戸次 帆足家

大分の名建築というと辰野金吾設計の大分銀行。トキハの隣にある。
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今は赤レンガ館と呼ばれていて、ここらのランドマークになっている。
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建設中の大分銀行。当時は二十三銀行。
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カフェでお茶するために戸次へ。戸次は大分市中心部から13kmほど南下した国道10号線沿い。江戸時代から商業の街として栄えた。古い町並みが残り、中心は酒造業を営んだ帆足本家。 これは公開されている酒蔵。
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今は酒造業はしてない。
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数年前に一度来ている
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巨大な仕込み樽。これ1個で一升瓶が2000本分だそうだ。
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酒造関係の道具がいろいろ陳列されている
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酒蔵に隣接する帆足家にお邪魔してみた。古くて立派なお屋敷である。

たまたまなのか骨董市が開かれていた。帆足家にあった古物を即売している。面白いものがいろいろある。昨日は万年筆マニアの方が来て、万年筆を20本も買ったとか。
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古い着物一着2万円ほど。
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古着販売。古着や着物は特に帆足家のものではないようだ。
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トイレもオシャレ
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邸内を探検。すでに帆足一族はここには住んでいない。
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庭も見物。立派な庭である
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洋館風の外観。普通は洋室の応接間がありそうだが、実はトイレ。
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奇妙な動物が。鹿かな?ヤギかな?
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蔵がカフェ「桃花流水」になっている。庭からも入れる。
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蔵なので窓がない。二階に上がってみた。
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酒蔵にあった大樽のフタと酒米を蒸す巨大セイロで作ったテーブル
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歴史のありそうなイス
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ケーキと飲み物セットで750円~850円
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大分駅は楽しい

柞原八幡から車で15分も走ると大分駅。いつもコメントをいただくじなしさんやミワ君のブログで屋上庭園がえらく楽しいませらしい、と聞いていたので行ってみた。そもそも普段鉄道に乗らないし、延岡以北の日豊線に乗ったのも何十年も前の話で大分駅には行った事がない。昔、学生時代に高千穂号に乗って東京から帰るときには列車で通過したことがあるという程度。

えらく大きく立派だ。博多駅みたい。p 宮崎駅とはえらく違う。
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高架化されて通りぬけ出来るようになった通路。広くて人が多い。さすがに改札口は大都市の駅とは比較にならず小さいが。
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屋上からホームを見下ろす。4面8線の大規模な駅。
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北口。駅前広場が大きい。トキハや県庁のある玄関口。
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南口。裏側である。
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屋上の施設にはどこにも水戸岡テイストが漂う。
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JR九州は水戸岡デザインに支配されている。全然悪くない。
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鉄道神社がある。柞原八幡から分霊を受けているらしい。遊び心で作ったのだろうが、いかにもそれらしくはある。人々は本気でお参りする気になれるんだろうか。
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「社務所」でグッズを売っている。パワースポット流行だから受けそうだ。
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ミニトレイン「ぶんぶん号」がある。料金300円。高くない?JR東日本の初乗り運賃140円では3キロほど乗れる。なんと600km以上乗ったという猛者もいる。コチラを参照。
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広い屋上に線路がはりめぐらしてある。
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小さいが立派なレール。軌間40cmほどだからおそらく15インチ。イギリスのロムニー鉄道と同じ。
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遊園地のミニ鉄道らしくない本格的な配線。こんなところではなく、広い地面や森の中にレイアウトして欲しかった。
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客一人に乗務員二人! 赤字路線かも。
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「夢かなうぶんぶん堂」というお堂がある。これも奈良興福寺貫主による落慶法要が行われたという。
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鉄骨造の有難くない建築なので無視しようか、と思ったが薮内佐斗司氏の七福神があるというのであわてて引き返した。
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いわゆる「さざえ堂」になっていて、登りと下りは別の一方通行の斜路になっている。
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福禄寿童子。 とても小さいがどれも「せんとくん」の顔をしてキモかわいい。
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右は大黒天
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左は毘沙門天、右はぶんぶん童子。なるほどそれでハチか。
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南都小鼓童子。 NHKの「趣味道楽」でおなじみの彫刻家薮内佐斗司氏。実作をみると魅力的だ。
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これは鉄道神社にある作品。九州7県の童子
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なまずもいる
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実物大の犬が寝そべっていてふと気づいてビックリする
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子供達が走り回って遊んでいる。
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ビル内のアミュプラザの3Fに鉄道模型店ポポンデッタ アミュプラザおおいた店がある。「鉄」のファン層が広がって地方でもこんな立派な店が成り立つようになったんだなぁ。素晴らしい品揃えで、見ていて飽きない。
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模型でもやってみようか、と言う気にもなるがお金がいくらあっても足りないだろうな。
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鉄道ピクトリアルのバックナンバーが揃っている。価格はほぼ定価どおり。昔は70年代から80年代にかけて揃えていたのであるが、倉庫に入れておいたら全部水没でパー。
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大分 柞原八幡

大分の柞原(ゆすはら)八幡に参った。ここは豊後一の宮の立派な神社。山奥にあるが、車なら市街地から10分ほど。
ここからが参道だが、車で本殿そばまで行けるのでほとんどの人はラクしてそちらに回ると思う。
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上の駐車場から参道を見下ろす。この坂道が有難いのであるが、楽なほうに流れるよね。
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お寺では鐘を鳴らせるところがあるが、ここは太鼓をたたいていい。こころざしを要求されるが・・・
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大きな絵馬がたくさん。相当古いようでどれも退色がひどい。武者絵が多い。
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残念ながら古典に関する教養がないので絵を見ても何の話かわからん
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拝殿の前に来るには靴を脱いでこの廊下を歩いてくる
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拝殿の正面にある扉。菊の紋がある。なんと勅使門で勅使が来た時だけしか開かないとか。
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この勅使門を下の階段から見るとこうなっている。
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これが先ほど菊の御紋のあった扉。開かずの扉である。今どき勅使なんて来るのかな?
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木彫彩色の狛犬。素晴らしい。
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これも見事な随神がいる
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参道の途中に楼門がある。大楠があるというのでここまで降りてみた。
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下から、すなわち正面側。
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この楼門、南大門にはケヤキの板に掘られた見事なレリーフがびっしり貼り付けてある。素晴らしい彫刻の腕前である。
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絵のテーマは中国の故事にとったもののようだ。そのうち二十四孝はすぐにわかる。寺社の山門に献納される例が多い。この柞原八幡から遠くない大分市内、今市の丸山神社の楼門にも見事な二十四孝レリーフがある。もしかすると同一の彫師の手になるものかもしれない。

『二十四孝』は中国の書物。親孝行の模範となる24の事例をあげている。落語の「二十四孝」ではそのうちいくつかのエピソードが語られる。どれこもれも荒唐無稽な孝行譚なので落語で笑いのネタにも出来るわけだ。

以下、柞原八幡の写真についていくつかのエピソードをあげる。解説はウィキペディアよりコピペ

郭巨
郭巨e
郭巨e posted by (C)オトジマ
郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

呉猛
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呉猛e posted by (C)オトジマ
呉猛(ごもう)は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。


舜e
舜e posted by (C)オトジマ
舜(しゅん)は大変孝行な人であった。父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しであったが、舜はひたすら孝行を続けた。舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けた。その時の天子を堯と言った。堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ天子の座を舜に譲った。これも孝行の心が起こしたことである。

曾參
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曾參e posted by (C)オトジマ
孔子の弟子の曾参(そうしん)は、ある時薪を取りに山に行った。母が留守番をしている所に曾参の親友が訪ねて来た。母はもてなしたいと思ったが、曾参は家におらず、元々家が貧しいのでもてなしもできず、「曾参、急いで帰って来てくれ」と指を噛んで願った。曾参は山で薪を拾っていたが、急に胸騒ぎがするので急いで家に帰ってみると、母が事のいきさつを話してくれた。指を噛んで願ったのが遠くの曾参に響いたのは孝行の心で、親子の情が深い証拠である。
唐夫人
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唐夫人e posted by (C)オトジマ
唐夫人(とうふじん)は、姑の長孫夫人に歯がないのでいつも乳を与え、毎朝姑の髪を梳いて、その他様々なことで仕え、数年が経った。ある時、長孫夫人が患い、もう長くないと思って一族を集めて言うには「私の嫁の唐夫人の、これまでの恩に報いたいが、今死のうとしているのが心残りである。私の子孫たちよ、唐夫人の孝行を真似るならば、必ず将来繁栄するであろう」と言った。このように姑に孝行なのは過去現在珍しいとして、皆褒め称えたと言う。やがて恩が報われ、将来繁栄するのは当たり前のことである。

孟宗
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孟宗e posted by (C)オトジマ
孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう

楊香
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楊香e posted by (C)オトジマ
楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。

老莱子
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老莱子e posted by (C)オトジマ
老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。

蔡順
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蔡順e posted by (C)オトジマ
王莽の時代に天下は乱れ、また飢饉が訪れ、食べる物もなかった。蔡順(さいじゅん)は母のために桑の実を採り、熟していない物と熟した物に分けていた。その時、盗賊(赤眉の乱の盗賊と思われる)が現れ「何故桑の実を2つに分けるのか」と尋ねたところ、蔡順は「私には一人の母親がおりますが、熟した物は母親に、熟していない物は自分にと思っていたのです」と言った。盗賊も蔡順の孝行の心を知り、米と牛の足を与えて去って行った。蔡順はその米と牛の足も母親に与えた。

剡子
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剡子(ぜんし)e posted by (C)オトジマ
剡子(ぜんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、剡子に欲しいと願った。剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子を射ようとしたが、剡子が「私は本物の鹿ではありません。剡子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た。

庾黔婁
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庾黔婁(ゆけんろう、ゆきんろう)は南斉の人で、孱(せん)陵県の役人になっていたが、着任して10日も経たないうちに、胸騒ぎがしてならなくなった。父の病気かと思い、役人を辞めて家に帰ると、案の定大病を患っていた。庾黔婁が医師に病状を尋ねると、病人の便を舐めて、甘く苦ければ良かろうと言う。庾黔婁は簡単なことだと言って舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星(北極星)に身代わりになることを祈り続けた。

おそらく二十四孝全部揃っているんだろうが内部は薄暗くてキレイに写真がとれてない。
他にも二十四孝にちなまない絵柄もある。
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奉納者名がある。莫大なカネがかかったことだろう。奉納年は明治3年。150年経ているにしては素晴らしい保存状態だ。ケヤキで木が硬いからか。
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残念なのは落書きが多いこと。ナイフで名前を掘り込んだ悪質なものも多い。この素晴らしい楼門を見て、落書きなんていう犯罪行為をすべきでない貴重な文化財だということがわからないアホな受験生が多々いるようだ。田上君!防衛大に行く以前に、貴重な日本文化を防衛する事が先だろうか!!イタリアの大聖堂に落書きをして国際問題になり現地まで謝りに行った岐阜短大の女学生達を思い出す。
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神社側もあまり大事とは考えていないのか、なんの注意書きもなかった。

そしてこれが大楠。とんでもなくデカイが、大枝が折れて原型の半分くらいしか残ってないようだ。樹齢3000年とか。ホントなら縄文楠である。
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油津

都井岬の帰路、ちょっと油津に寄ってみた。堀川運河沿いにちょっと古い建物が残っている。

堀川運河。「男はつらいよ・第45作 寅次郎の青春」の舞台となっている。運河のそばで吹雪ジュンが理髪園を営んでいる。
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ひときわ目を引くのが杉村金物店。もう営業はしてないようだ。木造3階建てで、2階・3階は銅板で外装を覆っている。緑青を吹いてとても立派に見える。
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赤レンガの建物もいくつかある。手前は病院跡で、本来は木造モルタルのようだが、今はトタン張り。
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自販機もレンガ模様
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赤レンガ館は国登録文化財になっている。内部は物販やレンタルのスペースになっている
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赤レンガ館の裏。河野家。赤レンガ倉庫を建てた家。今は空家のようだ。
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河野家
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渡辺家。古い保存商家は数軒しかないのでいささか迫力に欠ける。
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昔の堀川運河。製材所が集まっている
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昔の油津。漁船や商船の数がすごい。繋留できる岸壁が少なかったのかな。
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おびただしい漁船。
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これは昭和10年だとか。昔も立派な漁船があったんだなぁ。
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6月のジャカランダ祭りのときに訪れた南郷道の駅にも寄ってみた。何度か来たが、晴れていたのは初めて。一様にソフトクリームをなめながら海を見ていた人々に我らも加わった。
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何度名前を聞いてもおぼえられない花
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吉松家住宅 串間

宮崎県には古民家・商家の保存公開がとても少ない。あっても今ひとつパッとしないものばかり。その中で串間の吉松家は例外的に立派だ。かねて訪ねたいと願っていたがようやく実現した。
吉松家は江戸時代以来の地域の名士である。一族は林業で財を成し、政治の世界でも活躍している。

吉松家の沿革はコチラ

吉松家は市役所に隣接している。
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P8234282 posted by (C)オトジマ

市役所の駐車場からも入ることができる。しかしこちらは勝手口で案内板には下の商店街にある表正面から入るようにうながしている。しかし車は市役所にしか置けないから実は勝手口から入るのが手っ取り早い。
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人けのない商店街。右手の緑地が吉松家。
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ホームページによれば----昭和60年頃まで使用され、その後は空家となっていましたが、平成15年に串間市が購入し、平成19年4月9日に資料館として一般公開がスタートしました。---------- 入場料は無料
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P8234285 posted by (C)オトジマ

正面には玄関があるが、ここはめったに使う事がなく、最後に使われたのは宮崎交通会長の岩切正太郎氏が来た時だという。そうとう昔のことである。見学客はこちらの勝手口から上がる。
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P8234344 posted by (C)オトジマ

勝手口のすぐ横に茶の間がある。この部屋だけが人の気配を感じさせる。
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とにかくデカイ屋敷である。
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廊下が長い
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廊下はケヤキ
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台所から居間を見る。
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台所。昭和60年まで使っていたというから、30年間そのままなんだろうか。
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P8234287 posted by (C)オトジマ

ツルベとポンプ両方ある。ツルベは天井から滑車で釣る。
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P8234305 posted by (C)オトジマ

屋内に土蔵がある。
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P8234292 posted by (C)オトジマ

仏間。仏壇と神棚が同居
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P8234297 posted by (C)オトジマ

二階に上がる
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階段が凝っている
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P8234308 posted by (C)オトジマ

屋根が大きい
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中庭を見下ろす
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二階からの眺め
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手すりに寄りかかるな、と注意がある。
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蔵は修理中か? 立ち入り禁止になっている。
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床の間まわり
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また下に降りる
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部屋がいくつあるのか・・・・
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15畳と10畳の間に続き
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玄関の間。玄関から入るとこの部屋になる。フスマではなく板戸で囲まれる。その板に竹林が描かれている。鹿児島の絵師になるもの。
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竹林にはスズメ。立派な絵である。
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昔の家のお決まりで、玄関の横に一間だけ洋間がある。
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お決まりのソファとかテーブルとかマントルピースがないのでガランとしている。
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折上格天井。壁が黒い。
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トイレ。さすがにピカピカとはいかない。ここは使用禁止。
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あまり立派な便器ではない。
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右が母屋、左が納屋
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屋内から入れる土蔵の外観。市役所からはこの場所に入る。
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大正年間、建築中の吉松家。およそ100年前。大工の数がすごい。
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吉松家はとても見ごたえのある保存家屋である。惜しむらくは管理が今ひとつ。庭はほったらかし。いたるところ青ビニルシートが放置。いかにも人のいない廃屋の感がある。部屋に花を飾るとか、物置状態の部屋を整理するとか、お客さんに見せる心構えが欲しい所。パンフレットなどの手に取る資料もない。そのためにも有料化していい。都井岬と並ぶ串間の宝である。

吉松家の近所に串間駅があり、そのそばに路面電車が置いてある。場違いである。
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マイナビニュースによれば----広島電鉄はこのほど、宮崎県串間市で中心市街地の活性化に取り組む市民団体「くしままちづくり協議会」に路面電車750形769号を譲渡したと発表した。同車両はJR串間駅横に静態保存され、観光案内所や物販施設などの活用が検討されているという。----- 最近のことのようだ。この日は閉まっていた。
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串間駅。
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日南線はこの14km先の志布志が終点。草ボーボーの線路が物珍しいが、ここらでは当たり前なんだろう。かつてはその先の鹿屋から錦江湾沿いに国分まで100kmも伸びていたのであるが・・・・。なくなって残念。
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都井岬

娘が帰りの飛行機でANAの機内誌「翼の王国」を読んでいたら、都井岬の野生馬が載っていて「ぜひ馬たちに会いたい」というので都井岬へ。都井岬は宮崎県の南端で県北からはとても遠くて、私も行った事がない。娘は青島にも行ったことがない。
我家からはナビで160kmほどある。しかし、行ってみると高速のおかげもあり、そんなに遠くもなかった。

串間市、都井岬方面の橋の装飾は馬、サル、トビウオ。誰かがサルにほうかむりをかぶせている。
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都井岬から北の海岸を望む。
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台風のせいで波が大きい。この直前にはこの岬の下で釣り船から転落した釣り人が死亡していた。
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ウマの前に一応都井岬灯台を見物。
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灯台の入り口には門前町ができている。この日乗用車の観光客はけっこう来ていた。
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入場料の管理は灯光会。という組織が運営している。国交省の外郭団体のようだ。
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ソテツがすごい
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昭和4年に設置。およそ90年近く経っている。
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この灯台は内部が見れる珍しい灯台だそうだ。
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GPSが船に完備している時代であるが、今なお現役の灯台である
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次にお馬さん。岬の一部は牧草地になっており、ウマたちがのんびり草を食っている。
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日本古来の馬なので小さい。サラブレッドみたいな威圧感はない。
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牧草地には入ることができる。「都井御崎牧組合」の「お願い」によれば、「野生馬ですから十分気をつけて下さい。咬んだり、蹴ったりすることがあります。近寄り過ぎないようにしてください。もし馬から危害を与えられても補償は一切いたしかねます。」とある。しかし、1mくらい近寄っても馬たちは別に気にするようすもなく草を食い続ける。
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番号が焼印してある。組合は50年分の馬たちの系図を作っているとか。
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ポスターや観光写真の構図はコレ
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美しい風景の中にホテルの廃墟が目立つ。いい所だが宿泊までする観光客は少ないだろう。
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こちらは完全にオバケ屋敷状態
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串間市の名所のもう一つはイモ洗いサルで有名な幸島
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幸島は狭い海峡を隔てているのでサルを見に渡ることはできない。見たい方は船が出ている。
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ゴミがない! この石波海岸は「日本の渚百選」に選ばれている。これとは別に「日本の白砂青松100選」というのもあってどちらが有難いのかはよく知らない。波当津海岸や小倉ヶ浜は後者である。
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サーファー天国
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台風のせいかいい波が立っている。
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飫肥 再び

飫肥には6月に行ったばかりなのに、娘が都井岬に行きたいというものだから、途中の飫肥に寄ることにした。

駐車場には大型バスがズラリと並び、台湾観光団が来ていた。宮崎空港から台湾への直行便ができたので台湾人がひきも切らずにやってくるとか。はたして台湾人にとって飫肥は面白いものなんだろうか。
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P8234219 posted by (C)オトジマ

油津港には中国からの大型クルーズ船もぞくぞく寄航しているから、いまや田舎の観光地でも中国人様様である。

旧藩主、伊東侯の住まい、豫章館
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とかく武家の住居は質素で面白くない。田舎の小藩となればなおさら。この建物は維新後、知藩事となった旧藩主のために建てられているが、やはり質素なもの。
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庭は広いが手入れも今ひとつで、面白くもなんともない。
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庭の一角に小さな数奇屋があって、そのあたりだけ雰囲気がある
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城内
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5万石の藩にしては立派な石垣
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P8234249 posted by (C)オトジマ

城内には杉の大木がたくさん。
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P8234250 posted by (C)オトジマ

大正の頃は城内は松の木ばかりだった。製糸工場の排煙やマツクイムシで松はなくなった。
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空堀
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小村寿太郎記念館敷地内の伊東家。
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サルスベリとヒギリ
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お昼は小村寿太郎生家横のカフェ「しゃんぐりら」。前回もここでハンバーグライスを食べたがおいしかった。
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P8234265 posted by (C)オトジマ

武家屋敷街から近いところに「旧飯田(はんだ)医院跡」がある。最近所有者から市に寄贈されて、修復・公開に向けて準備中らしい。一目見るなりステキな建物。
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P8234271 posted by (C)オトジマ

門柱の表札は「守永」となっている。旧藩士だった守永氏が土地を提供して飯田氏が医院を開業したもの。
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壁はよく見ると天然石スレートをウロコ形にしたもので張ってある。神戸の異人館「ウロコの家」みたいである。
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背面
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側面は板張り。早くペンキを塗って修復して欲しいな。
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この塀の中の森も医院の建物。既に廃屋、廃墟となっている。
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P8234278 posted by (C)オトジマ

こんな風。荒れ放題。もったいない。
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P8234276 posted by (C)オトジマ

修復されたらさっそく再訪したいもの。

鍋ヶ滝 小国

娘が帰省していて、高原に行きたい、というので久住方面へドライブ。
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P8224108 posted by (C)オトジマ

納涼によかろう、ということで小国町にある鍋ヶ滝に行って見ることにした。
小国の道の駅は外面ガラスが鏡面になっている。ここで自撮りするのがお決まり。
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P8224113 posted by (C)オトジマ

高校生が24時間テレビの募金をしている。
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P8224116 posted by (C)オトジマ

道の駅で、土日は滝を見る観光客が多いので、手前の小学校から滝までシャトルバスが出ている、と聞いた。無料。
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P8224146 posted by (C)オトジマ

蓬莱小学校から滝まで5分ほど。道が狭いので離合がむずかしい。
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P8224150 posted by (C)オトジマ

駐車場から滝つぼまで歩道が作られている。さして遠くない。
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P8224118 posted by (C)オトジマ

滝に到着。観光客が多い。
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P8224124 posted by (C)オトジマ

涼しい
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鍋ヶ滝は滝の裏に入れることが売り。
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P8224127 posted by (C)オトジマ

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P8224130 posted by (C)オトジマ

滝つぼの裏はかなり広いウロになっている。湿気は多いが、10世帯くらい住めるくらい広い。
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P8224132 posted by (C)オトジマ

大きな滝のわりにアクセスが容易なので老若男女たくさんの見物人。
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P8224136 posted by (C)オトジマ

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P8224141 posted by (C)オトジマ

下流側。対岸に遊歩道があるのだが、少し濡れることをいとわなければ瀬を石伝いに対岸に戻る事ができる。
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P8224137 posted by (C)オトジマ

蓬莱小学校の近くに鉾納社。ホコウノウシャ、ホコノミヤ、と読むらしい。
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大ケヤキが名物らしいが・・・・・
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杉の巨木の方が目を奪う
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推定樹齢700年の夫婦杉。
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山門には二組の随神
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ほとんど同じ
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神社近くの道端でマリリンモンローを売っていた。15万円。スーパーマンも15万円。このマリリンモンローを一対神社の随神にするとよさそうだ。
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やまなみハイウェーで高原を感じながら帰路。
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夏の雲が美しい
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P8224202 posted by (C)オトジマ

生頼範義展 2015

遅まきながら宮崎アートセンターで開催中の「生頼範義展」に行ってきた。7月から始まっていて8月末までなのでほとんど会期末。
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P8194036 posted by (C)オトジマ

残念ながら写真は撮れないので会場の写真はナシ。
まぁ、あいかわらずの生頼の力業を見せ付けられる。絵ばかりは言葉では説明しかねるので、興味ある方は8月末まであるので是非お越しを。

お土産に「図録」を買った。右が今回のもの表紙は「マッドマックス」、左は前回の図録。SFアドベンチャーの表紙絵。
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P8214082 posted by (C)オトジマ

4000円ちょっとするのでやや高いが、すごい分量なので損はない、どころかかなりお徳らしい。なにせその図録はすでにヤフオクに出品されていて即決で6000円くらいの値がついている。おどろくのは去年の展覧会の図録。上の写真の左。アマゾンの古書価格が4万円! まぁ、会場でしか買えないから東京など遠方のファンは少々高くてもヤフオクを利用した方がヒコーキで宮崎まで来るより安いかも。

図録から一部分を遠景で。 
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P8214085 posted by (C)オトジマ

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P8214084 posted by (C)オトジマ

今回の展示でも点描の人物画がすごい。
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P8214083 posted by (C)オトジマ

改めて前回の図録と今回を比べてみると、やはり前回の方がいかにも生頼らしい大きくて派手な作品が多かったのがわかる。
来年もまた生頼展をするようだ。描いた作品はボーダイだろうからまだまだ展示する作品はあるだろうが、落穂拾い的にならないように願いたい。

ついでに娘の希望で宮崎県立美術館で開催中の「ディズニー愛と魔法の90年展」に回る。
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P8194074 posted by (C)オトジマ

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P8194077 posted by (C)オトジマ

ここも写真は撮れないので内部の写真はない。ジブリ関連の巡回展みたいにアニメの元の素材が展示してあるのだろう、と期待していたらほとんどは単なる印刷されたパネルばかり。近年のようにCGの3Dアニメばかりになるといよいよ美術展の会場に展示されるものは乏しい。要所要所ではビデオで実作から例示しているのだが、これがまたひどい画質。なんだかヒドイ手抜きの展覧会だな、と感じた。しかしディズニーは広く人気があるから集客力は抜群だ。一番客が喜ぶのは会場外のグッズ即売会である。
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P8194079 posted by (C)オトジマ

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P8194081 posted by (C)オトジマ

高鍋のヒマワリ

宮崎に行く途中、高鍋を通りがかると一面のヒマワリ。ローカルニュースでやっていた。
今日はたくさんの見物の車が畑のあぜ道にとまっている。
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P8194033 posted by (C)オトジマ

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P8194025 posted by (C)オトジマ

今年は展望台が設置されている
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一部の畑には見物人へのサービスに進入路が作られている。
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P8194011 posted by (C)オトジマ

尾鈴山方面は雲の中
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P8194022 posted by (C)オトジマ

写真を撮り合う恋人達。 いいなぁ・・・
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P8194029 posted by (C)オトジマ

日本一周の若者がヒマワリを見ていた
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P8194013 posted by (C)オトジマ

日焼けしているので顔がよくわからない。神戸の 前田将克君である。日本縦断ではなく一周である。神戸を去年出発して北海道を回り、鹿児島まで行って、現在復路で神戸に向かっている。当然往路と復路は違うルート。残り1000kmまでこぎつけた、と言っていた。すでに1年が経過している。率直に費用のことを聞くと、120万円くらいはすでに使ったのではないか、と言っていた。一日3000円くらいで過ごしていることになる。野宿が原則ということだろう。
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P8194021 posted by (C)オトジマ

「前田将克 日本一周ランナー」で検索すると彼に出会える。すなわち走っている、ということだろう。
彼のツイッターはコチラ

カキ氷屋が店を出している。大勢見物客が来てもお金を落とすところがない。野菜でも売ればいいのに。
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P8194015 posted by (C)オトジマ

ヒマワリは緑肥として植えられる。花に種が実ると鋤き込んだ後でまた芽が出るので種ができる前に鋤き込んでしまうそうだ。だからこのヒマワリの命もあとわずか。お早めにどうぞ。

すでにトラクターが鋤き込みを始めた畑もある。
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P8194035 posted by (C)オトジマ

場所はコチラ

絵日記  いろいろ

引き続き、私の小学1・2年の絵日記から。

昭和35年というと60年安保の年。当時小一の私には全く記憶がない。
高度経済成長が始まったころでもある。テレビが急速に普及しはじめた。我家にテレビが来たのは私が小2のころだったと思う。
この絵日記の時にはまだテレビは来てないが、市内にあるおばさんの家に行ってテレビを見たことを書いている。おばさんは未亡人で副業にブタを飼っていた。当時は小遣い稼ぎににブタを飼う人が多かった。母と伯母は姉妹だから似ている。
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TV posted by (C)オトジマ

1年の時の日記には映画の記事がいくつかある。これは映画であることを示すためかちゃんとフレームがある。
映画は「十戒」である。赤ん坊だったモーゼがナイルに流されてエジプトの王女に拾われる場面。有名な海が割れる場面ではなくこの場面を描いたのはここが印象に残ったのだろう。
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movie1 posted by (C)オトジマ

これは邦画で飛行機のパイロットの話のようだが、ほとんど思い出せない。戦争映画かな?飛行機から落下傘で脱出したパイロットがゴムボートで漂流している場面のようだ。1960年公開の映画を調べてもよくわからない。子供だけで行っているから土々呂劇場で見たはず。子供の入場料は10円くらいだった。
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movie2 posted by (C)オトジマ

昭和35年あたりだと戦後まだ15年。映画や少年マンガでも戦争物が多かった。これは工作で潜水艦を作ったもの。艦橋を糸巻きで作っている。
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submarine posted by (C)オトジマ

台風が近づくと土用波。これがまた面白い。海で大浪と戯れるのも面白いが、この絵は土々呂海水浴場の南端、海に突き出た防波堤の上で大浪が押し寄せる中で遊んでいる。今なら許されそうにないアブナイ遊び。
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wave posted by (C)オトジマ

こんな状況だった。かなりスリルがある。いまだに大浪の夢を見る。
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東浜-土用-9 posted by (C)オトジマ

この堤防はその後嵩上げされて延長されて今も存在する。しかし1970年代に延岡新港の造成で沖合防波堤が作られて、土々呂湾内には大浪は来なくなった。
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東浜-土用-2 posted by (C)オトジマ

月見をした、と書いてある。電柱を真ん中に配したところなどわれながら北斎ばりである。赤いカンナがいかにも昭和だなぁ。
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moon posted by (C)オトジマ

蚊帳の中でチョウチンに灯をともして遊んだ、と書いてある。アブナイ!
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lantan posted by (C)オトジマ

友達の家に行って本を読んだ、とある。ミシンがあったんだろうなぁ。我家にもこんなミシンがあった。どこに行ってしまったんだろう。今、娘がこんなレトロな足踏みミシンが欲しい、と言っている。
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machine posted by (C)オトジマ

隣のイトコの家でフロに入ってる。ここのフロは赤いモルタル張りでレンガ煙突があって楽しかった。
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母が当時流行の救世主教に凝っていて、時々別府の本山に参っていた。その時、旅館で温泉に入ってるようす。
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beppu posted by (C)オトジマ

