唐松山林道

門川町は漁師の町ではあるが、実は町のほとんどは山地。狭い平野の裏にそそり立つのが唐松山。428m。
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P8295440 posted by (C)オトジマ

牧山から見ると、壁のようにそびえているのがよくわかる。
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P3271678 posted by (C)オトジマ

近所の山好きの方から、唐松山には車でも楽に登れますよ、と聞いたので行ってみる。実は30年近く前に家族でドライブに行った写真が残っている。どうやって行ったのか全く記憶にない。写真の位置関係を見ると、これは山頂ではなく、展望所近辺のようだ。昔は樹木が茂ってなくて展望が効いていたはずである。
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唐松山2 posted by (C)オトジマ

中村集落から林道本山線というのが分岐している。地図を見ると林道は山頂直下まで伸びている。現在広域農道は中村付近で工事中で、林道は途中で工事中の広域農道と交差する。

順番が逆でわかりづらいが、これは途中の展望所から麓の工事中の広域農道までの復路。舗装区間で軽トラやバイクにはちょうどいいが、普通車だとやや苦しいか。上等の車はやめておいたほうが無難。SJ4000をバイクのハンドルに固定して撮影。


ここが舗装路の終点。左手に展望所がある。直進すると唐松山。
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IMG_20160829_122518 posted by (C)オトジマ

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IMG_20160829_122554 posted by (C)オトジマ

門川を見下ろす。SJ4000で撮影
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2016_0829_112446_001 posted by (C)オトジマ

乙島、細島方面
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2016_0829_112521_004 posted by (C)オトジマ

庵川方面
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2016_0829_112532_005 posted by (C)オトジマ

展望所から先は舗装がなくなり、路面はひどく荒れている。直進すると津々良方面、左に上がると唐松山山頂方面。まったく案内表示はないのでスマホのGPS地図は必須。
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IMG_20160829_122416 posted by (C)オトジマ

最近車が走った形跡は見られない。落石、朽木、落ち葉だらけ。とにかくひどい路面なのでモトクロッサーや四駆の軽トラならともかく、原付で行くには蛮勇が必要。その蛮勇を振るって行けるところまで行ってみる。
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IMG_20160829_120525 posted by (C)オトジマ

これも順番が逆で復路。林道終点からしばらく下る。ほとんどこんな道と思っていい。うっかりスリップすると崖下に転落する。


ここで林道の終点。周囲は立木で展望はきかない。木の間に間に門川市街地や海は見えなくはないが写真は撮れない。
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IMG_20160829_120454 posted by (C)オトジマ

地図で見るとここからほど遠からぬところに山頂があるが、半ズボン、半そで、ゾウリといういでたちでこの先ヤブ漕ぎするのは無理そうなのでここであきらめる。登山者が来てる風にはとても見えない。近所の山好きの方は途中の展望所までのことを言っているはず。展望所までは道半ばであって、そこから先が大変なのである。
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IMG_20160829_120511 posted by (C)オトジマ

※その後、くだんの山好きの方に聞くと、この林道終点をよく見るとしかるべき登山道が上に伸びているという。山頂はすぐそこではあるが、無線設備があるだけで、スギ林の中でまったく展望はきかないそうだ。

バイクの距離計で距離をはかると麓の広域農道から中村を経て本山林道経由唐松山までおよそ8kmある。
唐松山
唐松山 posted by (C)オトジマ

SJ4000 ウェアラブルカメラを試す

夏休みに孫と海や川に行って撮影するとカメラにせよスマホにせよ水没が気になる。去年は水没でスマホを1個パーにしている。それに水中の様子を撮りたい。水中カメラが欲しくなる。数年前にも欲しくて調べたことがあったが数万円はする。夏だけの季節物にその出費はばからしいなぁ、と買わなかったが、今アマゾンで調べると中華製の激安カメラが無数にある。

Gopro ゴープロはカメラでは珍しいアメリカのメーカー。この分野のパイオニア。
gopro s

身に着けるウェアラブルカメラではGoProが有名だが5万円はする。GoProを検索すると関連でSJCAMというのが出てくる。外見はそっくりで価格は6000円ちょっと。レビューを見るとGoProに劣らない、なんていう評価もけっこうある。レビューの動画を見てもGoProに全然遜色ないような気がする。

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P8285439 posted by (C)オトジマ

これはもちろんGoProを模倣した中華製であるがこれが大ヒットして今ではSJCAMのバチモンがたくさん出てるとか。買うときにはGoProのバチモンであるSJCAMのさらなる非正規品に注意せよ、とある。とにかく安いからダメモトで正規品とおぼしきSJCAM SJ4000を買ってみた。

開封するとめちゃめちゃ付属品がある。車やバイクやヘルメット固定用のアタッチメントである。説明書があるが中華製のAV機器に共通でほとんど役にたたない。仮に英語や中国語に堪能でも全く役たたず。ネットで検索すると親切な人が懇切丁寧に説明してくれているのでそちらを見るべし。
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P8285434 posted by (C)オトジマ

本体はとても小さい。ほとんどマッチ箱くらいと言っていい。オモチャじゃないか?と思いたくなる。
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P8285435 posted by (C)オトジマ

水中撮影用のハウジングに入れる。別に水中でなくとも常にこの状態でもかまわない。
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P8285436 posted by (C)オトジマ

以前はコンデジの水中撮影用ハウジングを別売で買うとそれだけでも1万円以上したものであるが、中華製はありがたいなぁ。
カメラ本体の操作部は押すだけの物理ボタンが4つあるだけで細かい設定をどう操作するのか見当もつかないので、ネットで調べる。するとツリーの奥にきわめて豊富な機能が隠されている。日本語設定もできる。こりゃすごい。

