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いまでも子ども達がここで勉強することもある
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現在も児童養護施設として50人ほどの子供がいる。昔のように農作業などの実習をする。
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カンナの花がたくさん咲いている
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P7073356 posted by (C)オトジマ

石井記念友愛社は現在児湯郡を中心に10の保育園やいくつかの福祉関連施設を経営している。

ふと気まぐれに立ち寄った石井十次資料館であったが、おもわぬ貴重な見聞をした。

門川元気振興券

全国で地域振興券が発売されているようで、ここ門川町は本日が発売日。
ニュースで見る限り他市町村では額面が発売価格の20%の割り増しになっているようだが、門川ではなんと30%!!
つまり一人当たりの上限の50000円分買うと65000円の額面がもらえる。労せずして15000円が手に入る訳だ。
こりゃ買わなきゃ損だ。

朝8時半に門川駅にある門川商工会で発売される。おそらくたくさんの人が並ぶだろうから、1時間遅れの9時半に行けば並ばすにすむだろう、と行ってみて驚いた。門川駅前は車と人がごったがえしていた。たくさんの交通整理員が車をあちこちの臨時駐車場にさばく。駅に行くと気が遠くなるような行列ができていた。バカバカしいので妻だけ降ろして私は帰った。

これはそれから2時間くらいたって行列がだいぶ短くなった頃。
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駅の近所の空き地という空き地が臨時駐車場になっていた。
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IMG_20150705_122415 posted by (C)オトジマ

券の渡し窓口。1000人以上はいようかという行列に対し、オール手作業で本人確認、売れた券の番号控えなどしてるもんだからやたらと作業が遅い。長蛇の行列からその非効率ぶりに不満タラタラ。せっかく券にバーコードがついてるんだからもっとデジタル化すればいいものを。
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並ばなかった私の分も妻がチャッカリ保険証を持参していて確保していたので我家では2人分の上限10万円で額面13万円を買う事ができた。妻は3時間並んだが時給1万円ということになる。まぁ、悪くはないか・・・
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惜しむらくは、門川の券は使用できる店がとても少ないこと。コンビニや量販店、田市町村に本拠のあるガソリンスタンドでは使えない。どうやらスーパーさのと地場のGS山本石油でばかり使うことになりそうだ。

細島 梅雨の妙国寺庭園

当ブログへの細島の妙国寺についての検索が最近多い。そこでこないだ行った折の写真を。
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妙国寺は庭園が名勝と指定されているが、奈良の名園を見てきた後で、それを見るとその落差に愕然とする。
今は梅雨時なので滝も水が多くてもしかするとステキかも・・・という期待は今回も裏切られた。
向こうのヤブの中に小さな滝がある。庭園は草ボーボー。
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池にはイモリがいる
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以上が名勝妙国寺庭園であるが、あまりにも小さいし手入れはしてないし名勝とはいいがたい。

これは数年前の写真。この時には雑草はあまり伸びてないが、やはり名園というにはさびしい。
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「名勝」の石柱
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夏には真っ赤なヒギリが咲く
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これは数年前
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山門から参道を見下ろす。車は入らない。駐車場から数分歩く。
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イチョウの大木が2本ある。
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山の上の墓地に行く石段のコケとアジサイ。
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P6142915 posted by (C)オトジマ

観光客用の駐車場は日向市漁協の前にある。漁協前は広いので路駐でも問題ない。妙国寺までは駐車場から徒歩3分ほど。

椎野のアジサイ

ETOランドから中小屋まで六峰街道を10kmほど。平日だからか全く対向車はない。
中小屋の銀河ロッジに来ると「椎野のアジサイはコチラ」という看板が設置してある。林道をしばらく麓に向けて降りるとアジサイが沿道にたくさん咲いている。椎野集落に入ると平日で遠隔地なのに結構車が来ていた。土日には混んでいるのかも。
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P6293254 posted by (C)オトジマ

ここのアジサイは水田や民家との組み合わせがなかなかいい。
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駐車場には県外車も見える。車を置いてしばし散策してみた。
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なにやらグリーンに覆われた墓地。住み心地のよさそうな墓だ。
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P6293245 posted by (C)オトジマ

墓地には幾体かの地蔵が。かわいいので最近の中国製かと思えば、江戸時代のものだった。安政年間。
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この地蔵はなかなかリアルな表情。なんだかデスマスクにも見える。江戸時代のもの。
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この墓には水車もある。
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花もただたくさんあればいい、というものではないようだ。田や民家、寺などの人文景観と組み合わされた時により味わいが深い。
門川の桃源郷との違いはそこだろう。
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P6293246 posted by (C)オトジマ

標高600mほどの高地だから麓よりも花期が遅いようだ。
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1年のうち残りの11ヶ月はただの緑の小山だろう。
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平日だからか見物に来てたのは高年女性のグループが多い。
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山村の限界集落であるが、アジサイの時期ばかりは訪問者で賑わう。入場料は取らない。
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P6293258 posted by (C)オトジマ

ダンゴとか農産品とかあればお土産に買って貢献したいところであったが、店は見あたらなかった。土日には出てるかも。
我家からだと1時間もかからないので来年も来てもいいな、という気になる。
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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