谷内六郎



上の絵などを見ていたら二人の作家を連想した。
一人はつげ義春である。つげもガロに作品を発表していたマンガ家である。彼の代表作「ねじ式」を読んだ時、メメクラゲに咬まれた海岸は九十九里浜のような気がするな、と思っていたものであるが、ウィキペディアによれば房総半島鴨川の太海漁港であるらしい。ウィキにはもっともらしく機関車が驀進してくる路地はここだ、という写真もあるが、はたしてあてになるのか。



鴨川は安西の育った千倉から近い。作風はかなり異なるが「青の時代」は「ねじ式」の影響を受けているんではないだろうか。「ねじ式」の衝撃は当時マンガを読む人にも描く人にも大きかったはずである。1968年の作品だから大昔である。当時私は田舎の中学生だったからガロなんて知るはずもなくリアルタイムでは「ねじ式」ショックを体験してはいない。知ったのは大人になってからである。

もう一人は谷内六郎である。週刊新潮の表紙で有名であるが、彼が描いていたのは30年以上前だからもう過去の人になりつつある。谷内の占めていた場所は今や原田泰治にとってかわられた。ココに週刊新潮の表紙絵のギャラリーがあるので懐かしい人は覗いてみるといい。

彼の絵には漁村の風景がよく出てきた。私が学生時代に南房総に行ったとき、漁村や山のたたずまいが谷内六郎の絵にそっくりだった。安西水丸氏は「スケッチブックの一人旅」で南房総の山を「房総特有の、低いマリモのような山」と形容している。そういうわけで私は谷内は南房総の出身だとばかり思っていたのであるが、あらためて今日調べてみたら東京生まれの世田谷育ちであった。おかしいなぁ、とさらに調べてみたら彼は喘息もちで若い頃療養のため御宿で過ごした時期があって、それが彼の作風に影響しているらしい。やっぱり彼の絵に出てくる海岸風景は南房総だった。



谷内六郎もノスタルジーの画家である。彼は1921年(大正10年)生だから安西よりも20年早く、ノスタルジーの世界も昭和初期に遡る。彼の絵に出てくる少女は上の絵のように着物を着ていることも多い。昭和30年代に週刊新潮を読んでいた世代にとってはピッタリ。
とはいえ、はるか後の世代である私にも十分共有できるノスタルジーである。これが中勘介の「銀の匙」のように明治中期に遡るノスタルジーになると遠すぎてきびしい。

また谷内の絵には安西の「青の時代」と同様に漁村の光景が多いのも私には親しめる。汽車がよく登場するのも同様。下の写真は汽車と漁村というまさに谷内六郎的な景色。私の父が土々呂小学校の裏山から昭和36年ごろ撮影したもの。清風荘旅館が見える。煙を吐くのは懐かしい混載の貨物列車。私の家は日豊線のすぐそばで、こんな汽車をいつも見ていた。あのころの貨物列車は長かった。(クリックで詳細画像)


彼の絵本で漁村を舞台とした「ぎんのわっか」という素晴らしい絵本があるが、絶版のようでアマゾンにも見当たらない。1972年刊だから相当古いか。当時、至光社は絵本の傑作を連発していた。谷内六郎の甥の谷内こうたの作品「のらいぬ」「なつのあさ」は傑作。「のらいぬ」の少年のように私も犬を連れて浜辺で遊んでいた。


下:少年の日、犬を連れた私。土々呂中学校裏の長浜。遠景は東海の鼻。横にいた人物を消してある。



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Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
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