では実際の機能はどうだろう。

まず付属のアタッチメントをヘルメットに付けてみる。粘着テープは強力で簡単に固定できる。親切なことに予備の粘着テープが同梱されているので他のものに付け替える時も安心。
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P8285429 posted by (C)オトジマ

近所を一回り原付で走ってみる。


別のアタッチメントをバイク本体に着けてみる。ヘルメットだとスイッチオンオフの操作がしずらい。特に走行中は不可能だから手元に付けておいたほうが便利だろう。
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P8285431 posted by (C)オトジマ

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P8285432 posted by (C)オトジマ

これもちょっと走ってみた。しかし、見ればわかるように路面の凹凸をダイレクトに拾って画面の上下動がひどい。やはりヘルメットに付けたほうがよさそうだ。


肝心の水中撮影はどうだろうか? 


とてもきれいに撮れる。五十鈴川は最近の日照りで水が減って透明度が低いが、きれいな海ならきれいな動画が撮れるはず。
このカメラでは普通に静止画も撮影できる。ものすごく小さいので持ち運びにとても便利だ。6500円でこんな機能が手に入る。コンデジはいよいよ立つ瀬がなくなった。娘の会社は由緒あるカメラメーカーであるが事業の先細りは確定的だ。日本の製造業の行く手は大変だなぁ・・・・。

そうそう、最近20年くらい使ってきた冷蔵庫が突然こわれたので買い換えたのであるが、ヤマダ電機でこれは、と思ったシャープ製がなんと入荷配送まで一か月もかかるというので同クラスで在庫のあったアクア(ハイアールの別ブランドで旧サンヨーブランド)の製品にした。これまた中華製である。日本のメーカーには申し訳ないが・・・・。
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P8285437 posted by (C)オトジマ







土々呂 運動会

運動会が年々早くなる。門川では中学校が9月11日、小学校が9月下旬となる。するほうも見るほうも暑くてたまらんだろうに。
というところで昔の土々呂小・中の運動会関連の写真。私の父が撮影したものを中心に。

土々呂小、戦前の運動会の写真。かなり昔のはず。大正時代くらいさかのぼるのでは。グラウンドが狭い。講堂は私が在学中のものと同じだが、校舎の様子は見覚えがない。後にはこの校舎の手前に校舎が増築されている。
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15 posted by (C)オトジマ

以前にも掲載したものだが、昭和39年ごろだと思う。当時の土々呂小は児童数は1200人はいたはず。
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1962__60 posted by (C)オトジマ

向こうの山は今では南一ヶ岡5丁目あたりになっている。
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1963 63 posted by (C)オトジマ

背後の山はミカン山であった。今では南一ヶ岡6丁目。
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1964 66 posted by (C)オトジマ

大太鼓をたたいている小さいほうが私。
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1964 1 posted by (C)オトジマ

面白いのはコレ。当時は校庭中にたくさんの露店が出店していた。昼休みには1200人の児童がそれぞれにお小遣いをもらうわけだから露店は大いににぎわった。ここは校門から入ったあたり。
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img063 posted by (C)オトジマ

1960年代であるがすでにワタアメはビニール袋に入っている。覚えてないなぁ・・・・。体操服でない子供がいるのでもしかすると学校の運動会ではなく、土々呂地区の運動会だった可能性もある。
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img069 posted by (C)オトジマ

運動会ではないが、土々呂小の鼓笛隊つながりの写真。たぶんこのリコーダー部隊の前を大太鼓の私がマーチングしてたはず。父が撮影しているのに、どういうわけか私がいない。写真を拡大してみたがどの子供もだれだかさっぱりわからない。土々呂1丁目。
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totoro maturi posted by (C)オトジマ

その後ろに仮装行列が続く。土々呂商栄会の皆さんだろう。後ろの山車に「ばんば踊り大会」と書いてある。お祭りの日には土々呂桟橋通りで盛大にばんば踊り大会が開かれた。
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totoro maturi2 posted by (C)オトジマ

次に土々呂中学校の運動会。1960年とあるが正確かどうか自信はない。昭和30年代ではあると思う。生徒は全員はだし。私の頃も裸足だったのかなぁ? グラウンドの南に小さな山がある。そんなのあったっけ?覚えてないなぁ・・・・・
土々呂中運動会 1960
土々呂中運動会 1960 posted by (C)オトジマ

フォークダンスをしている。けっこう楽しかったけど・・・。今は流行らないようで門川中学校の運動会で見たことはない。
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S35 10-9 posted by (C)オトジマ

女子の花輪ダンスは昔から運動会の定番プログラムだったが、これも最近は流行らない。最近どころか私の娘たちの花輪ダンスも見たことはない。
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field day posted by (C)オトジマ

ずっと時代が下って1980年ごろの土々呂中。卒業アルバムから。
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20150521001332590 posted by (C)オトジマ

昼食前のばんば踊り
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20150521001333699 posted by (C)オトジマ

土々呂小から分離した一ヶ岡小学校の全盛時代。1980年代、第二次ベビーブームで児童数2000名に近かったころ。
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HITOTSUGAOKA posted by (C)オトジマ

土々呂ではなく、戦前の延岡高等女学校の生徒たちが花輪ダンスの花輪を持って内藤記念館の石段に勢ぞろい。伝統ある演目であることがわかる。
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naito kinenkan girls posted by (C)オトジマ

tag : 土々呂 運動会 花輪ダンス 鼓笛隊

土々呂海水浴場のくろんぼ大会

姉の写真に土々呂海水浴場の思い出があったのでご紹介。

昔の土々呂海水浴場では土日曜ごとに様々な行事を催していた。砂の芸術コンテストだとかのど自慢大会だとか映画会だとか自衛隊軍楽隊のコンサートだとかあって、海水浴場のそばに住んでいた子供時代の私にはとても楽しかった。

なかでも定番は「くろんぼ大会」。日焼け度を競うのであるが、いかに黒いかの判定はいい加減であった。今では「黒んぼ」という言葉が差別用語になっているし、日焼けは健康に悪いといって子どもたちは日焼け止めを塗ったり衣服を着用して泳ぐ、というのは当たり前になっている。今昔の感が深い。

昭和30年ごろと思われる。手には賞品を持っている。男児はキンシメ、女児はパンツ。この子供たちは土々呂小で現在では70歳前後と思われるので皆さんご存命のはず。どうぞダウンロードして下さい。
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img064 posted by (C)オトジマ

やはり昭和30年ごろ。水着を着ている。水着もあったんだな。現在の土々呂1丁目の子供たち。
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akiko 1 e posted by (C)オトジマ

これも昭和30年ごろと思われる。
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224214339_large.v1471657334 posted by (C)オトジマ

以下は以前にも掲載した写真から。昭和38年ごろか。左端が私。このころになると高度経済成長期で男児でもキンシメはすたれていた。この数年後には工場排水による汚染で海水浴場は閉鎖される。
海水浴場 1960-3
海水浴場 1960-3 posted by (C)オトジマ

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1967 2 posted by (C)オトジマ

これは戦前の写真と思われる。洋望崎の樹林の様子でしか時代がわからない。戦前には洋望崎に海水浴場の看板があったようだ。
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totoro beach2 posted by (C)オトジマ

昭和3年。これも私の記憶する昭和30年代とさして変わらない。貸しボートも飛び込み台も同じ。時代が下るほど浜は広くなっていく。
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24e posted by (C)オトジマ

これは1960年ごろ。土々呂海水浴場の全盛期。
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海水浴場 1960-1 posted by (C)オトジマ

貸しボート屋が何軒もあった。
古い土々呂 beach-1
古い土々呂 beach-1 posted by (C)オトジマ

すごい人出である。国道10号線には何台もバスが止まっている。
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東浜-北から-ss posted by (C)オトジマ

台風の大波が押し寄せているので浜が広く濡れている。
東浜
東浜 posted by (C)オトジマ

シーズンオフの冬場にはズラリと並ぶ海の家は閉鎖されている。犬は私の愛犬。
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totoro beach-poru posted by (C)オトジマ

1970年。まだ埋め立てられてはいない。
洋望崎 1970
洋望崎 1970 posted by (C)オトジマ

平成3年ごろと思われる。
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H3年 posted by (C)オトジマ

これは現在。埋め立て後に砂の流入で再び広い浜が再生された。
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P4092572 posted by (C)オトジマ

洋望崎
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P4092573 posted by (C)オトジマ

後ろの山は造成されて住宅地となった。マンションも建っている。
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P4092576 posted by (C)オトジマ

一ヶ岡暖地の造成工事

昔の写真を整理していると父が一ヶ岡の姉の住宅新築の様子を克明に撮影していたものがあった。昭和47年ごろ、1972年あたり。

一ヶ岡南。すでに一ヶ岡小学校の校舎ができている。手前は市営住宅が建設中。小学校の後ろは神社山。
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img052_edited posted by (C)オトジマ

南一ヶ岡3丁目あたり。タンク山の水タンクが見えている。今は樹木に囲まれて見えない。
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img054_edited posted by (C)オトジマ

タンク山から南一ヶ岡3丁目あたりを見下ろす。
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img047_edited posted by (C)オトジマ

南一ヶ岡5丁目あたりは最後に分譲されたのでまだ空き地が多い。向こうは土々呂湾。
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s47-9_edited posted by (C)オトジマ

昭和22年。1947年。中央左の田んぼあたりにAコープや一ヶ岡小ができる。
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Jan31801_edited posted by (C)オトジマ

これは昭和35年ごろか。まだまったく工事は始まっていない。
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50 posted by (C)オトジマ

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58 posted by (C)オトジマ

これは造成工事が始まったころ。昭和40年ごろか。中央にAコープができる。
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59 posted by (C)オトジマ

5丁目、6丁目の造成工事。タンク山も造成中。
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1971 32e posted by (C)オトジマ

上と同じ場所の現在
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P2080276e posted by (C)オトジマ

これは1980年ごろの航空写真。すでに空き地はない。
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img249_edited posted by (C)オトジマ

現在の南一ヶ岡5丁目あたり
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P2080275e posted by (C)オトジマ

現在の南一ヶ岡3丁目
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P8195304 posted by (C)オトジマ

現在、神社山から一ヶ岡小を見下ろす
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P4152276 posted by (C)オトジマ

これは市の事業の一ヶ岡造成事業終了後、民間開発業者の手による霧島台の造成。霧島神社のウラにあたる。ここは一ヶ岡ではなく土々呂2丁目となっている。
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kirisimadai posted by (C)オトジマ

左端が霧島神社のある霧島山。
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kirisimadai2 posted by (C)オトジマ

同じ場所の現在の様子。現在はこの造成地のさらに上に海咲台住宅地(南一ヶ岡7丁目)が造成されている。
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P8195301 posted by (C)オトジマ

これは1972年ごろの南一ヶ岡3丁目。まだ空き地があるころ。
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img085 posted by (C)オトジマ

姉の家が姿を現してきたころ。この家は今はない。多くの家は建て替えられている。
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img086 posted by (C)オトジマ

それから12年後、落ち着いた住宅地となり住民は子育て真っ盛り。現在はそれからさらに30年以上たち、一ヶ岡にも高齢化の波が押し寄せている。
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hitotugaoka maturi 3 posted by (C)オトジマ

鷹島

8月15日は日本の最大の対外戦争である太平洋戦争の敗戦記念日。そんな時に昔の二つの大規模な対外戦争の戦跡をたどる旅となった。朝鮮出兵の名護屋城、そこから遠からぬ元寇の古戦場である鷹島へと移動した。
鷹島s


この春、伊万里湾に来た時には松浦市星鹿半島から鷹島を遠望した。沖合に平坦に浮かぶ。3月に撮影。
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P3201839 posted by (C)オトジマ

唐津市肥前町から鷹島に肥前鷹島大橋が架かり、鷹島は離島ではなくなっている。
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P8145229 posted by (C)オトジマ

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P8145231 posted by (C)オトジマ

穏やかな海に静かな入り江が点在。リゾート地としては素晴らしい立地に見えるがホテルなどは全然見当たらない。
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P8145232 posted by (C)オトジマ

海中ダムがあるというのでいかなるものか知りたくて寄ってみた。正確には海中ではなく、海に隣接したダム。
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P8145239 posted by (C)オトジマ

堤体上は道路
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P8145237 posted by (C)オトジマ

海側は漁港になっている。
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P8145235 posted by (C)オトジマ

ダム湖。島は川がなく水源がないのでこんなところにダムができた訳だ。
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P8145234 posted by (C)オトジマ

島はおおむね平坦で高い山はぜんぜんない。
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P8145261 posted by (C)オトジマ

台地から降りたところに漁港がある。阿翁浦免。
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P8145259 posted by (C)オトジマ

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P8145240 posted by (C)オトジマ

白浜海水浴場という小さな浜がある。この世の極楽のような景色。ここで泳げる家族は幸せだ。
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P8145243 posted by (C)オトジマ

向かいは黒島。波はほとんどない。透明度は高い。海水浴もダイビングもできる。
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P8145247 posted by (C)オトジマ

えらく陽に焼けた子供がいるな、とおもったら黒人の少年だった。こんなところもインターナショナル。
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P8145250 posted by (C)オトジマ

モンゴル村、というのがあるので行ってみたら入場料が800円もいるので入らなかった。どうせ移動式住居のゲルが並んでいるだけだろうから。
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P8145254 posted by (C)オトジマ

東大寺の門前のシカのように人気のあるヤギ。野生のヤギだけでなく白ヤギさんも険しい岩場が好きなんですね。
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P8145255 posted by (C)オトジマ

モンゴル村からの遠望
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P8145258 posted by (C)オトジマ

どういうわけか狭い島に石屋がやたらたくさんある。なにか理由があるんだろうがネット上の情報ではよくわからない。
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P8145260 posted by (C)オトジマ

とにかく海が美しい。日本海側というのは意外と透明度が高い。水中眼鏡を持ってくるんだった、と後悔した。
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P8145262 posted by (C)オトジマ

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P8145264 posted by (C)オトジマ

歴史民俗資料館があるので寄ってみる。
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P8145288 posted by (C)オトジマ

鷹島は元寇のときの古戦場である。元寇は文永の役、弘安の役と二度あるが、弘安の役のおり、いったん博多湾に攻め込んだ元の先遣隊の東路軍は日本軍の強力な抵抗にあいいったん撤退する。そして後から来る主力である江南軍と合流するために伊万里湾に移動した。東路軍と江南軍の数千の艦船は伊万里湾の鷹島周辺に集結した。さぞ壮観だったろう。そこに例の台風襲来で元軍はおおむね壊滅したのである。台風襲来は別に奇跡ではない。東路軍が日本に到着して3か月が経過していた。夏場に3か月もいれば1度や2度九州に台風が来るのは全然普通である。台風シーズンに来たのがそもそも間違いであったが、800年前のモンゴル人が日本の気象に暗かったのも当然。この時の元軍は東路軍は900隻4万人、江南軍は3500隻、10万人という途方もない規模。全部が鷹島に集結していたわけではなかったろうが、鷹島周辺で水死した者、鷹島に上陸後、日本軍との戦闘での死者はすごい数だったろう。

鷹島周辺にはおびただしい軍船の残骸が沈んでいるはずで水中考古学により調査がなされいて、海底から多くの遺物が引き揚げられている。

碇石。大きな御影石。木の碇の重しとなる。
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P8145270 posted by (C)オトジマ

元の軍船は大きなものでは長さ40mにもなるという巨船。碇も巨大で7mほどもあったとか。
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P8145281 posted by (C)オトジマ

錆びた兜
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P8145271 posted by (C)オトジマ

石の砲弾。投擲機を用いて打ち出した。日本にはなかった武器。
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P8145279 posted by (C)オトジマ

これがウワサの「てつはう」。陶器製で中に火薬が入っていた。今でいえば手りゅう弾。
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P8145280 posted by (C)オトジマ

引き揚げられた船の部材を水につけて塩抜きしているところ。
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P8145286 posted by (C)オトジマ

元寇といえば竹崎季長の名を忘れることはできない。元寇を防衛した日本の武士たちは多数いたろうが、たまたま綿密な記録を残した竹崎が代表的な御家人として歴史に名を遺す。大活躍しても記録のない武将は忘れられた。記録は大切だ。竹崎は実はたいした戦果を挙げていない。竹崎季長については岩井三四二著「異国合戦」がなかなか面白い。以前のポストはコチラ

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P6250286s posted by (C)オトジマ










玄海国定公園

名護屋城から少し西に行くと長崎県に入り伊万里湾がある。その湾上に鷹島が浮かぶ。今回は名護屋城から鷹島に至る途中の風景。

玄海町浜野浦の棚田。なんかどこかで聞いたことあるな、と思って車を止めた。
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P8145187 posted by (C)オトジマ

あの海に夕日が落ちるらしい。素敵な入り江だ。あそこで泳いでみたい。
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P8145185 posted by (C)オトジマ

しかし気になるのは放棄された棚田。せっかくの名所なんだから行政も力を貸して棚田を維持してほしい。
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P8145186 posted by (C)オトジマ

全く波のない仮屋湾
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P8145189 posted by (C)オトジマ

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P8145193 posted by (C)オトジマ

仮屋の漁村集落
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P8145191 posted by (C)オトジマ

仮屋の漁村集落
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P8145202 posted by (C)オトジマ

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P8145205 posted by (C)オトジマ

典型的な漁村風景。やたらと路駐が多い。
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P8145204 posted by (C)オトジマ

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P8145211 posted by (C)オトジマ

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P8145212 posted by (C)オトジマ

漁村らしく恵比須様が並んでいる
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P8145199 posted by (C)オトジマ

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P8145207 posted by (C)オトジマ

仮屋湾にある海上釣り堀に至る回廊
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P8145214 posted by (C)オトジマ

湖のようだ
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P8145215 posted by (C)オトジマ

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P8145217 posted by (C)オトジマ

島の上に設けられた温泉施「玄海海上温泉パレア」 原発マネーのなせるワザ。玄海町はどの公共施設も立派。
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P8145220 posted by (C)オトジマ

仮屋湾を棚田越しに見下ろす
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P8145224 posted by (C)オトジマ

肥前町犬頭の棚田。上から見るとその全容は見えない。
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P8145225 posted by (C)オトジマ

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P8145226 posted by (C)オトジマ

海と島と橋とが見える絶景の地
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P8145228 posted by (C)オトジマ

あちこちに楽し気な入り江が点在する。船遊び磯遊びには絶好。
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鷹島肥前大橋の上から見ると全容が見える。もちろん橋の上には車は止められないのでどこかに棚田が見晴らせる展望所が欲しいところである。
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名護屋城

NHKの「真田丸」が好調のようだ。秀吉の時代を描けば当然朝鮮出兵が描かれる。しかし、朝鮮での戦闘を撮影するとなると莫大なコストがかかるだろうから容易ではない。主人公の真田信繁も秀吉も渡海していないのでさほど不都合はないのだろう。朝鮮出兵の兵站基地となる肥前名護屋城には二人とも滞在したのでその場面はあるが屋内場面ばかり。

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戦国時代を描く小説や映画は数えきれないくらいあるが、「朝鮮出兵」をテーマとした作品は私の知る限りあまりないんじゃないか?韓国側には多数あると思う。2014年の韓国映画「鳴梁」は李舜臣の活躍を描き大ヒットしている。この戦では朝鮮は一方的に侵略されただけだから、ドラマになりそうな朝鮮側にいいところというと李舜臣による水軍の活躍しかない。かといって日本側から見ると秀吉の世界制覇という妄想による戦だから大義も道理もなく、ドラマになりにくいのかもしれない。

Li sungsing


アマゾンで検索してみるとちょうど「秀吉 朝鮮の乱」という作品がある。著者は韓国人の金声翰で光文社刊。著者は戦中に東大で学び戦後は東亜日報の論説主幹を務めている。この本は日本語で書き下ろされている。韓国人の書いたものだから韓国側の視点でいやらしくバイアスがかかっているんじゃないか、と危惧したが、全編を通じ客観的で、創作ではあるがこの戦をどういうものであったのか知るにはとても良いと思う。ぜひ安部龍太郎かだれか日本人の作家による朝鮮出兵をテーマとした作品も読んでみたい。

というところで400年前に思いを馳せながら名護屋城を見物。なにせ朝から猛暑なので最低限しか歩かない。

航空写真。なだらかな丘陵地にある。上の端に波止岬がある。城の周囲にはここに全国から参集した大名たちの陣屋が立ち並んでいた。いまでも各武将の名の陣屋跡が案内マップに多数点在する。最盛時には人口20万に達する巨大な城下町を形成したというが、今ではその賑わいは想像もつかない。
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名護屋城の復元模型。この巨大で立派な城がわずか5か月でできたというのが不思議。熊本城の復元に20年かかるなんて言ってるが昔の機械力のなかった時代に巨大土木工事をそんな短期間でできたのは秀吉の権力のなせる業か。
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名護屋城 本丸
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広場中央に立つ名護屋城址碑。東郷平八郎の揮毫。大正15年に史跡に指定。
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天守台跡
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天守台跡碑
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玄界灘を一望できる。さすがに朝鮮は見えない。
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呼子方面。中央の集落に法光寺が見える。
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天守台真下の遊撃丸。
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すごい傾斜である。城は江戸時代初期に破脚された、と聞いているがけっこう広範囲に石垣が残っている。
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天守台方面
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礎石のあと
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弾正丸方面
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急傾斜に大木が生える
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本丸跡で掘り起こされた当初の石垣。名護屋城はいったん完成後も増築され続けた。
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石段の上は狭くて何もない
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あちこち石垣が崩落したまま。
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城の破脚にあたっては、隅の石組みを破壊するのがポイントだそうだ。隅がこわれると上の地盤が不安定になって重量のある建築物を作れなくなるんだとか。
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400年前のものにしてはよく残っている。
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大正期に国の史跡に指定されて以降に整備されたはずだから樹木はおよそ100年は経っているはず。100年もあれはクスは巨木となる。
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山里丸登り口
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大手口に隣接して名護屋城博物館がある。大きくて立派な博物館である。しかし朝7時ころから行ったので当然開館していない。見ればまたいろいろと面白い知見を得られたのかもしれないが残念。いかんせん暑くて外をウロウロ歩ける状況ではなかったのでここで退散することにした。
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唐津 波戸岬近辺

今年のお盆期間はとんでもない猛暑であったが頑張って名護屋城まで出かける。夕方久留米を出てちょうど日没時に名護屋城の先にある波戸岬に着く。
MAP 波止岬


馬渡島に陽が沈む。
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波戸岬は夜間は閉鎖されるのでそうそうに退出
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海中展望台
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ゴミがすごい
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波戸岬から名護屋城一帯に九州オルレのコースがある。
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海水浴場にはトルハルバンが立っている。韓国済州島に特有な石像。日本でいえば仁王みたいなもの。済州島の西帰浦市から唐津市に寄贈されている。
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波戸岬海水浴場からの日没
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内湾ではなく外海に面しているのに全く波がない。太平洋岸に住む者にとっては不思議な渚。満潮のようだ。
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陽が沈んだ。今夜はこの海水浴場でキャンプ。一晩中暑かった。
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早朝の波戸岬海水浴場
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翌朝、名護屋城近辺を回ってみる。名護屋城の北側の麦原集落には古い農家が残っている。丘陵地で田は少なく裕福な農村には見えないが立派な構えの家が多い。
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二階の木の窓枠の連続が素晴らしい。
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納屋もなかなかいい。
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窓枠の白いのがここらの流儀か。アルミサッシでない窓は今や貴重。
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集落の中に法光寺がある。本来は名護屋城大手門あたりにあったらしいが、築城のジャマになるので秀吉の命でここに移転させられたという。
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豊臣秀吉が自ら植えたといわれる太閤御手植えの桜がある。400年?? 巨木ではないがたしかに貫禄がある。本来の幹はすでに枯れていて現在は周りの枝だけが残っているようだ。6年ほど前の写真では中央に高い幹がある。
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チェシャ猫がいた。
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秀吉の家来、曽呂利新左エ門の作った庭・・・だとか。小さすぎ。
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元禄年間(1695年)奉納の延命地蔵。
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灯りの研究 4

孫の夏休みの自由研究「むかしの灯り」の締めくくりに孫の住む久留米の隣町。うきは市吉井町を訪ねた。
吉井はかつてロウ産業で栄えた町である。
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P8135021 posted by (C)オトジマ

連日猛烈な暑さが続いているが、吉井の町で車から出るとインドもかくや、と思われるすさまじい暑さ。おそらく38度はありそうだ。海岸部の門川や延岡では経験したことのない熱波である。うかつに街歩きをすると熱中症まちがいなし。ロウ商人の商家である「居蔵の館」だけを見ることにする。この商家には孫が3歳の時に一度連れてきているが彼女は全く覚えていない。当然だ。
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「居蔵の館」は、粋な黒塀見越しの松に・・・
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ロウ関連の資料も多少ある。
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輸出用のワックスとその鋳型
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邸宅内部を見学。普通の古い屋敷で孫のお目当てのロウソクの絵柄は撮れない。
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縁側から庭を見る
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子供には昔の五右衛門風呂は意味不明。給食室にこんなのあるよ、と言ってた。
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子供には昔の溜め式便所も意味不明。ウンコは流れないのならどこに行くの?と聞いていた。
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P8134989_edited posted by (C)オトジマ

久留米市域の柳坂曽根のハゼ並木を見に行こう、と考えていたら吉井にも川沿いにハゼ並木がある。手を伸ばせば道から触れることができる。地域の人々は大丈夫かな?
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さて、孫の自由研究をはなれて炎暑の吉井に見つけた涼しい風景。農業用水である。
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昔は子供が泳いでいたというが、今は禁止。
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古写真の酒屋がそのまま残っているという。
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この橋が古写真で馬車が渡っている橋。
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そういえば二階の窓も同じだ。
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久留米市域の田主丸ではブドウ狩りの農園が並ぶ。田主丸の植木・果樹はかつてのハゼ栽培の名残だとか。
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これは試食用。
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P8135025 posted by (C)オトジマ



灯りの研究 3

孫の夏休みの自由研究「むかしの灯り」も大詰め。
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P8114941 posted by (C)オトジマ

孫と一緒にネットで調べているとなかなか面白い知見に出会う。
孫の住んでる久留米の「柳坂曽根のハゼ並木」は今では紅葉の名所になっている。昔、久留米藩は商品作物の栽培に熱心で特にナタネ油とハゼ蝋の生産が盛んだった頃の名残である。今では久留米市内となっている田主丸で植木や果樹が盛んなのはハゼ栽培の延長上にある。吉井の白壁の町はハゼ蝋の富のもたらしたもの。孫はなんとなく「むかしの灯り」を調べ始めたのに、実は彼女の郷土の歴史と密接な関連があったわけだ。

柳坂曽根のハゼ並木
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PB200299_edited posted by (C)オトジマ

うきは市吉井
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P3081029 posted by (C)オトジマ

孫には「むかしの灯り」を調べる前に新見南吉の「おじいさんのランプ」を読ませた。我々の世代では国語の教科書に載っていたのでおなじみであるが、現代の人は意外と知らない。新見南吉といえば「ゴンギツネ」と「てぶくろを買いに」が知られている。

