美々津 海岸

美々津の海岸には細い松林がある。が、ここもマツクイムシに食われつつある。
美々津
美々津 posted by (C)オトジマ

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被害木は伐採されている
美々津
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駐車場から南は広葉樹に植え替えられている
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七ッ碆(ななつばえ)と美々津灯台
美々津
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山頭火の句碑が立つ。 「墓がならんでそこまで波がおしよせて」
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山頭火は昭和5年に美々津に滞在している。
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この家の脇に道路元標が立っている。耳川大橋開通以前はこの通りが国道だった。さらに現10号線耳川大橋のやや上流にある美々津橋の開通(昭和九年)以前は、耳川河口は渡し舟で渡河した。距離の測定も渡し船の経路によった。
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距宮崎元標13里34丁13間3尺。現在の10号線経由でここから県庁までおよそ55km。北隣の富高元標まで2里29丁33間。
美々津
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No title

美々津にも来ていたのですね。
山頭火は国東半島にも来ています。
昭和4年11月に阿蘇内の牧で句会を終えたあと亡き母の供養を思い立って西国三十三観音巡礼の旅出ています。その際立ち寄ったのが国東半島にある赤根温泉です。そこから師の荻原井泉水にハガキを残しています。
10年ほど前に私たちの会が句碑を3基建立しました。

じなしさんへ

私も今回はじめてみた句碑です。ここで山頭火がここいらに来ていたことを知りました。九州を放浪したんだから不思議はありませんが。私が子供の頃までは乞行の旅の僧が家の前で念仏を唱えていたものです。国東ではまだそれが生きているんでしょうね。

続山頭火

10年前の山頭火句碑建立時の資料がありましたのですこし調べてみました。
昭和5年9月に熊本を出て人吉、都城から宮崎へ(油津、志布志)→美々津へ。そのあと竹田、湯布院、中津、門司、福岡、久留米、熊本に暮に戻っています。乞食をしながら門下の家で酒食や謝礼を得て旅を続けたようです。この頃から放浪の旅が続くようです。
 じなしも山頭火が好きなのです

年とれば故郷こひしいつくつくぼうし(志布志あたりの句)

 

再度 じなしさんへ

私も山頭火句集を通読してみました。一見のどかそうな乞行は金がないわけですから実はかなりつらくてきつそうだな、と感じました。しかし、句集をどんどん読み飛ばすと、ややもするとオレでも作れそうな凡句ばかりだな、という感におそわれます。自由律の難しいところです。やはり山頭火の歩いた行路や昭和恐慌時代の時代感覚を含めて味わわないと、よく味わえないのでしょう。
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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