古写真 昔の土々呂2

前回のつづき。黒木さん所蔵の写真に私の父が撮った写真、私の撮った写真をとりまぜて。数年前にアップロードした写真と重複するものもある。

土々呂劇場。
27
27 posted by (C)オトジマ

人々の服装からみると戦前のようである。木造3階建ての堂々たる建築である。私が子供の頃まで映画館として営業していたが、はたしてこんな立派な建物だったかなぁ? これを見て「わぁ、懐かしい!」という気が起こらないところをみると建て替えられたものなのだろうか? 私よりも5歳くらい年長の方なら私よりも記憶が確かかもしれない。

私の家は映画館から1kmほどあって、そう度々は行かなかったが、土々呂桟橋通りなど街中の人々は、テレビ普及以前は毎晩のように行っていたのではないだろうか。私は学校に上がる以前に、ここで「ゴジラ」や「赤胴鈴之助」や美空ひばりの股旅物を見た記憶がある。

土々呂桟橋通り商店街。戦前のお祭りの日のようである。現在のノモト衣料品店あたりから霧島山方面を見ている。
17
17 posted by (C)オトジマ

看板を見ると「大阪朝日新聞」「・・写真館」「土々呂薬局」などが読める。私が子供の頃の記憶だと、この場所には右側には松浦鮮魚、荒物の田中商店、宮田精米所、戸田履物店などがあり、左側には吉田食料品、ノモト衣料、宮崎銀行などがあった。「土々呂薬局」は安藤さんの経営でこの場所ではなく、ここから海岸よりに200mくらい下ったところにあった。だからこの写真の「土々呂薬局」と同一経営かどうかは知らない。

現在の同じ場所。
CIMG1429
CIMG1429 posted by (C)オトジマ

国道10号線の舗装工事をしているようだから昭和35年ごろと思われる。トラックが右側を走っている。土々呂茶屋、いとや商店近辺である。私がかろうじて記憶している時代。この道路が出来る以前のことは全く知らない。
23
23 posted by (C)オトジマ

ちょうど同じ時期の御番所近辺の10号線建設工事。今のプールのあたり。
古い土々呂 スキャン (13)
古い土々呂 スキャン (13) posted by (C)オトジマ

完成したころの10号線。めったに車は通らなかった。土々呂海水浴場前のバス停にあった松の巨木が見える。
東浜-1959
東浜-1959 posted by (C)オトジマ

上の写真よりもやや前と思われる。というのも松の巨木が10号線の反対側にも見えるからである。上では見えない。
29
29 posted by (C)オトジマ

現在の同じ場所。激変している。
東浜2010-8
東浜2010-8 posted by (C)オトジマ

これは同じ時期、土々呂小の前を通っていたころの旧10号線である。今の県道。毎日リヤカーや天秤棒で物売りが来た。魚は土々呂から、野菜は伊形から。門川駅から宮崎方面に行く朝の列車にカンカン部隊の魚売りオバちゃんたちが大勢乗り込んでいたのはついこないだのような気がするが、最後に見て20年は経過しているかも。
東浜 5
東浜 5 posted by (C)オトジマ

大賑わいの土々呂海水浴場。鼻のないバスが見えるからすでに10号線はできている。昭和30年代半ばごろか。私が子供の頃で、夏は毎日泳いでいた。霧島山の松の木がもうなくなっている。
東浜-北から-ss
東浜-北から-ss posted by (C)オトジマ

昭和3年とある。土々呂海水浴場の古写真はいろいろと見かけるが、これは始めて見た。大変興味深い。霧島山に松の巨木。
24
24 posted by (C)オトジマ

うれしいことに小さく私の生家が写っている。父はたくさん写真を撮っているが、面白いことに自宅の写真が一枚もない。昭和3年だから大昔ではあるが、ようやくここに見つけた。これは当然国道10号ができるはるか以前、日豊線開通から5年後くらいである。海岸の砂浜からいきなり日豊線築堤となっている。東浜集落は日豊線の向こうにあり、日豊線を堤防がわりにしているが、写真左端に1軒だけ築堤より海側の家が見える。どうやらこれが私の母の実家のようである。二階建てだったのかな。これも初めて見る。以前に書いたように、この家は昭和20年代の台風の高波で流されてしまい、やがて10号線の敷地となってしまったから、私は全く見ていない。

一月前にもアップロードした写真であるが、流される前の母の実家から見た土々呂湾である。人物は消してある。
1952 御番所 hosei
1952 御番所 hosei posted by (C)オトジマ

背景のトンバン山やブリ見山が上と同じように見える。同じ場所のやや桟橋寄りで土々呂漁港を撮影している。昭和30年代中ごろに埋め立てで岩壁が作られる以前は単なる砂浜であった。漁船は砂浜から突き出た桟橋にだけ接岸できた。その桟橋に直通する通りだから桟橋通りと言ったのである。盆にはその砂浜に櫓が立てられ盆踊りの輪が砂浜を埋め尽くした。村田英雄のばんば踊りはまだなく、歌い手が交代で正調ばんば踊りを一晩中うなっていた。「なーしが食いてぇバイ」と踊りの輪がいっせいに唱和したのは懐かしい思い出。流れ灌頂は桟橋から流した。
totoro port ships e
totoro port ships e posted by (C)オトジマ

現在の土々呂湾を俯瞰。
Totoro Bay
Totoro Bay posted by (C)オトジマ


以前に掲載した土々呂海水浴場風景を再録。夏は海の家や貸しボート屋で賑わう。行灯に新茶屋とある。延岡の寿司屋が海の家やボート屋を出していた。他に戸田ボート屋、山田ボート屋などがあった。以下昭和30年代。私の父撮影
古い土々呂 beach-1
古い土々呂 beach-1 posted by (C)オトジマ

冬は海の家はクギ付けで閉鎖されさびしい浜辺だった。向こうでは大勢が漁船を降ろしている。
totoro beach-poru
totoro beach-poru posted by (C)オトジマ

当時は「出口」と言っていた今の東浜マンションのあたり。砂浜はここで一端途切れていた。浜伝いに土々呂から松原に抜けるにはこんなところを通らねばならなかった。大波の日には通れなかった。
古い土々呂 出口
古い土々呂 出口 posted by (C)オトジマ

これは幼い日の私。今のプールのあたり。海水浴場の南の端は磯場だった。
東浜-土用-8
東浜-土用-8 posted by (C)オトジマ

これは戦前の写真。昭和30年代からの記憶しかない私は洋望崎の看板は見ていない。
totoro beach2
totoro beach2 posted by (C)オトジマ


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR