都於郡城

都於郡と書いて「とのこおり」と読む。知らないと読めない地名である。西都市にあって中世、日向国を支配した伊東氏の居城があった。現在国の史跡となっている。「素晴らしい城だ!」と絶賛している城マニアのサイトを見て行ってみたくなった。ただし、戦国以前の石垣のない城はシロートが見ても何がなにやらサッパリわからない場合がある。

ところが現地に着くころにはちょうど雨雲の下になって雨の中。これは本丸に上がる石段。遺構ではない。
P6080045
P6080045 posted by (C)オトジマ

雨の中で、広い城跡を歩き回れなかったので、伊東マンショの像近辺だけ。ここが本丸跡。
P6080046
P6080046 posted by (C)オトジマ

NHKが撮影に来ていた。そのうち天正少年使節関連の番組があるのかもしれない。
P6080049
P6080049 posted by (C)オトジマ

この城とこの姿の伊東マンショには直接的な関連はなさそうだが、いつしか都於郡城の主役になっているようだ。
伊東マンショは都於郡城城主伊東氏の外孫。伊東氏が薩摩の攻撃を受けた8歳の時に豊後に落ち延びてキリスト教に出会った。その後天正遣欧少年使節の主席正使となる。教科書にも載っている有名人だ。
P608052
P6080052 posted by (C)オトジマ

宮崎大の先生が製作した銅像。教科書の肖像画はヨーロッパ人が描いた想像画なので全然アジア人らしくないが、これは普通にアジア顔。使節として出発した時には13歳。誰がモデルになったんだろう。学生かな?首のビラビラが共通な原城にある北村西望作の桃太郎にしか見えない天草四郎の像よりはるかにリアリティがある。
P6080054
P6080054 posted by (C)オトジマ

伊東満所慰霊碑。マンショは1612年に病没している。長生きしていれば少年使節の同僚だった中浦ジュリアンがそうだったように幕府のキリスト教弾圧の犠牲者になっていたかもしれない。
P6080050
P6080050 posted by (C)オトジマ

本丸に隣接する曲輪。この先に二の丸、三の丸があるが、雨なので行かなかった。晴れた日にまた来よう。
P6080051
P6080051 posted by (C)オトジマ

P6080055
P6080055 posted by (C)オトジマ

P6080047
P6080047 posted by (C)オトジマ

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

トトロのとなり

Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
お金がないので遠くには行けない。
お金がないのでグルメ記事はなし。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR