山都町
山都町はいつも通過するだけの町だが試しにちょっと寄ってみた。
まず県境からすぐの馬見原。
これは五ヶ瀬川の最上流で左側が宮崎県鞍岡、右が熊本県の馬見原。

P4111146 posted by (C)オトジマ
これは宮崎県側の菜の花畑とシダレ桜

P4111150 posted by (C)オトジマ
馬見原は肥後と日向を結ぶ日向往還の宿場町だったらしい。石畳で古い宿場町の様子を残したいようだが、古い家屋はほとんどない。

P4111154 posted by (C)オトジマ

P4111158 posted by (C)オトジマ
商店街の中に火伏地蔵がある。

P4111151 posted by (C)オトジマ
享保3(1718)年銘の六地蔵

P4111152 posted by (C)オトジマ
肥後と延岡藩の境界なので関所があった。

P4111159 posted by (C)オトジマ
五ヶ瀬川に架かる馬見原橋。上が車道・下が歩道のアーチ型の二段橋。名所らしいが別に古い橋ではない。

P4111156 posted by (C)オトジマ
馬見原の長久寺。鬼子母神がある。

P4111162 posted by (C)オトジマ
シダレ桜が見事なので寄ってみた

P4111161 posted by (C)オトジマ
サクラ越しに馬見原の町

P4111163 posted by (C)オトジマ
山都町は矢部町、清和村、蘇陽町が合併しているのでやたらと広い。
もうちょっと足を伸ばして矢部の通潤橋へと思ったら馬見原から20kmもあった。
我家からそう遠くもない有名観光地であるが実は初めて来る。

P4111192 posted by (C)オトジマ
テレビのニュースでお馴染みの姿であるが、放水は見れなかった。

P4111187 posted by (C)オトジマ
江戸時代の石工の技術水準は高い。でも2000年以上前にはローマ帝国はこれとは比較にならないくらい大規模な水道橋を作っていたんだからすごい。

P4111170 posted by (C)オトジマ
橋の上で水路が見えるのかと思ったらさにあらず。この三本の石の並びが水路で石を切り抜いた土管状のものらしい。
ここに水を供給する水路はこの橋より高いところで、橋の向こうの出口も橋より6mほど高い。つまりサイホン式になっているのでこの橋の水路には大きな水圧が加わっている。だから放水の時にはあのようにすごい勢いで水が噴出すのである。

P4111173 posted by (C)オトジマ
橋に水を通してない時にはこのように水は橋の横の開渠をすごい勢いで流れ下っている。

P4111169 posted by (C)オトジマ
ここが対岸の水の噴出し口。

P4111176 posted by (C)オトジマ
これが水路を構成する石の管。穴は1方尺。これをたくさん繋げて漆喰で密封している。

P4111181 posted by (C)オトジマ
橋には手摺りはないのでふざけていると転落する。小中学生の遠足には向いてないだろうね。

P4111185 posted by (C)オトジマ
放水はテレビでお馴染みだがやはり一度は来てみるものである。
まず県境からすぐの馬見原。
これは五ヶ瀬川の最上流で左側が宮崎県鞍岡、右が熊本県の馬見原。

P4111146 posted by (C)オトジマ
これは宮崎県側の菜の花畑とシダレ桜

P4111150 posted by (C)オトジマ
馬見原は肥後と日向を結ぶ日向往還の宿場町だったらしい。石畳で古い宿場町の様子を残したいようだが、古い家屋はほとんどない。

P4111154 posted by (C)オトジマ

P4111158 posted by (C)オトジマ
商店街の中に火伏地蔵がある。

P4111151 posted by (C)オトジマ
享保3(1718)年銘の六地蔵

P4111152 posted by (C)オトジマ
肥後と延岡藩の境界なので関所があった。

P4111159 posted by (C)オトジマ
五ヶ瀬川に架かる馬見原橋。上が車道・下が歩道のアーチ型の二段橋。名所らしいが別に古い橋ではない。

P4111156 posted by (C)オトジマ
馬見原の長久寺。鬼子母神がある。

P4111162 posted by (C)オトジマ
シダレ桜が見事なので寄ってみた

P4111161 posted by (C)オトジマ
サクラ越しに馬見原の町

P4111163 posted by (C)オトジマ
山都町は矢部町、清和村、蘇陽町が合併しているのでやたらと広い。
もうちょっと足を伸ばして矢部の通潤橋へと思ったら馬見原から20kmもあった。
我家からそう遠くもない有名観光地であるが実は初めて来る。

P4111192 posted by (C)オトジマ
テレビのニュースでお馴染みの姿であるが、放水は見れなかった。

P4111187 posted by (C)オトジマ
江戸時代の石工の技術水準は高い。でも2000年以上前にはローマ帝国はこれとは比較にならないくらい大規模な水道橋を作っていたんだからすごい。

P4111170 posted by (C)オトジマ
橋の上で水路が見えるのかと思ったらさにあらず。この三本の石の並びが水路で石を切り抜いた土管状のものらしい。
ここに水を供給する水路はこの橋より高いところで、橋の向こうの出口も橋より6mほど高い。つまりサイホン式になっているのでこの橋の水路には大きな水圧が加わっている。だから放水の時にはあのようにすごい勢いで水が噴出すのである。

P4111173 posted by (C)オトジマ
橋に水を通してない時にはこのように水は橋の横の開渠をすごい勢いで流れ下っている。

P4111169 posted by (C)オトジマ
ここが対岸の水の噴出し口。

P4111176 posted by (C)オトジマ
これが水路を構成する石の管。穴は1方尺。これをたくさん繋げて漆喰で密封している。

P4111181 posted by (C)オトジマ
橋には手摺りはないのでふざけていると転落する。小中学生の遠足には向いてないだろうね。

P4111185 posted by (C)オトジマ
放水はテレビでお馴染みだがやはり一度は来てみるものである。