異国合戦

岩井三四二作 「異国合戦」

歴史の教科書の「元寇」のページには必ず載っている図が「蒙古襲来絵詞」。蒙古軍と戦う騎馬武者のそばで「てつはう」が爆発している。
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元寇や秀吉の朝鮮出兵をテーマとした名高い小説をあまり聞かない。NHK大河ドラマ「北条時宗」は高橋克彦のドラマのための書き下ろし作品であった。元寇は知られているように「神風」が吹いて元軍がまともに戦わずして自滅したので、あんまり面白いドラマにならないんだろうか。

というところで、図書館で岩井三四二作「異国合戦」を見かけて読んでみた。443ページをスラスラと読める。
この作品は主人公を「蒙古襲来絵詞」の主役竹崎季長(すえなが)にしている。戦場から遠く離れた幕府中枢を舞台にしていない。季長の行動は「蒙古襲来絵詞」に詳しく書かれているから、ほぼ史実を追っていると思われる。今から800年も昔の肥後の人が今と同じ熊本弁を使っていたのかどうかは怪しいが、多くの登場人物たちが九州人には親しみやすい肥後弁をしゃべるのがとても心地よい。読み終えるといつしか熊本弁が口をついて出るくらいだ。
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季長は1274年の文永の役に出陣し、敵前に「一番駆け」をしたのであるが、幕府にその戦功を認めてもらえなかった。認めてもらえないと恩賞―すなわち領地―をもらえない。元来領地を持ってない季長はどうしても恩賞が欲しいので、鎌倉の幕府に直接訴えで出て苦労の末に戦功を認めてもらい、肥後国南部の海東郡の地頭となる。

はるばる鎌倉まで行き、直訴に及ぶ。田舎のしたっば御家人の訴えはなかなか聞いてもらえない。
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Takezaki_3 posted by (C)オトジマ

その後1281年の弘安の役にも出陣し戦功を挙げる。その後、季長はその経過を京都の絵師に依頼して「蒙古襲来絵詞」として絵巻物にした。両戦役に出陣した御家人はあまたおり、幕府関係者も多数かかわっていたはずだが、このような絵巻にしたてたのはたまたまこの竹崎季長しかいなかった。そのおかげをもって後世の我われは元寇の様子をうかがい知ることができるのである。
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歴史に残る「蒙古襲来絵詞」ではあるが、主人公季長がいかに活躍したか、というと、実はそうたいしたものではない。この本によれは両戦役を通してたおした敵兵はごくわずかで明白に殺したのはたった一人なのである。文永の役では博多の海岸で敵の大軍を前にして一番駆けを狙い、しゃみむに騎馬で突進したが負傷してしまっておしまい。敵は戦果もないままあっさり船団を故国に向け引いてしまった。

季長が「一番駆け」の戦功を挙げたのは生の松原近辺。弘安の役では小船で志賀の島近辺まで出撃。
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中央は現地で御家人達の指揮にあたった少弐 景資(しょうに かげすけ)。出撃する季長を見送っている。
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Takezaki_10 posted by (C)オトジマ

その7年後の弘安の役には元は前回をはるかに上回る10万の大軍で押し寄せた。季長は領地を安堵してもらうためには何が何でも敵の首を取る必要があった。先遣隊の高麗軍がなかなか博多に上陸してこないので、季長は小船で敵の戦艦めがけて突進するが降り注ぐ矢の中では敵艦によじ登ることもかなわない。
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Takezaki_2 posted by (C)オトジマ

元軍は主力の宋軍の来着が遅れて一旦伊万里湾に再集結する。そこに例の台風襲来で10万の大軍を乗せた千隻以上にも及ぶ戦艦軍が水没する。敵の首を取らぬままに戦が終結しては季長は領地を失いかねない。あせる季長は博多湾から艪漕ぎの小船ではるか伊万里湾まで残敵を探しに行く。逃亡中の敵船を発見して乗り込み、見事敵の首を取ることに成功する。

物語中では季長は中世の武士らしく、常に前向きで戦功と名誉のためなら全く恐れを知らない単純な気持ちよい人物である。中世の武士ってきっとそういうものだったんだろうな。季長は海東郡を安堵され平和に余生を送った。

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単純な季長の動向だけ追っていてはストーリーが単調になる。この本の面白い所は敵の元軍の一部である高麗国の人物群の動きをパラレルに配置したところ。高麗はいち早く元に屈して属国となった。文永の役では元軍の主力となった。おびただしい軍船の建造と派兵で国力を消耗し、弘安の役では台風で全滅してさらなる損害を蒙った。無慈悲なモンゴル帝国の下僕となった高麗が日本以上に苦しんだ様子もうかがわれる。

朝鮮は中国と日本の度重なる侵略に苦しんだ民族であるが、海外侵略をした歴史もある。一度はこの元寇であり、もうひとつはベトナム戦争時にアメリカの傭兵となってベトナム侵略に加担した。韓国があまり自慢したくない過去である。

モンゴルが他民族を侵略する時の想像を絶する残虐さは有名である。モンゴルは弘安の役ではもっぱら高麗と南宋の軍に出兵を命じているから自分の懐は痛まないし、配下異民族の軍勢の消耗はむしろ歓迎だ。こともなげに両国に3500隻もの大艦の建造と10万以上の出兵を命じた。この時の船は1隻だけでも日本ではありえない巨艦であった。それが海上に展開する有様はさぞ壮観だったろう。

もし神風なかりせば、容易に博多上陸を許し、大宰府占領は瞬く間である。その後の日本の歴史は激変していただろう。当時の日本武士の戦法では10万の異国の軍を撃退するすべはなかっただろう。元軍は殖民・定住の準備までして来ていたのである。そう考えると歴史の大きな流れも偶然に作用される面が多分にある。

明治時代には矢田一嘯が「蒙古襲来絵図」を描いている。矢田は画壇の画家ではなく、見世物用のパノラマ画の作者であった。しかし、そのリアリティは素晴らしい。さもありなん、という迫力!季長の「蒙古襲来絵詞」とは比べ物にならない。画壇的評価は低かったかもしれないが、100年以上たてば立派な文化財。
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コチラで作者矢田についての解説とその他の絵を見る事ができる。うきは市だから今度機会があったら行ってみようかな。

物語はフィクションも含んではいるが、歴史の本では思い浮かばない情景を現出させてくれる。江戸時代はドラマや小説や落語やらで現代人にも馴染み深いが800年も昔の中世は縁遠い。それがさもありなん、というくらい身近に感じられた。舞台も九州だからなじみ深い。大変面白かった。いずれ季長の領地だった熊本の海東郡に行ってみたいものだ。
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海東郡 posted by (C)オトジマ

















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