景清廟

宮崎市、平和台の麓の下北方界隈に縁戚の家があるはずなのでウロウロしてみた。結果、ウロ覚えで見つけられなかったが・・

そのかわり「景清廟」なるものに行き当たった。全然予備知識はないが、面白そうなので寄ってみた。
下北方
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由来はコレ
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この看板が読みにくければネット上に参考資料がある。こちらに藤原景清についてのウィキペディア記事  能の「景清」の粗筋はコチラで参照
景清、つまり藤原景清(平景清ともいう)は実在の人物であるが、さまざまな伝説があるらしい。能の「景清」が代表例。その舞台が日向国宮崎なのである。そこらは史実なんだか怪しいらしい。ここの廟は能の「景清」が実話だとして、その霊を慰めるために建てられたようだ。生目神社も景清に由来するとか。詳しくは県内観光案内サイトのコチラで。

謡曲「景清」の粗筋
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廟の内部
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なんと墓石もあるが、新しい。昭和のもの。実在の景清は800年前の人。
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その他新旧色々な石碑がある。タケノコもある。
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驚いたのがコレ。宮崎市の多くが延岡藩領であったのは知っていたが、その標柱をこんなところで見るとは。ただし、看板にあるように明治以降粗末に扱われ、礎石代わりに使われていたものを、炯眼の士が価値を認めここに立てなおしたもの。
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延岡藩領は大分にも点在していた。下は豊後高田市香々地の山中に残る石柱。(じなしさんのブログより転載)

「これより西、延岡領」と書かれているはずだが、下のほうが礎石に埋没している。

延岡7万石というが、大分から宮崎にかけて点在する所領の合計だったのであるから、延岡の実質石高はたいしたことなかったのではないか?

高鍋城には高鍋藩の藩境をしめす標柱が残っている。延岡藩のと同じ書式で書かれている。
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下北方には下北方古墳群があって、住宅地の中に小さな円墳がポコポコと残っている。これはそのうちの一つ。石仏がたくさん。
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石仏はどれも状態が良いので、廃仏毀釈以降、明治か大正期のものではないだろうか。
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千手観音が多い
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新西国三十三番、とある。石灯籠の年銘は天保九年。灯籠は西国三十三番とは関係ないと思われる。
下北方 33箇所
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古墳のそばにあったお宅の玄関先がステキなので写真に撮った。
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