山本作兵衛

九州北部に残る石炭成金たちの豪邸はいずれも素晴らしい。日本建築の精華である。

先日訪れた築上の蔵内邸  過去関連ポストはコチ
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飯塚の伊藤邸 過去関連ポストはコチラ
伊藤邸
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唐津の高取邸 過去関連ポストはコチラ
高取邸
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しかし、これらの豪邸が成った陰には数知れぬ炭鉱労働者の血と汗があったのは当然である。
蔵内邸で面白い物を見た。峰地炭鉱「採炭領収之證」とある。
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これは「炭鉱札」。私製の紙幣である。炭鉱が鉱夫に賃金として支給した。下は裏面。大正6年発行。
kurauti3
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この私製紙幣が鉱夫たちを大変苦しめたという。
炭鉱は個々の鉱夫の採炭量に応じてこのような炭鉱札を渡す。上の札は100斤(60kg)の札。時期によって異なるだろうが説明書では10斤1銭だったとか。この札が発行された大正前期頃の鉱夫の日当はおおむね1円くらいだったらしいから石炭1000斤(600kg)ほど。大正7年(1918年)には米騒動が起きて米1升が50銭以上になったというから日当で家族分の米を買うだけで精一杯ということ。ちなみに筑豊で最初に米騒動の暴動が起きたのはこの「炭鉱札」が発行された蔵内家経営の峰地炭鉱だという。きっと待遇が悪かったんだろう。

さてこの炭鉱札は全国の多くの炭鉱で明治から大正期に使われた。経営者は現金の用意をせずにすむ。鉱夫は炭鉱内の売店でしかこれを使えない。構内売店は物価が不当に高かったがそこで買わざるを得ない。特定の日に会社でこれを現金に交換できるのであるが、手続きが面倒でなかなか満額を交換してくれなかったという。だから炭鉱内外には今で言う悪質金券ショップがはびこり、3割、5割という法外な手数料を取って現金化していた。その日暮らしの鉱夫たちは損とわかっていてもそれを利用せざるをえなかったとか。上の炭鉱札の裏面には「会社廃業の折には無効とす」と書いてある。鉱夫たちは採炭現場でも酷使され、最後には悪辣な賃金支給の方法でも骨の髄まで搾取されたのである。



まぁ、それは山本作兵衛の本「炭鉱に生きる」を読んで知ったことである。
sakube (1)
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この本は1967年にまだ山本存命中に発行されたものが、2年前、世界記憶遺産になったのを機に再版されている。山本は明治32年から昭和30年代の60代になるまで炭鉱で働いた。彼が7歳の頃から地下に潜って石炭堀りをした見聞を60歳を過ぎて炭鉱の夜警をしながら、記憶によって描いている。彼の絵に描かれたのはおおむね明治から大正にかけての記憶のようだ。彼が子供の頃、青年の頃である。炭鉱の近代化以前、ほとんど人力で掘っていたころ。明かりは灯明の裸火でワラの山に火を持って入るような危険なものだったとか。電池式のキャップランプができたのは昭和になってから。
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上の絵では炭層は3尺くらいあるが、これより薄い炭層では腹ばいになってツルハシを振るうという大変な作業。よく考えると石炭というのは一種の岩であるから鉱夫は一日中石に向かってツルハシを打ち込んでいたわけだ。一日にツルハシを5本ほど使い、毎日研ぎと焼きいれをする必要があったという。ツルハシも研ぎ賃も自分持ち。
炭鉱労働者と家族の貧困と悲惨が縷々語られているが、なかなか現代人には想像のつかない世界だ。彼の絵からは炭鉱が近代産業という雰囲気が感じられない。江戸時代の延長のようだ。

これ以上失うもののない無産階級だった山本は、つくづく無産運動に身を投じたい、と願っていたそうである。大正から昭和にかけ、労働運動は盛んになっていく。しかし、子供の頃からの難聴があったのであきらめた、と語っている。

下:蔵内邸では10月に山本の作品の展覧会がある。
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山本の書き残した画文はいまや「世界記憶遺産」となって大変有名になった。一生最末端の労働者だった山本の画文が鉱夫たちの膏血の上に咲いたアダ花である蔵内邸で展示されるというのも面白い。かつての強欲資本家と無産階級の末端鉱夫の残した物が仲良く同居できるのは、100年の時の経過がその葛藤を洗い流したからだろう。

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トトロのとなり様
凄い情報量ですね〜。一回では無理ですので毎日開いては少しずつ読み解いています。
やはり九州北部は凄いですね、こんな屋敷は宮崎にはありません。都城の屋敷もここまではありません。
昔はやはり階層があって、根底の方々が頂点の者を支えていたんですね。

ミワ君へ

先日、佐土原の保存住宅「坂本家」に行ったんですが、そのチンケさに驚き。大分県や福岡県ではそこらにゴロゴロ転がっているような小さな商家です。やはり日向国は経済的にも文化的にも後進地だったのでは。文化はお金のあるところに花咲くものです。それと武家屋敷は大きくとも基本的に質素なようですよ。やはり商家の方が見て楽しい。
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トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

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