茅葺屋根

10月15日放送、NHKBSプレミアムのNHKアーカイブスで白川郷合掌造りの屋根葺き替えの模様「心をつないだ大屋根葺き」を見た。あるお宅が一世紀ぶりにカヤ葺き屋根を葺き替える様子をドキュメンタリーにしたもので2001年の取材。

大変な作業である。集まった作業員とボランディアなんと500名。用意した弁当なんと2000食。ほとんどお祭りである。「結い」のボランティアの労賃はかからないとはいえ総費用は相当なものである。数千万という費用から葺き替えをあきらめてトタン葺きにする家も多いという。

近年白川郷は世界遺産になり、「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」もできたので事情は変わったかもしれない。
とはいえ、茅葺屋根の専門業者というのはあまり聞かないから、技能を蓄積した屋根葺きの「結い」のシステムなくしては困難な事業だ。

国東半島で見た家。観光用ではなく普通に人が住んでいた。
わらぶき
わらぶき posted by (C)オトジマ

スタジオジブリの出す「熱風」という雑誌がある。以前購読したことがある。今号はたまたま電子版で無償公開されているので読んでみたら藤森照信氏がたまたま「茅葺屋根」について大変面白い記事を書いていた。

藤森氏は若い頃から数度、自作で萱葺屋根を作ったことがあるという。縄文人の竪穴住居を復元したもの。やってみてわかる最大の困難はススキを集めることがだ、という。ススキなんてどこにも生えているものだが、雨漏りなく葺くには厚みが30cmほど必要でそのために必要なススキは小さな小屋といえども膨大なものらしい。10cmくらいの厚みでは下から見るとスキマから空が見えると言う。家族でそのススキを集めるのは大変だったとか。白川郷の葺き替えでは厚みはゆうに1m近くあった。

昔は集落で萱を栽培する「萱場」を持っていた。いまでも東京に「茅場町」という駅名が残るし、ショックアブソーバで有名なカヤバ工業も萱場に由来するはずだ。諸塚などの山村では近年まで山の一部が萱場として残っていたそうだ。つまり普段から屋根葺き替えに備え、大量の萱を備蓄していたもの。農村では各種の共同作業「結い」が見られたが、近代化とともに次第に消滅していく。しかし、屋根葺きのための「結い」は個人では困難なので最後まで残ったという

安心院で見た廃屋。トタンの破れの下にカヤが見えている。
PB200161
PB200161 posted by (C)オトジマ

藤森氏は縄文人の家作りを体験するために石器でススキを刈ってみた。これが大変困難だという。そういえばススキは折ることは簡単だが切るとなると刃物が必要だ。藤森氏は縄文人が石器で大量のススキを刈っていたとは考え難いとしている。だから各地で復元されている縄文時代の住居、さらには弥生時代の住居にしても萱葺で再現されているが、史実かどうか怪しいという。実際には、より簡単に雨がしのげて、採集しやすい桧皮葺きの方が普通だったのではないか、と推測している。古い神社はいまだに桧皮葺きである。

我々が頭に描く萱葺屋根が普通になったのは鉄器が庶民にまで浸透してきた室町時代かららしい。鉄器がなければ昔話の絵本の屋根のようになだらかに刈りそろえられた美しいラインは絶対にできない。ボサボサの髪の毛のように見苦しくなるそうだ。白川郷では大型の剪定鋏や電動のヘッジトリマーを使ってきれいに刈り揃えていた。

藤森氏ならではの面白い連載である。コチラで読める。

高千穂町で。
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Author:トトロのとなり
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