絵日記 食べ物 乗り物

昭和35年頃はまだ子供は食いいじが張っていた。戦後の食糧難みたいな状態は全くなかったが、まだ貧しかった。あの当時に比べたら今の子供は毎日が盆と正月である。

チキンライス。どこかの食堂で食べている。「おいしくなかった」と書いている。
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姉と食堂でアイスを食べている。どこだろう? 4つで40円と書いてある。壁に貼ってある値段表が面白い。カキ氷が15円!
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ice2 posted by (C)オトジマ

カキ氷を食べている。
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ice posted by (C)オトジマ

オコシ。兄が大阪にいて帰省するときのお土産はオコシと決まっていた。
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イトコが日南に行った時のお土産。ウイロウと書いてある。青島の土産じゃないかな? 日南土産はいつもアクマキと決まっていて私はそれが苦手だった。いまだに好きではない。
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uiro posted by (C)オトジマ

別府~大分間で路面電車に乗っている。
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trum posted by (C)オトジマ

別府には汽車に乗って行った。当時は各停で4時間くらいかかったんではないだろうか。
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train-5 posted by (C)オトジマ

兄が大阪に戻るのを見送りに行っている。当時は土々呂からバスに乗って南延岡駅まで家族で見送りに行くのが恒例だった。
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train 2 posted by (C)オトジマ

隣が製材所でそこのトラックはいい遊び場だった。
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truck posted by (C)オトジマ

あの当時までは馬の引く荷馬車がまだ普通に使われていた。それに乗ってあそんでいる。
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リヤカーを使って荷物を運んでいる。自家用車のなかった時代である。背景に蒸気機関車。
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cart2 posted by (C)オトジマ

自転車で延岡まで行っている。小学1年にとって7kmほど先の市内はとんでもなく遠い。近所の上級生が乗せている。しかし全く記憶にない。
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bike2 posted by (C)オトジマ

こちらは2年の時
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bike posted by (C)オトジマ

自家用車はないので市内に出るには必ずバス。子供にとっては小旅行。
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bus posted by (C)オトジマ



絵日記から 子供の遊び

私の小学1・2年の日記から、子供の遊び。1960年、1961年のことだからおよそ55年前。クレヨンの方が1年、色鉛筆の方が2年。

シャボン玉遊び。これは1年生時。
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chabon posted by (C)オトジマ

これは2年生時のシャボン玉。
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chabon2 posted by (C)オトジマ

ちょうどその頃と思われる写真が残っている。左端が私。これを見ると当時は男児がハダカでいることは普通だったことがわかる。私の自宅の庭で、私以外は近所のよその子である。
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1960 posted by (C)オトジマ

虫は子供のよい遊び相手だった。今の子供はとにかく昆虫を怖がる。中学生でもチョウチョを怖がるくらいである。とんでもない時代だ。自然から遠い生活をしている。 トンボとり。
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tombo posted by (C)オトジマ

ハチとり。よく刺されてたっけ。
bee
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夏休み自由研究の定番は昆虫採集。縫い針が糸つきで刺さってるぜ・・
batta
batta posted by (C)オトジマ

アマガエルもいい友達。庭でクモが巣を張るのを飽きもせずに見ていたなぁ。面白いんです。
frog
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土々呂海水浴場にウミガメが上がったことが書いてある。乗って遊んだとも書いてある。あのころはまだウミガメが来てたということ。
kame
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スズメを捕まえて逃がしてあげたら、自分でカゴの中に戻った、と書いてある。 1年の時。
sparow
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側溝にはカニがたくさん住んでいた。カニに石を投げて殺した、と書いてある。子供は残虐でもある。
kani
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バドミントンをするために「新道路」に行った、と書いてある。新道路とは新しく開通した国道10号線のこと。
つまりバドミントンができるくらい広くて車が来なくて安全だったということ。当時車はめったに来なかった。今なら自殺行為。
bado
bado posted by (C)オトジマ

当時の国道10号線。土々呂1丁目御番所踏切下。踏み切りに上がっていく道が旧国道。我家は踏み切りのすぐ先。これならバドミントンができる。車が来る時には、はるか彼方からエンジン音が静寂を破って近づいてくるのでわかったくらいたまにしかこなかった。路上に制限速度が30kmとある。えらく遅かったんだな。
東浜-1959
東浜-1959 posted by (C)オトジマ

コマ回しも男児の遊びでポピュラーだった。10円くらいだったと思う。
koma
koma posted by (C)オトジマ

模型ヒコーキもよく流行った。土々呂小学校前の吉高文具店で買っていたものだ。竹ヒゴと紙で張り、ゴム動力で飛ぶ。作るの難しそうだけど小学2年で自分で作ってたのかな?覚えてない。
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plane posted by (C)オトジマ

絵日記

夏休みもあと10日。8月25日までという地域が主流になってきつつある。
昔の文書をひっくり返していたら私が小学1・2年生の時の絵日記が出てきた。
半世紀以上前の日記なのでいかに自分が書いたものとはいえ、ほとんど他人ごとであるからご紹介する。
写真ではないので資料的価値はないが、カラーで昭和30年代中ごろの様子がうかがえる。

夏休み恒例の出来事は1年.2年いずれにも出てくる。
まずはお盆の墓参り。このころはまだ寄せ墓をする以前で我家にも墓石が10個くらいあったような気がする。
なかでも立派な戦死者墓を描いている。子供は墓石に乗って遊んでいたものだ。 上が1年時、下が2年時
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1年時はクレヨンで、2年は色鉛筆で描いている。
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我家は土々呂海水浴場のすぐそばだったので海遊び。毎年2基の飛び込み台が設置された。上が1年時、下が2年時
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swim2
swim2 posted by (C)オトジマ
昭和35年頃、我家のフロは五右衛門風呂をマキで焚いた。水道もないのでまずは井戸からツルベで水を汲まねばならないから、風呂を沸かすのは重労働。そこで夏場はタライで行水で済ますことも多かった。上が1年時、下が2年時
行水1
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いまでは行水は死語になった。
行水2
行水2 posted by (C)オトジマ