明治、ナタネやロウの灯りの灯りの時代に洋式の石油ランプが入ってきた。それは革命的に明るいものであった。しかし電灯が普及すると比較にならない明るさにたちまちランプの時代は終わる。そんな時代にランプを商ったおじいさんの話。さて、石油ランプはそんなに明るいものなんだろうか?ここは孫にその明るさを見せてやらないと。そこで昔のランプを探してみたが知り合いに持つ者はいなかった。今生きている世代の方は電気普及以後の世代だろうから無理からぬ。そこでやむを得ず、知り合いからキャンプ用の灯油ランプを借りた。今のキャンプ用ランプはほとんどLEDだから店にも灯油ランプはない。アマゾンでは見かけることができるが、室内インテリアとしてのランプである。

かなり古くてチャチである。
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P8104909 posted by (C)オトジマ

夜になるのを待って、点灯してみる。
孫がランプの灯りで本を読んでいるところ。読めなくはないが、かなり苦しい。ロウソクよりはマシ。
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P8104939 posted by (C)オトジマ

これはオートで撮影。カメラが勝手に感度を上げているだけで、こんなに明るくはない。
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P8104934 posted by (C)オトジマ

ランプを借りに行った津々良に防空壕が残っているというのでついでに見てきた。
個人宅の自家用防空壕である。小さい。
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P8104892 posted by (C)オトジマ

昔は防空壕は子供のいい遊び場だったが、近年ではほとんど埋められてしまっている。
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P8104893 posted by (C)オトジマ

孫は恐る恐る入る。虫がいると言って怖がる。
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P8104895 posted by (C)オトジマ

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P8104897 posted by (C)オトジマ

さっそくランプを使ってみる。
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moza rei 2 posted by (C)オトジマ

反対側にある出口はヤブになっている。
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P8104900 posted by (C)オトジマ

ナタネ油の調べでなんとかナタネの種の実物標本をレポートに貼り付けたい。家の前の山の法面には菜の花がたくさん咲いて、すぐに種がたくさんできるのであるが、季節的には春のものなので今はまったく影も形もない。 ところが奇特な方がいるもので、そのナタネの種を保存している近所の方がおられた。それを借りてきた。
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P8064809 posted by (C)オトジマ

こうやってあらためてナタネを見るときわめて小さい。こんなものから1升の油を搾るにはどれだけのナタネが必要だろう。調べると江戸時代(時期によってさまざまだろうが)にはナタネ油は1升で400文(およそ5000円くらいか)もする高価なものだった。今、スーパーでは1.8L(1500g)のサラダ油が400円もしないから単純計算で昔は現在の10倍ということ。
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P8064804_edited posted by (C)オトジマ

ロウソクの調べでは実際にハゼの実を取ってきた。
近所のハゼの木。
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P8074854 posted by (C)オトジマ

ハゼの実はまだ青い
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P8074855 posted by (C)オトジマ

案の定、あちこちかゆくなった。
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P8074858 posted by (C)オトジマ

秋になると実は黒くなる
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PC270572_edited posted by (C)オトジマ

孫の自由研究も完成に近づき、彼女らが久留米に戻る日も近くなった。


灯りの研究 2

孫の夏休み自由研究「むかしのあかり」、その2

昔の灯り、というと行灯がある。中にはおおむね油による灯火がある。
菜種油によるものである。提灯にはローソクが使われた。
菜種油による灯火にはj子供向けに優れた絵本がある。

岩波書店刊「江戸のあかり」-ナタネ油の旅と都市の夜ー(坂本学著・一ノ関圭絵)
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P8064824 posted by (C)オトジマ
昔、書店で見て感心したことがある。このたび孫の自由研究の資料にアマゾンの古本を購入した。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の挿絵と考えるとちょうどいいかもしれない。
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P8064826 posted by (C)オトジマ

私が子供の頃は風呂場は庭の端に独立した小屋があって電線が通ってなく、入浴時には油の灯りを灯していた。
それこそ半世紀ぶりにそれを再現してみた。
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P8074863 posted by (C)オトジマ
サラダ油に灯心を浸しただけ。ただし灯心が問題である。やはり木綿の紐が良さそうだが意外と家庭で探すと木綿の紐なんてないものだ。ロープや紐類はほとんど化繊なので燃やすとすぐに溶けてしまう。これは紙紐を代用しているので消耗が早い。

魚油の灯り。ネットで調べるとツナ缶でも灯りができる、と書いてある。緊急時にも使える、という触れ込みだが・・・
まず中身は出して油だけを残す。昔のツナ缶は知らないが、近年は油が少ないらしい。それも魚油でなく植物油。
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P8074848 posted by (C)オトジマ

たしかに灯りはともる。しかしいかんせん油が少ないので長くはもたない。灯りのためにツナ缶を買うとしたらえらくコストパフォーマンスが悪い。まぁ、今日はツナをご飯のおかずにしたので無駄にはならなかったが・・・
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P8074870 posted by (C)オトジマ

昔はどこの家庭でも油の灯火やローソクの灯りが一般的だったんだろう、と現代人は想像しがちである。時代劇でもそうなっている。ところが菜種油やローソクというものはとても高価なもので庶民がじゃんじゃん使えるようなものではなかったとか。江戸時代まで農家では家の中の灯りといえば囲炉裏しかなかった、というのが普通だったらしい。つまり暗くなったらすぐ寝たということ。貧民が夜学問をするとなったら「蛍雪の功」しかなかった、というのはあながち冗談ではないのである。

次にたいまつ
これは盆の迎え火用に店で売ってる松明。イオンで売ってる中でも最も高価なものを買ってきた。といっても350円くらいか。
昔はともかく、我が家には仏さんがいないので迎え火を炊いたことがない。はじめて店で松明を選んでみると、価格はいろいろ。安いものはいかにもヤニが少ない細いものばかり。いかにもヤニのありそうな堅い節くれだったこれが高かった。
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P8064772 posted by (C)オトジマ

昔の照明用の松明は単に松の根や幹を割ったものだったらしいから、これを灯りにできなくはないはず、と考えて暗いところで火をつけてみる。
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P8074878 posted by (C)オトジマ

確かに灯りとして使えなくはなさそうだ。しかしこれでは風に弱く、長時間はとても使えない。5分とて無理。
長時間使える松明のためにはやはり油脂を布に浸したものを巻き付ける必要があった。それも木の棒ではなく金属の棒の方がいい。自由の女神はそんな松明を掲げている。

昔の灯り、のつながりで走馬燈を作ってみようと思い、まずは行灯を作る。
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P8074840 posted by (C)オトジマ

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透明フィルムに絵を描かせる。
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P8074841 posted by (C)オトジマ

走馬燈をロウソクで作るとフィルムへの延焼が気になる。じゃあ手軽に電球でやってみるか、となるとLEDでは発熱が少なく上昇気流がとても弱い。いろいろ技術的に課題があり、4年生のレベルでは手に負えないので、ひとまず置いといて、灯台に転用。
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P8074847 posted by (C)オトジマ

これだと「灯台もと暗し」が歴然とわかる。
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P8074872 posted by (C)オトジマ

さらに手持ち提灯に転用して真っ暗な小学校の校庭に出かけて子供たちに散歩させてみた。街灯のない暗闇の中ではこんな手作り提灯でもものすごく役に立つ。
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P8074874 posted by (C)オトジマ



灯りの研究

孫の夏休みの自由研究が面白い。去年は明治の産業遺産で炭鉱関連の世界遺産指定があったので石炭の研究をさせた。久留米の小学生だから近所の三池炭鉱に連れて行ったり、こちらでは細島港に石炭を拾いに行ったりした。石炭に火をつける実験をしたのであるが容易なことでは着火しないことがわかった。なかなか時宜にかなったテーマで小3にしては高度。レポートは学校でも高く評価されたようだ。

自由研究の肝はテーマをどう選ぶか、である。いいアドバイスがあって子供がお利口ならどんなテーマでもいいレポートができるが、やはり調べてみて子供が面白くなければつまらない。孫がことわざの勉強をしていると「灯り」に関するものがいくつもある。
「灯台もと暗し」「風前の灯」「提灯に釣り鐘」「月夜に提灯」・・・・・
完全電化住宅で仏壇もなく全く火と縁のない生活をしている子供には「火」関連の事象はなかなか想像がつかない。
というところで、昔の灯りをテーマに選ばせることにした。これが意外と面白くて、孫も興味を持てる。

マッチも初めて使う。おそるおそる・・・・・・
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P8034728 posted by (C)オトジマ

「灯台もと暗し」を調べるためにまず提灯、ないしは行灯を作らせた。

物置に転がっていた自転車カゴと障子紙を用意。
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P8054760 posted by (C)オトジマ

障子紙を張るが、円筒形ではなくテーパーがかかっているのでなかなかうまく張れない。
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結局しわだらけ。
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P8054765 posted by (C)オトジマ

底にはクギを打ち抜いた板を取り付ける
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P8074828 posted by (C)オトジマ

ローソクをつけてみる。
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P8074831 posted by (C)オトジマ

段ボールで台を作って灯台となす。
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P8054771 posted by (C)オトジマ

たしかに灯台の直下は真っ暗になるが、暗すぎて写真にはうまく写らない。
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P8054769 posted by (C)オトジマ

昔の灯台。そこらの街角にはこんな立派なものはなかっただろう。
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棒をつけて提灯となす。
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P8074830 posted by (C)オトジマ

夜、外を散歩してみるとなかなかいい具合だ。
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P8064811 posted by (C)オトジマ

しかし、そこらじゅう街灯だらけなので真価を発揮できない。孫はすかさず「月夜に提灯」と言った。なかなか賢い子だ。
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「風前の灯」の実験
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P8064820 posted by (C)オトジマ

すぐ消える。これは誕生日のケーキでローソクを吹き消しているから想像がつきやすい。提灯は炎を風から防ぐためにあることが理解できる。
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「提灯に釣り鐘」。 ダイソーで提灯を探したらこんなオシャレなランタンしかなかった。全然比較の意味がなさそうな絵柄になる。
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P8064781 posted by (C)オトジマ

確実に子供の喜ぶかわいいローソク作りにも挑戦。ダイソーのローソクとクッキー型を用意。これだけが300円で足りる。
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P8034725 posted by (C)オトジマ

空き缶を切ってローソクとクレヨンを削って入れる。ローソクの芯は抜いておいたほうがいい。
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P8034727 posted by (C)オトジマ

バーナーで加熱するとあっという間に液化する。
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P8034730 posted by (C)オトジマ

これは芯を抜いておいた場合
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P8034732 posted by (C)オトジマ

クッキー型では底から溶けたロウが流れ出てしまうので、紙粘土で底を塞いでからロウを注ぎ込む。
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P8034733 posted by (C)オトジマ

意外とうまくできた。ロウは液体から個体になるとき体積が減少するので中央がえらくへこむ。上に載っているゴミみたいなものは子供が金色のクレヨンかすをふりかけたもの。
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P8044737 posted by (C)オトジマ

こんな苦労をせずともダイソーに立派な完成品が売ってるが、手作りでこそ物質の状態変化を学ぶことができる。
次回は灯明や松明についての実験をやらせてみる。



夏の波頭津海岸

日曜日は宮崎県と大分県の県境にある波頭津海岸へ。門川インターからほぼ30分で着いた。近い!
こんな近くにこんな素晴らしいビーチがある日豊海岸に住む人々はなんて恵まれているんだ。
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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