大分 柞原八幡

大分の柞原(ゆすはら)八幡に参った。ここは豊後一の宮の立派な神社。山奥にあるが、車なら市街地から10分ほど。
ここからが参道だが、車で本殿そばまで行けるのでほとんどの人はラクしてそちらに回ると思う。
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P8264575 posted by (C)オトジマ

上の駐車場から参道を見下ろす。この坂道が有難いのであるが、楽なほうに流れるよね。
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お寺では鐘を鳴らせるところがあるが、ここは太鼓をたたいていい。こころざしを要求されるが・・・
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大きな絵馬がたくさん。相当古いようでどれも退色がひどい。武者絵が多い。
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残念ながら古典に関する教養がないので絵を見ても何の話かわからん
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拝殿の前に来るには靴を脱いでこの廊下を歩いてくる
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拝殿の正面にある扉。菊の紋がある。なんと勅使門で勅使が来た時だけしか開かないとか。
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この勅使門を下の階段から見るとこうなっている。
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これが先ほど菊の御紋のあった扉。開かずの扉である。今どき勅使なんて来るのかな?
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木彫彩色の狛犬。素晴らしい。
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これも見事な随神がいる
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参道の途中に楼門がある。大楠があるというのでここまで降りてみた。
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下から、すなわち正面側。
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この楼門、南大門にはケヤキの板に掘られた見事なレリーフがびっしり貼り付けてある。素晴らしい彫刻の腕前である。
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絵のテーマは中国の故事にとったもののようだ。そのうち二十四孝はすぐにわかる。寺社の山門に献納される例が多い。この柞原八幡から遠くない大分市内、今市の丸山神社の楼門にも見事な二十四孝レリーフがある。もしかすると同一の彫師の手になるものかもしれない。

『二十四孝』は中国の書物。親孝行の模範となる24の事例をあげている。落語の「二十四孝」ではそのうちいくつかのエピソードが語られる。どれこもれも荒唐無稽な孝行譚なので落語で笑いのネタにも出来るわけだ。

以下、柞原八幡の写真についていくつかのエピソードをあげる。解説はウィキペディアよりコピペ

郭巨
郭巨e
郭巨e posted by (C)オトジマ
郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

呉猛
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呉猛(ごもう)は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。


舜e
舜e posted by (C)オトジマ
舜(しゅん)は大変孝行な人であった。父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しであったが、舜はひたすら孝行を続けた。舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けた。その時の天子を堯と言った。堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ天子の座を舜に譲った。これも孝行の心が起こしたことである。

曾參
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曾參e posted by (C)オトジマ
孔子の弟子の曾参(そうしん)は、ある時薪を取りに山に行った。母が留守番をしている所に曾参の親友が訪ねて来た。母はもてなしたいと思ったが、曾参は家におらず、元々家が貧しいのでもてなしもできず、「曾参、急いで帰って来てくれ」と指を噛んで願った。曾参は山で薪を拾っていたが、急に胸騒ぎがするので急いで家に帰ってみると、母が事のいきさつを話してくれた。指を噛んで願ったのが遠くの曾参に響いたのは孝行の心で、親子の情が深い証拠である。
唐夫人
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唐夫人e posted by (C)オトジマ
唐夫人(とうふじん)は、姑の長孫夫人に歯がないのでいつも乳を与え、毎朝姑の髪を梳いて、その他様々なことで仕え、数年が経った。ある時、長孫夫人が患い、もう長くないと思って一族を集めて言うには「私の嫁の唐夫人の、これまでの恩に報いたいが、今死のうとしているのが心残りである。私の子孫たちよ、唐夫人の孝行を真似るならば、必ず将来繁栄するであろう」と言った。このように姑に孝行なのは過去現在珍しいとして、皆褒め称えたと言う。やがて恩が報われ、将来繁栄するのは当たり前のことである。

孟宗
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孟宗e posted by (C)オトジマ
孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう

楊香
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楊香e posted by (C)オトジマ
楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。

老莱子
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老莱子e posted by (C)オトジマ
老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。

蔡順
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蔡順e posted by (C)オトジマ
王莽の時代に天下は乱れ、また飢饉が訪れ、食べる物もなかった。蔡順(さいじゅん)は母のために桑の実を採り、熟していない物と熟した物に分けていた。その時、盗賊(赤眉の乱の盗賊と思われる)が現れ「何故桑の実を2つに分けるのか」と尋ねたところ、蔡順は「私には一人の母親がおりますが、熟した物は母親に、熟していない物は自分にと思っていたのです」と言った。盗賊も蔡順の孝行の心を知り、米と牛の足を与えて去って行った。蔡順はその米と牛の足も母親に与えた。

剡子
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剡子(ぜんし)e posted by (C)オトジマ
剡子(ぜんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、剡子に欲しいと願った。剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子を射ようとしたが、剡子が「私は本物の鹿ではありません。剡子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た。

庾黔婁
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庾黔婁(ゆけんろうe posted by (C)オトジマ
庾黔婁(ゆけんろう、ゆきんろう)は南斉の人で、孱(せん)陵県の役人になっていたが、着任して10日も経たないうちに、胸騒ぎがしてならなくなった。父の病気かと思い、役人を辞めて家に帰ると、案の定大病を患っていた。庾黔婁が医師に病状を尋ねると、病人の便を舐めて、甘く苦ければ良かろうと言う。庾黔婁は簡単なことだと言って舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星(北極星)に身代わりになることを祈り続けた。

おそらく二十四孝全部揃っているんだろうが内部は薄暗くてキレイに写真がとれてない。
他にも二十四孝にちなまない絵柄もある。
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P8264543 posted by (C)オトジマ

奉納者名がある。莫大なカネがかかったことだろう。奉納年は明治3年。150年経ているにしては素晴らしい保存状態だ。ケヤキで木が硬いからか。
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P8264551 posted by (C)オトジマ

残念なのは落書きが多いこと。ナイフで名前を掘り込んだ悪質なものも多い。この素晴らしい楼門を見て、落書きなんていう犯罪行為をすべきでない貴重な文化財だということがわからないアホな受験生が多々いるようだ。田上君!防衛大に行く以前に、貴重な日本文化を防衛する事が先だろうか!!イタリアの大聖堂に落書きをして国際問題になり現地まで謝りに行った岐阜短大の女学生達を思い出す。
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P8264538 posted by (C)オトジマ

神社側もあまり大事とは考えていないのか、なんの注意書きもなかった。

そしてこれが大楠。とんでもなくデカイが、大枝が折れて原型の半分くらいしか残ってないようだ。樹齢3000年とか。ホントなら縄文楠である。
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P8264549 posted by (C)オトジマ

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Author:トトロのとなり
現在トトロのとなりの門川町に住む。
日豊地域での見聞を中心に徒然を記す。
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お金がないのでグルメ記事はなし。

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