スイカを食うのも夏休みの定番。昔はスイカはもっと安かったような気がする。今やお盆のスイカは小玉で2000円!!上が1年時、下が2年時
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melon2
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父のタバコを買いにやらされていた。当時のベストセラーは「しんせい」(新生―戦後復興を願うネーミング)。上が1年時、下が2年時
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10円玉が4個あるので当時40円である。ついでにコマも買ったようである。当時は子供はハダカで歩いていたもんだろうか。
tabaco2
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昔はオモチャもなかなか買ってもらえず、手作りがけっこうあった。父親が船を作ってくれたようだ。上が1年時、下が2年時
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本日が終戦70年である。日記のころはまだ戦後15年。子供にとっては戦争は昔話であったが、今考えるとたったの15年後である。戦争を体験した人がまだ国民の多くを占めていた頃。この頃我家のみならず近所にもテレビも車も電話も冷蔵庫もなかった。しかし私の日記を見てみるとごく楽しそうに暮らしている。子供時代の記憶をたどると今の子供よりずっと幸せだったと確信する。

浜三枝さんと柳宗悦 

ジブリの発行する「熱風」を読んでいたら気になる記事があった。

建築関係法規の度重なる改悪と住宅メーカーのマーケティングのせいで日本の住宅の形が大きく変わってしまった、というのである。住宅のデザインの集積が街並みを形作るのであるから、個々の住宅のデザインは大切である。

私も最近の新築住宅のデザインが真四角で無機的であることがどうも気になっていた。

この新築分譲住宅にはまだ屋根がある分、家らしい。屋根は全面ソーラーパネル。庭はほとんどなく、そのかわり駐車場は3台分くらいある。庭がないんだから30年経っても緑は増えずにこのまま経年劣化だけが進みそうだ。
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IMG_20150813_161947 posted by (C)オトジマ

外装が真っ黒けの家も多くなった。屋根のみならず外板もオールトタンというか塗装鋼板の家も多い。
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IMG_20150813_162027 posted by (C)オトジマ

さらに気になるのが格安分譲住宅の跋扈である。県内ではマエムラなどの大手業者が月当たり支払い額がアパートの家賃よりも安いというセールスポイントでいたるところ空き地さえあれはじゃんじゃん建てている。

ボーナス月以外は月23900円の支払いでマイホームが手にいる。こりゃ安いや。若夫婦はアパートから出てこれを買うな。
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IMG_20150813_161700 posted by (C)オトジマ

お決まりのパターンで駐車場は2.3台分、窓は小さく玄関ドアは大きい。庭はない。土地は50坪台、建坪は25坪内外。
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大雑把に計算すると土地が坪12万、家が坪単価30万というところか。ここは以前は運送会社、宮崎中央運輸のトラックターミナルだったところ。10号線に隣接し、すぐそばに大型スーパーがあるので便利なところ。
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けっこう売れている。人口は減っているのに家がドンドン建つ。どこかで廃屋が増えているはず。
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実をいうと私の家も30年前にこうやって売り出された格安狭小住宅。しかし土地が70坪ほどあるので庭があって家自体が緑に覆われ安普請を糊塗してくれている。
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私の安普請だって新築時には外からは木部は見えない。不燃化のために木部は一切外にむき出してはいけない、というのが日本の住宅政策の根本方針らしい。だから一般的な住宅では板壁とか軒の垂木とかはなかなかできない。コスト的にもサイディングで覆った方がずっと安くなるだろう。ということで日本的な伝統的スタイルの新築木造住宅はなかなか難しい。ましてや若夫婦向けの安い住宅は四角四面のトタン張りになってしまいがち。藤森照信氏をはじめいろんな方が「熱風」誌上で政府の住宅政策が「安全」の大義名分のもとに伝統と景観を著しくないがしろにしていると嘆いておられる。

「熱風」では2005年愛知万博のおり会場に建てられた「サツキとメイの家」(となりのトトロ)関連で古い木造家屋を取り上げている。そこに女優の浜三枝さんが古民家保護について一文を書いておられる。私は浜三枝というと007でのボンドガールのイメージしかないが、実はなかなかステキな女性だったんだなと、遅まきながら知った次第。NHKのラジオ深夜便なんかを聴いておられる方なら彼女の人となりを先刻ご存知なはず。
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彼女はいたるところで書いたり述べたりしておられるが、中学生のときに柳宗悦の本を読んですっかり感化されて民芸や古民家、骨董にはまったという。彼女はちょうど私より10歳上であるからその道半世紀以上という柳宗悦信者でそういうものに大変造詣が深い。彼女は30代の頃、全国各地で壊され行く古民家を見るに耐えず、破壊されそうになった12軒を買い取った。解体された材で箱根に「やまぼうし」という大きな古民家を再生している。すでに30年以上が経っている。詳しくはリンク先を参照。
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まぁ、お金あらば可能ともいえるが、まずはその情熱が先だろう。彼女のブログもある。いろんな番組やら雑誌の取材やらで全国の古い家屋や街を訪ねたことを読む事ができる。今から8年前にはこの近所の北郷村椎野のアジサイ集落を訪ねている。(浜三枝ブログ2007年6月

浜三枝さんは中学卒業で就職しバスの車掌になった。昭和30年代初期だから中卒で就職も珍しくない。16の時に東宝にスカウトされて女優になっている。今では考えられないが彼女は中学生の時に柳宗悦を愛読していた。柳は昭和36年まで存命だから当時まだ現役の文筆家で若い人が読んでも珍しくなかったのかもしれない。
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私は名前は知っていたが最近まで柳の著作を読んだ事がなかった。幸い没後50年以上経ち著作権が切れ青空文庫に16編が収録されていてネット上で無料で読めるようになっている。---コチラ----
短編ばかりだから読みやすく、今読んでもなかなか面白い。私は柳に遅れること100年を経て民芸について認識を新たにした。遅まきながら大変な人物だった、と改めて知る次第である。---柳の設立した日本民芸館はコチラ---

おりしも戦後70年。本日8月14日に安部氏が戦後70年の「談話」を発表する。この時点ではまだ内容を知らないが、数ヶ月前から韓国内ではその内容に「侵略」「お詫び」などの語句が入るのか韓国侵略や慰安婦問題についてどのような言及があるのか日本よりはるかに関心が集まっている。他人の足を踏んだ日本人にはどうでもいいことが足を踏まれた側には大問題となる。

柳は1919年の三一独立運動の直後に「朝鮮の友に贈る書」をしたためている。運動の過酷な弾圧について朝鮮人に詫びる文である。「不逞鮮人」なんていう言葉があった時代の当時としては柳の発想は大方の日本人には奇異だったのかもしれない。柳は朝鮮陶磁を特に愛でたことから朝鮮には愛情が深い。しかし、柳が夢見た朝鮮人民と日本人民の和解は100年が経ってもいまだしの感がある。今こそ、安部氏に読んで欲しい文であるが、安部氏は忙しいしあまり勉強が好きでなさそうだからムリだろう。



早場米 稲刈り

門川ではお盆前に早場米の稲刈りを済ませた田んぼが目立つ。
小松地区の美しい田んぼ。
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IMG_20150808_072529 posted by (C)オトジマ

まだ済んでない田もある。
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向こうの堤防の先は五十鈴川。泳ぐのに最適なスポット。
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IMG_20150808_072549 posted by (C)オトジマ

私の事務所の隣の田んぼはほとんどほったらかしで雑草がボーボー。緑の部分はヒエなどの雑草。
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イネよりも雑草の方が多い。年年手抜きがひどくなる。高齢化だ。
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その田でも稲刈りが始まる。コンバインであっという間だ。
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IMG_20150811_100436 posted by (C)オトジマ

コンバインの回らない端っこだけ人力で刈る。脱穀後の米にヒエが混じってないのか聞いてみると、ちゃんと機械的に分別するので混じらないそうだ。昔は田のヒエ抜きがたいへんだったらしいが、今は少々手抜きをしても機械が処理してくれる。
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北川町 小川2015

連日の猛暑。ふと思い立って原付で北川の小川(こがわ)に身を浸したくなった。門川から原付で炎天下50分かかった。車なら高速が走れて30分なんだが。

これは日豊線鉄橋下の遊泳場。いつも人が多いが今日は特に多い。
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沈下橋から子供達が飛び込む
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車の置き場所に困る
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市棚トンネルあたり。
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そしてここが私が30年来愛用する淵。アクセスが不便なので全然人がいない。
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そこらじゅうイノシシの足跡だらけ
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梅雨の終りが遅かったせいか割と水が多い
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水中カメラがあれば水中の透明度をお見せできるんだが・・・。水温はそう冷たくないので気持ちよい。
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30年前は河畔林の下は見通しのよい草地になっっていてウシを放牧していた。キャンプサイトに最適だったが、今はすっかりヤブになっている。下はイノシシの掘り返しだらけ。徹底的に掘り返している。
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IMG_20150809_144422 posted by (C)オトジマ

川原に降りる通路にはシカ防除柵を2箇所通過する。以前は電柵もあった。
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IMG_20150809_144446 posted by (C)オトジマ

数年前までは美田が広がっていたが来る度に放棄田が広がっている。
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広大な田が雑草に覆われている。平坦地で水利の便もいいのにもったいない。
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あの河畔林の先が川原
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先ほどの淵のちょっと上流に沈下橋があり、ここは浅いので幼児連れにはちょうどいい。
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その沈下橋のやや上流の川原は車が入る。県外車を含め多くの車が入っていた。
カヌー教室があったのかカヌーを積んだ四駆や軽トラが何台も。
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IMG_20150809_150130 posted by (C)オトジマ

市棚から北川河口までカヌーで4時間の行程。気持ちいいだろうなぁ。
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IMG_20150809_150228 posted by (C)オトジマ

日豊線市棚駅の近く。この碧い淵に身を浸したくならない人がいるだろうか。深くてけっこう流れてるので泳げない人はムリかも。
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IMG_20150809_151220 posted by (C)オトジマ

ずっと下流の差木野あたり。下流に行くほど水泳客が少ない。
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IMG_20150809_152805 posted by (C)オトジマ

一人家族だけ泳いでる。広い川を独占だ。しかし川幅が広く深いので幼児には注意。
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IMG_20150809_152855 posted by (C)オトジマ

北川の支流の小川は全国有数の清流。ぜひ体験してください。私も子供がいた頃にはいつも来ていたが、全員大人になってからはなかなか足が向かない。一人で泳いでも20分もしないで飽きてしまった。来年は孫と来よう。

今年の波頭津海岸

8月2日日曜日は息子の一家と波頭津海岸へ。
美しい砂浜で辺鄙なところだから日曜でも人も少なく駐車場確保もラクだろうと思って。
宮崎・大分県境のすぐそば。家から高速で40分かからなかった。

これは去年の8月3日日曜日。広大な砂浜に人影マバラ
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P7273570 posted by (C)オトジマ

去年はこのように孫たちは浮き輪から離れなかった。
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P7273567 posted by (C)オトジマ

これは今年。すごい人出だ。高速の蒲江~佐伯間が今年開通したので大分県側からの入り込み客が大幅に増えたようだ。
駐車場も今年は大分ナンバーが多かった。駐車場代500円だから海水浴場を運営する集落もかなりの収益が出るだろう。
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P8024001 posted by (C)オトジマ

潮が引いている。
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P8024002 posted by (C)オトジマ

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P8024003 posted by (C)オトジマ

波は子供にはちょうどいいくらい
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P8024008 posted by (C)オトジマ

犬も泳いでる
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P8024010 posted by (C)オトジマ

孫たちも大喜び。今年は浮き輪がいらない。進歩だ。
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P8024018 posted by (C)オトジマ

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IMG_20150802_135420 posted by (C)オトジマ

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IMG_20150802_135427 posted by (C)オトジマ

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IMG_20150802_153846 posted by (C)オトジマ

孫たちもこの夏これが最後の海。今後は久留米の学童保育で退屈な夏休み。
孫は来てよし、帰ってよし-----。2週間の孫との生活は結構たいへん。でも孫にとってもジジババにとっても楽しい日々であった。また来年。
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IMG_20150802_144810 posted by (C)オトジマ

私が中高生の頃には須美江に行くのでさえ山越えの悪路で難行苦行のバス旅だった。ついた頃には乗り物酔いでフラフラだった。それだけに須美江の澄んだ海が有難かった。あれから40年以上たって海の透明度はだいぶ落ちたが、来るのは夢のようにラクになった。やはりこれは未来社会の到来だ。
プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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